「状況が歴史を動かす」 ―― 「731部隊」とは何だったのか

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1  「生理学的実験」を遂行した途轍もない破壊力
 
 
かつて、「防疫給水部」(ぼうえききゅうすいぶ)と呼称される専門部隊が、大日本帝国陸軍の組織系統の中にあった。
 
「防疫給水部」とは、文字通りの意味で、疫病対策と浄水の確保を維持し、ライフラインの整備を目的とした部隊である。
 
然るに、実際は、ウイルスに代表される病原体に対しての防疫活動の外に、視界不良の小さな生物である細菌(大腸菌結核菌など)や、その細菌の50分の1程度の大きさで、自分で細胞を持ち得ないため、他生物の細胞を利用して自己を複製させるウイルス(インフルエンザウイルス、ノロウイルスなど)の毒素=「生物兵器」に対する防護としての防疫の任務であった。
 
細菌・ウイルスなどの「生物兵器」は、1925年に採択され、発効した「ジュネーブ議定書」で使用禁止が規定されている。
 
ジュネーブ議定書」の採択・発効の契機になったのは、第一次世界大戦西部戦線において、ドイツ軍が人類史上初の大規模毒ガス攻撃(塩素ガス)を実行した、「第二次ベルギー・イーペルの戦い」である。
 
「第三次ベルギー・イーペルの戦い」では、致死性が高い化学兵器マスタードガス(「イペリット」と呼称)が使用されるに及び、以降、世界各国で化学兵器の開発の決定的な転機になっていく。
 
かくて、「死の町」と化したイーペルの町は、復興に50年もの時間を要したと言われるほど、第一次世界大戦の代償の甚大さを露呈するものになっている。(現在、犠牲者の鎮魂のスポットとして、「フランドル戦争資料館」がイーペル市に設置されている)
 
一方、帝国陸軍直属部隊として常設された「防疫給水部」は、新宿区戸山町にあった「陸軍軍医学校」と提携し、生物兵器の研究開発機関としての任務を負っていた。
 
「防疫給水部」の正式名称「関東軍防疫給水部本部」(「東郷部隊」)。
 
この「関東軍防疫給水部本部」の通称こそ、大日本帝国が遂行した「アジア・太平洋戦争」で、戦後、悪名を轟(とどろ)かせ、国民を震撼させた「731部隊」(ななさんいちぶたい)。
 
中国東北部の旧満洲ハルビン黒竜江省)に秘密研究所を作り、そこで、生物兵器(細菌兵器)の開発を行った日本軍の秘密部隊 ―― それが「731部隊」だった事実はよく知られている。
 
ハルビンを拠点にして、「防疫給水部」の作業に挺身し、防疫給水体制の研究を基本的任務としつつ、生物兵器(細菌兵器)の秘密研究所に据え、細菌兵器開発のために、生きている人間を実験(「生体解剖」・注1)の材料にして、人体実験を行った事実は、満州で独裁的権限を振るい、駐屯していた大日本帝国陸軍の部隊・「関東軍」の軍医将校・梶塚隆二(かじつかりゅうじ・終戦時の階級は軍医中将)の証言(注2)で検証されている。
 
大体、現地参謀が判断し、権限のある指揮官の事後承認で軍事行動が実施され、軍を差配する「幕僚統帥」(ばくりょうとうすい)という、大日本帝国陸軍の日本型組織の負の構造の凝縮が、「満州国」を動かした「関東軍」の独断専行であった事実を無視できないのだ。
 
その「関東軍」の「幕僚統帥」が「防疫給水部」を仕切り、「防疫給水部」=「731部隊」が、ソ連に対抗するために細菌兵器を開発していたという構造は、あまりに分りやすく、日本型組織の負の構造の危うさに満ちていた。
 
そして、「防疫給水部」=「731部隊」が人体実験を実践する。
 
731部隊」を率いていたのは、軍医将校・石井四郎(終戦時の階級は軍医中将)。
 
軍医の最高位・軍医総監まで上り詰めたこの男は、「悪魔の参謀」・辻政信が、「幕僚統帥」として仕切った「ノモンハン事件」(1939年)において、防疫給水の合理的行動の指導が高く評価され、「関東軍防疫給水部」=「731部隊石井部隊」のトップとして君臨する。
 
「薬学博士」・「理学博士」・「医学博士」などという、名誉称号を持った各界の権威が「731部隊」に集合し、東大・京大・慶大らの医学エリートを集めた3000人の医学者と共に、この特殊部隊は、致死率の高い細菌を使って人体実験を繰り返していく。
 
演習に事寄(ことよ)せて、対ソ戦を想定し、関東軍兵力を動員した「関特演」(関東軍特種演習)と共に、一切が極秘で、人体実験という悍(おぞ)ましさの極点に象徴される、「731部隊」の研究・開発活動が暴かれ、関東軍軍医が裁かれたのは、1949年12月に開かれた、「旧日本軍に対する軍事裁判」としての「ハバロフスク裁判」だった。
 
漁労文化が発達しているアムール川流域に位置する、ロシア極東部の都市・ハバロフスク
 
この地に存在する「イワノボ将官収容所」で、「731部隊」に集結した関東軍軍医の幹部が訴追され、強制労働が命じられた歴史的事実に、一貫して異を唱える右派の論客は、細菌兵器の人体実験ばかりか、それが、実践的に裏づけられた証拠の是非を問うのだ。
 
NHK批判を連射する「月刊正論」(2018年5月号)で、シベリア抑留問題研究者・長勢了治(ながせりょうじ)がターゲットにしたのは、「恒例の日本軍悪玉論にのっとった番組の一つ」として断定し、「ハバロフスク裁判」を伝える、「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」(「NHKスペシャル」)。
 
異を唱えるのは、民主主義の国民国家において全く問題がないが、少なくとも、その類の異論の総体と、反駁(はんばく)の余地がない、検証可能な歴史的事実を混同してはならない。
 
私が最も気になった点は、長勢了治が言及する問題のコアが、本来、純然たる組織としての「731部隊」が「細菌兵器の人体実験」に手を染めて、「研究・開発活動」を実践したか否かであるにも拘らず、この根源的なテーマについて、「731部隊が細菌戦の研究も行っていたのは事実だが、細菌兵器の人体実験や中国での実地使用については見方が分かれている」というアーギュメント(弁論)で自己完結させ、あとは、日本兵のシベリア抑留がポツダム宣言(「日本兵は速やかに帰国させるべし」)違反(これは事実)である等々、「共産主義独裁国家」の司法制度が如何に虚構に満ちているかなどという、クリシン(クリティカル・シンキング)で言う所の、「分割の誤謬」(「全体がXだから、ある部分もX」という議論)を犯していることである。
 
だから、「ハバロフスク裁判」はフェイクを垂れ流した「暗黒裁判」であり、それを放送した「NHKスペシャル」もまた、「フェイク裁判を鵜呑(うの)み」にしたデタラメな番組である。
 
そう、言いたいのだろう。


時代の風景「『状況が歴史を動かす』 ―― 『731部隊』とは何だったのか」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2019/04/blog-post_28.html