評議('06)    人が人を裁くことの重さ

 

1  「私たち9人が知恵を出し合い、真剣に議論を行えば、きっとみんなが納得できる結論に至るはずです」

 

 

 

平成21年(2009年)

 

裁判員の参加する刑事裁判が始まった。

 

被告人・中原敦志(以下、中原)の婚約者・川辺真由美(以下、川辺)の証言。

 

「私は中原さんと婚約していながら、彼の親友である朝倉さんと一度だけ、浮気をしてしまいました。朝倉さんは、私のことを愛してくれていたと思います。でも、私は中原さんのことを愛していました」

 

「僕は裁判に参加することになった」(裁判員・大沢祐介のナレーション/以下、ナレーション)

 

藤原裁判長が緊張する裁判員たちを、評議室のテーブルに案内する。

 

1日目。

 

「裁判所初日の手続きが終わりました。皆さん、いかがでしたか?」と藤原裁判長。

 

小池裁判員(以下、小池):「裁判を見るのは初めてなんで、すごく緊張しました」

西出裁判員(以下、西出):「私は、ただもう、びっくりで…だって、三角関係のもつれから人を刺すなんて、まるでドラマよね。まさか、自分がその裁判にかかわるなんて、思ってもみませんでした」

岩本裁判員(以下、岩本):「…被告人は、婚約者を奪われた上に、こんな事件を起こしてしまった。まだ若くてこれからだと言うのに、全く哀れとした言いようがありませんな」

 

「哀れ?」と反応した大沢裁判員(以下、大沢)に、皆の視線が集まる。

 

「担当した事件は、殺人未遂事件だった。会社員である被告人が、学生時代からの友人である被害者を果物ナイフで刺したというものだ。被告人は婚約者と同棲していた。その婚約者が被告人の友人と親密な関係になってしまったのだ。それを被告人が知るところとなり、今回の事件となった。検察官は殺人未遂罪が成立し、被告人の殺意は強かったと主張」(ナレーション)

 

法廷。

 

中原(被告人):「ナイフはたまたま背中に刺さってしまったんです」

 

「逃げていた被害者は、持っていた果物ナイフが刺さってしまった。つまり…殺意はなく、傷害罪が成立する」(ナレーション)

 

弁護人:「傷害罪が成立するにとどまります」

 

評議室。

 

大沢:「僕は被告人は果物ナイフを持ち出すべきではなかったと思います。彼女の心はナイフとかじゃなくて…もっと正しい手段で取り戻すべきだと思います」

岩本:「若ければ、カッとなることもあるだろう」

藤原裁判長:「意見や疑問、何でもざっくばらんに話をしていたがければと思います」

千葉裁判員(以下、千葉):「あの。…これから被告人をどんな刑にするかってことを話し合うんですよね?」

藤原裁判長:「最終的にはそうなります」

小池:「全治1カ月を大ケガをしたといくことですよね。ってことは、被告人の罪はかなり重いんじゃないですか」

田村裁判官:「まずは被告人の行為が、殺人未遂になるのか、傷害になるのか、決めなければなりません。そして、殺人未遂か傷害かは、被告人に殺意があったかどうかによって決まります」

小池:「同じように人を刺しても、殺意があれば殺意人未遂罪、殺意がなければ傷害罪で、罪の重さが全然違ってくるってことですか?」

田村裁判官:「そうです」

松井裁判員(以下、松井):「私の判断が被告人の方の人生を左右するなんて肩の荷が重すぎます」

西出:「毎日家計のやりくりや夕飯の献立に悩んでいる普通の主婦に、いきなり殺意がどうのなんて…分かりません」

 

6人の裁判員たちは、それぞれに緊張し、不安な面持ちである。

 

藤原裁判長:「私たち9人が知恵を出し合い、真剣に議論を行えば、きっとみんなが納得できる結論に至るはずです」

岩本:「私は小さな町工場をやってるただの親父です。法律のことなんて、からっきし分かっちゃいません。それでも裁判員として必要とされて、今ここにいる。それなら、最初っから無理だと決めつけるのではなく、素人なりにできる限りのことをやってみよう、そう思っています」

藤原裁判長:「法律のプロとは違う違った視点を持つ皆さんのご意見は、判決を下すうえで、大変貴重なものとなるはずです」

西出:「あたしは…あたしなりの意見でいいってこと?」

松井:「一人では不安ですけど、皆さんご一緒ならなんとか」

大沢:「殺意があったかどうかなんて、本人にしか分からないことだと思うんです。それはあくまで被告人の心の中の問題であって、僕たちが話し合いによって決めるなんて、できるんでしょうか?」

藤原裁判長:「被告人の心の中の問題についても、被告人の行動から、ある程度、推測することができるのではないでしょうか…ビルの10階から人を突き落とせば、それも殺意があったと言えるでしょう。では、5階だったら、3階からだったら、1階のベランダからではと考えていくとどこかで殺意という言葉を使うのが不自然にはなりませんか」

大沢:「つまり、この事件では、検察官は10階から突き落としたようなものだから殺意があると主張し、弁護人の方は、1階のベランダ、いや、庭で突き倒したようなものだから殺意なんかないって言っている。そういう感じですか?」

藤原裁判長:「その通りです。今の段階では、そんなイメージだけ持っていただければ十分だと思います」

岩本:「まずはナイフがどうやって刺さってたかってことか…」

小池:「あの…本当に3日で終わるんでしょうか?」

山本裁判官:「裁判所と検察側、弁護側とで事前に打ち合わせて、この事件は今日から3日間で審理を終える予定です」

 

2日目。

 

法廷。

 

「2日目は被害者の証人尋問から始まった」(ナレーション)

