1 「この俺を舞台に出してみろ。思い知るぞ。何もかもぶちまけてやる」
如何にも、視聴者参加のテレビ向きのコンテンツが詰まった特別番組があった。
その名は、「トピック・テレビ」。
クリスマスの特別企画である、この「トピック・テレビ」への出演のために、30年ぶりにやって来た2人男女。
すっかり禿げ上がった男の名は、ピッポ。
老いても気品を漂わせる女の名は、アメリア。
かつて、“ジンジャーとフレッド"の物真似(フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのダンス・コンビがモデル)として、タップダンス芸で業界の一隅を照らしていた芸人コンビである。
テレビ業界特有の煩雑さの中、忙しく動き回るスタッフを尻目に、出番を待つ様々な「売り」を持つ出演者たちが舞台裏で待機しているが、一人、ピッポは挑発的に気を吐いていた。
「俺たちを何だと思ってる?海軍大将なんかを盛り上げる前座じゃないぞ。そう思うだろう?」
「私もそれは気に入らないけど、仕方がないわ」とアメリア。
「許せん!どうするか見てろ。この俺を舞台に出してみろ。思い知るぞ。何もかもぶちまけてやる。6000万国民に言ってやるんだ」
「何て言うの?」
「“羊ども、追従者ども・・・俺は80万リラ欲しくて来たんじゃない。テレビが何だ!お前らはテレビばかり見てる。そんなにテレビが好きなら俺を見ろ!”」
そう言い切った男は、アメリアとの簡単なリハーサルを済ますが、鼻息荒い言葉と裏腹に、すっかり息を切らしてしまった。
2人が楽屋に呼ばれたのは、その直後だった。
出番が近づいたのである。
2 「電気仕掛けの快楽装置」であるテレビの無力と、その弱点を衝いて
「トピック・テレビ」の時間が近づき、1度は逡巡し、帰ろうとしたアメリアだが、腹を括った。
「あんたの年でタップを踊るのは難しいから、本当の年を言って、喝采をもらった方がいい」
楽屋で待機するアメリアは、番組スタッフに、そんなことを明け透けに言われる始末。
それこそが、「トピック・テレビ」の「売り」とでも言うように、雑然とした楽屋に待機する出演者は、フリークの群れという印象を与える者ばかりだった。
ピッポやアメリアのように、「昔取った杵柄」で、オーソドックスの芸を披露する者は稀であった。
そんな雰囲気の中で、「トピック・テレビ」が開かれていく。
アマゾンで黒魔術を学んで、見詰めるだけで妊娠させる男や、「最高身長40㎝の世界一小さなバレリーナ」である小人のショー。
更には、聖職者の衣を脱いで純愛を貫いたカップルが、ステージの中央でキスをさせられるのだ。
食べられるパンティを発明した人や、宙に浮かぶ修道士、等々。
「狩猟は人間の攻撃本能を養うから悪い」
断食のため生命の危機にある議員を呼んで、狩猟と釣りの禁止を主張をさせる際物ぶり。
そして極め付けは、アナウンサーの紹介で登場した、英雄シルベストリ夫人なる女性。
「1か月間、受像機を封印した上、アンテナも外して、テレビ電波を全く受信できなくなりました。とても耐えられないと思いましたが」
「もう一度やれますか?」とのアナウンサーの質問に、彼女は嗚咽を交えて答えたのである。
「いいえ、決して。死にそうでした。お金を頂いたくらいでは済みません。貧乏人に残酷な実験です」
更に、アナウンサーに促された後、「もう嫌よ」という一言を、ソプラノで歌わせるヤラセぶり。
ここで、会場から万雷の拍手。
「本当にテレビなしでは生きられません」
アナウンサーの決め台詞で、欺瞞的なテレビ賛歌のパロディが自己完結するに至った。
“ジンジャーとフレッド"のステージが開かれたのは、その直後だった。
ところが、待望のステージが開かれるや否や、生放送のスタジオは停電となり、暫く、闇の時間帯が過ぎていく。
これは、「電気仕掛けの快楽装置」であるテレビの弱点を衝き、その本質的な無力を晒した目一杯のアイロニーだった。
慌てるスタッフを横目に、フレッド役のピッポは、「ずらかろう」とアメリアに促すのだ。
これは、テレビへのリベンジを企むフレッドの心象風景を映し出すもの。
「バカ!今更なによ」
アメリアの反応だ。
「テレビは砂上の城だ」
そう皮肉った後、ピッポはアメリアを脅して見せた。
「テロかも知れない。爆弾が仕掛けてあるぞ」
怖がるアメリア。
「新聞に“30年ぶりの恋人たち。死の再会"と出るから、ここにいよう」
そんな真面目なアメリアに、今度は面白半分に「恐怖突入」のプランを提示した。
それもまた、ピッポのテレビへのリベンジになるのだ。
この停電のシーンが示すものは、「電気仕掛けの快楽装置」であるテレビの無力と、その弱点を衝いて、どのようにでもリセット可能の状況を作り出すことの面白さにあるだろう。
如何にも、視聴者参加のテレビ向きのコンテンツが詰まった特別番組があった。
