「オリンピック」に収斂される近代スポーツの本質 ―― 或いは、「2020年東京五輪」が抱える隘路

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1  福島の状況は「アンダーコントロール」されているか
 
 
 
 
その「ハレ」の祭典が、東京に決定された。
 
2013年9月のことだ。
 
正直、スポーツ好きの私にとって喜ばしいことだが、その経緯には幾つかの問題点がある。
 
 
 
即ち、福島の状況コントロールされていると、我が国の総理大臣は言い切ったのである。
 
その内実が「アウト・オブ・コントロール(制御不能)」とは決めつけられいが、万全にコントロールされていると言いにくい現実を無視できないので、福島の最新の状況福島県庁HPを参考にして、簡単に検証していきたい。
 
―― まず、「地下水バイパス」の施工状況。
 
これは、地下水が原子炉建屋に流入する前に地下水を汲み上げ、その流れを変えて地下水位を下げることによって、原子炉建屋への流入量を減少させるという難作業。
 
東電は現在、福島第一原子力発電所の地下水バイパス揚水井(ようすいせい・井戸)から汲み上げ、一時貯留タンクに貯水していた地下水バイパス水の排水を開始している。
 
この作業の開始時期は、2014年4月9日。
 
次に、「サブドレン」・「地下水ドレン」について。

原子炉建屋とタービン建屋近傍にある井戸・サブドレンで、地下水を汲み上げることで、原子炉建屋およびタービン建屋へ流入する地下水が大幅に低減することが目的。

 
また、海側に流れ込む地下水についても、海側遮水壁(汚染水を漏らさない対策)を設置して堰(せ)き止め、護岸に設置した井戸(地下水ドレン)により汲み上げる。
 
この作業の開始時期は、2015年9月14日
 
次は、福島第一原子力発電所の状況確認(2017年度)について。
 
福島第一原子力発電所・3号機の原子炉建屋燃料取り出し用カバー等、設置工事の進捗状況を確認するため、現地調査を実施している。
 
当然ながら、必要に応じて状況確認している現状である
 
最も肝心な原子力発電所の監視については、楢葉町(ならはまち・浜通り南にある町で、福島第二原子力発電所の全号機が町内にある)駐在を設置して、原子力発電所の状況について速やかな情報収集を行っている。
 
そして、人体への影響の度合いを表す「シーベルト」で比較する「放射線」については、原子核と電子のバランスが安定した状態になるために放射線を出す(壊変・かいへん)が、放射能は一定期間を過ぎると半減する。
 
だから、放射性物質によって「物理学的半減期」が異なる。
 
しかし残念ながら、放射線が人体に与える影響について言えば、詳細に分かっていないのだ。
 
例えば、放射線を受けた量が同じ場合、「一度に多量の放射線を受けた場合」と、「少しの放射線を長期的に受けた場合」を比較すると、前者の方が大きな影響を受けることが分かっている程度なのである
 
然るに、チェルノブイリ原発事故で判然としたように、細胞分裂が盛んで、乳幼児放射線の影響を受けやすいのは事実であるが、福島県の現状において、乳幼児の放射線量は心配するレベルではないと言っていい。
 
各地でのモニタリング(個人の被曝線量や環境中の放射線量を測定すること)の結果は、母親や子供の健康に影響のない数値を示していて、過度に放射線を心配する必要がないということである。
 
また、放射性セシウムは放射性ヨウ素と同様に、原発事故発生当時に大気中に放出されたが、ヨウ素原発事故直後に水道水から検出されたのに対し、放射性セシウムは水道水から検出されていない。
 
これは、セシウムが土に吸収されやすい物質である事実と関係していて、国内の上水道では、浄水場で水を様々な方法によって濾過(ろか)し、消毒後に水道水として使用しているので、セシウムは濾過の過程で殆ど取り除かれてしまうため、水道水から検出されないということ。
 