 

検察官の質問に対し、一流商社に勤務し、長身で体格も良い朝倉は、中高と野球部のキャプテンを務めていたと自信たっぷりに受け答えする。

 

「いきなり中原に後ろからナイフで刺された」と朝倉は主張する。

 

検察官:「被告人は『朝倉、待て』と叫んだところ、あなたが急に立ち止まってので、ナイフが突き刺さってしまったと主張していますが、実際はどうだったんでしょうか?」

朝倉:「途中で立ち止まってなんかいません。中原にも『朝倉、待て』なんて言われていません」

 

「このあと、目撃者、被告人の婚約者、被害者を診察した医師の証人尋問が行われ、再び評議が行われた」(ナレーション)

 

小池:「被害者はきちんと私たちの目を見て話してたでしょ。被害者の話は信用できると思います」

西出:「それなら被告人だって、まじめそうで嘘をつくような人には見えなかったわ」

岩本:「一度、事件の流れを整理してみませんか?」

大沢:「そうですね。まず被害者が婚約者を訪ねていき、被告人と別れるように説得していたんですよね。すると、そこに被告人が1日早く出張から帰ってきて、鉢合わせになった」

松井:「そのとき初めて相手の男の気持ちを知り、被告人は男を怒鳴りつけた。すると今度は、男が被告人に対して…」

小池:「真由美の心は『もうお前から離れてるんだって』って言って、すでに彼女と関係を持ったことを告白した。それで愕然となった被告人が、彼女に問い質すと、彼女は何も言わずに部屋を飛び出していった。そして、被害者も『悔しかったら、力尽くで取り返してみろ。お前みたいな意気地なしにできるわけないけどな』と捨て台詞を残して、彼女を追って部屋を飛び出して行った」

大沢「すると、後ろから来た被告人に肩をつかまれ、それを振り払おうとしたときに、被告人の持っていた果物ナイフが、被告人の肘をかすった。そして被害者は、振り向きざまに被告人の顔を殴りつけ、その時初めて、被告人が果物ナイフを持ち出したことと、自分の肘の傷に気が付いた」

田村裁判官:「言い分が食い違ってくるのは、このあとのことですよね。被告人は婚約者のほうへ行こうとした被害者を追い駆けながら、『朝倉、待て』と叫んだところ、意外にも被害者が急に立ち止まったので、持っていたナイフが背中に突き刺さってしまったと主張しました」

小池:「でも被害者は、自分が立ち止まってないんいないし、被告人の『朝倉、待て』という声も、聞いていないって」

大沢:「刺さってしまったと刺されたとじゃ、全然違うよな」

岩本:「たまたま刺さったということも、あり得ないわけじゃない」

小池:「それにしても、婚約者の真由美さんの証言は、なんであんなにはっきりしないんだろう。一番近くにいたはずなのに…」

 

法廷で、検察官の尋問に曖昧な返答をする川辺。

 

被害者が被告人にナイフで刺された時のことを聞かれ、「一瞬のことだったので、よくわかりません」と言い、『朝倉、待て』と被告人が叫んだことについても、「言ったような気がします。でも、絶対に言ったかどうかと言われると、はっきりしません」と答える。

 

藤原裁判長:「確かに、あの婚約者の証言は曖昧でした」

小池:「でも、事件の原因を作ってしまったことには…とっても責任を感じているみたい」

岩本:「それは、被害者も同じだろうなあ」

松井:「そうでしょうか?」

 

朝倉は法廷で、弁護人から被告人の婚約者を奪おうとした責任を問われると、「奪うなんて…彼女は中原と婚約したことを後悔していたんです」と反論している。

 

松井:「被告人の踏みにじられた気持ちを考えると、やりきれないわ」

千葉:「だからって、人を刺しちゃダメでしょう」

 

そこで裁判員たちは、藤原裁判長に意見を求めると、まだ無理に結論を出す必要はなく、明日の被告人の話を聞いてからということになった。

 

3日目。

 

弁護人に、被害者に仕返しをしようと部屋を出て行ったのかを聞かれた中原は、それを否定し、「僕は真由美のことが心配だったんです。このまま、どこかに行ってしまうんじゃないかって。朝倉さんと違って、僕は中小企業のサラリーマンです。でも、まじめに一生懸命働いて、彼女を誰よりも幸せにしたかった」と答えた。

 

弁護人:「あなたは部屋を出るとき、果物ナイフを手にしています。それはなぜですか?」

中原:「真由美のことを追い駆けようと思ったんですが、朝倉さんに邪魔をされたらと不安になって」

弁護人:「あなたは最初から、ナイフで被害者を刺すつもりだったんですか?」

中原:「いえ、刺すつもりなんてありませんでした。ただ僕は朝倉さんに比べて体も小さいし、運動もあまり…だから、もし彼に反撃されたらと思って、やむをえずナイフを持ちました」

 

続いて、検察官に、ナイフを持ち出したのは、朝倉を殺さなければ婚約者を取り戻せないと考えたのではないかと問われると、中原は強く否定し、更に、殴り倒された時の気持ちを聞かれた中原は、その心情を吐露した。

 

「殴られて倒れる瞬間、真弓が見ているのが分かりました。すごく惨めで悔しかったです…本当に悔しかった」

 

裁判員が発言を求められると、まず、小池が被告人に質問する。

 

「真由美さんのことは、今はどう思っているんでしょうか?」

「私は、今でも彼女を愛しています。戻って来て欲しいです」

 

「3日目はこのあと、検察官、弁護人が意見を述べて、審理を終えた」(ナレーション)

 

人生論的映画評論・続: 評議('06)    人が人を裁くことの重さ  伊藤寿浩