覚悟の一撃 2 ―― 人生論・状況論

f:id:zilx2g:20191119111403j:plain

価値は表層にあり ―― 表層を嗅ぎ分けるアンテナだけが益々シャープになって、ステージに溢れた熱気が、文明の不滅なる神話にほんの束の間、遊ばれている。表層に滲み出てくることなく、滲み出させる能力の欠けたるものは、そこにどれほどのスキルの結晶がみられても、今、それは何ものにもなり得ない。奥深く沈潜し、価値が価値であるところの深みを彷徨する時間を愉しむには、私たちは多忙過ぎる。動き過ぎる。移ろい過ぎる。ガードが弱過ぎる。沈黙の価値を知らな過ぎるのだ。

沈黙を失い、省察を失い、恥じらい含みの偽善を失い、内側を固めていくような継続的な感情も見えにくくなってきた。多くのものが白日の下に晒されるから、取るに足らない引き込み線までもが値踏みされ、僅かに放たれた差異に面白いように反応してしまう。終わりが見えない泡立ちの中では、その僅かな差異が、何かいつも決定的な落差を示しているようにみえる。陰翳の喪失と、微小な差異への拘り ―― この二つは無縁ではない。陰翳の喪失による、フラットでストレートな時代の造形が、薄明で出し入れしていた情念の多くを突き崩し、深々と解毒処理を施して、そこに誰の眼にも見えやすい読解ラインを無秩序に広げていくことで、安易な流れが形成されていく。そこに集合する感情には、個としての時間を開いていくことの辛さが含まれている分だけ差異に敏感になっていて、放たれた差異を埋めようとする意志が、ラインに乗って踠くようにして流れを捕捉しにかかる。流れの中の差異が取るに足らないものでも、拘泥の強さが、そこで「差異感性」をいつまでも安堵させないのである。

人々を、視覚の氾濫が囲繞する。シャワーのようなその情報の洪水に、無秩序で繋がりをもてないサウンドが雪崩れ込んできて、空気をいつも飽きさせなくしている。異種の空気で生命を繋ぐには立ち上げ切れないし、馴染んだ空気のその無秩序な変容に自我を流して、時代が運んでくれる向うに移ろっていくだけだ。一切を照らし出す時代の灯火の安寧に馴れ過ぎて、闇を壊したそのパワーの際限のなさに、人々は無自覚になり過ぎているのかも知れない。視覚の氾濫に終わりが見えないのだ。薄明を梳かして闇を剥いでいく時代の推進力は、いよいよ圧倒的である。

照らして、晒して、拡げて、転がして、塞いで、削ろうとする。その照り返しの継続的な強さが、却って闇を待望させずにはおかないだろう。都市の其処彼処で闇がゲリラ的に蝟集し、時代に削られた脆弱な自我が突進力だけを身にまとって、空気を裂き、陽光に散る。陽光が強いから翳そうとし、裂け目を開いて窪地を作り、そこに潜ろうとする。陽光の下では、益々、熱射が放たれて、宴が続き、眼光だけが駆け抜ける。そこでは、刺激的なる一撃は、次の一撃までの繋ぎの役割しか持たず、この連鎖の速度が少しずつ増強されて、視覚の氾濫は微妙な差異の彩りの氾濫ともなって、いつまでも終わりの見えないゲームを捨てられないようである。動くことを止められないからだ。

捨てられず、後退できず、終えられないゲームに突き動かされて、落ち着きのない人々は愉楽を上手に消費できず、愉楽の隙間から別のアイテムに誘われて、過剰なショッピングを重ねていく。今、自分が手にしているもの以上の価値ある何かが、どこかにある。それを手に入れなければ済まない生理が、そこにある。バスを降ろされたくない不安の澱みが、単にそれを埋めるためだけの補填に走るのだ。

快楽は常に、より高いレベルの快楽によって相対化されるから、どうしても、このゲームはエンドレスになり、欲望のチェーン化は自我を却ってストレスフルにしてしまう。未踏の、豊饒な満足感に充ちた快楽との出会いは、それを知らなかったら、それなりに相対的安定の秩序を保持したであろう日常性に、不必要な裂け目を作るばかりか、それがまるで、魅力の乏しいフラットな時間に過ぎないことを、わざわざ自我に認知させ、自らの手で日常性を食い千切っていく秩序破壊の律動は、しばしば激甚であり、革命的ですらあるだろう。

幸福を手に入れるにも覚悟がいる。幸福が壊れたとき、幸福の大きさが不幸の大きさを決める。不幸の大きさに耐え難かったら、勢いにまかせて幸福のサイズを徒に広げないことだ。自我が処理し得る幸福のサイズというものがある。同時に、不幸のサイズというものもある。等身大の幸福を、継続的に確保できる者が最も強い。不幸の突発的なヒットによって崩されかかった物語の修復が、最も速やかに推移する確率が高いからである。どうしても壊されたくない幸福に拘泥する者は、その幸福に絡みつくリスクを、確実に処理し得るサイズの幸福をこそ選ぶはずだからである。幸福の選択に博打はいらないのだ。

過剰に演技する者がナルシズムを手放さないでいられる為には、更に過剰な演技を強迫する以外にない。演技する程に過剰なナルシズムだけが罰を受ける。自らを強迫して止まないナルシストは、常に起爆管を抱えた特攻戦士のようである。実際の敵は洋上になく、沸々と泡立って鎮まることがない内側にこそ潜んでいる。病者と天使を同時に装うナルシズムの異様な尖りは、声高なる進軍の果てに、死体を累々と積み上げていく。英雄への免疫が顕著に低下した時代の中でこそ、異様な尖りが月光に輝いてしまうのだ。ちまちまと、殆ど目立つことのないナルシズムだけが圧倒的に健全なのである。他人にからかわれて、忽ちの内に忘れられてしまうようなナルシズムの滋養をこそ大切にしたい。

人は皆、愛し合わなければならないという説教ほど胡散臭く、虫酸が走るものもない。現実にはありえないことだからだ。現実にありえないことを理念化してしまうから、そこに無理が生じる。無理な理想を追求するのは自由だが、それを倫理や宗教のフィールドで、いかにも起こり得る現象のような空気を過剰に作ってしまうと、しばしば、現実が理念に引き摺られて、そこに極端な物語が胚胎することがあるから厄介なのだ。「愛の不毛の現代状況」とか、「都市の砂漠」とか、「暗黒の近代」、「社会の荒廃と、その閉塞状況」等々という、一点拡大の不確かな時代像によって、平気で十字軍に与することができてしまう短絡性こそ、多くの「愛の戦士」の喰えない厚顔さである。

人が憎しみ合うことが、なぜ悪いのか。単に同盟を結ばないことによって貫徹し得る憎悪こそ、人間の高度な知恵の結晶ではないか。「憎いけど殴らない」という学習もまた、そんなスキルの一つである。「憎悪の美学」の立ち上げもまた、充分に可能なのだ。

