1 38人の目撃者がいながら、キティはなぜ強姦され、殺されたのか
その事件は、決して治安の良くないニューヨークで起こった。
1970年代・80年代に、高い犯罪率が常態化したアメリカ社会において、ニューヨークは、最も暴力的で危険な都市のイメージを有していた。
「ニューヨーク市における犯罪の減少と秩序維持ポリシング」という論文によると、1990年代にピークに達する犯罪率は、「ヒッピー文化」を包括する「カウンターカルチャー」の拠点の一つとなったニューヨークの60年代後半には、70年代・80年代に比較すると、それほど高くないのである。
このデータには驚かされたが、多くの若者たちは、「カウンターカルチャー」への自己投企でストレスを発散していたことで、相応のアイデンティティを確保していたということか。
しかし、1964年に惹起したこの事件は、「カウンターカルチャー」の文化の突沸(とっぷつ)とは無縁だが、ニューヨークの治安の悪さとは、少なからぬ関係があるだろう。
「キティ・ジェノヴィーズ事件」。
メディアは、この陰惨な事件をそう呼ぶ。
深夜に自宅アパート前で、一人の女性が殺害された事件であるが、事件の異様性は、そこにはない。
多くの目撃者(38人と言われるが、正確な人数は分からない)がいながら、誰一人、援助行動に振れなかったという一点にある。
この現象が、「リンゲルマン効果」(「社会的手抜き」)と呼ばれる、人間の集団心理の陥穽(かんせい)を炙り出しているので、特定の国家内で起こる事態の範疇に収斂されない、一種、普遍的な人間の心的現象を発現すると言える。
それは、「特定の状況下」で起こる人間の集団心理の陥穽である。
―― 以下、Wikipediaの情報をベースに、事件の概要を詳述していく。
中産階級の人々が多く住む、ニューヨーク市クイーンズのキュー・ガーデン地区。
この閑静な住宅地が事件の発生地である。
被害者はキャスリーン・ジェノヴィーズ(通称キティ)。
28歳の自立的な女性である。
車通勤する別地区で、バーのマネージャーとして明け方まで仕事をしていたキティが、理不尽な事件に遭遇したのは、彼女が帰宅し、自宅アパート近くの駐車場に車を停めた時だった。
駐車場にいた怪しい男にキティが気付い時は、もう遅かった。
瞬く間(またたくま)に追い詰められ、背中をナイフで刺され、重傷を負ってしまう。
アパートまで僅か数十メートルの距離だった。
この時点で致命傷ではなかったキティが、悲鳴を上げ、助けを求める。
アパートの幾つかの窓に明かりが灯った。
住人の一人が窓を開け、ジェノヴィーズを離すように、男に怒鳴った。
この行為を、援助行動であると看做(みな)しても特段に問題がないだろう。
だから、男が怒鳴った住民を見上げ、肩を竦(すく)め、ジェノヴィーズから離れ、駐車場の自分の車まで歩いて行く。
ここまでの経緯だけを見れば、この犯罪が、よくある殺傷事件として処理され、記録にも残らないで風化していくはずだった。
しかし事件は、これで終わらなかった。
静寂に包まれた空間に、キティの嗚咽だけが反響する。
不思議なのは、キティが傷を負っている事態が想像できるにも拘らず、誰もキティの傍に寄り添う行動に振れなかったことである。
アパートの住人の誰一人として、キティへの、ごく普通のアウトリーチを身体化しなかったのである。
アパートの住人の援助行動が、男を怒鳴り、退散させた先の行為のみに封じてしまったこと。
従って、警察に通報した者が一人もいなかった事実が示すように、アパートの住人の援助行動は限定的であったというよりも、静観し、見て見ぬ振りを決め込んでしまったのだ。
次々と明かりを消した時点で、住人たちは目を閉じ、耳を塞いでしまう。
厄介なのは、この事態を、犯人の男、即ち、29歳の黒人のモーズリーは想定していたことである。
アパート内に複数の男が住んでいても、アパートの住人はバラバラで、強い結束力で対応できない事態を読んでいたのだ。
かくて、重傷を負ったキティが、犯行現場に置き去りにされた。
