戦争における「人殺し」の心理学 ―― 「見える残酷」を如何に削り取っていくか

イメージ 1

1  「社会主義共和国」を謳う、アメリカより遥かに「厄介な国」がミサイルの脅威をちらつかせて、我が国を包囲する
 
 
アメリカが途轍(とてつ)もなく厄介な国に堕ちていったのは、日本に対する二度にわたる原爆投下であると、極めて主観的に私は考えている。
   
それは、大量殺戮に「距離」という概念を決定的に定着させてしまったからである。
 
見えない敵を地上から完璧に消し去ることを可能にした大量破壊兵器の開発は、殺人者の良心の疼(うず)きを最小限に抑えることを保証したである
 
当時、日本の暗号(パープル暗号)解読していたアメリカが、警察権も含む、日本軍の中国及び仏領インドシナ(現在のベトナムカンボジアラオス)からの全面撤兵要求であり、「甲案」(太平洋全域及び、中国における通商の無差別原則の適用を求めることなど)より譲歩の度合いを強めた「乙案」(仏領インドシナ以外の東南アジア及び南太平洋地域に武力的進出を行なわない、などという東郷外相の案)に対する回答・「ハルノート」(国務長官コーデル・ハルの法的拘束力を持たない覚書)が、真珠湾奇襲の原因であるか否かについては、「真珠湾攻撃陰謀説」と相俟(あいま)って、今でも論争が続いているが、少なくとも、イギリスのウィンストン・チャーチル首相などからの参戦要請に応えるべく、フランクリン・ルーズベルト大統領が参戦する大義名分を模索していた事実は否定できないだろう。
 
かくて、真珠湾奇襲に対する「自衛の戦争」という大義を、アメリカは手に入れた。
 
そして、日本人・およそ300万人、アメリカ人・およそ40万人という甚大(じんだい)な犠牲者を出した太平洋戦争の終末点において、人類史の風景が決定的に変容する。
 
即ち、レズリー・グローヴス(准将=少将の下の階級)が指揮した「マンハッタン計画」を起点に、人類初の核爆弾稼働実験・「トリニティ実験」(ニューメキシコ州)で使用された高濃縮ウラン(ウラン型)の「リトルボーイ」(広島・ポール・ティベッツ大佐を機長とするB-29爆撃機・「エノラ・ゲイ」)と、B-29爆撃機・「ボックスカー」による、プルトニウム型の「ファットマン」(長崎市)という名の原爆が投下された。
 
原爆投下によって、「九州占領作戦」か、或いは、「関東平野占領作戦」いずれのプランを想定した、日本列島での地上戦・「ダウンフォール作戦」が回避されたことで、米軍は「殺人者」の良心の疼きが立ち騒ぐ事態を防いだのである。
 
「核の時代」の幕開けの風景の、このくすみ切った空虚感。
 
―― そして今、豊渓里(プンゲリ)核実験場での、全6回の核実験で露わになった北朝鮮の現実。
 
大気圏への再突入を成功させたと報じられた、弾道ミサイルの発射角度を少し上げること。
 
距離は伸びないが、迎撃されにくい「ロフテッド軌道」での中距離弾道ミサイル(IRBM)・「火星12」、そして、成層圏(大気圏とは対流圏・成層圏・中間圏・熱圏に分かれる高度100キロ)から、音速の約60倍で時速7万キロの「隕石の速度」で落ちてくる威力を発揮し、大陸間弾道ミサイルICBM)にまで成就させた「火星14」が、我が国の沿岸から200海里以内の水域・「排他的経済水域」(EEZ)内に落下した。
 
因みに、準中距離弾道ミサイル「ノドン」は「火星7」、中距離弾道ミサイル・「ムスダン」は「火星10」と呼称されているが、ハワイやアラスカ全域に届く「火星14」と、全米を射程圏とする「火星15」ICBMだった事実を、米政府が認めた近未来の未知のゾーンの先に、一体、何が待っているのか。
 
1980年に中国が実施して以来、大気圏内での水爆実験を断行した北朝鮮の挑発的な行為の結果、核弾頭を搭載したミサイルが我が国の上空を通過し、全国瞬時警報システム「Jアラート」によって、各地で情報伝達のトラブルを発生させながら、屋内避難の呼びかけが行われた事態を招来した。
 
例えようもなく、底抜けに間抜けな現象が、2017年段階で出来(しゅったい)しているだ。
 
自国を犠牲にしてまで、マルクス・レーニン主義に殉教しようとさえ思えるフィデル・カストロ(暗殺未遂事件・638件)やチェ・ゲバラのように、ある意味で極めて分りやすい独裁者と違って、北朝鮮の場合、米露中のように、対立国が核兵器保有することで、核攻撃による報復を無化する「相互確証破壊」(米露中は2020年代に確立される見通し)の可能性の保証がなく、それどころか、一見、金正恩朝鮮労働党委員長という男には、「何をやるか分らない」という薄気味悪さが常について回るので、「感情一辺倒」を印象付けるトランプ大統領をも翻弄(ほんろう)する狡猾(こうかつ)さは、金正恩の暗殺プランを具現できないアメリカの脆弱性が透けて見えてしまうイメージをも炙(あぶ)り出してしまうのである。
 