比べることは、比べられることである。比べられることによって、人は目的的に動き、より高いレベルを目指していく。これらは人の生活領域のいずれかで、大なり小なり見られるものである。比べ、比べられることなくして、人の進化は具現しなかった。共同体という心地よい観念は、比べ、比べられという観念が相対的に停滞していた時代の産物である。皆が均しく貧しかった人類史の心地よい閉塞が破られたとき、自分だけが幸福になるチャンスを与えられた者たちの大きなうねりが、後に続く者への強力なモチーフにリレーされ、産業社会の爆発的な創造を現出した。誰が悪いのでもない。眼の前に手に入りそうな快楽が近接してきたとき、人はもう動かずにはいられなくなる。昨日までの快楽と比べ、隣の者の快楽と比べ、先行者との快楽と比べ、人は近代の輝きの中で、じっとしていられなくなった。比べられるものの質量が大きくなればなる程、人はへとへとになっていく。それでも止められないのだ。戻れないのだ。恐らく、それが人間だからである。その行き着く果てに何が待っているか、「インパクト・バイアス」の感情予測に攪乱されることなく、しばしば、人は不必要なまでに甘めの予測を立てるが、決して真剣には考えない。それもまた人間だからだ。

「察知されないエゴイズム」 ―― これがあるために、一生、食いっぱぐれないかも知れない。人に上手に取り入る能力が、モラルを傷つけない詐欺師を演じ切れてしまうからだ。
「察知されない鈍感さ」 ―― これがあるために、不適切な仕草で最後まで走り抜けてしまうのかも知れない。そこに関わる自尊心も、過剰に保証されてしまうからだ。
「晒された、寡黙なる陰鬱さ」 ―― これがあるために、当人の周囲には不必要な保護の空洞が作られてしまうのかも知れない。自らの内側を、ゆっくりと、深々と掘り下げていく営為が価値である時代が崩れて久しいからだ。

初めからそれがなく、今もなく、未来もそれがないと予想されるなら、人は各々の小宇宙で等身大の幸福を享受するだろう。初めにそれがなかったのに、今はそれがあり、未来もあり続けるなら、人はやがて、それなしではいられなくなるだろう。初めからそれがあり、今も未来もそれが当然あり続けるなら、人はそれとの共存を疑うことをしないだろう。二十世紀の後半、先進国と言われる国々が到達したこの人類史の革命を、人々は未だ学習し切っていない。「初めからそれがあった者たち」と、「人生の途中からそれがあった者たち」との価値観の落差の大きさを、経験的に確かめることはとても難しいのだ。

作り出され、動き、取りにかかる。取ったら、それを食べ尽くし、捨てていく。捨てていく頃には、作り出されるものが生まれていて、また動いた後、それを取りにかかる。作り出されるものは「欲望」で、動かすものが「身体」、若しくは「知的営為」で、取りにかかるものを「生活」と呼ぶ。食べるという消費を経て、最後には廃棄が待っているのだ。私たちが所属する社会では、これらが螺旋的に循環するから、その基本的な流れは、肥大化することによってしか正常な枠組みを決して作れない。この枠組みの中枢に私たちの普通の意識が息づいていて、ここからのドロップアウトは社会それ自身からの脱落になる。そのとき、その意識は、循環型の自給経済に向かわない限り、枠組みからの様々な排除を覚悟する他にはない。労働に向かう身体は枠組みを守る意識に引っ張られて、そこに社会的関係が構築され、各々に上手に繋がっていく。「欲望の資本主義」という王道の底知れぬ求心力は、人類史上の到達が示した最も具体的な表現様態であった。

私たちは、何もしないことが、とてつもなく不利益になると実感させるような社会を、とうとう開いてしまった。想像したことが達成されないと我慢し難いと実感させるような時代を、とうとう開いてしまった。私たちの近代の性急な速度に、誰も首輪を架けられないでいる。

自分が何者でもないことに耐え難い時代の幕が、とうに開いてしまっている。自分以外の何者でもないことを引き受けることと、自分以上の何者かであることを幻想することの間に、埋めようがないほどの深い溝が広がってしまっていて、人はもう、何者でもなさすぎる自分を蹴飛ばし続けるしか空気を食べられなくなってしまったか。それでも、空気を食べて生きていくには、日々に自分を喰い繋いでいくしかないのだろうか。自分は何者でもないが、何者でもない自分についての意識の主体ではある。この主体が今、ここに在り、それ以外にはありえない秩序に向かって常に動いている。この快感を、なお手放さない人だけが小天地を実感し、ゲームを愉しめる。

最も倫理的な釈迦ですら、妻子を捨てたし、「アヒンサー」を貫いたガンジーですら、不良少年を殴ったし、清貧に生きた良寛ですら、村人の援助なしには生きられなかった。博愛主義のシュバイツアーは黒人差別の言辞を遺し、強靭な信仰に生きたイエスですら、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と叫んで、殉教への迷いを訴えた。かくも、倫理的な生き方を貫徹した「偉人」ですら、倫理的に生きることの難しさを示している。然るに、この不徹底さこそ、人間の救いである。敵を灰にするまで解体する人間の徹底した合理主義は、それを隠蔽し切れぬ脆さの前で朽ち果てた。脆さの自覚の中でこそ、信念や信仰が立ち寄るのだ。脆さの自覚が、束の間の輝きを放つのである。

一体、この国に強固なモラルで生きた時代があったか。規範の厳しさの多くは垂直下降の産物以外ではなかったし、私権の氾濫が現出するまでは、「世間」という名の「視線の心理学」が空気を決めていた。今はマスメディアがモラルや意見をリードし、衰弱化しつつある「世間」という空気を補強するのだ。共同体の解体が気配りのイデオロギーを崩してしまえば、あとはもう、何でもありの文化アナキズムが、当然の如く生まれるだろう。確信的に共同体を壊してきた私たちの中に、未だ覚悟の足りないヒューマニストもどきが、数多、呼吸を繋いでいる。

ルールの設定は、敗者を救うためにあると同時に、勝者をも救うのだ。戦いの場でのテン・カウントは勝敗の決着をつけると共に、スポーツの夜明けを告げる鐘でもあった。これは、プロ野球経営評論家・坂井保之の名言である。死体と出会うまで闘いつづける愚を回避できたことが、どれだけ多くの勝者を救ってきたことか。スポーツの誕生は、光の近代を娯楽の中で検証して見せたともいえる。それにも拘らず、遺伝子治療によって筋肉を増強するという、近年の「遺伝子ドーピング」の問題に象徴されるように、未知の領域が次々に開かれていく現代科学の状況に対して、何とか追いつき、並走するだけのスポーツルールの、この寒々しさ。ルールに関わるあらゆる営為に対応するに相応しい、新たなルールを設けていくことが、結局、自らを救済することになる真理を学習し切るのに、私たちはもう少し無残な血を流さねばならないよのか。加えて、「ヘイゼルの悲劇」の例を出すまでもなく、スポーツを観る側にも最低限のルールの確立が切に求められる常識が、なお未形成なのだ。私たちが、人間学的に存在し得ない「最高のルール」なるものと出会うまで、数多の最低のルールを通過する辛さから、とうてい解放されない現実が、そこにある。

