ブルー・ベルベット('86) デヴィッド・リンチ <「昼間意識」の「光」の世界と、「夜間意識」の「闇」の世界を交叉さたせ絵画的構図の表現力の達成点>

 「人生には知識や経験を積む機会がある。時には、危険を冒すのもいい」

 これは、野原で拾った耳をサンディの父親である刑事に届けた後、そのサンディに放った言葉。

 全ては、ここから開かれたのだ。
 
 「異界」への自己投入の結果、およそ、その長閑な町には相応しくないアンダーグランドの世界を目の当たりにしたばかりか、誘拐事件と耳削ぎ事件に巻き込まれ、そこで視認した女(ドロシー)の悲哀を共有することで、自らも倒錯的エロスの甘美な世界に吸い込まれていった。

 それこそが、ジェフリーの潜在的願望の具現とも取れるような、心の振れ幅の変容を顕在化していく。

 それは、後に「私たち同類ね」とまでドロシーに言われるほどの変容だった。

 一方、ジェフリーの「恐怖突入」の共犯者に仕立てたサンディは、学生の暇を潰すに足る好奇心の発動の範疇を、遥かに超えた事態の推移に戸惑い、置き去りにされていくのだ。

 遂に事件の真相を確信したジェフリーとサンディとの、印象的な会話がある。

 事件の真相を突き止めたジェフリーは、サンディに思わず洩らした。

 「全く変な世界だよ。なぜ、あんな男が野放しになっている?」

 ここでジェフリーの憤怒の対象となった「あんな男」とは、ジェフリーが忍び込んだドロシーの部屋で、彼女の夫とその子を拉致したばかりか、その夫の耳を削ぎ、残されたドロシーの〈性〉を略奪し、倒錯的エロスの世界に閉じ込めたフランクという名の狂気の男のこと。

 そんな危険な世界に踏み込んでしまったジェフリーに対して、サンディが滔々と、しかし思いを込めながらゆっくりと語ったのは、相も変わらず、「異界」とは無縁な少女的感性を延長させるロマンチックな文脈だった。

 「夢を見たわ。夢の中に私たちの世界があったわ。暗い世界だった。コマドリがいないからよ。コマドリは恋愛を表すの。そして、長い長い間、暗闇の世界が続いたの。ところが突然、何千羽というコマドリが放たれて、愛の光をもって舞い降りて来たの。恋愛だけが、暗い世界を変えられるのよ。明るい世界に。だから私は、コマドリが来るまで待つの」

 愉悦の表情を崩さないで吐露した、ジェフリーへの愛の告白である。

 「君って面白いね」
 「あなたも」

 蠱惑(こわく)的な求心力を内包する「魔境」によって支配されている、「異界」の世界を知ってしまった者の内側で、「非日常性」、「脱規範性」、「脱法性」のギリギリの境界の危うい、言ってみれば、「板子一枚下は地獄」の世界のラインを踏む恐怖のうちに、「ヒロイン救済のスーパーマン」の如き「使命感」によって成る物語を直進する若者と、それを感受し得ないロマンチックな感性を抱懐する「女子大生」との「成人度」の乖離は決定的だった。

 然るに、好奇心旺盛な若者が「異界」に踏み込んでいく物語の終焉は、至ってシンプルな流れ方だった。

 ドロシー宅を訪れたジェフリーがフランクに見つかったことで、アウトローのフランクたちの格好のサンドバッグ代わりにされたが、一連の危機を脱したジェフリーが、麻薬取引でフランクと関係を持つ殺人課の腐敗刑事の犯罪を含めて、サンディの父に報告し、最後は、死体と化した腐敗刑事から奪った拳銃で、ジェフリーがフランクを銃殺して、ほぼ予定調和の大団円。

 息子を取り戻したドロシーもまた、「脱出不能」の「閉塞的世界」としての「異界」から、やがて全人格的に解放されていくであろうカットが挿入されて、一応はハッピーエンドの括りとなった。


(人生論的映画評論/ブルー・ベルベット('86) デヴィッド・リンチ <「昼間意識」の「光」の世界と、「夜間意識」の「闇」の世界を交叉さたせ絵画的構図の表現力の達成点>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/11/86.html