風の丘を越えて('93)  イム・グォンテク <寒風に身を晒す旅―「旅」「恨」、そして「忘れ物」>

 一人の芸人が、二人の義理の子供と旅をする。

 子供の一人は、芸人に養女として引き取られた孤児。もう一人は、自分が愛した女の連れ子。女は難産の末逝去し、そこに一人の男の子が残された。芸人は男の子を引き取って、養父となった。

 パンソリの名手である養父は二人の子に、西洋音楽の急速な広がりの中で、今や廃れつつある伝統芸能を厳しく教え込んでいく。その教えによって、姉はパンソリの唄い手となり、弟は鼓の奏者となった。

 彼らは朝鮮各地を旅をして、パンソリの芸で日銭を稼いで、日々の糧を繋いでいた。

 しかし彼らの芸に耳を傾ける者は少なく、三人の生活は困窮を極めるだけだった。パンソリの優れた芸を聴くために市場に人が集まったり、上流階級の豪族や両班(ヤンバン=高麗、李氏朝鮮時代の特権身分階級的な官僚組織)という名士がパンソリの芸人を自宅に呼んだりして、密かにそれを聴いたという面影は、今やそこにはない。

 それ故、彼らの生活の流れ方は、もうそれ以外に考えられない風景を作り出していた。その昔、被差別民が起こした芸能の放浪性の世界との親和力を保持して、芸の狂気の本道を生きる父親の圧倒的な把握の下で、乞食風情の三人の身体は、何か約束された軌道をなぞるようにして下降していったのである。

 それでも彼らは旅を捨てない。パンソリを捨てない。

 捨ててはならない壮絶な覚悟が、二人の子供を連れてさすらう男の自我に張りついているからだ。それは殆んど、パンソリという名の伝統芸が安楽死していくかのような歴史的瞬間に立会い、その無残なる時間の呻吟のうちに確信的に同化し、そのプロセスに殉教する者の狂気とも言っていい何かだった。

 その狂気に娘は同化しつあったが、しかし息子の反発は頂点に達しつつあった。そんな三人の緊張含みの関係が破裂しかかろうとしていた、そのほんの少し手前で、微妙な温度差を見せる異なった魂は、束の間、芸によって繋がれた関係のうちに奇跡的に融合したのである。

 季節を越え、山河を越える三人の芸能放浪は、陽光が燦燦(さんさん)と輝く田舎の丘で、遂に表現のエクスタシーに達したかのようだった。

 彼らの複雑な感情の縺(もつ)れはそこで見事に繋がって、陶酔し、至福の芸の境地に達したのか。それは、伝統芸能の底力を見せつける最も重要な場面と言って良かった。季節の陽光を存分に浴びた丘に広がる、広大な畑を曲線的に走る路傍で、父が歌い、娘が舞い、そして息子が奏でるのだ。


   人が生きるとて 何百年生きられようか
   しみったれた世の中ながら ほいほいと生きてみよう

   ムンギョンセ峠の なんたる険しいことよ
   くねくねと 曲がりくねっては涙を誘う

   唄とともに流れゆく放浪人生
   積もり積もりし この“恨”をいかに晴らさん

   天空は小さな星に満ちあふれ
   わが心は憂いに 満ちあふれたり

   アリアリラン スリスリラン アラリガナンネ
   アリラン ンンン アラリガナンネ

   去ってしまったか 情を交わした愛する人
   雁の群れとともに 永遠に去ってしまったか

   そこを飛びゆく雁に問わん
   われらの向かう道は いずこであろうか

   アリアリラン スリスリラン アラリガナンネ
   アリラン ンンン アラリガナンネ

   金のごとく玉のごとく 愛しきわが娘よ
   唄に精を出して 名人になるのだぞ
 
   かわいい弟の太鼓の調べに乗って
   遥か遠い唄の道を 歩んでまいります

   アリアリラン スリスリラン アラリガナンネ 
   アリラン ンンン アラリガナンネ

   戯れていかれよ 戯れていかれよ
   月が浮かんで沈むまで 戯れていかれよ

   アリアリラン スリスリラン アラリガナンネ
   アリラン ンンン アラリガナンネ

   寒いか暑いか 私の腕にお入りなさい
   枕は高いか低いか 私の胸を枕になさい

   アリアリラン スリスリラン アラリガナンネ
   アリラン ンンン アラリガナンネ

   西の山に沈む夕陽は 沈みたくして沈むのか
   私を残して去る君は 去りたくして去るのか

   アリアリラン スリスリラン アラリガナンネ
   アリラン ンンン アラリガナンネ

   果てしなき大海原に ぽっかり浮かんだ船
   えんやら やあ えんや こらと櫓を漕がん

   アリアリラン スリスリラン アラリガナンネ
   アリラン ンンン アラリガナンネ


 五分間にも及ぶ長回しのカメラが、「珍島(ちんど)アリラン」(注2)を演じる親子の至福の世界を、まるでそれが、映画のラストシーンのように鮮やかに映し出す。

 それは、この描写に勝負を賭けた作り手の気迫が伝わってくる、決して忘れ得ぬ、映画史に残る名場面だった。


(注2)韓国の代表的民謡であるアリランは、土地によって歌詞や唱法が分かれていて、この「珍島アリラン」は全羅道アリランとして有名である。


(人生論的映画評論/風の丘を越えて('93)  イム・グォンテク <寒風に身を晒す旅―「旅」「恨」、そして「忘れ物」>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/93.html