選択肢が多い社会。それが自由社会の強みである。同時に弱みでもある。情報の過剰な氾濫を防ぎ切れないからだ。当然、その中には、不快な情報をも不必要なまでに含まれている。移動も多いから出会いも多い。不快な出会いの機会も増していくだろう。家族共同体の温もりの中で安定していた自己像が、流動激しい社会の中で大きく揺れ動く。評価も定まらず、リアリズムの洗礼を受けて、一気に不快情報が自我にプールされるのだ。自由と豊かさの代償は、ミスマッチな不快情報との遭遇機会の増大化であると言っていい。だからこそ、情報処理の合理的なスキルが求められるのだ。不快情報を上手に中和する自我の処理能力レベルこそが、人々の幸福の質を決めるのである。近代を快走する決め手は、「不快の中和化」の高度な技巧の達成にある。

 

心の風景「心の風景: 覚悟の一撃 2 ―― 人生論・状況論」より

山河ノスタルジア('15)   ジャ・ジャンクー

f:id:zilx2g:20191112112038j:plain

<どうしても、そこだけは変わらない、「私の時間」が累加した「情感濃度」を、観る者に深く鏤刻する>

1  「幼馴染」を失い、痛惜の念に震えていた


1999年、中華圏で最も重要な祝祭日で、旧暦の旧正月に行われる中国春節

雲崗石窟」(うんこうせっくつ)で有名な山西省(大同市)に位置する汾陽(フェンヤン)の街。

色彩豊かで、煌(きら)びやかなスポットで踊る、若者たちの青春が弾(はじ)けていた。

小学校教師のタオは、そんなお祭りムードの時間に溶け込み、二人の幼馴染(おさななじみ)と団欒(だんらん)していた。

炭鉱労働者リャンズーと、実業家ジンシェンである。

「俺には怖いものがない」

ジンシェンの自信過剰の言葉は、タオにのみ放たれる。

そのタオに、真っ赤な新車を見せびらかせ、「香港に行きたい」というリャンズーに対し、「俺はアメリカに連れて行く」と豪語した。

春節の花火が天に向かって打ち上がっていく風景の中、新車を走らせて、3人のドライブが時を駆けていく。

自ら慣れない運転をして、燥(はしゃ)ぐタオだが、この関係の居心地の悪さだけが、観る者に印象づけられる。

三角関係の居心地の悪さに、ジンシェンは、もう、耐えられなかった。

実業家という「ステータス」を全面に押し出し、リャンズーに冷たく言い放つジンシェン。

「俺はタオが好きだ。諦めてくれ。もう、俺たちの友情は終わった。俺の炭鉱から出ていけ」
「心配するな。お前に頼るなら、死んだ方がマシだ」

誇りを傷つけられ、そう言い切って、炭鉱を去るリャンズー。

そのリャンズーは、今、電気店を営む実家にタオが立ち寄って、寛(くつろ)いでいた。

傲慢なジンシェンが感情を害し、怒りを噴き上げたのは、あってはならない、この風景を見せつけられたからである。

リャンズーにも、タオへの想いが諦念(ていねん)できない。

既に、ジンシェンとの結婚を決めていたタオに、リャンズーが問う。

「心を決めたのか」とリャンズー。
「私たちは友だちよ。分って」とタオ。

自らの感情を抑制できずに、嫌味を放つジンシェンを殴ってしまうリャンズー。

ジンシェンに対する積もる怒りが、憤怒として噴き上がってしまったのだ。

窮屈(きゅうくつ)な三角関係に縛られ、心労が絶えないタオには、将来性のないリャンズーとの結婚は考えられなかった。

深く傷ついたリャンズーは、そのまま街を去っていく。

あろうことか、タオは自分の結婚式に招待するために、そのリャンズーを訪ねていくのだ。

どこまでも、タオにとって、リャンズーは「幼馴染」であって、配偶者となり得る対象人格ではなかった。

それでも、リャンズーの想いを理解できているが故に、タオは懊悩(おうのう)を深めてしまうのである。

リャンズーに結婚の招待状を渡すという行為の目的は、無論、リャンズーを苦しめることではない。

自分を諦めて欲しいというメッセージでもない。

ただ、夫になるジンシェンを殴って、街を去ったリャンズーとの関係をフリーズさせたくなかったのだ。

結婚に至らなくとも、「友情」を壊したくない。

その思いが、タオを動かした。

要するに、タオは子供だったのである。

だから、この一件で、リャンズーは自宅の鍵を捨てて、完全にタオと決別する。

タオの表情に、一人の大切な「幼馴染」を失ったという悲しみの涙が滲(にじ)んでいた。

痛惜(つうせき)の念に震えているのだ。

まもなく、ジンシェンと結ばれたタオに子供が生まれた。

名前はチャン・ダオラー。

「米ドル」に因んで、名付けた赤子の名である。

「パパが米ドルを稼いでやるぞ」

相も変らぬジンシェンの「Go West」の野心が、画面一杯に踊っていた。

 

 以下、人生論的映画評論・続「 山河ノスタルジア('15)   ジャ・ジャンクー」より

幼子われらに生まれ('17)   三島有紀子

f:id:zilx2g:20191105105613j:plain

<一切を吹っ切った男が、「血縁」という「絶対基準」の境域破壊を具現化する>


1  、「ステップファミリー」の難しさを描く物語が開かれる


完璧な映画の、完璧な主題提起力・構成力・構築力。

近年、私が観た邦画の中で、ベスト1の映画。

交叉することがない、思春期の初発点にいる2人の少女が抱える、艱難(かんなん)なテーマに関わるプロットのリアリティがダイレクトに伝わってきて、強烈に胸に響き、嗚咽を抑えられなかった。

それにしても、演技を超えた表現力を発露した浅野忠信の凄み。

圧倒された。

比肩すべき何者もいない、正真正銘の映画俳優である。

―― 以下、物語のアウトライン。

「沙織。沙織に妹か弟かできたら、どうする?」
「ないって、お母さん、子供あたし一人で充分って、いつも言ってるし」
「もしもだよ。もしもお父さんとお母さんが、もう一人欲しいって言い出したら…」
「お母さん、40だよ」
「まだ産めるよ。産めって言ったら反対する?」
「反対なんかしないよ。いいんじゃない」
「でもだよ、お母さんには、その…沙織も赤ちゃんも自分の子供だけど、お父さんからすれば、何ていうか、その、沙織がさ、あの…」
「私が、余りになっちゃうんだ…」
「そうかも知れないよ」
「でも、お父さんは私を余りなんかに絶対しない!」

遊園地の観覧車の中での父と娘との深刻な会話から、「ステップファミリー」(子連れ再婚家族)の難しさを描く物語が開かれる。

父の名は、田中信(まこと・以下、信)。

大手企業に勤めるサラリーマンである。

小学6年生の沙織(さおり)は、今、父の前妻・友佳と共に暮らしていた。

だから、父と子は、このような形でしか会えないのだ。

ここで、父が言う「もう一人」とは、再婚した奈苗(ななえ)との間に産まれる子供を意味するが、沙織は、「妹か弟」が40歳になる友佳との間の子供であり、その子を大事にすると考えていたので、「余り」という言葉に結ばれたのである。

