NHK「クローズアップ現代」で放送された「戦争が“言葉”を変えていく ある詩人が見たウクライナ」を観て深い感慨を覚えたので、その一部を紹介したい。
以下、ウクライナ西部の都市リビウの人形劇場の演出家として働くウリャーナ・モロズさんが、侵攻後、避難所となった劇場で鮮明に残った光景は「沈黙」だった。
彼女は語る。
「『人形劇場』が避難シェルターに変わりました。舞台の上も廊下も、ロビーの中にもマットレスを敷きつめていきました。はじめのうち、子供と動物を連れてくる人が多かったです。二日間、彼らは朝から晩までマットレスの上で、ひたすら静かに横たわっていました。沈黙をこれほど守れる集団と動物たちを見たことがありません。私は生きている間に、あの静けさを恐らく忘れることはないでしょう。怖かったですよ。なぜ、異様な沈黙だったかというと、子供たちが何も観察しようとしていなかったからです。あの沈黙は、彼らがここに辿り着くまでの恐怖を表していました。子供らしさとはかけ離れた姿だったんです。だから私は、あの『沈黙』を忘れられません」
「プーチンの戦争」が奪ったのは、「言語」だった。
それを得て交叉し、動き回り、溌剌と過ごす子供たちの「言語」だった。
文化の中枢の「言語」を奪われた子供たちの児童期自我に「恐怖」を刷り込んでいく「プーチンの戦争」の破壊力と暴力性に、ただ怒りしか覚えない。
然るに、児童期から思春期を経た子供たちの自我の底層を、憎悪にまで膨れ上がった怒りが蝕み、アンガーマネジメント(怒りのコントロール)が無化されたら、一体、どうなるのか。
彼らの健全な日常性を溶かしてしまったら、一体、どうなるのか。
人と人との「繋がり」と、その健全な強化こそが世界を変える力になっていく最も人間的な行程が削り取られたら、成人化した彼らがテロリストに化けてしまう確率を高めてしまうだろう。
ここで私は、一本の名画を想起する。
「映像の詩人」と呼ばれるロシア人、アンドレイ・タルコフスキーの反戦映画「僕の村は戦場だった」である。
対独戦という身も凍りつくような消耗戦で育ったイワン少年が、独軍に対する深い憎悪を象徴する有名なシーンがある。
拙稿・人生論的映画評論「僕の村は戦場だった」から引用する。
借用した軍隊ナイフを右手に持ち、独軍兵との戦闘のシュミレーションを、僅か12歳の少年が凄まじい形相で試行するシーンである。
「あいつを生け捕りにするんだぞ」
そんな言葉を吐いて、味方に指示して匍匐(ほふく)前進する少年兵士。
「出て来い!隠れる気か!そうはさせない。震えているのか?自分のしたことの責任を取るのだ!分ったか!許すもんか!裁判にかけてやる。僕はお前を・・・」
相手のドイツ兵に向かって、少年兵士は叫ぶのだ。
子供らしさに溢れた「innocence(無邪気)」が、もうそこに入り込む余地など全く存在しなかった。
このとき、少年兵士は自分の村が襲撃される過去を回想しながら叫んでいくが、最後には嗚咽に変っていた。
それは、喪失の衝撃と怒りの感情を憎悪に成長させてしまった少年の、その歪んだ自我の疼きの極点だった。
だから、ラストは約束済みだった。
イワンはドイツ兵に見つかり、捕捉され、処刑されてしまうのだ。
首吊りの紐がガリチェ中尉の視界に収まると、「首を吊るぞ」と叫ぶドイツ兵の声が想像され、ギロチン台が眼に留ると、刎ねられたイワンの生首が処刑室に転がるという凄惨な想像に結ばれたのである。
時代の風景: 「戦うのは自分たちの土地を守るためです。敵への攻撃が目的になってはいけません。それが人の命に対する責任です」」