港町として名高い、ハンブルグにあるギムナジウム(ドイツの中等教育機関で、大学進学を目的とする)。
そこに、一人の初老の教授がいる。その名はラート。とても厳格な英語教師である。
その日も彼は、表面的には静寂な教室で教鞭を執っていた。
その彼が、一人の生徒が落としたブロマイドを拾ったことから、生徒たちの中で規律が乱れている現実を知ることになった。それは一人の若い女の、些か淫乱なポーズをしたブロマイドだったのである。およそ女性とは縁のない生活を送る独身の教授には、その現実は許し難いものだった。
ラート教授は、早速、ブロマイドの女がいるキャバレーに足を運んだ。
案の定、キャバレーにはギムナジウムの教え子たちが遊興に耽っていた。生徒たちはラートの顔を見て、慌てて逃げ出した。それを追うラート。部屋を特定して、その扉を開けたら、そこにブロマイドの女がいた。女の名はローラ。踊り子である。
ラートは女に尋ねた。
「君がローラ、ローラとかいう芸人だな」
「警察の方?」
「違う。私はドクター・イマヌエル・ラート。当地の高校教師だ」
「帽子くらい脱いだら?ご用件は?」
「君は本校の生徒を誘惑している」
「私は保母じゃありません・・・それだけですの?」
「迷惑のようだから、帰る」
「邪魔にならなきゃ、いいわ」
ローラはその一言を残して、ステージに上っていった。一人残されたラートは、居心地の悪いその部屋でしばらく座っていたが、そこに一座の団長がやってきて、相手が教授であると知って、事情を勝手に飲み込んだかのような態度で、ラートを引止めにかかってきた。
「さすが先生は、お目が高い」
「何を言ってる!」
「口外しませんよ。お任せ下さい」
「私は抗議に来た。学生を隠したろ。嘘つきめ!」
そこに部屋の隅に隠れていた生徒たちが慌てて逃げ出し、ラートは彼らを追っていく。労も空しく、学生を捕捉できなかったラートは、その夜、自室の陰鬱な部屋で、学生が悪戯でポケットに押し込んだローラの下着を手に取って、それをしみじみ眺めながら、何か思い詰めたような表情を浮かべていた。
翌日、ラートはいつものように教鞭を執り、学生たちも昨夜のことがなかったかのように振舞っていた。
その夜、ラートは小奇麗な仕度をして、再びキャバレーに顔を出したのである。その視線の先にローラの肢体が捉えられた。
彼女もまたそれを意識し、反応した。
「また来て下さると思ってたわ」
「どうも昨日は・・・急いで帰ったので、これ(下着)を帽子と間違えて持って出てしまった」
「そのためだけ?」
それに答えられないラートは、ローラに完全に見透かされていたのである。
彼はローラの部屋で、彼女の歓待を受けていた。その部屋の地下に潜り込んでいる学生たちの存在は、無論ラートの知るところではない。
「今夜は公用できたんじゃないでしょ?」
「昨日は済まなかった。失礼したね」
「そうよ。今夜の方が優しいわ」
煽(おだ)てられ、髪を梳(と)かされて、悦に入るラート。それを生徒たちが盗み見て、クスクス笑っている。
まもなく団長が、ローラ目当ての客と共に彼女の部屋に入って来て、客の相手をするように強く促した。それを嫌がるローラの気持ちを汲み取ったラートは、ローラの客に乱暴を振るって警察沙汰になってしまったのである。
この町の名士であるラートに対し、警官は彼の側に立つことで一件落着となった。ラートの弱みを視認したた生徒たちは、そこで姿を現わすが、余裕をもった彼らは教授の前でタバコを吸って、反抗のポーズを確信的に崩さないのだ。
「ここへ何しに来た?」
「先生と同じです」
その瞬間、ラートは生徒たちを殴りつけて、店から追放した。
「悪ガキ相手じゃ、先生も大変ね」
一座の女性に慰められるラートは、まだこの時点では、「人徳の教師」のイメージをギリギリに保っていたのである。
その後ラートは、ローラの誘いもあって、彼女の歌を心地良さそうに聴き入っていく。相当量の酒を飲まされたラートは、いつの間にかローラの部屋で寝込んでしまい、そこで朝を迎えることになった。
「学校があった!早く行かんと」
ラートは思わず叫んで、急いで学校に向っていく。そんなラートの相手をして楽しむローラと別れて、彼はキャバレーから出勤したのである。
ラートが教室に入って来たとき、黒板には、教授をからかう生徒たちの悪戯書きで埋め尽くされていた。
「先生、女臭いですよ!」
