自転車泥棒 ('48)  ヴィットリオ・デ・シーカ

f:id:zilx2g:20201122142804j:plain

<父とぴったり、ラインを同じにして>

 

 

 

1  家族とは「パンと心の共同体」である

 

 

 

こんな時代があって、こんな人々がいた。

 

こんな風景があって、こんな家族がいた。

 

そして、そこに様々な人々の多様な繋がりがあって、良きにつけ悪しきにつけ、そこに一定の結束力があった。

 

それを今「邪悪なる共同体」と呼ぶのは容易だが、しかし、そのような繋がりの内で、何とか生活を繋いでいこうとする人々の懸命の思いが、そこには紛れもなくあった。

 

当時の自転車は、現在なら自動車一台と等価であると言っていいだろう。

 

だからこそ、乗用車を盗難された人々の悔しさは、父アントニオが愛用の自転車を盗まれた悔しさと均しい感情であると言い切れるのか。

 

悔しさの継続力において、当時と現代の落差は明らかである。

 

現代の人々は、災難に遭った悔しさを何ものかでカバーできる余裕を持ち得るが、アントニオの悔しさを癒すに足る何かが、果たして、当時どれ程存在したのであろうか。

 

自転車を盗まれることは生活を奪われることであり、ひいては、家族の暮らしを困窮させ、明日の保障のない人生を覚悟することを余儀なくされるのである。

 

アントニオの自転車奪回のあらゆるアクションは、まさに、四人家族の暮らしと生命を賭けた必死の闘い以外の何ものでもなかった。

 

翻(ひるがえ)って、現代社会を俯瞰(ふかん)するとき、私たちの多くは、「パン」の確保のテーマよりも、「心」の癒しの確保の方により強く振れているという印象が強い。

 

家族よりも個人であり、義務よりも権利であり、均質化よりも差別化であり、管理よりも解放であり、秩序よりも自由であり、自立よりも保護であり、「分」よりも「夢」であり、等量よりも過剰であり、昨日よりも今日であり、しばしば明日よりも今日であり、そして、愛することよりも愛されることである。

 

このような目眩(めくるめ)く現代の蜜の味を、この時代に生きる私たちが、果たして捨てる覚悟を持ち得るだろうか。

 

多分に懐古趣味に流れていく者たちは、本気で「共同体回帰」を望んでいる訳がない。

 

蜜の味の一切をかなぐり捨ててまで、その者たちが「古き良き時代」への原点回帰を志向しているとは到底考えられないのである。

 

偶(たま)さか甘いものを食べ過ぎて、それを摂取することを悔いたとしても、特段に命の別状がない限り、「決して甘いものは喰わない」と嗜好転換する決意を固めたつもりの、件(くだん)の者たちの観念の砦が、一片の感傷を入り込ませないという精神武装によって、時空を突き抜ける強靭さを持ち得るとは思えないのだ。

 

なぜなら、私たちは殆ど確信的に、「近代」が包摂(ほうせつ)する様々な利器や快楽を勝ち取ってきたのであり、そして、半ば暗黙裡(あんもくり)に「共同体社会」を破壊してきたのである

 

自らが壊してきたものの中に、単に、ノスタルジックな喪失感覚を蘇生させるような離れ難さを覚える何かが含まれていたとしても、せいぜい、そこで私たちが為し得るのは、その上辺だけの装飾を自分たちの暮らしや観念に接木(つぎき)することでしかないだろう。

 

それは恐らく、自己欺瞞以外の何ものでもないのだ。

 

甘いものを散々摂取してきた私たちができ得るのは、明日に繋がる「今日」という時間を、どれほど丁寧に生きていけるかというその一点のみであって、それ以外ではない。

 

私たちは、そこに辿り着きたいとどこかで思っていた場所に遂に到達したのであり、その辿り着いた場所を壊してまで戻りたい場所があるはずがないのである。

 

仮に、そのような者がいたとしたならば、その者は決して、私たちが辿り着いたこの場所で心地良く共存している訳がないのだ。

 

