二つの戦争暴力が最近接しながら、セルビア兵とボスニア兵が存在することによって、辛うじて維持されている〈生〉。
しかしそれは、「ノー・マンズ・ランド」(ボスニアとセルビアの中間地帯)という名の、戦争暴力が直接的に交叉する最前線であるが故に、〈死〉とも同居する危ういゾーンである。
その危ういゾーンの中枢にあって、〈生〉と〈死〉を共存させる〈状況〉を最も内化している男がいる。
ツェラである。
本作は、塹壕の土塊(つちくれ)に張り付くツェラの視座によって、暴力交叉の最前線の〈状況〉を仰ぎ見ることで、戦争暴力の怖さと無意味さを訴える映像だったと言っていい。
ツェラの視座は、明らかに作り手の視座である。
セルビア軍の中年兵によって仕掛けられた「ブービートラップ」に捕捉されたツェラは、既に自分の意志で全くコントロールできない〈状況〉下にあって、〈生〉と〈死〉が被膜一枚で繋がっている戦争暴力を突沸(とっぷつ)させる〈状況〉から、完全に置き去りにされているのだ。
寧ろ、そのことによって、男は戦争暴力の最前線の〈状況性〉を相対化することができたのである。
男の視野に捕捉される、セルビア兵とボスニア兵の危うい対立の〈状況〉は、「交流と対立」を繰り返す二人の交叉のうちに象徴的に映し出されていた。
二人の会話は、「ボスニア内戦」と呼称された戦争暴力の縮図と言っていい。
以下の通り。
「そっちが始めた戦争だ」とチキ。
「そっちさ」とニノ。
「違う。お前らは戦争しか頭にないんだ。偉大なセルビアは平和主義者だと?勘弁しろ。世界の見方は逆さ」
「“お前らの世界”だろ?セルビアの村を焼いて、自分らの領土だと主張する」
「じゃ、あの砲撃は?セルビア軍は聖者か。死体に地雷を仕掛ける奴らが」
「別問題だ」
「お前らは無法の限りだ。略奪に殺戮に強姦」
「誰のことだ。そんな光景は見たことない」
「俺はある。俺の村も焼き討ちにされた。」
「知らない」
「俺は見た」
「俺の村はどうだ。誰が村人を殺した」
「多分、セルビアだ。今もお前を撃った」
「それは、俺がいるのを知らないからだ」
「埒が明かない。なぜ、お前らはこの美しい国を破壊した?」
「僕らが?呆れた。独立を望んだのは、そっちだぞ」
「お前らが戦争を仕掛けた」
「それは、あんたらの方だ」
「俺たちが?バカ言え」
「あんたらだ」
ここで感情が沸点に達したチキが、自動小銃をニノに突き付け、恫喝する。
「誰が戦争を仕掛けた?」
「僕らだ」
ニノの答えには、それ以外の選択肢がなかった。
「そうとも。俺を怒らすな。神経に触る奴だ」
そう言って、チキはニノを外に追い遣った。
「ふざけやがって。俺たちが仕掛けたなどと」
チキの捨て台詞である。
しかし、形成の逆転も早かった。
チキがツェラに近寄っている間に銃を手にしたニノは、チキの行動をなぞるのだ。
「誰が戦争を仕掛けた?」
チキを恫喝するニノ。
「俺たちだ」
チキの答えにも選択肢がなかった。
このときのツェラの言葉こそ、本作のメッセージの一つであっただろう。
「どっちが仕掛けたのでもない。両方とも泥沼だ」
仲間同士での、こんな短い会話も拾われていた。
「奴は俺を殺そうとした。必ず殺してやる」とチキ。
「お前の話もうんざりだ」とツェラ。
ツェラにとって、戦争暴力を背景にして、チキとニノの二人が作り出した〈状況〉は、その〈状況〉が分娩した憎悪の鋭角的衝突でしかないのだ。
彼は今や戦争暴力のみならず、それによって分娩された憎悪感情をも相対化し切ったのである。
憎悪感情を無化し切った男が、物理的に遺棄されていくラストシーンは、非暴力の強靭な思いを抱懐する作り手が、温和なゾーンで本作を観る者への毒気含みの挑発的メッセージと受け取ることもできる。
それは、情緒的な「平和主義」でしか本作を把握できない者への揶揄ではないのか。
或いは、配給会社の大仰な宣伝に嵌って、それを「ブラック・コメディ」のカテゴリーに閉じ込めることで、本作の挑発的メッセージから距離を置く者たちへのアイロニーのようにも見えるのである。
詰まる所、地雷を背負うことなしに体現できない事態に象徴される、かくも震撼すべき戦争暴力の恐怖に耐えるためにこそ、ここで拾われたような「ユーモア」を必要とせざるを得ない実感的なリアリズムの凄み ―― それが本作のうちに脈打っているのだ。
(人生論的映画評論/ノーマンズ・ランド('01) ダニス・タノヴィッチ <〈状況〉が分娩した憎悪の鋭角的衝突を相対化した男の視座のうちに>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/01/01.html
