僕の村は戦場だった('62)  アンドレイ・タルコフスキー <「非日常」の「現実」の風景と被膜一枚で隣接する、「回想」の柔和な風景の壊れやすさ>

 この映画は、二つの風景によって成っている。

 一つは「日常性」の風景であり、もう一つは「非日常」の風景である。

 前者は「回想シーン」で、後者は「現実」の風景である。

 そして、この二つの風景の人格主体である少年の「視線」は決定的に乖離しているのだ。

 前者の「回想シーン」は一貫して柔和であり、子供らしさに溢れた「innocence(無邪気)」を表現し、後者の「現実」の風景は、特定国家に対する憎悪の炎に燃え盛っている「wicked(邪気)」を表現している。

 前者を象徴するのは、ファーストシーン。

 上半身裸の少年が、真夏の煌(きら)めく陽光が降り注ぐ、美しい野原で蝶を追い、森の中でカッコーの鳴き声を聞きながら、間断なく笑みを振り撒いている。

 そして少年は、顔を拭うために、バケツに入った冷水を持って来てくれた、眼の前の母に無垢な言葉を結んだ。

 「母さん、カッコーがいる」

 笑みを返す母親。

 その瞬間だった。

 少年の視線が、突然、変化した。

 少年は、「非日常」の「現実」の風景に戻されたのだ。

 従って、その視線は、その直前の柔和な視線と完全に切れていた。

 なぜなら少年は、「非日常」の「現実」の風景の中で、ソ連軍の斥候兵の役割を担い、ドイツ領に潜入していたのだ。

 ここから、少年の脱出行が開かれる。
 
 少年は銃声の響きで覚醒した水車小屋から外に出て、丘を駆け上り、そこだけは湿地帯と化している、透明度が低い沼の中を這うようにして進んでいく。

 対岸に構えるソビエト陣地への行程は、まさに、延長された「非日常」の「現実」の風景の危うさの中で、命懸けの脱出行を身体化したものだった。

 この映画は、少年の人格主体が見せる異質の二つの風景を交叉させることで、本来そこに延長されているはずの風景を、完膚無きまでに壊した果てに分娩された、「非日常」の風景が撒き散らす「現実」が内包する怖さを、映像のみで勝負した芸術表現のうちに昇華させた秀逸な一篇である。


(人生論的映画評論/ 僕の村は戦場だった('62)  アンドレイ・タルコフスキー <「非日常」の「現実」の風景と被膜一枚で隣接する、「回想」の柔和な風景の壊れやすさ>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/11/62.html