だから、奇麗事で塗りたくった中身のない言辞を吐き散らすのは、もう止めた方がいい。

 

私たちは、常にどこかで愚かであり、醜悪であり、あまりに不完全なるホモサピエンスでしかないのである。

 

―― 「自転車泥棒」という映画から学ぶものがあるとすれば、それは「肉親の絆の大切さ」であり、「勤労することの有り難さと辛さ」であり、「失ってはならないものを守り抜くことの大切さ」であり、そして、「失ってはならないものを失ったときの、自我の崩れを最小限に留めていくことの強さ」であるだろう。

 

それらが、この作品から、私たちが学ぶべきものの全てである。

 

少なくとも、私はそう信じて止まないのである。

 

家族の絆。

 

それは、失業問題が慢性化している時代の厳しい状況下において、何よりも「パンの共同体」だった。

 

父が働き、母がそれをサポートし、同時に、育児に専念する。

 

子供は就学間近にあって、自分の可能な限りの役割を家族の中で担っている。

 

その状態が堅調に推移すれば、家族は少しずつ、「パン」の問題を克服していくことになるであろう。

 

決して、物質的豊かさを手に入れた訳ではないが、それでも、苛酷な労働環境の中で、相対的な豊かさの実感を手に入れるに違いない。

 

人々が均しく貧しい時代の中では、自分たちの暮らしだけが特段に厳しい状態に置かれていない限り、人々は、「貧しさの中の豊かさ」を実感することが充分に可能なのである。

 

それは広義に言えば、「心の豊かさ」の範疇に入る豊かさである。

 

均しく貧しい時代には、このような豊かさの獲得が可能なのである。

 

なぜなら家族の絆は、単に「パンの共同体」の枠内に留まらないからだ。

 

家族とは何より「心の共同体」である。

 

家族内の情緒的結合の確かさが、家族の絆を間違いなく強化するであろう。

 

家族とは、「パンと心の共同体」なのである。

 

しかし、働くべきはずの父親が失業状態に陥ったら、家族の暮らしは直接的な危機に瀕するであろう。

 

そのとき、家族は何によってその絆を守り、それを崩されないようにして固めていくのか。果たして、「心の共同体」のみで、家族の絆を堅持することが可能なのか。

 

それが問われているのだ。

 

以下、人生論的映画評論・続: 「自転車泥棒」('48)  ヴィットリオ・デ・シーカより

 

ガーンジー島の読書会の秘密('18)  マイク・ニューウェル

f:id:zilx2g:20201114140542j:plain

<「悲嘆」を共有する女性作家の変容と覚醒の物語>

 

 

 

1  「読書会」という名の心の繋がりを作った女の軌跡を求めて

 

 

 

1941年 イギリス海峡 ガーンジー島 第二次大戦中、ドイツ軍による占領下。

 

冒頭のキャプションである。

 

外出禁止令の中、いきなりドイツ軍の兵士に複数のイギリス人が補足される。

 

「読書会なんです。占領軍は統治のモデルケースとして、文化活動を推奨してます」とエリザベス。

「会の名前は?」とドイツ軍将校。

ガーンジー島の…」

「“ポテトピールパイの会”」

「違法な会合だ!全員逮捕する!」

 

その時、ほろ酔いの初老のエベンが吐瀉し、将校の靴にかかったことで、彼らの連行は免れる。

 

かくて、「ポテトピールパイ読書会」が当局に登録されるに至る。

 

オープニングシーンである。

 

1946年 ロンドン。

 

戦災で父母を喪うというトラウマを抱える女性作家ジュリエットの元に、一通の手紙が届いた。

 

「僕はドーシー・アダムズ。ガーンジー島の住人です。戦時中に古本を入手しました。チャールズ・ラムの随筆集です。あなたの名前と住所が内側に。占領下にラムは笑いを与えてくれました。特にローストピッグのくだり。僕の所属する“読書とポテトピールパイの会”もドイツ軍から豚肉を隠すために誕生しました。ドイツ軍は去りましたが、島には本屋が残ってません。『シェイクスピア物語』を買いたいのです。ロンドンの書店の住所を教えてもらえますか?」