一方、奈苗には、前夫・沢田との間に儲けた二人の娘、12歳の薫、幼稚園児の恵理子がいる。
義父の信を実父であると信じ、疑いを持つことなく懐(なつ)いている恵理子と異なり、児童期後期で、思春期の初発点にいる長女・薫は、実母と継父(母の夫で血の繋がりのない父=義父)との間に産まれる新生児に対し、「妹か弟」という観念を持ち得ず、露骨に反発し、実母と義父の両親に対し、反抗的な態度に振れるばかりだった。

信との子を産むと決めている奈苗と、その新生児の誕生に複雑な思いを捨てられない信。

信にとって、冒頭の会話の相手である、沙織との定期的面会に快く思っていない奈苗への配慮もあり、3か月毎の面会後の帰宅の際には、必ずケーキを買っていく。

それが、「情緒の共同体」としての「家族」に対する信の、精一杯の愛情の、それ以外にない物理的変換の行為だった。

しかし、悪循環が止まらない。

「家族第一」の生活を送ってきたことで、かつては「出世候補」の筆頭でありながら、会社との付き合いを断り続けてきた係長の信が、新木場への「片道切符」の出向を迫られることになる。

その仕事とは、倉庫のピッキング(検品、仕分け、梱包)という単純な仕事。

馴れない仕事で、ピッキングの成績も上がらなかった。

そんな憂(う)さを、「一人カラオケ」で発散する信。

「この先どうなるか分らないよ。それでも(子供が)欲しい?」
「欲しい、あなたの子供」

楽天的な妻と、工場出向での苦労を語る信との、夜の夫婦の会話だった。

言ってみれば、信の出向は、我が国に根強い一種の「パタハラ」(パタニティ・ハラスメント=男性の育児参加への企業サイドからのペナルティ)と言えるかも知れない。

―― 以上が、7人(注)の主要登場人物によって成る梗概(こうがい)だが、ここから、批評含みで言及していく。

(注)以下、Wikipediaより。
田中信:浅野忠信
田中奈苗:田中麗奈
田中薫(奈苗の連れ子):南沙良
沙織(信と友佳の実娘):鎌田らい樹
田中恵理子(奈苗の連れ子):新井美羽
沢田(奈苗の元夫、薫・恵理子の実父):宮藤官九郎
友佳(信の元妻、沙織の実母):寺島しのぶ
他に、末期癌患者の教授・江崎(友佳の再婚相手)

人生論的映画評論・続「

人生論的映画評論・続: 幼子われらに生まれ('17)   三島有紀子」('17)より 

スリー・ビルボード('17)   マーティン・マクドナー

f:id:zilx2g:20191029110204j:plain

<「グリーフワーク」という「全身・心の仕事」を軟着させていく>

1  攻撃的言辞を止められない女と、破壊的暴力に振れる男 ―― 〈状況〉が人間を動かし、支配する


ミズーリ州エビング。架空の田舎町である。

7カ月前に、10代の少女がレイプ後に、焼殺されるという凄惨な事件が発生した。

その名はアンジェラ・ヘイズ。

そのアンジェラの母・ミルドレッドが、広告代理店の経営者・レッドに依頼する。

「なぜ?ウィロビー署長」・「犯人逮捕はまだ?」・「レイプされて死亡」

人通りの少ない道路沿いの、3枚の巨大な看板広告に、これらの文言のみが大きく掲示されていた。

そこは、アンジェラが殺された道路だった。

この看板を見て、いきり立ったのはディクソン巡査。

レッドの店にやって来て、「看板を外せ!」と怒鳴り、殴りかかろうとしてウィロビー署長に止められる。

一方、ミルドレッドは地元テレビ局にも取り上げられ、「この広告が刺激になればと…警察のやることは分りません」などと、インタビューに答えるのだ。

そのテレビを観て、「ウィロビー署長に責任がある」と名指しで批判されたウィロビーは、「どうやら戦争になりそうだ」と、妻のアンに一言放つ。

「戦争」と言い放ったウィロビー署長は、ミルドレッドを訪問する。

「最大限の努力はしています。でも、DNAが前歴者と一致しなかった。全国どこにも該当者がいない」
「8歳以上の男の住民の血液を採取できない?」
全く噛み合わない二人の会話。

明らかに、ミルドレッドが「被害者利得」としての無茶な権利を主張するだけ。

膵臓がん」を告白するウィロビーに対し、「死んだあとじゃ意味ないでしょ」と言い放つミルドレッドの攻撃的な性格が露呈される。

「ホワイトバックラッシュ」(アファーマティブ・アクション=積極的是正措置に対する白人の反動)の激しい片田舎で、「小男」という「差別語」を平気で吐露するミルドレッドもまた、インディアン部族を含む人種・言語が混在するアメリカ中西部の内陸州の一角で、偏見に満ちた会話を捨てていく。

思えば、黒人青年が白人警察官によって射殺された事件(「マイケル・ブラウン射殺事件」)で暴動を惹起した、架空の田舎町を内包するミズーリ州は、事件の当事者の白人が不起訴になったことで衝撃を与えたように、黒人差別など人種差別に終わりが見えないアメリカの負の歴史を凝縮した殺気が漲(みなぎ)るエリアでもある。

閑話休題

母の一件で学校で苛(いじ)めに遭い、母親の行動に反発するミルドレッドの息子・ロビーに依頼され、神父も説得に乗り出すが、本人に全く聞く耳なく、悪意含みの言辞を放ち、拒絶するミルドレッド。

あまりに異様なミルドレッドの行為に、当然、拒否反応を示す田舎町の住人たち。

ミルドレッドの診療に際し、反感を抱(いだ)き、故意にミスした歯科医に対して、件(くだん)の歯科医の親指にドリルで穴を開けるという傷害事件を起こす始末。

アンジェラの事件を見直そうとするウィロビー署長が吐血し、救急車で運ばれていったのは、そんな折だった。

退院後、死期が近いと悟ったウィロビーは、妻と2人の娘を随伴させ、1日を充分に愉悦し、自死するに至る。

この一件によって、ミルドレッドに対する住民たちの風当たりが一層、強くなっていく。

中でも、ウィロビーに心酔していたディクソンの憤怒が収まらず、その情動が、ミルドレッドに広告板を設置させたレッドへの破壊的暴力に振れていく。

その現場を目撃した親署長の怒りを買い、即刻、解雇される憂(う)き目に遭うディクソン。
自業自得だった。

スリー・ビルボード」が激しい火炎の屑(くず)と化して、焼却してしまったのは、このくすんだ風景の只中だった。

事態の悪化は止まらない。

スリー・ビルボード」の放火がエビング警察の犯行と確信したミルドレッドが、警察署に放火したのは、彼女の行動傾向の必然的現象だったと言える。

無人のはずの署内に、ディクソンがいたのだ。

その結果、ハリウッド好みのアクションムービーが開かれる。

ディクソンは大火傷を負い、「小男」と馬鹿にされていたジェームズがディクソンを救助すると同時に、放火犯として誰からも疑われるミルドレッドも救済する。

ミルドレッドに好意も持つジェームズの機転で、一緒にいたと偽証し、ミルドレッドの逮捕は免れるのだ。

死せしウィロビーから、ミルドレッドのもとに手紙が届く。

そこには、「スリー・ビルボード」を維持するための広告板の費用を、自分が捻出(ねんしゅつ)したという文言があった。

【この辺りに、ウィロビーが町の住民たちから尊敬されている背景が顕在化するが、同時に、街中の誰もが知っているほどに、自分が膵臓癌の末期症状であることを告白する行為を含めて、
「尊敬される警察署長」を演じ続けてきた男の偽善性をも見透かされるだろう。「誰にも感情移入させない映画」の仕掛けでもあると思われる】