モーズリーは向きを変え、激しい痛みと朦朧状態の中で、自分の部屋に帰ろうとしたキティを刺し続けた。
再度、キティの悲鳴が、異様な静寂のスポットを劈(つんざ)く。
アパートの明かりが灯った。
そんな渦中で、車で立ち去ったモーズリーはUターンし、キティの首などを刺し続け、致命傷を負わせた。
アパートの住人が警察に通報した時には、既にキティは絶命していた。
三度、現れて、凶行に及んだたモーズリーの異様な行動に、言葉を失う。
モーズリーは、なぜ戻って来たのか。
レイプするためだった。
意識朦朧のキティをレイプしたモーズリーは金を奪い、そのまま逃走した。
この間、30分。
冷酷非情な犯罪が終焉し、抵抗力を持ち得ない女性の遺体だけが曝された。
結局、最後まで、28歳の女性に対する強姦・殺害事件の現場を目の当たりにしながら、彼女への援助行動は発動されなかった。
Wikipediaによると、このように記述されている。
「38人の目撃者とされた人の中には、声を聞いたけれど何も見えなかった人、犯人は見ずにキティが歩き去る姿だけを見た人、すぐに警察に電話をしたが『すでに連絡を受けています』と言われた人(警察の記録には残っていない)などがいた。事実、当時の報道を疑問視する調査が事件40周年以降発表されている」
また、「キティ・ジェノヴェーゼ事件Murder of Kitty Genovese (アメリカ)」というサイトによると、ここまで克明に書かれている。
6階に住むサミュエル・コシュキンは警察に通報しようとしたが、妻がこれを諌(いさ)めた。
「もう誰かがとっくに通報してるわよ。あまり関わらない方がいいわ」
しかし、実際には、まだ誰も通報していなかった。
その頃には、男は現場から立ち去っていた」
更に、こういうエピソードもあったそうだ。
「最初に警察に通報したのは、キティと同じアパートに住むカール・ロスだった。
午前3時50分頃のことだ。
「うちのアパートの裏口で女性が倒れている。負傷しているようだ」
ところが、その前にロスは友人に電話を掛けて、自分はどうするべきかと訊ねていたのだ。
その前にさっさと通報しろよ。人が死にかけているのだよ。緊急を要するのだよ」
「38人の沈黙」の実態は、前述したように、特定の国家内で起こる事態の範疇に収斂されない、一種、普遍的な人間の心的現象を発現させているように思われる。
「38人の目撃者、警察に通報せず」
事件の2週間後、ニューヨーク・タイムスが掲載した記事のタイトルである。
事件時に、部屋の明かりを灯した人々の数字 ―― それが「38人」という言葉に特化され、禍々(まがまが)しい強姦・殺害事件の「記号」となっていった。
この「記号」に収斂される事件が、映画にもなった。
2015年に、「38人の沈黙する目撃者」というタイトルで、ドキュメンタリー映画として公開されたのだ。
キティの弟が、当時の目撃者を訊ねて、話を聞いて歩くドキュメンタリー映画である。
残念ながら、この映画は未公開で、その著「38人の沈黙する目撃者 キティ・ジェノヴィーズ事件の真相」(A・M・ローゼンタール著)も未読なので、Wikipediaなどの与えられた情報などを参考に言及したい。
【因みに、ローゼンタールの著書の内容が、映画のリアリティと比較して、その「真実性」において、評価が極端に低いので読むのを諦念した】
事件から6日後、モーズリーを逮捕・起訴した結果、一審で死刑を宣告されたものの、二審では終身刑となった。
その後、モーズリーは、18回に及ぶ仮釈を執拗に求めて、拒否され続け、2016年3月28日に、ニューヨークのクリントン矯正施設で、81歳で獄死するに至る。
「発見者はすぐ窓を締めて寝るだろうと思ったし、その通りになった」
逮捕前にも多数の強姦と、二件の強姦殺人を犯していた、モーズリーの物言いである。
モーズリーは、自らの経験則として、「傍観者効果」の心理を理解していたのだ。
ここが本稿のコアであるが、「傍観者効果」の心理学に言及する前に、Wikipediaで紹介されている「滋賀電車内駅構内連続強姦事件」について言及したい。