 

シェイクスピア物語」を進呈したジュリエットのもとに、件(くだん)のドーシーから返事が来た。

 

「…1940年の冬には、食料が不足し、皆、空腹でした。ラジオが没収され、郵便も止められ、電信網も切られました。完全な孤立状態です。そんなある日、“アメリアの家に、肉切り包丁を”」

 

そう書かれたメモが届き、ドーシーは包丁を持って訪れた。

 

豚を隠していたアメリアの家で、エリザベス・マッケンナが発案してパーティーが開かれていく。

 

「彼女は分かっていた。僕らが食べる物以上に欲しているのは、人との繋がりや語らい、友情だと。ご近所の、アイソラ・プリビーは、自家製のジンとハーブ薬を持参しました。郵便局長のエベンは…」(ドーシーの手紙)

 

そのエベンはポテトピールパイを持参した。

 

「招かれたのはエリザベスの友人たちでした。彼女のお陰で僕らは、つかの間、占領やドイツ軍を忘れ、人間らしさを取り戻したのです」(ドーシーの手紙)

 

これが、冒頭のドイツ兵に検問に繋がるのである。

 

「読書会」とは、夜間の外出禁止令下にあって、ホームパーティーの帰路の検問を逃れるために、エリザベスが咄嗟に思い浮かんだ言葉だった。

 

「急いで読書会の体裁を整えました。その時に、ラムの本を。見張りは初回だけ。読書会は、僕らの避難所でした。闇の世界で手に入れた、精神の自由。新しい世界を照らすキャンドル。それが読書でした…住む世界は違っても、本への愛情は同じです」(ドーシーの手紙)

 

「アダムズさん、本は私の避難所でもあります。両親を亡くした時も、私は本に救われました。私、読書会の皆さんに、お会いしたいの。もっともっと、皆さんのお話を聞きたい」

 

事情を知ったタイムズ紙の担当編集者で、親友のシドニーが止めるのも聞かず、ジュリエットはガーンジー島行きを決めてしまう。

 

ジュリエットは、港へ送りに来た恋人である米軍高級将校マークからのプロポーズを受け入れ、ガーンジー島に向かう船に乗り込むに至った。

 

【チャールズ・ラムとは、19世紀英国の作家で、「シェイクスピア物語」はラムの代表作の一つ】

 

島に着くと、その日のうちにアメリアの家で、現在も開かれている読書会に参加する。

 

この日は、ジュリエットが発表する役割を与えられ、彼女は処女作の「アン・ブロンテの生涯」について朗読し、因習に囚われなかったアンの近代的意識の高さを主張するのだ。

 

アン・ブロンテは、シャーロットとエミリーという最も著名なブロンテ3姉妹の末妹で、長編小説「ワイルドフェル・ホールの住人」を遺作とし、29歳の若さで逝去した。シャーロットとエミリーも30代で夭折したが、死因は結核であると言われている。流星の如く出現し、英国文壇のみならず、現代に呼吸を繋ぐ私たちに大きな文化財を残しつつも、一人の子孫を残すことなく逝った3姉妹の物語は、今なお一つの伝説となっている】

 

そこには、手紙の主のドーシーや、エベン、エベンの孫のイーライ、アイソラなどのメンバーが集まっているが、会を創設したエリザベスは島を離れていて、その姿はなかった。

 

読書会はジュリエットの参加で大いに盛り上がるが、それをタイムズ誌の記事にしたいと言うや、メンバーの態度は硬直する。

 

「『タイムズ』の読者を喜ばせる気はないわ」

 

アメリアはきっぱりと拒絶する。

 

「でも、理解したいんです」

「分かるわけない!この気持ちは、よその人間には分からない」

 

そこに、エリザベスの娘キットが部屋に入って来た。

 

ドーシーの娘でもあり、父と一緒に帰宅する。

 