日ならず、「スリー・ビルボード」を燃やした犯人が分った。

元夫で、元警官、そして今、19歳の恋人と共存するチャーリーが、酔った勢いで燃やしてしまったと告白したのだ。

ショックを受けたミルドレッドは、「形だけのデート」でジェームズを傷つけた後ろめたさがあり、チャーリーを咎(とが)めることなくワインを贈り、その場を去っていく。

「怒りは怒りを来(きた)す」

チャーリーの19歳の恋人が吐露した引用セリフだが、本篇のメッセージであることを強く印象づける。

その後の展開は、「刑事になるのに必要なのは、“愛”だ」という、ディクソンに送ったウィロビーのダイイングメッセージの問題提起と重なるように、しかし、その難しさを内包しつつ、物語の稜線を広げていく。

アンジェラ事件の犯人が判明したのだ。

唐突だった。

少なくとも、ディクソンは、そう信じた。

その犯人に喧嘩を売ってまで採取したDNAの鑑定結果は、「正真正銘の無罪」。

物語は、ここから意想外の展開を開いていく。

〈状況〉が人間を動かし、支配する。

この映画の根柢にある思想である。

攻撃的言辞を止められない女と、破壊的暴力に振れる男。

言うまでもなく、ミルドレッドとディクソンのこと。

最後まで、物語を引っ張り続けた二人の交叉が、一気にラストシークエンスに流れていく。

その辺りについては、本作の肝なので、批評文として後述する。

以下、人生論的映画評論・続「人生論的映画評論・続: スリー・ビルボード('17)   マーティン・マクドナー」('17)より

「自然災害多発国・日本」 ―― 「降伏と祈念」という、日本人の自然観の本質が揺らぎ始めている

f:id:zilx2g:20191021131934j:plain

1  「恨み」を超え、無常観に大きく振れて、諦念する


日本が「自然災害の多い国」という認識を持っていない人は、決して少なくないだろう。

台風・大雨・大雪・洪水・土砂災害・地震津波・火山噴火などに及ぶ自然災害を、繰り返し被弾し続け、時には恨み、怒りを噴き上げるが、多くの場合、「どうしようもない」、「手に負えない」と嘆息(たんそく)し、諦念(ていねん)する。

自然の猛威に太刀打ちできず、無力感にため息をつき、存分に悲しんだ後、諦念してしまう。
諦めなければ、日常生活を繋げないのだ。

だから、忘れる。

上手に忘れる。

「辛いのは、自分だけでない」

そう、言い聞かせて忘れるのだ。

その代わり、年中行事として残す。

全国の神社で執り行われる日本の年中行事の多くが、厄除けの神事(節分祭)を含め、「豊作祈願」(注)と、「宮中祭祀」の「新嘗祭」(にいなめさい)に象徴される「収穫を感謝する祭り」に収斂されるということ ―― これが、何より至要(しよう)たる事実である。

従って、国家と国民の安寧・繁栄を天皇が祈願する「宮中祭祀」もまた、この文脈で理解することが可能である。

日本人が年中行事として残すと行為それ自身が、自然に対する畏敬(いけい)の念の表現であり、罷(まか)り間違っても、欧米のように、「人間が自然を支配する」という発想など、起こりようがない。

このことは、「環境倫理学」の論争テーマになっている、自然環境を保護・管理するという人間中心の「保全主義」よりも、自然環境をそのままの状態で保持するという、自然中心の「保存主義」が、なお、我が国で影響力を有するのは、以上の言及で判然とするだろう。

自然に対する畏敬の念を保持しつつ、年中行事を繋いでいっても、私たちは、「津波が来たら、各自てんでんばらばらに高台へと逃げろ」という「津波てんでんこ」のように、三陸地方で昔から言い伝えられていた自然災害の教訓を、得てして忘れてしまうのである。

「天災は忘れた頃にやってくる」

だから、この名言が、私たちの国に存在する。

この名言は、漱石門下の物理学者・寺田寅彦の言葉とされることが多いが、その真相は不明。

「こういう災害を防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津浪の週期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい。そうすれば災害はもはや災害でなく五風十雨の亜類となってしまうであろう。しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう」(寺田寅彦 「津浪と人間」所収 Wikipedia

とても直截(ちょくさい)なディスクールだが、そこまでしなければ忘却を防げないほどに、私たちの被災記憶は風化していくのか。

―― ここで、否が応でも想起せざるを得ないのは、台風19号(2019・10)による堤防決壊によって、濁流が凄まじい勢いで住宅を襲った、千曲川氾濫の際の住民の避難行動の遅れである。

「大雨特別警報はもっと早く出さなければ意味がない」(冷泉彰彦)という批判もあるが、気象庁が大雨特別警報を発令し、最高レベルの5段階の「警戒レベル」を設定したにも拘らず、逃げ遅れた住民の多くが、「2階に逃げれば大丈夫」などと気楽に考えていたこと。

これは大きかった。

だから、対応が後手後手(ごてごて)に回ってしまった。

事態の異様さを目の当たりにして、「冷静に考えれば早く避難すべきだった」と口を揃えるが、避難しなかった人が続出し、多くの犠牲者を出してしまったのである。

少なくないストレスを感受していながらも、緊急事態に適正に対処できず、「ストレスコービング」(上手にストレスに対処する方法)に頓挫(とんざ)したと言える。

「自分だけは大丈夫」と考える、「正常性バイアス」の心理が独り歩きしてしまったのだ。

例えば、台風19号で氾濫した多摩川

「こんなことは初めて」

常に聞かれるのは、この類(たぐ)いのコメント。

然るに、歴史を遡及(そきゅう)すれば、多摩川は繰り返し氾濫を起こしているのだ。

多摩川決壊の碑」 ―― 1974年9月の多摩川水害の際に、決壊した堤防の跡(狛江市)に建てられた碑である。

1974年9月、台風16号がもたらした激流が堤防を崩壊させ、首都圏の閑静な住宅地に建てたマイホームが、濁流へ無残に飲み込まれていく光景の衝撃の大きさは、日本中に水害の恐ろしさを、まざまざと見せつけたことで充分だった。

幸いにも、地域住民が避難したので死傷者は出なかったが、この「狛江水害」によって、狛江市の民家19戸が流出するに至り、秀逸なテレビドラマ「岸辺のアルバム」のモデルとなったことは、よく知られている。

「ここに、水害の恐ろしさを後世に伝えるとともに、治水の重要性を銘記するものです」

裏面の碑文に刻まれている言葉である。

「暴れ川」の異名を持つ多摩川の氾濫は、2度に及ぶ「関東大水害」に尽きると言っていい。

まず、「明治43年の大水害」(1910年)は、2つの台風が重なったことで河川が氾濫し、死者769人、行方不明者78人、家屋全壊・流出が5000戸、150万人の被災者を記録する大惨事となった。

