嘆きのテレーズ('52) マルセル・カルネ  <リアリズムによって貫流する、「人間ドラマ」の本質を拡散させたサスペンス性の陥穽>

 男と女の運命的な出会いが、そこにあった。

 男の名は、ローラン。女の名は、テレーズ。

 イタリア人であるトラックドライバーのローランが、殆ど間髪を容れず、人妻のテレーズ言い寄った。

 「君と会うのは2度目だ。男と女の出会いは、これで充分だ。俺の財産はトラック1台だ。町から町をさすらう人生。独りぼっちの人生だ。だが、あんたにはカミーユがいる。あれでも夫だ。俺と一緒にどこかヘ逃げよう。フランス、イタリア、どこでもいい。俺はカミーユの友達にはなれない。木曜には競馬ゲーム。日曜には一緒に外出。いつか破滅だ。テレーズ。心を決めろ。皆を不幸にするぞ。俺が考えた末に出した結論だ。今すぐ発とう。何も言わずに」

 カミーユとはテレーズの夫。

 テレーズは、従兄でもある、病弱のカミーユの世話係という奇妙なポジションに甘んじていて、長く不遇を託っていた。

 しかし女には、両親に早く死別してから面倒を見てもらっている叔母、即ち、夫の母親を安易に裏切ることなどできなかった。

 そんな状況下で、男と女の根源的な〈生〉を巡る会話が開かれた。

 「私を奪って、泥棒猫みたいに逃げるの?」
 「それしかない。今の生活をきっぱりと断ち切るんだ。怖いか?」
 「怖い?いえ。大した人ね。強くて、自由で、自分中心に生きているわ。気に入れば、すぐ奪うのね」
 「安全な生活がいいのか?何も起こらない退屈な人生がいいか?変だな。君なら、すぐ承知すると思った」
 「私は自分を抑えているのよ。あなたが欲しい。あなただけを思って生きているわ。寝ても醒めても。切ないほど恋しくて、息が詰まるの。そして眼が覚める。周りを見回すと、何も起こらない」
 「男を愛して、信じ切れば、駆け落ちは簡単だ」
 「簡単?両親が死んで叔母の世話になったのよ」
 「世話の見返りに、息子の嫁にされたんだろ」
 「従兄で、一緒に住んでいたの。妻になっても大して変わらないわ」
 「ひどい話だ」
 「私の看病で、彼は死なずに済んだのよ。私がいなければ・・・」
 「虚しい人生だ」

 男と女は、この会話の後、カミーユ家で行われる「木曜の競馬ゲーム」の日に、別の部屋に移動し、初めて唇を交した。

 この小さな睦みの後に待っていたのは、二人が忍んで、逢引を重ねる時間の描写。

 「そんな生活は止せ。死人のような人生だ」とローラン。
 「死人と同じね。今、気付いたわ。バカだった」とテレーズ。

 それでも、駆け落ちを決断できない女。

 「昔の恩は裏切れない」

 女の口癖だった。

 留守に密会をするが、それを嫌う男。

 正々堂々と、二人の関係を打ち明けたいのだ。

 帰宅した叔母に密会の現場が見つかりそうになるが、「幸運」にも窮地を脱した二人。

 「見つかれば良かった」と男。

 「事実を知れば、夫は逆上するわ」と女。

 二人の関係が深くなるほど、愛情なき夫婦の矛盾が極まっていくのだ。


(人生論的映画評論/嘆きのテレーズ('52) マルセル・カルネ  <リアリズムによって貫流する、「人間ドラマ」の本質を拡散させたサスペンス性の陥穽>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/05/52.html