しかしそれは、「ノー・マンズ・ランド」(ボスニアとセルビアの中間地帯)という名の、戦争暴力が直接的に交叉する最前線であるが故に、〈死〉とも同居する危ういゾーンである。
その危ういゾーンの中枢にあって、〈生〉と〈死〉を共存させる〈状況〉を最も内化している男がいる。
ツェラである。
本作は、塹壕の土塊(つちくれ)に張り付くツェラの視座によって、暴力交叉の最前線の〈状況〉を仰ぎ見ることで、戦争暴力の怖さと無意味さを訴える映像だったと言っていい。
ツェラの視座は、明らかに作り手の視座である。
セルビア軍の中年兵によって仕掛けられた「ブービートラップ」に捕捉されたツェラは、既に自分の意志で全くコントロールできない〈状況〉下にあって、〈生〉と〈死〉が被膜一枚で繋がっている戦争暴力を突沸(とっぷつ)させる〈状況〉から、完全に置き去りにされているのだ。
寧ろ、そのことによって、男は戦争暴力の最前線の〈状況性〉を相対化することができたのである。
男の視野に捕捉される、セルビア兵とボスニア兵の危うい対立の〈状況〉は、「交流と対立」を繰り返す二人の交叉のうちに象徴的に映し出されていた。
二人の会話は、「ボスニア内戦」と呼称された戦争暴力の縮図と言っていい。
以下の通り。
「そっちが始めた戦争だ」とチキ。
「そっちさ」とニノ。
「違う。お前らは戦争しか頭にないんだ。偉大なセルビアは平和主義者だと?勘弁しろ。世界の見方は逆さ」
「“お前らの世界”だろ?セルビアの村を焼いて、自分らの領土だと主張する」
「じゃ、あの砲撃は?セルビア軍は聖者か。死体に地雷を仕掛ける奴らが」
「別問題だ」
「お前らは無法の限りだ。略奪に殺戮に強姦」
「誰のことだ。そんな光景は見たことない」
「俺はある。俺の村も焼き討ちにされた。」
「知らない」
「俺は見た」
「俺の村はどうだ。誰が村人を殺した」
「多分、セルビアだ。今もお前を撃った」
「それは、俺がいるのを知らないからだ」
「埒が明かない。なぜ、お前らはこの美しい国を破壊した?」
「僕らが?呆れた。独立を望んだのは、そっちだぞ」
「お前らが戦争を仕掛けた」
「それは、あんたらの方だ」
「俺たちが?バカ言え」
「あんたらだ」
ここで感情が沸点に達したチキが、自動小銃をニノに突き付け、恫喝する。
「誰が戦争を仕掛けた?」
「僕らだ」
ニノの答えには、それ以外の選択肢がなかった。
「そうとも。俺を怒らすな。神経に触る奴だ」
そう言って、チキはニノを外に追い遣った。
「ふざけやがって。俺たちが仕掛けたなどと」
チキの捨て台詞である。
しかし、形成の逆転も早かった。
チキがツェラに近寄っている間に銃を手にしたニノは、チキの行動をなぞるのだ。
「誰が戦争を仕掛けた?」
チキを恫喝するニノ。
「俺たちだ」
チキの答えにも選択肢がなかった。
このときのツェラの言葉こそ、本作のメッセージの一つであっただろう。
「どっちが仕掛けたのでもない。両方とも泥沼だ」
仲間同士での、こんな短い会話も拾われていた。
「奴は俺を殺そうとした。必ず殺してやる」とチキ。
「お前の話もうんざりだ」とツェラ。
ツェラにとって、戦争暴力を背景にして、チキとニノの二人が作り出した〈状況〉は、その〈状況〉が分娩した憎悪の鋭角的衝突でしかないのだ。
彼は今や戦争暴力のみならず、それによって分娩された憎悪感情をも相対化し切ったのである。
憎悪感情を無化し切った男が、物理的に遺棄されていくラストシーンは、非暴力の強靭な思いを抱懐する作り手が、温和なゾーンで本作を観る者への毒気含みの挑発的メッセージと受け取ることもできる。
それは、情緒的な「平和主義」でしか本作を把握できない者への揶揄ではないのか。
或いは、配給会社の大仰な宣伝に嵌って、それを「ブラック・コメディ」のカテゴリーに閉じ込めることで、本作の挑発的メッセージから距離を置く者たちへのアイロニーのようにも見えるのである。
詰まる所、地雷を背負うことなしに体現できない事態に象徴される、かくも震撼すべき戦争暴力の恐怖に耐えるためにこそ、ここで拾われたような「ユーモア」を必要とせざるを得ない実感的なリアリズムの凄み ―― それが本作のうちに脈打っているのだ。
(人生論的映画評論/ノーマンズ・ランド('01) ダニス・タノヴィッチ <〈状況〉が分娩した憎悪の鋭角的衝突を相対化した男の視座のうちに>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/01/01.html