夫婦善哉('55)  豊田四郎 <虚栄と切れた男、それを拾って繋ごうとする女>

 大坂船場の化粧問屋、維康(これやす)商店。

 その息子の柳吉は、とんでもない道楽息子。東京の得意先で集金した金を懐に入れて、売れっ子芸者の蝶子と駆け落ちしてしまったのだ。その事実を知った柳吉の父は、中風で病の床に臥していたその体を起して、番頭に息子の勘当を言い渡した。

「誰が何と言うたかて、勘当や。あの、どアホ!あんな芸妓にうつつを抜かしよって。維康商店は潰されてしまうがな。勘当や、勘当や!」
 
 当の張本人の柳吉は、蝶子と共に熱海の旅館で羽を伸ばしていた。
 
 そこに突然、旅館を大きく揺るがすほどの大地震が発生した。関東大震災である。
 
 慌てふためく二人は、命からがら大阪に舞い戻って来たのである。時は1923年、大正12年の出来事だった。

 大阪に戻った二人は、蝶子の実家に身を寄せるものの、生活資金に事欠いていた。全く働こうとしない柳吉を扶養するために、蝶子は知り合いのおきんを訪ねた。雇女(やとな・芸者を兼ねた仲居)の周旋を営むおきんは、売れっ子芸者の申し入れを大歓迎し、早速、雇女芸者として、蝶子は宴席に出ることになったのである。
 
 彼女は三味線を弾き、客と共に踊り回り、無難に仕事をこなして帰宅した。柳吉はそんな蝶子を特別に歓迎することもなく、相変わらずのマイペース。

 大体この男は、13歳になる娘のみつ子と、既に実家に帰った女房を捨てて、駆け落ちした無責任人間。そんな男が、金に困って維康商店に顔を出したが、既に勘当を言い渡した父は、決して息子を許さなかったのである。

 蝶子の母は、娘に柳吉との関係について問いただした。
 
 「お前、どうやら欲が出てきたらしいな。柳吉さん、ホンマに寝取ろう思ってんのやろな」
 「わてわな、何も奥さんの後釜に座るつもりはあらへん。あの人を一人前の男に出世させたら、それで本望や。ホンマやで。ホンマにそない思うて、一生懸命稼いでんやで」
 
 それが、蝶子の答えだった。

 彼女のその言葉には、自分の中の思いを再確認するような、必要以上の力強さが感じられた。
 
 ところが、そんな蝶子の思いを全く無視して、柳吉はカフェなどで遊び三昧の生活。蝶子が雇女芸者で稼いだ貯金を勝手に下ろし、全て放蕩に使い果たしたのである。

 それを知った蝶子の怒りが爆発した。彼女は柳吉の枕を取り上げて、それを男の顔面に繰り返し振り下ろしていく。
 
 「わてはな、あんたと何ぞ商売でも始めよう思うて、それだけを楽しみに、一生懸命貯金してきたんやで!」
 「そんなこと、知ってるがな」と柳吉。
 「それを知っていて、あんたという人は!」
 「人殺し!死ぬ!」
 
 その大袈裟な言葉に意欲も萎えた蝶子は、家を出て行こうとした。

 「おばはん、どこ行くねん?」
 「もう、あんたの顔見るのも、嫌や!」
 「そりゃ、無理もないわな」と柳吉。

 完全に開き直っていた。それこそ、この男の一貫した人生態度だった。

 蝶子が向った先は、柳吉と睦み合いの中で入ったレストラン。
 そこで食べた「ライスカレー」の思い出を確認するかのように、蝶子は思わず、「ライスカレー、二つ」と注文してしまった。
 
 「アホやな、わては・・・」
 
 女の心の中から容易に消せない、ダメ男の存在感。
 
 それを感じ取ったのか、女はそのまま帰宅した。男はまだ布団の中に入っていた。蝶子は偶然見つけ出した一枚の紙を、男の前に突きつけた。
 
 「あんた、これ何や・・・誰の戒名や」
 「嫁はんや。嫁はん、死によったんや」
 「何でそんなこと、もっと早く言うてくれはらなんだ!」
 「察してくれや、もう。お前が喜ぶ顔、見とうなかったんや」
 「わてが喜ぶ?そんな女やと思うてはんの、あんた!それとこれとでは違うやないの、なあ、あんた!」
 「みつ子、どないしてるやろ。お母ちゃんに死なれて・・・」
 
 男はぼそりと、自分の中に張り付いている気持ちを洩らした。こんな男でも、自分の娘への気持ちが強く残っていたのである。
 

(人生論的映画評論/夫婦善哉('55)  豊田四郎 <虚栄と切れた男、それを拾って繋ごうとする女>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/55.html