そして、「大正6年の高潮災害」(大正六年の大津波)。

東京湾接近時に、満潮の時刻と重なった不運もあって、死者・行方不明者数1300人以上、全壊家屋4800戸以上、流出家屋は約2400戸、床上浸水に至っては20万戸に迫る大災害で、日本経済が大打撃を被ることとなった。

諦め、忘れなければ、日常生活を繋げないと言っても、これほどの大水害の破壊力を、私たちは何某(なにがし)かの形で語り継ぐべきではないだろうか。

東京が本質的に水害に対して脆弱であるのは、江戸初期の人工的に造成された低湿地帯の埋め立てに起因するので、「寛保二年江戸洪水」(1742年)の大水害によって、軒まで水没した家屋が続出し、1000名にも及ぶ溺死者を出したと言われるが、以上の水害は、「首都・東京」が歴史的に負う宿命であったと言える。

普段から危機意識を共有することの重要性を、私たちは肝に銘じるべきである。

―― 思うに、豊かになればなるほど、人はその豊かさに馴染(なじ)んでしまうから、被災記憶を自我の底層に押し込んでしまう観念傾向を否定できないのだろう。

恐怖記憶の消去に関係する、扁桃体(へんとうたい/情動反応の処理と記憶)にある「ITCニューロン」の発現によって、非日常の自然災害への過剰な反応を抑え込んでしまうのである。

私たちは、常に、「今、ここにある、自分サイズの普通の日常」の継続性にのみ、心を砕く。

地震や風水の災禍の頻繁でしかも全く予測し難い国土に住むものにとっては天然の無常は遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑に染み渡っている」

これも、寺田寅彦の言葉である。

だから、「忘れた頃にやってくる」天災に対する日本人の観念傾向が「恨み」を超え、無常観に大きく振れて、「諦めの心理」に捕捉されてしまうのは是非もないのか。

この無常観が、「日本人の自然観」の根柢にあるのか。

また、人文地理学者・西川治(にしかわおさむ)によると、「日本観と自然環境-風土ロジーへの道」で、以下のようなディスクールを提示している。

「日本の農民は寒暑の別なく田畑を耕し、風水・干ばつ・氷害・河川の氾濫・海の波浪・火山灰・雑草・鳥獣・病虫害など、自然との苦闘の歴史を通して自然観を身につけた」

「普段は慈母のように優しく、時には厳父のような自然との共生の結果、荒ぶる神を畏怖する姿勢と、和御魂(にきみたま)には甘える心がともに培(つちか)われ、マナイズムとアニミズムとの共存を許す、矛盾にも寛大な精神的風土が生まれた」

ここで言う「マナイズム」とは、「マナ」という超自然的呪力を信仰する宗教的観念で、太平洋の島嶼(とうしょ)で見られる原始的宗教とされる。

この「マナイズム」と、生物・無機物を問わず、全ての「もの」の中に霊が宿る「アニミズム」が共存する「寛大な精神的風土」 ―― これが日本人の自然観であると説く。

柔和な徳を備えた「和御魂」(にきみたま)⇔荒ぶる魂=「荒魂」(あらたま)との矛盾と共生することで、自然に対する「畏怖」と「甘え」の感情が形成されてきたと言うのである。

自然に対する「畏怖」と「甘え」。

これは、日本人の自然観を的確に把握した表現である。

私流の解釈をすれば、「畏怖」とは、「荒ぶる魂」を以ってしても勝てない超自然的呪力への全面降伏であり、「甘え」とは、「和御魂」を以て(もって)年中行事で祈念する、災厄免訴への懇望(こんもう)である。

「降伏と祈念」 ―― これが日本人の自然観の本質であると、私は考えている。

【因みに、「日本人の自然観」と題するサイトには、西川治の他に、寺田寅彦や農業経済学者・福島要一、英文学者・野中涼(のなかりょう)、昆虫学研究者で、石川県立大学名誉教授・上田哲行(うえだてつゆき)、マクロ経済学者・中谷巌(なかたにいわお)などのディスクールが紹介されているが、興味のある方は参照されたし】

(注)「志摩の御田植祭」(おたうえまつり)・「阿蘇の農耕祭事」・「神の田んぼの米作り 伊勢神宮のコメ」・「漁師の守り神 対馬の赤米さま」など。(「豊作祈願! NHK」)より

「時代の風景:「自然災害多発国・日本」 ―― 「降伏と祈念」という、日本人の自然観の本質が揺らぎ始めている より

心身を腑分けされた悲哀を生きた男 ―― モーリス・ユトリロの世界

f:id:zilx2g:20191014114440j:plain

1  「私生児」という絶対記号を負って、青春期の渦中に立ち至る、母子関係の脆弱性


アンドレ・ジルという、19世紀に活躍した風刺画家がいる。

波乱の人生を生き、最後は精神病院に収容され、45歳で没したフランス人である。

似顔絵を得意にし、30代の元気横溢(おういつ)な頃、酒場の店主の依頼で、店の看板の絵を描いたという由来で知られる画家だが、この酒場こそ、フランスの近代芸術史に、その名を残す「ラパン・アジル」である。

モンマルトルにある「ラパン・アジル」の名が知られるのは、ボヘミアン的(自由奔放な)な画家・作家、或いは、社会の周辺に生きる人々らが集合し、深夜まで、喧噪(けんそう)のスポットと化していたからだ。

そこに蝟集(いしゅう)した画家の中には、後世に名を残すピカソゴッホロートレックモディリアーニ、エミール・ベルナール、ブラックなどが集(つど)い、熱気が充満する前衛芸術家の、その矜持(きょうじ)が全開する、白熱した議論が沸騰していた。

だから、「ラパン・アジル」のイメージは、「侃侃諤諤」(かんかんがくがく)・「喧喧囂囂」(けんけんごうごう)という四字熟語が相応しい。

その「ラパン・アジル」の絵を何枚も描いた画家がいる。

モーリス・ユトリロである。

ところが、ユトリロが描く「ラパン・アジル」の絵から、先の四字熟語の喧噪感が全く伝わってこない。

それどころか、19世紀末から第一次世界大戦勃発までの、「ベル・エポック」の特殊な時代状況下にあって、ムーラン・ルージュやル・シャ・ノワールといった酒場がが軒(のき)を連ね、頽廃(たいはい)と華麗が共存するような盛り場を懐(ふところ)に抱える、モンマルトルの丘=「芸術家の街」=安アパート「洗濯船」(キュービズム誕生の地)を鮮烈に印象づける空気と無縁な、「静寂」と「孤独」が漂動(ひょうどう)する寂寞(せきばく)に包まれて、思わず、「侵入不可」の記号と思(おぼ)しき、幽微(ゆうび)なる閉鎖系のゾーンから弾かれてしまうのだ。

モンマルトル、モンパルナスに集合していた画家たち、即ち、「エコール・ド・パリ」の前衛芸術家の誰も描くことがなかった「ラパン・アジル」を、決して短くもない生涯を通して、点景ではなく、その本体を、繰り返し、執拗に描き続けたユトリロとは、一体、何者だったのか。

