女はそれを待っている('58) イングマール・ベルイマン <凛として、新しい人生を切り開く希望に繋がって>

 序  無機質のドアの向こうと、此方の空間を明確に仕切る世界の内側で



 産科院という、特殊でありながらも、人間の営為の最も根源的な問題を包括する、非日常の限定空間での、「産む」ことの尊厳性と本質に迫る、ベルイマン的な厳しいヒューマニズムの一篇。

 そんな非日常の限定空間であればこそ、そこに入院を余儀なくされた女性には、もう日常的な臭気への妥協や遠慮が希釈化されて、それぞれの固有の事情を抱えた自我が本来の裸形の様態を曝け出し、社会的制約を突き抜ける会話が随所に拾われたのである。

 無機質のドアの向こうと、此方の空間を明確に仕切る世界の内側に、非日常であるが故に裸形の感情を露わにするリアルな人生が記述されるのだ。

 その無機質のドアによって仕切られた産科院の一室に、3人の女がそれぞれの事情を抱えて、まさに「産む」ことの尊厳性と本質を抉(えぐ)る会話を繰り広げていた。



 1  嗚咽しながら吐き出す女、所狭しと踊って胎児に語りかける女



 その一人。

 妊娠三カ月の身で流産を余儀なくされた教授夫人、セシーリア。

 「最初から異常が・・・作ったのが間違いね。あの子は望まれない子だった。父親に望まれず、母親は子供を愛するだけの強さがない。だから産まれずに、下水に流されてしまった。私が弱かったせいよ。愛が足りなかったのよ。私には以前から分っていた。私は失格者なのよ。妻としても、母としても。今、それが良く分ったわ。妊娠を知った時も、心から喜べず、どこかでこう思っていたわ。“この子は産まれてこない”夫は私を愛していない・・・悲しみで人は死なないわ。また食べて、寝て、笑う。私を慰めようと、本や花を贈ってくれる。退院したら、また元通りの暮らしに戻って行くのよ。でも、ここは外とは違うわ。ここは子宮だけでなく、心の中までメスを入れられるのよ。私は死ぬまで、この一瞬を忘れないわ。子宮から手を伝わって、流れ去った命・・・」

 母体安全の故の流産の事実を知らされて、自分の中で封印されていた思いの丈を、産科院のナースであるブリタに、嗚咽しながら吐き出す女、セシーリア。

 時々、高熱に冒されるセシーリアを世話するスティーナの天真爛漫な明るさは、まもなく産まれてくる愛児誕生の歓喜の前のパフォーマンスと切れたものだった。

 このスティーナが、二人目の入院患者。

 件のスティーナもまた、難産を経験してきて、今度ばかりは待望の愛児との対面が叶う喜びに充ちていた。

 「お腹の中で食べて、眠っている子。やっとスリムな体に戻れるわ!お前のために可愛い服を用意してあるのよ。お前のパパも待っているのよ。ママは待ちくたびれたわ」

 胎児に語りかけ、限定空間の室内を燥ぐように、所狭しと踊っているのだ。

 陣痛促進のため、ひまし油を飲んたことで、そんな彼女の心に死産への不安が走るが、心優しきブリタに励まされ、すぐに元気回復。

 まもなく、スティーナの夫が見舞いにやって来た。

 「眠れなくて、戸棚に揃えてある小さなシャツやズボンを眺めた。その後は、ぐっすり眠れたよ」
 「あなたも、私に負けない親馬鹿ね」

 相思相愛の夫婦の、この会話の中に、愛児待望の強い思いが充分に凝縮されていた。



 2  故郷を捨てた家出娘の嗚咽、包み込む女の援護射撃



 ひまし油の影響か、スティーナに陣痛がが始まった。

 かつてなく身悶えするスティーナの喘ぎが、夜間の産科院の限定空間を切り裂いた。

 スティーナが陣痛で苦しんでいる間の、セシーリアとヨルディスの会話。

 幼い振舞いが目立つヨルディスとは、三人目の入院患者だが、他の二人と事情が異なっていた。

 厳しい母との同居に耐えられず、無責任な男と故郷を捨てた家出娘のヨルディスには、今や頼るべき男からも見放されていて、その男に孕まされた子の堕胎を願って入院して来たのだ。

 さすがに、分娩のシビアな現実に立ち会って、ヨルディスの表情から幼児性が消えていた。

 「タバコの味がしない。憎らしい子供のせいね」とヨルディス。
 「“憎らしい”なんて子供に罪はないわ」とセシーリア。
 「そうね。悪いのは私」

 嗚咽するヨルディス。

 「夜、眠れないで考えていると、自分に腹が立ってくる。何もかも悪い方へ向いて・・・それが私にのしかかってくる。もし状況が違っていたら、私だって、こんな風には・・・」
 「“状況が違っていたら”ってどういうこと?」
 「私を愛してくれている人がいて、結婚できたら・・・家があって、家庭を築けたら・・・私だって妊娠を喜ぶわ。でも、私なりに昔は子供好きだったのよ」
 「昔って?」
 「両親と一緒に暮らすのが窮屈になって、飛び出したの」
 「御両親に相談したら?」
 「ママは許してくれないわ。私が家を出るときも、こういうことを恐れていたわ。“子供なんか連れて戻るんじゃないよ!”」
 「母親は皆、そう言うわ。でも、娘は可愛いはずよ」
 「ウチは違うわ。ウチのママは強くて、厳しいの・・・」
 「赤ん坊の父親は?」

 この問いに、ヨルディスは、彼女なりに考えた思いを曝け出していく。

 「あんな男なんか・・・前にも一度、中絶させられたのよ。私は何も分かず、彼の言うなりになって堕ろしたの。でも、もう二度と御免よ!溺れ死ぬ方がマシだわ・・・今はお腹の中で塊になって、私の血を吸っているわ。でも、あなたの言った通り、子供に罪はない・・・子供が“産んでくれ”と頼んだ訳じゃない。私はこの子より幸せよ。ちゃんと父親がいたもん。この子は尋ねるわ。“なぜ、僕を産んだの?”と。やはり産まれない方がいいのよ」

 真剣に耳を傾けていたセシーリアは、ヨルディスの封印された思いを包み込んでいく。

 「お母さんとちゃんと話をするのよ。きっと分って下さるわ。お母さんだって、一度は若かったのよ」

 大人であるセシーリアの反応は、まもなく、ヨルディスへの援護射撃になっていったのである。


(人生論的映画評論/女はそれを待っている('58) イングマール・ベルイマン  <凛として、新しい人生を切り開く希望に繋がって>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/05/58.html