永遠と一日('98)  テオ・アンゲロプロス <「人生最後の日」―― 軟着点の喪失と千切れかかった魂の呻吟、或いは「自分という人間を見つめる、そのまなざし」>

  病室を後にしたアレクサンドレを、少年が待っていた。

 「お別れだよ」と少年。
 「皆と発つのか、真夜中に。君は残ると思ったのに」
 「あなたも発つんでしょ?独りぼっちになる」
 「大丈夫。旅は大きい。幾つもの港、広い世界」
 「さようなら」

 老人に別れを告げた少年は、去って行く。老人は孤独に耐え切れず、少年に向かって叫んだ。

 「一緒にいてくれ。船が出るまで2時間ある。私は今夜が最後だ。一緒にいてくれ」
 「怖いよ」
 「私もだ」
 
  少年は老人の胸に飛び込んでいく。二人は固く抱き合っている。

  そこに青いバスが止まった。

  老人は少年を誘って、そのバスに飛び乗った。バスは夜の闇をゆっくりと進んでいく。自転車に乗った黄色いレインスーツを着た三人の男が、バスの前を通り過ぎて行った。アンゲロプロス監督の映像の中に、しばしば出現するレインスーツの男たちである。
 
  バスの中で、老人と少年は初めて心からの微笑をクロスさせ、窓の外を眺めている。

  「魂の駅」

 車掌のその声で、乗客たちはバスを降り、雨の街路へ消えて行った。その停留所から乗り込んできたのは、赤旗を持った一人の左翼青年と、二人の若い男女。その男女がバスの中で、何やら口論している。
 
  「なぜ人の話を聞かない?どうして怒るのかな。新しい芸術がいるんだ、マリア。新しい表現形式。それが無理なら、何もない方が・・・愛している、愛してる、心の限り。でも君は無分別にあの作家と遊んで、ゴシップを流している。むかつくよ。でも愛してる。なぜ人の話を聞かない?」

  ここで女子学生らしき若い女性が矢庭に立ち上がり、花束をバスの床に投げ、停留所でさっさと降りて行った。男子学生らしき男が後を追って行く。その光景を見て、老人と少年は微笑を交わした。

  バスには今、堂々とした態度で赤旗を持つ左翼青年しか乗っていない。まもなく次の停留所で、三人の音大生らしき若者たちが乗り込んで来て、室内楽の演奏を始めたのである。二人は彼らの演奏に聞き入っているが、音楽のメロディは、やがて映像のテーマ音楽に変わっていった。

  そして次の停留所では、19世紀の詩人ソロモスが乗り込んで来て、自分の詩を二人に向かって詠んでいく。

  「・・・人生は美しい。そう、人生は美しい」

  それが、詩人の最後のフレーズとなった。
  次の停留所でバスを降りていくソロモスの背後から、アレクサンドレの切実な問いが追い駆けていく。

  「教えてくれ!明日の、時の長さは?」

  そこに、詩人の答えはなかった。

  まもなく二人はバスを降り、そこに三人の黄色いレインスーツを着た自転車が、ゆっくりと通り過ぎて行った。

  二人は港に車でやって来た。
  路面は雨に濡れている。汽笛が響いて、窓拭きの少年たちが車に乗って到着し、港に待つ船にトラックごと乗り込んで行った。
 
  「時間だな」とアレクサンドレ。
  「“アルガディニ”」と少年。泣いている。
  「何だって?」
  「“とても遅く”っていう意味」
  「とても遅く・・・夜、とても遅く」
  「行かなくちゃ。さようなら」

  少年は涙をこらえて、トラックの方に駆けて行った。

  やがて汽笛が鳴って、青く光る巨大な船は、夜の闇の彼方へゆっくりと消えていく。アレクサンドレはいつまでもそこに立ち竦み、船を見送っていた。少年との最後の別れであった。


(人生論的映画評論/「永遠と一日('98)  テオ・アンゲロプロス <「人生最後の日」―― 軟着点の喪失と千切れかかった魂の呻吟、或いは「自分という人間を見つめる、そのまなざし」>」より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/blog-post_02.html