判決、ふたつの希望('17)   ジアド・ドゥエイリ

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<「憎悪の共同体」の破壊力に巻き込まれ、個と個の争いが自壊する悲哀>

1  「謝罪」を求めた法廷闘争が開かれていく  


シャロンに、抹殺されてればな!」

絶対禁句の言葉を放ってしまった。

男の名はトニー・ハンナ。

自動車修理工場を経営するトニーは、キリスト教マロン派の右派政党「レバノン軍団」に傾倒する男。

その絶対禁句の言葉を放たれたのは、ヤーセル・サラーメ。

難民キャンプに住むパレスチナ人である。

建物の修繕事業を請け負う、雇い主・タラール所長の下で働く現場監督である。

その話し方で、ヤーセルがパレスチナ人であることを見抜いたトニー。

補修工事中に、トニーのバルコニーからの水が作業員に降りかかり、その修繕を申し出たが断られ、許可なく配水管の取り付け作業をしていたところ、新しく取り付けられた配水管をトニーが壊してしまった。

元々、バルコニーは違法建築なのである。

思わず、「クズ野郎」と嘲罵(ちょうば)するヤーセル。

住民とのトラブルを避けようとするタラール所長が、トニーの謝罪要求をヤーセルに求めるが、首を縦に振らないヤーセル。

トニーと異なって、気が短くないが、自らの補修工事が合法的であることを疑わないヤーセルにとって、違法建築のバルコニーから、意識的に水を垂れ流すトニーに謝罪する行為は間尺に合わなかった。

しかし、次の受注に影響するとタラール所長に言われ、不承不承(ふしょうぶしょう)、トニーの工場へ行くが、トニーから冒頭の暴言を被弾してしまう。

瞬時だった。

思わず、トニーの腹を思い切り殴り倒してしまうヤーセル。

その結果、トニーは肋骨を2本折られ、2か月間の静養を余儀なくされるに至る。

シャロンに、抹殺されてればな!」という言辞が内包するのは、パレスチナ人にとって「悪魔」の記号そのものだった。

パレスチナ国家の独立を明言した首相であるにも拘らず、PLOをベイルートから撤退させ、レバノン侵攻を指揮したイスラエル国防相アリエル・シャロンは、タカ派政治家の相貌が際立つが、老獪(ろうかい)なリアリストとして、つとに知られた政治家でもあった。

しかし、国連総会において「ジェノサイド」と非難決議された、マロン派によるパレスチナ人虐殺(「サブラー・シャティーラの虐殺」)に関与(傍観視)した行動などが、シャロンを「悪魔」の記号にしたと考えられる。(後述する)

2019年5月現在、ヨルダン川西岸地区およびガザ地区に住み、国連加盟国137ヶ国が国家として承認(日本を含むG7諸国は未承認)している「パレスチナ国」だが、少なくとも、故郷と家を奪われた「パレスチナ難民」を生んだイスラエルの「負の記号」を象徴する、「シャロン」に対するネガティブな視線は、パレスチナ人が共有する絶対感情であった。

だから、「シャロン」という言辞を放たれたヤーセルの暴力は、トニーの暴言に対する憤怒の極限点だった。

かくて、暴言を諫(いさ)める実父や身重の妻の忠告を無視し、トニーは警察に訴えるが、パレスチナ人との諍(いさか)いを怖れる警察は重い腰を上げない。

「俺には、まともに思えない。お前と住む世界が違うのかも」

パレスチナ人への露骨な差別を公言する夫に対し、「あなたは変化を嫌う頑固者よ」と突き放す妻シリーン。

遂に、ヤーセルに対して訴訟を起こすトニー。

「あの街は、地区によって政治や宗教の考え方が異なります」

裁判長の言葉である。

共に弁護士をつけない裁判において、裁判長に訊かれても、二人は、暴言の内容について沈黙を守る。

この時点で、ヤーセルの暴力が配水管が原因ではないことが判然とする。

暴言の言辞の破壊力が、法廷内にいる者たちに既に共有されているのだ。

結局、証拠不十分で、告訴は棄却され、ヤーセルは釈放される。

裁判長に対する罵詈雑言を置き去りにして、法廷を去っていくトニー。

その後、作業中のトニーが仕事場で倒れ、身重の妻シリーンが夫の体を仕事場の外に運ぶが、このときの身体的・精神的負荷によって、シリーンは予定日を待たずして出産するに至った。

産まれた子はNICU(新生児集中治療室)に運ばれ、人工呼吸器に繋がれる。

一切はヤーセルに起因すると考えたトニーは、再審に踏み込んでいく。

かくて、双方が弁護士をつけた法廷闘争が開かれていく。

以下、人生論的映画評論・続: 判決、ふたつの希望('17)   ジアド・ドゥエイリ  より