自由民主主義」という世界システムを確立したはずアメリという「厄介な国」よりも、「社会主義共和国」を謳う、遥かに「厄介な国」、1000基を越えるミサイルの脅威をちらつかせて、我が国を包囲している安全保障環境の峻厳(しゅんげん)な現実
 
そんな峻厳な現実の只中で、社会主義共和国」の独裁者の暴走を止めるために、「トランプ・オーガナイゼーション」の会長兼社長を兼務する不動産王・ドナルド・トランプ大統領(第45代)が、「米高官を北朝鮮シンガポールに派遣し、金正恩が身動き取れないようにがんじがらめにした」事実を評価し、「トランプみごと!──金正恩がんじがらめ、習近平タジタジ」という記事が配信された。
 
これは、「ニューズウィーク日本版」(遠藤誉・2018年5月29日)の直近(ちょっきん)の記事だが、来るべき歴史初の米朝会談(6月12日・シンガポールで開催予定)に備えて、「トランプの圧勝」と書いているが、実際は、敵対する二つの「厄介な国」同士の丁々発止(ちょうちょうはっし)の会談の中から、何が飛び出してくるか分らないと言った方が的を射ているだろう。(サンダース報道官は「協議は順調」と語っている)
 
今後、我が国の防衛力を高めるため、防衛省が導入を求めているのは、「専守防衛」との整合性の問題において、各種メディアからの批判の嵐に見舞われることが必至でも、ステルス戦闘機F35への搭載(とうさい)を可能にする長射程の「巡航ミサイル」、即ち、ノルウェーが開発した、射程約500キロの最新空対地ミサイル・「JSM」(ジョイント・ストライク・ミサイル)の配備検討している。
 
事実上、攻撃される前に、仮想敵(北朝鮮)のミサイル基地を攻撃する能力・「敵基地攻撃」への転用が可能であるからだ。
 
本稿のテーマから逸脱するが、あえて書きたい。
 
私たちは今、「あれもできず・これもできず」という、極めて深刻なテーマを持つ日本国憲法の制定・運用過程における、我が国ダブルバインド状況」の決定的な二重拘束から逃避することで、いつしか、「安全保障のくびきから「距離」を置くようになってしまった。
 
ネトウヨとは全く無縁な私でも、「安全保障のくびき」から「距離」を置くことなく、「日本の安全保障」について真摯(しんし)に対峙(たいじ)し、「自らが負うべきテーマ」として考察し、引き受けねばならないと切に思う。
 
閑話休題(かんわきゅうだい)。
 
―― 太平洋での水爆実験に成功したと想定される北朝鮮を含めて、「核分裂反応」を使用した原爆より進化したにも拘らず、制御が困難な「核融合反応」を引き起こさせる水爆を常識的に誰も使うことができないいう、究極の自縄自縛(じじょうじばく)のトラップに陥(おちい)って、視界不良の科学技術の危うい切っ先(きっさき)の喉元で、私たちは呼吸を繋いでいるのである。   
 
 
2  「見える残酷」から「見えない残酷」への遷移 ―― 「ベトナム」は、アウシュビッツで極まった「殺戮合理主義」の最終的な実験場だった
 
 
ここから、本稿のテーマに肉薄していきたい。

思うに、ホロコーストの代名詞にされるアウシュビッツや、ポーランドのゲットー(ユダヤ人の強制的居住地区)のユダヤ人を移送して殺害する「ラインハルト作戦」に基づく、三大ユダヤ絶滅収容所の一つ・トレブリンカでの殺戮(さつりく)は、その殺戮の極限的な合理的処理によって反人道的な犯罪の極北とも見られているが、しかし、その殺戮には「距離」という概念が媒介されていなかった。
 
だから、SS(ナチス親衛隊)は言語を絶する「地獄絵図」を直視することを避けて、「ゾンダーコマンド」(強制収容所の囚人によって組織された労務部隊/映画「サウルの息子」で有名)や、囚人監視役の囚人・「カポ」と呼ばれる、やがて殺戮される運命にあるユダヤ人に、その異臭の漂う死体の処理を一任したのである。
 
SSのハインリヒ・ヒムラー長官が、その地獄のさまを垣間見た際に吐き戻したというエピソードは、彼らが殺戮の「距離」の至近性(「見える残酷」)に怯(おび)えていたことを端的に物語っているだろう。 
 
従って、ホロコーストを象徴する絶滅収容所・アウシュッツ(ポーランド南部の都市・オシフィエンチム)は「殺戮合理主義」の一つの極みであっても、「良心」という名の、自我防衛まで包摂(ほうせつ)した「殺戮合理主義」の到達点ではなかっただ。
   
