コンフィデンス 信頼('79) イシュトヴァーン・サボー  <時間を特定的に切り取れる女、切り取れない男>

 第二次世界大戦末期の、ハンガリーのブタペスト。

 厳冬のその日、一人の女が空席だらけの映画館で、ニュース映画を観終わって、外に出た。ブルーの映像の画面に映し出されたその町には、人っ子一人いない。異様とも思える風景だ。そんな風景の中で、突然、一人の男が女に近づいて、彼女の腕を取った。

 抵抗する女に、男は手短に告げたのである。
 
 「家に帰ると危険ですよ。ご主人も逃げました・・・なぜか、ご存知でしょう」
 
 男は河辺のベンチに女を坐らせて、話を具体化させていく。
 
 「泊る所ありますか、遠くに?」
 「誰と?」
 「ご主人の仲間を誰か知りませんか?」
 「いいえ、誰も」
 「結構。聞かれたら、そう答えて下さい」
 「私を見張っていたの?」
 「当局に捕まると困りますからね」
 「なぜ?私は何も知らないわ」
 「ご主人のためです。どこに隠れますか?」
 「分らないわ。どこへ行っていいやら」
 「では、セント病院へ行きなさい。外科のドクター・ツァコの所へ」
 
 その後の描写は、指定された病院に女が行って、ドクター・ツァコと思しき男から、一方的に地下に潜ることの指示を受け、それを確認する場面だった。

 女は、ブタペストに住む平凡な主婦である。その名はカタリン。

 しかし彼女の夫が、ナチス統治下のハンガリーレジスタンス活動に身を投じているため、活動とは直接関係ない女の周囲にも危険が及んだのである。彼女もまた、地下生活を余儀なくされることになって、ドクターから偽装市民として生活することを求められたのだ。

 彼女が偽装する市民の名は、ビロ・ヤノシュ夫人で、シモー・カタリン。その名は本名と同じ。コロジヴァル生まれ、両親は死亡。そして、夫のヤノシュは38歳の化学者、娘の名はユディット。現在は親に預かってもらっているという設定だ。

 女はその偽装市民に成り済まして、未知なる場所の、未知なる男に会いに行くことを避けられない状況に置かれてしまったのである。合言葉は“子供は無事”。女は既に書いてもらった地図を持って、未知なる夫のもとに行くことになった。


 女はまもなく、「ヤノシュ夫人」となって、相手の男の家に住むことになったのである。

 「戦争に行った彼女の息子の部屋を借りている。息子の婚約者がよく覗きに来るが、ナチスだから気をつけて・・・」

 男は初対面の女に、自分が借りている部屋の事情や家主の老人夫婦などについて詳細に説明した。部屋の段取りや、屋敷内での態度についても説明するが、肝心のカタリンの本当の夫の事情については、全く答えようとしなかった。男もまた、レジスタンスの活動家であり、相当猜疑心が強くなっているのである。

 「勝手に外に出ないように」

 男はそう注意して、女の元を離れようとした。

 「でも、夫のことが心配だわ。急だったから。家にメモでもないか、見に行きたいわ。暗くなったら裏階段で診察室へ・・・夫は医者なの」

 不安に駆られた女は、夫のことだけが気懸かりでならないのだ。

 「ダメだよ。君は僕に預けられたんだ。指令に従っているだけだから、君もそうして欲しい」

 これが、偽装の夫となった男の反応だった。

 そして、今このときから、二人は偽装の夫婦として、この密閉した生活空間の中で共同生活を始めることになったのだ。

 「悪いが他人の手前、夫婦の真似をするよ」とヤノシュ。
 「私もそうするわ」とカタリン。ヤノシュ夫人である。

 女は偽装の妻として、男と共に最初の夜の晩餐に臨むことになった。

 偽装の夫婦は普通の夫婦のように振舞って、老夫婦が用意した粗末な食卓を囲んだのである。そこでの会話は、妻の娘の心配をする老夫婦へのカタリンの対応が中心になった。食事を終えて、部屋に戻った男は、女に早速注意する。