そして現在、「3期」に分けて、その完了までに30~40年も要する原子炉を解体・撤去する、難関な「廃炉」のステージに踏み込んでいるという状況である
 
―― 以上、大雑把に書いてきたが、「地下水バイパス」・「サブドレン」・「地下水ドレン」のステージが実践的に開かれていない状況下で、「アンダーコントロール」と言い切った安倍首相の言葉には、相当の無理があったと言う外にない。
 
この現実を理解する限り、安倍首相の自信満々のスピーチは、五輪招致要請のための欺瞞性を隠し切れなかったということである
 
但し、有効求人倍率が全国4位、県外流失率が約2.2%、離婚・中絶・流産率は殆ど変わらないという、社会学者・開沼博(かいぬまひろし)の報告がある事実も言い添えておきたい。
 
 
2  「簡素な五輪」という理念から背馳しない覚悟があるのなら、限りなく五輪予算を削り取ることである ―― 「2020年東京五輪」が抱える隘路 その1
 
 
「2020年東京五輪」について、一般的に指摘されている事柄に言及していく。
 
何より、その筆頭莫大な開催費の問題。
 
本稿では、この一点に問題点を特化して言及したい。
 
憲法的な性格を持つ基本的な法律文書として、オリンピズムの根本原則とその根源的な価値を定め、想起させる」(A)という「オリンピック憲章」(注1)から、アマチュア条項を削除した夏季オリンピック・「1976年モントリオール五輪」において、当初、経費の概算が3億2000万ドルであったにも拘らず、最終的には、その4倍以上の約13億ドルにも達したことで、膨大な赤字を計上し、そ後、赤字返済のための税金使われることになっ
 
この事実は、五輪の開催が、資金に余裕のある一部の先進諸国に限定されるにという、由々しき事態についての深刻な問題提起である。
 
その典型例が、近代オリンピックの幕を開ける1896年の第1回大会以来、108年ぶりに、世界最高峰の障害者スポーツ大会・パラリンピックとの共同、且つ、同じ場所での開催(注2)を具現した「2004年アテネ五輪」であった。
 
五輪終了後、年間1億ユーロを要する施設建設(費用は国債で賄った)の維持費の抑制のため、ギリシャ政府は民営化への転換を図るが、施設の売却が殆ど進まず、70年代に王制を倒した「全ギリシャ社会主義運動」(PASOK)のパパンドレウ政権下で、財政赤字の隠蔽という尋常でない経済危機(ギリシャ危機)に陥り、五輪施設それ自体レガシーコスト(負の遺産)と化してしまった
 
その後の五輪でも多額の開催費がボトルネックとなって、開催立候補を辞退する都市が相次ぐという歓迎されない経緯がある。
 
結局、立候補都市して残ったのはパリと、夏季大会で3回目になる、お馴染みのロサンゼルスだけとなり、「2020年東京五輪」後は、そのパリとロスに決定した。
 
肝心の「2020年東京五輪」でも、若者のオリンピック視聴率が低下する一方(若年層の平均視聴率わずか5.3%)で、視聴率の挽回のため若者向けの競技種目を増やし、過去最多の33競技339種目が実施されることになった。
 
完全に、「簡素な五輪」という理念から背馳(はいち)しているのだ。
 
国際オリンピック委員会(IOC)の収入源が莫大なテレビ放映料にあり、2032年まで、NBC(米放送大手)が独占放映権を持つという構図があり、そこに巨額の利権が生まれる現実には看過できい。
 
何にも増して、明治神宮外苑に隣接する、メインスタジアムの新国立競技場建設計画。
 
イラク出身の女性建築家・ザハ・ハディドの、巨大なアーチで流線形の屋根を支えるという斬新なデザイン(キールアーチ)が選ばれても、建設費が莫大に膨れ上がったことで頓挫する愚昧さに呆れたが、この一点に集中的に顕在化する建設費の曖昧(あいまい)さ。
 