「タイムズ」の記事を断られたジュリエットだが、宿屋の女主人シャーロットから、読書会には悪い噂があると聞き及び、ロンドンに帰らず、島にしばらく滞在することにする。

 

そしてジュリエットは、エリザベスが1944年に逮捕された事実をイーライから聞き、島の住人が共有する読書会に関する秘密があることを知る。

 

以下、海岸でのジュリエットとドーシーの会話。

 

「余計な詮索だと思うけど、なぜエリザベスは連行されたの?一体、何が?」

「人を助けて逮捕されたんだ」

「人を助けて?彼女は今、どこに?消息は?」

 

それだけだった。

 

「エリザベスは聖女じゃない。あの女はドイツ人好きのアバズレよ。タバコと引き換えに下着を脱ぐ女たちと同類。口紅一本でも。島を“混血児”だらけに。彼女がいない間、連中が育ててるのよ。あの私生児を」

 

これは、ジュリエットが逗留する宿屋のシャーロットの言葉。

 

キットの本当の父親を知るために、ジュリエットはドーシーに直截に尋ねる。

 

「父親はクリスチャン・ヘルマン」

「ドイツ人?シャーロット(宿の女主人)の言うように、ナチ?」

「それはそうだが…悪い奴じゃない。友達だった」

 

医者であるクリスチャンは、1941年にドーシーの牛の出産を手伝って以降、エリザベスとの親交が始まる。

 

既に病院で、クリスチャンと知り合っていたエリザベスとの「危険な恋」が芽生えていた。

 

「やめろと言うべきだったが、彼女は幸せだった」

 

次の読書会で、ジュリエットはアメリアからクリスチャンとの一件について看過できない話を聞かされる。

 

エリザベスがクリスチャンを読書会に連れて来た際、アメリアは二人の交際に烈しく反対したと言うのだ。

 

アメリアにとって、ドイツ軍は絶対に許せない正真正銘の敵対国だった。

 

空爆で妊娠中の娘を殺害したドイツ軍=ドイツ軍人に寛容になれないのだ。

 

決して浄化できない敵対感情をクリスチャンに特化するのは必至だったのである。

 

しかし、エリザベスはアメリアの忠告を頑として聞き入れなかった。

 

既に妊娠していたからである。

 

「彼は営舎を抜け出したのが見つかり、翌日、本国へ強制送還。2人はそれきりに。彼が乗った船は沖で魚雷に撃沈されて、彼は死んだ…クリスチャンは子供のことも知らず、2人を残して死んでいった。責められるべきは私。私のせいよ。手を差し伸べなかった。キットだけは守るわ。エリザベスが戻らなければ、キットの親族はドイツ人だけ。取られるかも…あり得ないことが何度も起きた。これ以上、愛する人をドイツ人に奪われたくない」

 

このトラウマがアメリアの内面を支配しているのだ。

 

一方、ジュリエットが宿泊先に戻ると、宿主のシャーロットが勝手にキャサリンの原稿を読み、難癖をつけるので、怒って宿を出て、アイソラの家に転がり込む。

 

少しずつ、エリザベスについての真実が明らかになっていく。

 

ジュリエットに好意を持ち、信頼度を増していく中で、ドーシーはこれまで語られなかったエリザベスのことを話し始める。

 

「彼女は逮捕される前に、うちに来た。奴隷労働者の少年が脱走して、彼女が見つけた。治療が必要だった。彼女はうちに来て、“病院に薬を取りに行く間、娘を見てて”と」

 

外出禁止令が出ていて、娘(キット)が大切だというドーシーの忠告を聞かずに、奴隷労働の少年を病院に連れて行くエリザベス。

 

しかし、エリザベスの正義感の強さが仇になる。

 

「その直後に、少年は射殺。エリザベスは捕まった。力づくでも止めてれば…僕が行かせた」

 

ドーシーの苦衷(くちゅう)の告白だが、このシーンによって、ドーシーにも強い贖罪意識が内包している事実が判然とする。

 

そんな折、突然、マークが島にやって来た。

 