一人の生徒の挑発で、教室の中は騒然となった。そこに他の教師たちが駆けつけて来て、事態が大きくなっていく。
「お前ら皆、少年院に送ってやる!」
生徒たちへのラートの威嚇の後に、校長からのフォローがあった。
「皆、外へ出て校庭に並べ!出るんだ!」
生徒たちがいなくなった教室に、ラートと校長が残った。校長は黒板の悪戯書きの絵を見て、ラートに皮肉を言った。
「上手いもんだな。そんな女のために、信用を落とすのは損ではないですかな?」
そんな皮肉たっぷりな校長の言葉を否定するように、ラートはきっぱりと言い切った。
「失礼ですぞ、校長。私の未来の妻です」
「まさか本気では・・・」
「本気で言っております。どうぞ、そのつもりで・・・」
「では残念ですが、辞職して頂きましょう」
誰もいない静かな部屋に一人残されたラートは、自分の究極的な決断に後悔しているようでもあり、或いは、その決断によって自分の新しい人生を発見できたと覚悟する者のようでもあった。
その夜、彼は花束を持ってローラを訪ねた。
「お別れに来てくれたの?」とローラ。
彼女の一座は、この町を引き上げる準備をしていたのであった。
「ミス・ローラ。私は・・・」
「きれいなお花、ありがとう」
ローラは、沈鬱な表情を崩さないラートに近づいて、言葉を添えた。
「そんな顔しないでよ。来年また来るわよ」
「もう一つあげたい物がある。これを受け取ってくれないか」
ラートはローラにそう言って、指輪をプレゼントした後、明瞭に言葉を繋いだのだ。
「あなたに結婚を申し込みたい」
「私と結婚を?」と不思議がるローラ。
頷くラート。ローラはここで思わず吹き出して、笑い転げてしまった。
「あなたって、いい人ね」
「お願いだ。どうか、まじめに考えて欲しい」
この真剣なラートの言葉に、ローラはそのプロポーズを受容したのである。
まもなく一座の中で、二人の結婚式が執り行われた。ラートは今、まさに至福の絶頂期にあって、深々と酩酊していたのである。
(人生論的映画評論/嘆きの天使('30) ジョセフ・フォン・スタンバーグ <「予約された残酷さ」―― 異文化侵入が破綻して>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/30.html
そこに、一人の初老の教授がいる。その名はラート。とても厳格な英語教師である。
その日も彼は、表面的には静寂な教室で教鞭を執っていた。
その彼が、一人の生徒が落としたブロマイドを拾ったことから、生徒たちの中で規律が乱れている現実を知ることになった。それは一人の若い女の、些か淫乱なポーズをしたブロマイドだったのである。およそ女性とは縁のない生活を送る独身の教授には、その現実は許し難いものだった。
ラート教授は、早速、ブロマイドの女がいるキャバレーに足を運んだ。
案の定、キャバレーにはギムナジウムの教え子たちが遊興に耽っていた。生徒たちはラートの顔を見て、慌てて逃げ出した。それを追うラート。部屋を特定して、その扉を開けたら、そこにブロマイドの女がいた。女の名はローラ。踊り子である。
ラートは女に尋ねた。
「君がローラ、ローラとかいう芸人だな」
「警察の方?」
「違う。私はドクター・イマヌエル・ラート。当地の高校教師だ」
「帽子くらい脱いだら?ご用件は?」
「君は本校の生徒を誘惑している」
「私は保母じゃありません・・・それだけですの?」
「迷惑のようだから、帰る」
「邪魔にならなきゃ、いいわ」
ローラはその一言を残して、ステージに上っていった。一人残されたラートは、居心地の悪いその部屋でしばらく座っていたが、そこに一座の団長がやってきて、相手が教授であると知って、事情を勝手に飲み込んだかのような態度で、ラートを引止めにかかってきた。
「さすが先生は、お目が高い」
「何を言ってる!」
「口外しませんよ。お任せ下さい」
「私は抗議に来た。学生を隠したろ。嘘つきめ!」
そこに部屋の隅に隠れていた生徒たちが慌てて逃げ出し、ラートは彼らを追っていく。労も空しく、学生を捕捉できなかったラートは、その夜、自室の陰鬱な部屋で、学生が悪戯でポケットに押し込んだローラの下着を手に取って、それをしみじみ眺めながら、何か思い詰めたような表情を浮かべていた。
翌日、ラートはいつものように教鞭を執り、学生たちも昨夜のことがなかったかのように振舞っていた。