そして、「開かれた選考」とは言い難い組織委員会の構造的な問題と、インターネット社会でのリスク管理能力の乏しさを露呈し、国際的なイメージダウンとなった、「大会のシンボル」・エンブレムの異例の白紙撤回問題に象徴される、利権が渦巻くような「商業主義五輪の本質が、そこに垣間見えるのだ。
 
東京都特別顧問・上山信一慶應義塾大学総合政策学部教授)が言うように、「2020年東京五輪」の招致時段階では、見積り範囲を狭めて、より小さい金額を示す。
 
招致が決まったら、狭めていた見積り額を一気に膨張させ、開催経費を引きも切らずに追加していく。
 
膨張させた見積り額が都庁に知られたら、3兆が2兆に縮小する。
 
それでもダメ出しされたら、今度は、1兆8000億という唖然とするような数字が出てくる。
 
そして、9900億の出費を税金で賄うと言うのだ
 
これだけ数字が変われば、当然ながら、都庁も組織委員会も、初歩的な査定能力が疑われてしまうのは必至である
 
ここで、問題を整理してみよう。
 
一般財団法人として、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が設立され、公益財団法人となったのが2015年1月1日。
 
組織委員会のトップは、御手洗冨士夫(みたらいふじお・キヤノン会長)を名誉会長とし、会長に就任したのが森喜朗元首相であることは、周知の事実。
 
また、副会長にJOC会長の竹田恆和(たけだつねかず)らが就任しているのも、よく知られている。
 
本職を持つ多くの理事を横目に、大会運営のコアとなる事務総長に就任しているのが武藤敏郎(むとうとしろう)。
 
財務省の元事務次官で、エンブレムの白紙撤回を表明した人物である
 
運営のマネジメントを行う組織に過ぎない件の人物たちが、「2020年東京五輪」を実質的に仕切り、膨大な税金を蕩尽(とうじん)する。
 
不可欠なスタッフとして、公平性のある「選挙」で選任されたわけでない不透明な大組織に膨大な税金が蕩尽され、「分配」されているようなのだ
 
残念ながら、「2020年東京五輪」を開催する東京都には、何の権限もないということ ―― これが最大の問題であると言っていい。
 
だから、小池都知事が予算でクレームをつけても、メディア総体から「五輪の弊害」ように言われる始末。
 
例えば、長沼ボート場を「海の森水上競技場」の代替案として提案した時には、「小池劇場に振り回された」などと、大手メディアに一方的非難を浴びるだけだった。
 
エンブレムの白紙撤回問題に象徴されているように、組織委員会の財布を握る武藤敏郎事務総長、「五輪のドン」・森喜朗元首相、そして、「マーケティング専任代理店」・電通が利権を分け合う権力構造を成していると指摘されるほどだが、一切は不分明であるとしか言えず、この種の情報の隔靴掻痒(かっかそうよう)の感に苛立つばかりである。
 
それでも、ここで、はっきり言いたい。
 
見積り額が不鮮明な「組織委員会」は、これまでの責任を明確化すること。
 
それなしに、予算上限を守れるわけがないのだ。
 
選挙で選ばれ、責任ある立場を自覚し、重い役割を担う者でない連中が、「予算が足りないから都・国に1兆円も負担してくれ」と強請(ねだ)っても、その甘えを納税者が受容し得ると思っているのか。
 
まず、為すべき行為は、「組織委員会」の責任を明確化すること ―― それに尽きる。
 
そして、組織委員会の人事を刷新することである。
 
上山信一は、組織委員会の理事を順番に参考人招致すべき。そのプロセスを情報公開する」とまで言い切った。
 
全く異論がない。
 
「簡素な五輪」という理念から背馳しない覚悟があるのなら、限りなく、五輪予算を削り取ることである。
 
 

時代の風景 「『オリンピック』に収斂される近代スポーツの本質 ―― 或いは、『2020年東京五輪』が抱える隘路」 より抜粋http://zilgg.blogspot.jp/2018/02/blog-post.html