ゴッホに始まり、フェルメールを経て、最後に辿り着いた私の絵画散策は、このモーリス・ユトリロだった。

昔から好きだったが、余韻の深い「静寂」と、哀しみに満ちた「孤独」の相貌性(そうぼうせい)の底層に、何とも名状(めいじょう)し難い「苦悩」が張り付く、ユトリロ絵画の小宇宙は、年輪を経て、一貫して変わらないドストエフスキーの「実存」と共に、私の脳裏に深く灼(や)きついて離れない。

なぜなのか。

彼の人生遍歴が、あまりにも「悲哀」に満ちているからだ。

実母・シュザンヌ・ヴァラドンによる「我が子」・ユトリロ肖像画が残っているが、肝心の本人の肖像画が一枚もないことで分るように、ユトリロが、「肖像画のモデル」に相応しい、「特定他者」のウオッチャー(観察者)になることを、暗黙裡(あんもくり)に自己否定していたのではないか。

それは、モデル時代の母のような、「美貌の人気モデル」へのアンチテーゼとも考えられるが、仮にそうだとしても、意識的行為ではないだろう。

だから、風景画ばかりを描き続ける。

それも、何の変哲もない、身近な風景を題材にしたものだ。

無口で、人付き合いが苦手なユトリロは、「人間」に関心がなかったのか。

それ故に、人間関係に悩まない。

そういうことなのか。

―― ここで、彼の履歴をフォローしていこう。

モンマルトルで〈生〉を受けた、生粋(きっすい)のフランス人であるユトリロは、1883年12月に、シュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれたのは、よく知られている事実。

要するに、ユトリロは実父を知らないで育ったのである。

だから、「私生児」という絶対記号を負って、71年の生涯を生きることを余儀なくされる。
因みに、パリのサーカス団で曲芸師を演じていた、シュザンヌ・ヴァラドンもまた私生児だった。

私生児が私生児を生んだのである。

それでもバイタリティー溢れるヴァラドンと異なり、〈生〉の初発点からハンディを負ったユトリロが、発作時に、激しい全身痙攣(けいれん)を惹起する、癲癇(てんかん)という神経疾患に罹患(りかん)したのが、わずか2歳のとき。

憑き物(つきもの)が憑依(ひょうい)したと誤認され、今でも差別の対象になる癲癇を、私もまた、児童期に罹患したから経験的に理解できるが、発作時に見た「悪夢」(夢の中に「悪魔」のような「人物」が出現する)の恐怖に魘(うな)され続け、不眠症になったという、思い出したくない嫌な過去がある。

ユトリロが、癲癇の後遺症に悩ませられたと言われるが、手記の類(たぐ)いをも残さなかったので、詳細は不明である。

絶対記号を負った少年が、学校に馴染めなかったのは不可避だったかも知れない。

ここで、無視できない重要な事実がある。

自らも、洗濯女の私生児として生まれたユトリロの母・シュザンヌ・ヴァラドンは、当時、著名な画家(ルノワールロートレックドガ、シャヴァンヌ、スタンランなど)のモデルだったが、ロートレックの評価を得て、本来の素質を活かして画家に転じ、相応の成功を収めていたので、我が子の養育を実母に任せていた。

と言うよりも、18歳で生んだ我が子の養育に顧慮(こりょ)するなく、「音楽界の異端児」エリック・サティを大失恋させたエピソードに象徴されるように、次々に男を代え、「恋多き女」の人生を存分にトレースしていくのだ。

その状態が続いていたらネグレクト(育児放棄)になるが、シュザンヌ・ヴァラドンは、そこまで堕ち切ってなかった。

実母のマドレーヌに、ユトリロの養育を委ねたのである。

これが、「大誤算」だった。

シュザンヌ・ヴァラドンの母、即ち、ユトリロの祖母マドレーヌは、情緒不安定で、アルコール依存症だったから、孫の自我形成を健全に保障することなど、無理な相談だった。

児童期初期の時から、癲癇の発作を落ち着かせるために、少量のワインを飲ませ続けていた祖母マドレーヌの犯した道徳的罪の重さは、取り返しがつかないほどの破壊力に満ちている。

覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず)という諺(ことわざ)は、こういう事態を説明するのに相応しい。

誹議(ひぎ)されて当然のことである。

当時にあっても、弁明不能な、段違いに重い罪深い行為である。

そんな事態にも無頓着(むとんちゃく)だったのか、相変わらず、男関係が緩(ゆる)い状態下で、シュザンヌ・ヴァラドンは、息子・ユトリロの精神状態に不安を持ち、自ら病院に連れて行く。

8歳のときだった。

児童期少年の自我の唯一の絶対基盤であった、母を想う息子の強い気持ちがあっても、本人にその気がなくても、ファム・ファタール的な行動に振れる母にとって、自分を求める息子の思慕に対し、間断なく反応していく心理的・物理的余裕など、持ち合わせていないのだろう。

この母子関係の脆弱性は、ユトリロの青春期の渦中に立ち至るのだ。

心の風景「 心身を腑分けされた悲哀を生きた男 ―― モーリス・ユトリロの世界」より

わたしは、ダニエル・ブレイク('16)  ケン・ローチ

f:id:zilx2g:20191007102301j:plain

<「強者VS弱者」という類型的な「ラインの攻防」 ―― その際立つシンプリズム>

1  「俺には屈辱でしかない。ほぼ拷問だ。求職者手当はやめる」


「病気による“支援手当”の審査です。まず、誰の介助もなしに、50メートル歩けますか?」
「ああ」
「どちらかの腕を上げられますか?」
「ああ」
「帽子をかぶるぐらい、腕は上げられますか?」
「手足は悪くない。カルテを読めよ。悪いのは心臓だ」
「帽子はかぶれるということ?」
「ああ」
「電話のボタンなどは押せますか?」
「悪いのは指じゃない、心臓だって言ってるだろ?」
「簡単な事柄を人に伝えられないことは?」
「ある。心臓が悪いのに伝わらない」
「そういう態度を続けると、審査に影響しますよ。急に我慢できなくなって、大便をもらしたことは?」
「ないけど、こんな質問が続くと漏らすかもな。一つ聞くが、あんた、医療の視覚は?」
「私は労働年金省によって任命された医療専門家で、給付の審査を。弊社は政府の委託事業者です」
「看護師か?医者か?」
「医療専門家です」
「いいか、俺は心臓発作で足場から落ちかけた。早く仕事に戻りたい。心臓の話をしてくれ」

この冒頭の会話で、本作の主人公ダニエル・ブレイクが置かれた状況が透けて見えるだろう。

政府の委託で“支援手当”の給付の審査を担当した、件(くだん)の労働年金省から、「あなたは受給の資格なしと決定しました」と記載された通知を読むダニエル。

この決定に不満を持つダニエルは、2時間近く待たされた挙句、電話で抗議するが、「義務的再審査を申請して下さい。再審査で同じ結果が出たら、不服申し立てができます」という反応。