その夜、ラートは小奇麗な仕度をして、再びキャバレーに顔を出したのである。その視線の先にローラの肢体が捉えられた。
彼女もまたそれを意識し、反応した。
「また来て下さると思ってたわ」
「どうも昨日は・・・急いで帰ったので、これ(下着)を帽子と間違えて持って出てしまった」
「そのためだけ?」
それに答えられないラートは、ローラに完全に見透かされていたのである。
彼はローラの部屋で、彼女の歓待を受けていた。その部屋の地下に潜り込んでいる学生たちの存在は、無論ラートの知るところではない。
「今夜は公用できたんじゃないでしょ?」
「昨日は済まなかった。失礼したね」
「そうよ。今夜の方が優しいわ」
煽(おだ)てられ、髪を梳(と)かされて、悦に入るラート。それを生徒たちが盗み見て、クスクス笑っている。
まもなく団長が、ローラ目当ての客と共に彼女の部屋に入って来て、客の相手をするように強く促した。それを嫌がるローラの気持ちを汲み取ったラートは、ローラの客に乱暴を振るって警察沙汰になってしまったのである。
この町の名士であるラートに対し、警官は彼の側に立つことで一件落着となった。ラートの弱みを視認したた生徒たちは、そこで姿を現わすが、余裕をもった彼らは教授の前でタバコを吸って、反抗のポーズを確信的に崩さないのだ。
「ここへ何しに来た?」
「先生と同じです」
その瞬間、ラートは生徒たちを殴りつけて、店から追放した。
「悪ガキ相手じゃ、先生も大変ね」
一座の女性に慰められるラートは、まだこの時点では、「人徳の教師」のイメージをギリギリに保っていたのである。
その後ラートは、ローラの誘いもあって、彼女の歌を心地良さそうに聴き入っていく。相当量の酒を飲まされたラートは、いつの間にかローラの部屋で寝込んでしまい、そこで朝を迎えることになった。
「学校があった!早く行かんと」
ラートは思わず叫んで、急いで学校に向っていく。そんなラートの相手をして楽しむローラと別れて、彼はキャバレーから出勤したのである。
ラートが教室に入って来たとき、黒板には、教授をからかう生徒たちの悪戯書きで埋め尽くされていた。
「先生、女臭いですよ!」
一人の生徒の挑発で、教室の中は騒然となった。そこに他の教師たちが駆けつけて来て、事態が大きくなっていく。
「お前ら皆、少年院に送ってやる!」
生徒たちへのラートの威嚇の後に、校長からのフォローがあった。
「皆、外へ出て校庭に並べ!出るんだ!」
生徒たちがいなくなった教室に、ラートと校長が残った。校長は黒板の悪戯書きの絵を見て、ラートに皮肉を言った。
「上手いもんだな。そんな女のために、信用を落とすのは損ではないですかな?」
そんな皮肉たっぷりな校長の言葉を否定するように、ラートはきっぱりと言い切った。
「失礼ですぞ、校長。私の未来の妻です」
「まさか本気では・・・」
「本気で言っております。どうぞ、そのつもりで・・・」
「では残念ですが、辞職して頂きましょう」
誰もいない静かな部屋に一人残されたラートは、自分の究極的な決断に後悔しているようでもあり、或いは、その決断によって自分の新しい人生を発見できたと覚悟する者のようでもあった。
その夜、彼は花束を持ってローラを訪ねた。
「お別れに来てくれたの?」とローラ。
彼女の一座は、この町を引き上げる準備をしていたのであった。
「ミス・ローラ。私は・・・」
「きれいなお花、ありがとう」
ローラは、沈鬱な表情を崩さないラートに近づいて、言葉を添えた。
「そんな顔しないでよ。来年また来るわよ」
「もう一つあげたい物がある。これを受け取ってくれないか」
ラートはローラにそう言って、指輪をプレゼントした後、明瞭に言葉を繋いだのだ。
「あなたに結婚を申し込みたい」
「私と結婚を?」と不思議がるローラ。
頷くラート。ローラはここで思わず吹き出して、笑い転げてしまった。
「あなたって、いい人ね」
「お願いだ。どうか、まじめに考えて欲しい」
この真剣なラートの言葉に、ローラはそのプロポーズを受容したのである。
まもなく一座の中で、二人の結婚式が執り行われた。ラートは今、まさに至福の絶頂期にあって、深々と酩酊していたのである。
(人生論的映画評論/嘆きの天使('30) ジョセフ・フォン・スタンバーグ <「予約された残酷さ」―― 異文化侵入が破綻して>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/30.html