最高の自由

  人間にとって最大の不幸とは、自分の未来を自分の意志で決定できない状況に置かれることである。人間にとって最大の幸福とは、自分の未来を自分の意志で決定できる状況に置かれることである。最大の不幸と最大の幸福は、人々が手に入れる自由度の実感による相違であって、この実感が振り子のように左右に振れることで人々の自由度の振幅が測られるという訳だ。

 従って、人々にとって完全な自由というものがないように、完全な不自由というものもない。そんな自由の振幅の中で、他人の自由を自分の意志で決定できる自由こそ、最低の自由である。最低の自由は、最高の不自由に至る。あらゆる条件において自由であることによって、結局、本当の最高の自由の快感を得られないからである。

 過剰な自由を手に入れた者は、遂に自らを消費し、食い潰し、果てていく。彼らは、彼らによって自分の未来を自分の意志で決定できない不自由に置かれた者と、殆ど同時に「バニシング・ポイント」(消尽点)を迎えるだろう。

 極限の自由と、極限の自我磨耗の果てに呆気なく自壊するのは、かつての「連合赤軍」の壊れ方において典型的だった。

 常にほどほどの自由の中にこそ、最高の自由が住んでいるのである。
 
 
(「心の風景/最高の自由  」より)http://www.freezilx2g.com/2008/11/blog-post_2092.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)