「殺戮合理主義」の到達点は、大量破壊兵器の開発であり、精密誘導兵器(レーザー誘導で標的に誘導するスマート爆弾)・無人偵察機通信衛星などの高度なハイテク技術による殺戮の機械化(RMA=「技術進歩による軍事の革命」)である。
 
「軍事技術の新時代を告げる戦争です」
 
イラク戦争」を解説するメディアの言辞である。
 
技術革新によって、戦争の形態・軍隊の変容の一端を見せつけたことで、RMAの脅威が炙(あぶ)り出されたピンポイント空爆の「湾岸戦争」と、独仏露中の反対を押し切って、英米の有志連合が立ち上げた「イラク戦争」によって、遂に到達した殺戮技術の完成は、まさに、神が地上を支配る「千年王国説」に象徴される、キリスト教終末論を説いた「ヨハネ黙示録」(20章)の世界の極限的様態であるとも言えるのか。
 
私たちはとうとう、「見えない残酷」の中間到達点に届いてしまったのである。
 
断定的に言ってしまえば、アウシュビッツの地獄と「湾岸戦争」の地獄のターニングポイントに位置するのが、「ベトナムという地獄だった。
   
ベトナム」は、アウシュビッツで極まった「殺戮合理主義」の最終的な実験場であると同時に、その方法論の限界点を露呈した戦場でもあった。
 
それは、「見える残酷」の最終到達点だったのである。
   
爾来(じらい)、アメリカはソマリアの悲劇(注)に代表されるように、「見える残酷」の前線から臆病なほど回避した結果、殺戮のハイテク化によって「見えない残酷」の技術的完成に向かったのである。
 
自由と私権が拡大的に定着すればするほど、どこの国でも殆ど例外なく、戦場での自国の死者の数の増加に対してセンシブルになるのは、命の価値が正比例的に高まるからであって、それ以外ではない。
 
だから、「見える残酷」から「見えない残酷への遷移(せんい)は必至だった。
 
ベトナム」というトラジディー(悲劇)の代償は、異国のジャングルで踠(もが)き苦しんだ、帝国的国民国家アメリカにとってあまりに重すぎた。
 

それは「アメリカ」という最強の「物語」と、その「物語」を信仰する人々が作り上げた文化を壊し、その文化にぶら下っていた無自覚な魂が拠って立つ、心地良きメンタリティを破壊したのである。

  
心あるメディアの報道によって、「ベトナム」という「見える残酷」の極限的様態が曝(さら)されて、ベトナムを知らない多くのアメリカ人は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)とドラッグ漬けになったベトナム帰還兵を拒否し、徹底的に差別することで姑息(こそく)な自己防衛を図ったのである。 
 
しかし、「ベトナム」の病理は「アメリカ」の病理と化して、アメリカ社会の土手っ腹に拡大感染してしまった。
 
そこには、快然(かいぜん)たる「古き良き健全なるアメリカ」は、もう、痕跡(こんせき)も残っていないかのようだった。
 
いや寧(むし)ろ、そこに現出した「アメリカ」の形貌(けいぼう)こそ、ネイティブ(アメリカ先住民・インディアンとインディオ)殺しを正当化した、本来の「アメリカ」の裸形の姿かも知れなかった。
 
そのような「アメリカ」を露呈させた負の推進力こそ、「ベトナム」という名の妖怪だったのである。 
 
因みに、ベトナム戦争における、ベトナム人の死者200万人。
 
一方、アメリカ兵の死者およそ6万人。
  
先進国における「見える残酷」の極北とも言える戦争の大義 ―― それは、「反共の防壁」を死守するというイデオロギーだったが、遥か遠い異国のジャングルを戦場とする侵略戦争(私は、「攻撃性(侵略性)・防衛的大義」と呼んでいる/人生論的映画評論・続「プラトーン」参照)に対して、「共産主義」という名の「妖怪」に対する、アメリカ高官たちの異様なまでの恐怖感を生み出した、「ドミノ理論」(一国が共産化されれば、周辺の国々も連鎖的に共産化する)という幻想の継続力はあまりに短命だったのである。
 
そして、その希薄化した反共イデオロギーを補完したのが、ベトナム人を人間と看做(みな)さない白人優越思想であり、加えて、敵を簡単に殺せる軍事訓練の徹底した導入だったのだ。
 
(注)1991年、社会主義独裁政権がクーデターによって崩壊後、モハメド派とアイディード派の間で内戦が勃発。国連軍が二度にわたって派遣されるが、多くの犠牲者を生み出し、紛争の調停に挫折した。国内の惨状は旱魃(かんばつ)などもあり、多くの餓死者を出したことで、世界中の耳目を集めた。
 

時代の風景  「 戦争における『人殺し』の心理学 ―― 『見える残酷』を如何に削り取っていくか」よりhttp://zilgg.blogspot.com/2018/06/blog-post.html