婚約指輪をつけていないキャサリンに不満を言うが、マークの来島の目的は、ジュリエットから依頼されていたエリザベスの現在の消息だった。

 

マークはエリザベスについての報告書をジュリエットに手渡す。

 

それを手に、ジュリエットは読書会のメンバーに、エリザベスの現在の消息を報告していく。

 

「収容所で彼女を見た人がいるの。彼女が死んだ日に。射殺よ。看守に殴られていた少女を守ろうとしたの。彼女は警棒を奪って、看守に殴りかかった。少女は助かったけど、代わりに彼女が。残念だわ」

 

衝撃的だった。

 

その話を聞くや、ドーシーは外にいるキットに話しに行く。

 

「4歳の子に理解できるかしら?」とアイソラ。

「この年になっても理解できないわ。何ひとつ」とアメリア。

 

号泣して崩れ落ちるアメリアを、アイソラが抱え込む。

 

このアメリアの言葉は、本作を通底するテーマになっている。

 

「悲嘆」を共有するジュリエット。

 

ジュリエットもまた、戦災のトラウマを抱え込んでいるのだ。

 

マークに促され、ロンドンへと帰っていくジュリエットは、後ろ髪を引かれる思いで、読書会のメンバー一人一人に別れを告げる。

 

互いに思いを寄せるドーシーとは、文通を続ける約束をして軍用機に乗り込んでいく。

 

以下、人生論的映画評論・続: ガーンジー島の読書会の秘密('18)  マイク・ニューウェルより

残像('16)   アンジェイ・ワイダ

f:id:zilx2g:20201107095651j:plain

<何ものにも妥協できない男の〈生〉の軌跡の、それ以外にない「約束された着地点」>

 

 

 

1  極限状態にまで追い込められて路上死する前衛芸術家

 

 

 

「ものを見ると目に像が映る。見るのをやめて視線をそらすと、今度は、それが残像として目の中に残る。残像は形こそ同じだが、補色なんだ。残像は物を見たあと、網膜に残る色なのだよ。人は認識したものしか見ていない」

 

この言葉は、ウッチ造形大学(現在の「ウッチ・ストゥシェミンスキ美術アカデミー」)で純粋美術の歴史を教える教授、且つ、前衛画家として有名なストゥシェミンスキが、彼を訪ねて来たハンナと、学生たちの前で語ったもの。

 

ストゥシェミンスキは第一次大戦で左腕と右足を失い、杖を使って生活している障害者。

 

食事は賄い婦の世話になり、不便な暮らしを余儀なくされるが、冒頭のシーンに表現されているように、本人は至って元気である。

 

彼を慕い、彼の純粋美術に惹かれる多くの学生たちに囲繞されているからである。

 

1948年12月。

 

ポーランド統一労働者党第一回会議をこれにて閉会する。会議の決議を皆で実行しよう。実現を目指して闘い、人民大衆に広く働きかけよう。国を社会主義へと導くのが、党員の神聖なる義務である…ポーランド統一労働者党、万歳!」

 

ストゥシェミンスキが、自室でこのラジオ放送を聞きながら絵を描こうとするや、目の前のカンバスが真っ赤に染まっていく。

 

窓の外に赤く縁取(ふちど)られたスターリンの巨大な垂れ幕に覆われてしまったのである。

 

ストゥシェミンスキは、窓に覆われた幕の赤い布を内側から切り裂いてしまうのだ。

 

それを目撃した官憲がストゥシェミンスキの部屋を訪れ、彼を連行するに至る。

 

「あなたの扱いに苦慮してるんだ。…国が目指す方向に逆らっておられる」

「逆らってはいない。絵画に対する考え方の相違だ」

 

公安幹部とストゥシェミンスキとの不毛な遣り取りである。

 

「“政治と芸術の境界がなくなり、悪の集団に侵されていることが判明した。彼らは芸術界とマスコミを牛耳るだけでなく、公正さを阻害する存在だ。退場してもらおうではないか。彼らは芸術のみならず、人間をも破壊する。もはや画家や作家は、ただの芸術家ではない。望むか否かに関わらず、諸君は今や、競争戦線の塀となった”」