 「細かいことを言っちゃダメだよ」
 「どんなこと?」
 「娘が髪を長くしているなんて。僕が別のことを言っていたら、すぐに疑われる。不注意な一言が命取りになるぞ。間違えちゃいけない。彼らは味方じゃないんだよ。我々に部屋を貸しているだけだ。息子の嫁になる女はナチスなんだし、ボロを出したら、すぐ密告される。だから、余計な話をせぬこと。日記やメモなどを書かぬこと。いいね」
 
 男は女に必要なことだけ一方的に伝えて、ベッドに潜っていく。
 
 
 女はベッドの中でうなされるような一夜を過ごして、男に起こされた。男と迎えた初めての朝が訪れたのである。
 
 「良く寝たね。寝心地はどうだった?」
 「ごめんなさい・・・」
 「起きるの、待ってたんだ。腹減ったよ」
 「恥ずかしいわ」
 「疲れてたんだろう」
 「私がここにいること、夫は知っているの?」 
 「知らされると思う」

 それ以上の会話はなかった。

 しかしそんな会話からまもなく、男は女に対して厳しい忠告を重ねていく。老夫婦との女の対応が気になってならないのだ。

 男は女が持っていた家族の写真を燃やすことを命じ、女はそれに従うばかり。男に深夜に起こされて、偽装の夫婦であることを男に試される。そんな緊迫した日常に、女は思わず落涙した。

 「なぜ、夜中に起こしたの?」
 「いいか、僕らは暗い森にいるんだ。君が僕の後からついて来る。信用できない者だったら大変だろう。殺される前に、君を殺さなけりゃならない。分るね?」

 そこまで言われて、女はもう反応できなくなった。そこでは、女は一方的に管理される立場でしかなかったのである。

 たまに外に出ても、女は男から叱責された。女が、街路に立つナチの歩哨に視線を移したからだ。

 「早く来い!グズグズするな!」

 男は怒鳴って、女の腕を掴み、夫婦のように見せかけた歩行を演じてみせる。状況が生み出した男の警戒心は、心の呟きによって語られる。

 “あいつは何だろう?見覚えのある顔だ。俺たちを見ている。さっきから尾行してるんだ。振り返っちゃいけない。つけて来ないな、よし。誰かを待っていたんだろう。近頃、神経過敏だ。この調子だと、狂っちまうぞ”

 その後も、男の過剰な猜疑心によって、女は試されていく。

 ヤノシュの部屋を、レジスタンスの連絡員が訪れたときのこと。連絡員は女とさり気なく会話するが、その目的は女のテストにあった。

 「またテスト?二人とも満足した?面白かったでしょう。まだ疑ってるの?」

 それに対する男の反応は冷淡だった。

 「心は読めない。僕は人を疑わなければならない境遇だ。誰が裏切っても驚かなくなってるんだ」
 「それで幸せ?」

 女は、男の心にラインを合わせられないでいる。

 「心配だわ。子供のことも夫のことも・・・」

 夫婦喧嘩と間違えられ、老父の前で涙を見せた女は、男にそう呟いた。勿論、男からの反応はない。女は相手の反応を期待しないし、男も反応することに意味を見出していないからだ。

 二人は表に出て、レストランに入った。

 別々のテーブルで食事をするが、店内にいる見知らぬ人々からの視線に囚われるばかりで、心の落ち着く時間を持てないでいた。そんなとき、女は一人のユダヤ人の女性から保護を求められて、それを拒んだのである。それは、女の心のラインが、男のそれに近づいたことを示していた。

 二人の物理的共存の継続が、限定的な空間の中で日常化されるようになっていくにつれ、二人の心はいつしか重なっていった。不安感情の膨大な高まりに、二人はもう、その身を固く寄せ合っていくしか術がないようであった。

 
(人生論的映画評論/コンフィデンス 信頼('79) イシュトヴァーン・サボー  <時間を特定的に切り取れる女、切り取れない男>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/79.html