それを受容したダニエルは、認定人からの電話を待つことになる。

要するに、再度、審査を受けるということなのだ。

そのダニエルについて。

イギリス北東部の町ニューカッスル

この街で、情緒障害の妻を介護しながら、大工として働いてきた一人暮らしのダニエル・ブレイクが、心臓発作で足場から落ちかけたことで、主治医から仕事を止めるように忠告されたことで、疾病による支援手当を受給するために役所を訪れた時の会話が、冒頭のシーン。

「支援手当の受給の資格なし」

翌日、役所から届いた書類には、空疎(くうそ)な文字が踊っていた。

その後、支援手当を受給するために孤軍奮闘するダニエルを、主人公の内面に入り込んだカメラが追っていく。

支援手当の申請書に不可欠なパソコンを役所の職員から習ったり、「履歴書の書き方講座」に参加したりするが、全て強制的な指示で動かされるから、手馴れないダニエルがストレスフルな状態になっていくのは必至だった。

システムが完全にデジタル化されているので、ダニエルには手に負えない代物なのである。
とうとう、ダニエルのストレスが炸裂する。

ロンドンから引っ越してきたばかりのシングルマザーが、バスの乗り間違いで、審査の時間に遅れてしまったことが原因で審査を受けられず、役所の職員と言い争っている現場に遭遇した時だった。

「彼女の話を聞け。税金分の仕事をしろ。恥を知れ!」

職員を怒鳴り飛ばしたダニエルは、そのシングルマザーと共に、役所から追い出されてしまう。

この出会いが契機となって、件のシングルマザーと知り合い、電気も引けない自宅アパートに誘われ、料理を御馳走になったり、大工仕事を請け負ったりする。

難なく修理を熟(こな)すプロのダニエル。

件のシングルマザーの名はケイティ。

父親が異なる2人の子供を育てている。

2年間、ホームレスの施設で暮らしていたが、ロンドンでのこの生活環境に限界を感じ、役所の紹介を介して、老朽化したアパートに引っ越して来たという訳だ。

一方、ダニエルは、週に35時間以上の求職活動をすることが手当受給の条件と言われ、その気のない求職活動をしても、証拠がないと役所に突っぱねられる始末。

「履歴書の書き方講座」に参加したのは、この時だった。

次第に逼迫(ひっぱく)する生活。

フードバンクの長い列に並んだり、大工道具以外の「資産」を売ったりして、糊口(ここう)を凌(しの)ぐのだ。

ケイティも同様だった。

スーパーで万引きに及び、「犯罪」を免除してもらう代わりに、売春婦になっていく。

どうやら、この手口はスーパーの常套手段だった。

ケイティも察しがついていた。

この事実を知ったダニエルは、既に、売春婦で稼いでいるケイティを訪ねる。

「こんなことはするな」とダニエル。

「あなたには関係ないわ。帰って」とケイティ。

激しく動揺し、走って外に出たケイティを追うダニエル。

「こんな所であなたと会えない。帰って」

号泣してしまうケイティを胸に抱き、体全体で優しく包み込むダニエル。

「300ポンド稼いだわ。子供たちに果物を買える。止めるなら会わないわ。あなたとは、これきりよ。やさしくしないで。心が折れるから」

そう言って、売春宿に戻るケイティ。

一貫して悲痛な表情を崩せないダニエルは、置き去りにされる。

ダニエルは追い詰められていた。

「とんだ茶番だな。体を壊した俺は、架空の仕事探し。どうせ働けない。俺も雇い主も時間のムダ。俺には屈辱でしかない。ほぼ拷問だ。求職者手当はやめる。もう、沢山だ」

唯一、理解のあるアンという職員に向かって放たれる男の言辞は、胸中に、自己の尊厳を守らんとする思いで埋められていた。

「求職活動だけは続けて。収入が閉ざされてしまう。義務的再審査には限界がないの」
「俺は限界だ」
「恐らく却下される。お願い。給付のための面談を続けて。そうしないと、何もかも失うわ。私は何人も見てきた。根が良くて、正直な人たちがホームレスに」
「ありがとう。だが、尊厳を失ったら終わりだ」

ダニエルとアンとの短い会話は閉じていった。

その直後のダニエルの行動は、通行人の喝采(かっさい)を浴びる一大パフォーマンスだった。

「俺はダニエル・ブレイクだ。飢える前に申し立て日を決めろ。電話のクソなBGMも変えろ」
スプレー塗料で、役所の外壁に書きなぐるダニエル。

器物破損で逮捕されるダニエルの行動に誘発され、一人の中年男が応援する。

「罰則を考えた連中を逮捕しろ。あの偉そうな労働年金大臣。寝室税を考えたバカな金持ち議員も。お前らも生業(なりわい)するぜ。保守党の特異な民営化でな。高級クラブの会員め。イートン校出のブタ!」

【ここで言う「寝室税」とは、英国で、2012年の「福祉改革」で導入された税金のこと。即ち、公営住宅に住んでいながら、使用されていない寝室があれば、それに税金がかかるという制度であり、その本質は、低所得者向けの住宅手当の削減にあったと言われる。また、「イートン校出のブタ」と嘲罵(ちょうば)されたのは、当時、デイヴィッド・キャメロン首相が寮生活を送った、階級社会・英国の頂点に君臨する「パブリック・スクール」のこと。ここに及んで、この映画が殆ど、「反緊縮・正義」という左翼プロパガンダ的な様相を露わにしていく】

かくて、器物破損で逮捕されたダニエルは、初犯だったので、口頭注意(「公共秩序法」第5条)のみで釈放されるに至る。

一大パフォーマンスだけで自己完結できないダニエルの表情に、沈痛で、悄悄(しょうしょう)たる翳(かげ)りが剥(む)き出しになってきた。

そんなダニエルを心配するケイティは、娘を呼びに行かせて、ダニエルと会う。

一時(いっとき)、元気を取り戻すダニエル。

ケイティの積極的なアウトリーチによって、支援手当回復のための弁護士を紹介され、手当の回復が可能になるという力強い言葉を受け、ダニエルは人生にポジティブに向かう姿勢を見せる。
しかし、この復元も一時(いっとき)だった。

心臓発作で倒れてしまうのだ。

回復することなく、逝去するダニエル。

葬儀の日。

ダニエルが、支援手当の申し立てのために用意した言葉が、ケイティによって代読される。

「国の制度が、彼を早い死へと追いやったのです」

静かに怒る、ケイティの情動炸裂である。

【キャメロン政権の「緊縮財政政策」への明瞭な弾劾によって、映画は括られていく】

以下、自己の尊厳を失うことなく人生を全うした、ダニエルの実質的な遺言書。

「私は依頼人でも顧客でもユーザーでもない。怠け者でもタカリ屋でも、物乞いでも泥棒でもない。国民健康番号でもなく、エラー音でもない。きちんと税金を払ってきた。それを誇りに思っている。地位の高い者には媚びないが、隣人には手を貸す。施しは要らない。私は、ダニエル・ブレイク。人間だ。犬ではない。当たり前の権利を要求する。敬意ある態度というものを。私は、ダニエル・ブレイク。1人の市民だ。それ以上でも以下でもない」

ラストシーンである。

人生論的映画評論・続「人生論的映画評論・続: わたしは、ダニエル・ブレイク ('16)  ケン・ローチ」('16)より