 

これは、1934年にピウスツキ体制を批判して、ストゥシェミンスキが書いた文章である。

 

「あなたは今、分かれ道にいる。迷ってる時間はない。どの道へ進むかで運命は変わる」

 

公安幹部から恫喝されるが、ストゥシェミンスキに迷いがなかった。

 

【ここで言うピウスツキとは、社会主義的手法でポーランド独立運動の指導者として活動し、「ポーランド共和国の建国の父」と呼ばれる初代首相だが、独裁的権力によって統治した政治家のこと。1935年に逝去】

 

ストゥシェミンスキ教授のゴッホの風景画についての講義中に、文化大臣の訪問があり、その演説を聞くために講義の中断を余儀なくされる。

 

「抽象的に見ず、身体の器官を通して見たリアリズムだ。見聞きしたものを心ではなく、身体で受け止めた」

 

これが、ストゥシェミンスキのゴッホ論の括りとなった。

 

以下、文化大臣のスピーチ。

 

「国家には、芸術家に要求する権利がある。芸術は大衆の要求を満たさなければならない。それが芸術の目的だ。人々の熱意や勝利への信念に疑いを抱かせるな。陰鬱なものを創るな。芸術における第2段階として、党が強く勧めるのは、社会主義リアリズムだ。世界主義と闘い、西側文化の崇拝から脱しよう。頼りになるのはソ連の芸術家の功績や、芸術家と大衆の結びつきだ。型に嵌る危険性など、我々は心配していない。我々は形式主義をはねつけ、イデオロギー欠如の芸術を否定する。退廃的な資本主義者の芸術やアメリカのコスモポリタニズムと闘おう」

 

ここでストゥシェミンスキは俄(にわ)かに立ち上がり、発言する。

 

「大臣、お尋ねします。芸術とは何ですか?芸術は薄っぺらいリアリズムではない。私なら時代に合う芸術を求めて闘います。芸術は様々な形態を実験する場です。それを求める者が芸術家なのです。新しい芸術に求められるのは便利さではなく、卓越性です」

 

この主張に反駁(はんばく)する何ものもない。

 

ストゥシェミンスキには、別れた妻で、著名な彫刻家のカタジナ・コブロとの間に生まれた娘ニカがいる。

 

現在、カタジナ・コブロは病気で入院中なので、寄宿舎で生活するニカは父のことを案じ、休みごとに訪ねて来る。

 

ストゥシェミンスキが大臣命令で解雇が言い渡されたのは、そんな渦中であった。

 

文化大臣に対する先の物言いが、解雇の直接的な契機になったのは自明である。

 

「新たな時代が来ているのさ。昔には戻らない」

 

彼を慕う生徒たちに別れを告げ、大学を去るストゥシェミンスキ。

 

展示会に出品する絵を持って、大勢の学生たちがストゥシェミンスキの自宅に押しかけてきた。

 

それらの絵を称賛し、学生たちに静かに語るストゥシェミンスキ。

 

「私も昔は信じていた。芸術の目的は社会の変革だと。1919年の頃の話だ。当時は革命を信じていた」

「リアリズムには反対だと?」

「当然だ。絵は自分と調和して描くものだ」

 

そんな折、カタジナ・コブロが病院で逝去した。

 

激しい衝撃を受けるニナだが、葬列にストゥシェミンスキの姿はなかった。

 

母の死を父に告げなかったのである。

 

元教授を慕う学生たちの展示会場の作品が、当局によって粉々に破壊されるという事態が出来した。

 

現場に訪れたストゥシェミンスキと学生たちは衝撃を受け、立ち竦むばかり。

 

母の死後、その居宅は軍の宿泊所に指定され、ニカは撤去を余儀なくされた。

 

母の彫刻作品を並べて、ニカは当局の男に、「明日取りに来るわ。触らないで」と告げて去っていく。

 

以降、父のもとに身を寄せるニカ。

 