その名は、「トピック・テレビ」。
クリスマスの特別企画である、この「トピック・テレビ」への出演のために、30年ぶりにやって来た2人男女。
すっかり禿げ上がった男の名は、ピッポ。
老いても気品を漂わせる女の名は、アメリア。
かつて、“ジンジャーとフレッド"の物真似(フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのダンス・コンビがモデル)として、タップダンス芸で業界の一隅を照らしていた芸人コンビである。
テレビ業界特有の煩雑さの中、忙しく動き回るスタッフを尻目に、出番を待つ様々な「売り」を持つ出演者たちが舞台裏で待機しているが、一人、ピッポは挑発的に気を吐いていた。
「俺たちを何だと思ってる?海軍大将なんかを盛り上げる前座じゃないぞ。そう思うだろう?」
「私もそれは気に入らないけど、仕方がないわ」とアメリア。
「許せん!どうするか見てろ。この俺を舞台に出してみろ。思い知るぞ。何もかもぶちまけてやる。6000万国民に言ってやるんだ」
「何て言うの?」
「“羊ども、追従者ども・・・俺は80万リラ欲しくて来たんじゃない。テレビが何だ!お前らはテレビばかり見てる。そんなにテレビが好きなら俺を見ろ!”」
そう言い切った男は、アメリアとの簡単なリハーサルを済ますが、鼻息荒い言葉と裏腹に、すっかり息を切らしてしまった。
2人が楽屋に呼ばれたのは、その直後だった。
出番が近づいたのである。
2 「電気仕掛けの快楽装置」であるテレビの無力と、その弱点を衝いて
「トピック・テレビ」の時間が近づき、1度は逡巡し、帰ろうとしたアメリアだが、腹を括った。
「あんたの年でタップを踊るのは難しいから、本当の年を言って、喝采をもらった方がいい」
楽屋で待機するアメリアは、番組スタッフに、そんなことを明け透けに言われる始末。
それこそが、「トピック・テレビ」の「売り」とでも言うように、雑然とした楽屋に待機する出演者は、フリークの群れという印象を与える者ばかりだった。
ピッポやアメリアのように、「昔取った杵柄」で、オーソドックスの芸を披露する者は稀であった。
そんな雰囲気の中で、「トピック・テレビ」が開かれていく。
アマゾンで黒魔術を学んで、見詰めるだけで妊娠させる男や、「最高身長40㎝の世界一小さなバレリーナ」である小人のショー。
更には、聖職者の衣を脱いで純愛を貫いたカップルが、ステージの中央でキスをさせられるのだ。
食べられるパンティを発明した人や、宙に浮かぶ修道士、等々。
「狩猟は人間の攻撃本能を養うから悪い」
断食のため生命の危機にある議員を呼んで、狩猟と釣りの禁止を主張をさせる際物ぶり。
そして極め付けは、アナウンサーの紹介で登場した、英雄シルベストリ夫人なる女性。
「1か月間、受像機を封印した上、アンテナも外して、テレビ電波を全く受信できなくなりました。とても耐えられないと思いましたが」
「もう一度やれますか?」とのアナウンサーの質問に、彼女は嗚咽を交えて答えたのである。
「いいえ、決して。死にそうでした。お金を頂いたくらいでは済みません。貧乏人に残酷な実験です」
更に、アナウンサーに促された後、「もう嫌よ」という一言を、ソプラノで歌わせるヤラセぶり。
ここで、会場から万雷の拍手。
「本当にテレビなしでは生きられません」
アナウンサーの決め台詞で、欺瞞的なテレビ賛歌のパロディが自己完結するに至った。
“ジンジャーとフレッド"のステージが開かれたのは、その直後だった。
ところが、待望のステージが開かれるや否や、生放送のスタジオは停電となり、暫く、闇の時間帯が過ぎていく。
これは、「電気仕掛けの快楽装置」であるテレビの弱点を衝き、その本質的な無力を晒した目一杯のアイロニーだった。
慌てるスタッフを横目に、フレッド役のピッポは、「ずらかろう」とアメリアに促すのだ。
これは、テレビへのリベンジを企むフレッドの心象風景を映し出すもの。
「バカ!今更なによ」
アメリアの反応だ。
「テレビは砂上の城だ」
そう皮肉った後、ピッポはアメリアを脅して見せた。
「テロかも知れない。爆弾が仕掛けてあるぞ」
怖がるアメリア。
「新聞に“30年ぶりの恋人たち。死の再会"と出るから、ここにいよう」
そんな真面目なアメリアに、今度は面白半分に「恐怖突入」のプランを提示した。
それもまた、ピッポのテレビへのリベンジになるのだ。
この停電のシーンが示すものは、「電気仕掛けの快楽装置」であるテレビの無力と、その弱点を衝いて、どのようにでもリセット可能の状況を作り出すことの面白さにあるだろう。
(人生論的映画評論/ジンジャーとフレッド('85) フェデリコ・フェリーニ <「祭り」の後の「寂寞感」が映し出す人生模様>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/12/85.html