キクとイサム('59) 今井 正 <明治女とガキ大将の突破力――「差別の前線」を突き抜けて>

 小学校の校庭で、一人の少年がバイクを乗り回している。それを見ていた肥満気味の少女。彼女は「いいバイクだな。ちょっと見せろ」と言って、その少年からバイクを奪って、それを今度は自分で乗り回していく。

 「姉ちゃんのバカ野郎!クソったれ!」
 「俺んとこのバイクけえせ!」
 「順番んこだぞ!」
 「女ゴリラ!」

 順番を抜かされて、バイクを奪われた少年たちが口々に、バイクを乗り回す少女に悪態をついている。それをよそに、少女は一人で悦に入っている。

 そこに、「キクとイサム」という映像のクレジットタイトル。そのタイトルの内に凝縮されるテーマを象徴するかのような叙情的で、心を癒すようなピアノの旋律が、バイクを乗る少女と、その少女を待つ農婦の日常性を、ゆったりとした律動で追い駆けていく。

 「今頃まで、何やってた?」と農婦。
 「失礼いたしました」と何度も頭を下げて、おどける少女。
 「早く行け!お蚕(けえこ)さまが腹空かしているけぇ」

 老いた農婦は、蚕蛾に桑の葉を入れて、それを丹念に混ぜ返している。少女も手慣れた手つきで、農作業を手伝っている。それが普通の日常的な風景であるかのように、モノクロの映像は、淡々と貧しい家族の農作業を映し出した。

 農作業を終えた少女が、弟と喧嘩する風景に繋がっていくとき、それもまた日常的な風景であることを、映像は言わずもがなに語っていく。その喧嘩を止めようとした農婦が、腰痛で苦しむさまも又、日常的であるのだろう。

 しかしこの日ばかりは、いつもと少し様子が違っていた。それを心配する少女は、恐らくいつもと違う優しさで老婦に声をかけた。

 「婆っちゃん。町さ医者行って、医者様に診てもらえば、早く治るべ」
 「医者様は銭ばかり取って、でぇ嫌(きれ)えだ。ナンマイダブ、ナンマイダブ・・・」

 老婦は念仏の世界に逃げ込むが、この日の腰痛は相当に堪(こた)えているようだった。

 農婦の名はシゲ子。姉弟の名は、キクとイサム。共にシゲ子の孫である。

 そろそろ腰痛もちのシゲ子婆さんの能力では、手に負えなくなった孫二人。男勝りで中学生のような身体を持て余す姉のキクと、遊び盛りの弟イサム。

 黒人の父と日本人の母を両親に持つこの姉弟は、からかわれながらも小さな村の共同体で、明るく元気な小学校生活を送っていた。

 まもなくキクを連れて、祖母のシゲは町の医者に行った。

 明らかに黒人との混血を想像させる、浅黒のキクの大柄な体は、町を闊歩するその一挙手一投足が、町の人々の好奇の視線に捕捉されて、本人以上に祖母のシゲ子の悩みの種でもあった。

 その祖母は、自分の畑で取れた野菜を町の人々を相手に売って、僅かな金を稼ぎ出した。それを自分の医療費に充てる算段だったのである。祖母に付添って、共に野菜を売るキクの周囲で、町の人々の捨てた言葉が二人の耳を突き刺してきた。

 「あやー、日本語喋れるだな」
 「うんだなっす」

 その言葉の主を睨むキクを、祖母は相手にするなと制止して、そそくさと町医者の元を訪ねて行った。シゲ子婆さんは腰痛を診てもらった後、医師に二人の孫の話をしたのである。年老いた祖母にとって、自分が逝った後の二人の行く末が心配でならなかったのだ。

 「部落に二人いるという噂は聞いていたが、あの子だね?もう一人は?」
 「弟でやんす」
 「え、二人?二人ともあんたが抱えてんのかね。それは何とかしねぇば。アメリカの方にでも引き取ってもらわねえと、その年でお婆さん、あんたが大変だよ」

 院長先生はそう言った後、アメリカへの養子縁組の話をシゲ子婆さんに切り出した。

 「どっちか、お婆さん、やったらどうかね?・・・あの子たちの将来を考えておかないと、これから大変だよ。ボヤボヤしてると駄目だよ、お婆さん」

 シゲ子婆さんは初めて知った養子縁組の話に、強く心を動かされたのである。結局その日は、注射代が高くて、シゲ子婆さんはそのまま病院を後にした。

 祖母を待つ二人の孫は、いつまでも帰って来ない祖母を心配して、夜の部落の暗がりの道を提灯を片手に、重なるようにして迎えに行く。途中疲れた祖母が、道の端で、寝込んでしまっていた。それを見て安心する孫二人。おまけに注射代の代わりに、二人の孫への土産を買ってきた祖母を前にして、子供らしい笑みを思わず洩らしていた。

 まもなく見知らぬ男が村にやって来て、二人の写真を撮ろうとするが、キクは逃げ、イサムだけがカメラに収まった。

 その夜、カメラの男のことが気になったキクは、祖母にその経緯を話した。二人の将来を不安視する祖母は、キクに養子縁組の件について正直に話さざるを得なかったのである。
 
 「本当は、キクかイサムかどっちかを、いいとこさ貰い手があったら、世話してくれるだと。おめえたちをお世話する人だって?」
 「お世話?何で貰いてぇって?」
 「こったら、貧乏ったれの家にいるより、アメリカさ行かば、よっぽどよかっぺって」
 「アメリカ?誰が?」

 「おめぇか、イサムかのどっちかを、向こうに選(よ)ってもらうだど・・・婆っちゃんは良く分らねぇども、あと二年もしたら、婆っちゃんも七十だべ。そういつまでも、おめぇたちの傍にいられる訳きゃぁねぇから。土の中さ入っちまうめえに、おめぇたちのことを思案しねばなんねぇ。思案しても何にもならねども、まんず、お父ちゃんのいる国さやった方がためだと、偉いさまが言うだから、金持ちの人さ見付けて貰って、養子っつのに行けたらいいかも知んねぇな。

 大きくなったときのことも考えねば・・・今はいい、今はいいけんじょ、おめぇたちの父ちゃんはアメリカの人だし、知らねば黙ってるべぇと思ってたが、いつか知らねばなんねぇこんだから・・・しっかり聞いてけろ、キク。お婆ちゃんはおめぇたちが、大手を振って歩けるとこさ、お放っしてやるのがためだと思ってきただ・・・」

 「やんだぁ」とキク。初めてその感情を強く表した。
 「アメリカさ行けば・・・」
 「やんだぁ。やんだ、おら」
 「やんだって言っても、女は嫁っ子に貰われねばなんねぇだ。おめぇはここに居たら、嫁っ子に行かれねぇべ・・・」
 「どうして?」

 祖母はキクの問いに答えなかった。小学生の子供を納得させるような言葉を持っていなかったのである。

 座敷の傍らで、その大きい体を横たえて、キクは沈み込んでいた。そんなキクの悄然とした姿を見て、シゲは孫の心を柔和に包み込んでいく。自分もまた辛いのだ。しかし、それ以外に方法がないという気持ちを、孫に向って吐露するしかなかったのである。


(人生論的映画評論/キクとイサム('59) 今井 正 <明治女とガキ大将の突破力――「差別の前線」を突き抜けて> 」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/59_10.html