大学ではストゥシェミンスキの「視覚理論」が禁止されたと、自宅に集まる学生に聞かされる。

 

【冒頭での講義の断片が「視覚理論」のエッセンスであると言っていい】

 

そこにニカが戻り、父に母の死と自宅撤去を告げる。

 

母親が生前中に、元夫に自らの死を告げることを嫌っていたからである。

 

うっすらと涙ぐむストゥシェミンスキ。

 

美術館でもストゥシェミンスキとカタジナ・コブロの作品の撤去が始まった。

 

ウッチ美術会会員の資格が剥奪され、配給券と前払いの支給も停止されて、いよいよ追い詰められていくストゥシェミンスキ。

 

更にカフェのレリーフにまで目を付け、躊躇なく破壊する審査委員会。

 

抗議するストゥシェミンスキは「どっち側だ?」と問われ、返した一言。

 

「私の側だ。自分の側だよ」

 

そう言い放って、その場を立ち去る元教授。

 

抵抗を止めない男は、自宅で絵を描き続けるのみ。

 

彼を支援するのはハンナに反発するニカは女子寮に戻ると言い、荷物をまとめて出て行ってしまう。

 

それを止めることもしない父親。

 

「娘は苦労しそうだ」

 

居場所を失ったニカは、嗚咽を漏らしながら父の元を去っていく。

 

残ったハンナは、ストゥシェミンスキが語る視覚理論を書き留めていく。

 

既に退学したロマンの紹介で、ストゥシェミンスキは全国食品協同組合の店内装飾の仕事を引き受ける。

 

障害者の解雇は難しいと言われ、配給切符と前払い金が支払われた。

 

仕事はもっぱら、社会主義者肖像画を描くこと。

 

一方、成績優秀なニカは学校で貸し出された服を着て、メーデーで旗を持って行進すると伝えに来る。

 

そのメーデーの行進を、自宅の窓から苦々しく見つめる前衛芸術家。

 

そんな折、ストゥシェミンスキは事務所に呼び出され、一方的に解雇を言い渡されてしまう。

 

匿名の投書で、無認可の芸術家だと分かったからだ。

 

会員証がないことで、絵の具も売ってもらえない。

 

配給権も金もなく、食料も手に入らない。

 

夜中にハンナがやって来て、大学から盗んだタイプライターを見せる。

 

「本を完成させたいの。教授を愛してるから」

「情勢は私が思ってた以上に厳しい」

 

一方的に思いを寄せるハンナは、元教授の消極的な態度に落胆し、部屋の鍵を置いて去っていく。

 

ハンナが待ち伏せしていた官憲に連行されたのは、その直後だった。

 

反政府の冊子をタイプしていたことが逮捕の理由。

 

ハンナの釈放と交換条件に、公安幹部はストゥシェミンスキに体制への忠誠を要求し、大学への復職や創作・出版の可能性をも示唆する。

 

この要請に対して、ストゥシェミンスキは「分からない」としか答えず、その場を去って行った。

 

賄い婦への支払いをできず、食事を取り上げられてしまう始末。

 

極限状態にまで追い込められているのだ。

 

その挙句、路傍で倒れてしまう。

 

通りがかりの婦人の助けで、ストゥシェミンスキは救急車で搬送される。

 

見舞いに来た詩人のユリアンに、元気そうに語る。

 

「私はもう長くない。『視覚理論』の完成まで、あと数か月か、数週間だ。何かは遺せる」

 

進行性の結核と診断されたストゥシェミンスキだったが、医者の制止を振り切って、ベッドから起き上がろうとする。

 

「やることがあるんだ」

 

自宅に戻ったストゥシェミンスキは白い花束を青く染め、それをカタジナ・コブロの墓に捧げる。

 

再び、ニカと暮らすストゥシェミンスキ。

 

美術館を訪れ、新たな作品の保管を館長は引き受けた。

 

「生きていくために、どんな仕事でもするよ」

 

しかし、もうすべてが遅すぎた。

 

絶望的なストゥシェミンスキは、ショーウィンドウの飾り付けの仕事を得て、裸形のマネキン人形に布を巻いていくが、そこで再び倒れてしまう。

 

1952年12月26日のこと。

 

病室に駆けつけたニコは、ここでも母と同じように、父の遺骸と対面することはできず、取り換えられた新しいシーツのベッドを見つめるしかできなかった。

 

以下、人生論的映画評論・続: 残像('16)   アンジェイ・ワイダより

海を駆ける('18)   深田晃司

f:id:zilx2g:20201031141342j:plain

<「さよなら。またどこかで」という理不尽な自然の挑発に、人は何ができるか>

 

 

 

1  「海から出て来た異体」と、若者たちとの緩やかな交流

 

 

 

2004年、インドネシアスマトラ島のバンダ・アチェに大津波(注1)が襲い、そこに一人の日本人が浜辺に打ち上げられた。

 

この津波の復興支援をするNGOで、バンダ・アチェにやって来た一人の日本人。

 

貴子である。

 

貴子の息子で、インドネシア人の父との間に生まれたタカシは、インドネシア国籍を選んでいて、日本を知らないが、日本語は堪能である。

 

以来、津波の復興支援をライフワークにした貴子は、タカシと共にアチェで暮らしていた。

 

貴子は早速、アチェの浜辺に打ち上げられた男に会いに行く。

 

男は記憶を失っていた。

 

一方、タカシは、日本から来た姪の大学生のサチコを空港に迎えに行き、その男を連れた貴子らと合流し、トラックの荷台に乗り込む。

 

そのトラックの荷台で、漂流した謎の男が、突然、歌い出す。

 

ラウ ―― 貴子が名付けた男の名である。

 

その意味は、インドネシア語で「海」。

 

貴子は、このラウを保護する役割を担ったのである。

 

「僕はインドネシア語も、日本語も完璧じゃない。だから僕は、日本人にも中国人にも思われる。時々、自分は一体、何なんだろうって考えます」

 

記者志望のイルマが、タカシにインタビューした際の動画での発言だが、自分のルーツに困惑し、アイデンティティークライシスに陥っているように見えるものの、当人は至って闊達(かったつ)である。

 

そのタカシが思いを寄せるイルマは、スマトラ沖地震で母親と家も財産も失い、現在、父親と復興住宅に住んでいる。

 

ラウの身元捜しをする貴子とイルマは、カメラマンとしてのタカシ、幼馴染のクリス、サチコを伴って出かけた。

 

宿泊名簿から、クロダという日本人らしき名前が浮上する。

 

最後に着ていた服と似ていると証言する女主人。

 

そんな情報しか得られず、結局、何も分からないまま。

 

一方、サチコは亡父が遺した写真を手立てに、遺言にあった遺灰を撒く場所を探している。

 

これが、サチコのインドネシア訪問の目的である。

 

その写真を見たクリスは、その場所を知っていると言う。

 

二人はその地に行き、海辺に立ってみたが、写真の場所に似ているものの、違うと答えるサチコ。

 

二人の会話は津波の話題に及び、優秀なイルマが大学に進めなかった不運について、クリスは同情含みに説明する。

 

ラウの身元調査を続けたが、一向に手掛かりは得られない。

 

帰り際、道に横たわる少女を、ラウが手をかざして救済するシーンがインサートされる。

 

ラウの超能力なのだろうか。

 

その様子をビデオカメラで撮影したイルマは、その映像を確認する。

 

ラウが手から水の球のようなものを作り、それを少女の口の中へ入れると、少女は目を覚ます。

 

イルマは、それを「海から来た男」というテーマで起筆し、アチェ新聞にメールを送るが、「手品」として片付けられ、採用されることはなかった。

 

―― アチェに集合した4人の若者。

 

タカシ、クリス、イルマ、そして、英文学を専攻しながら、何某(なにがし)かの事情で大学を中退したサチコである。

 

イルマに思いを寄せるタカシ。

 

サチコに思いを寄せるクリス。

 

イルマとクリスの付き合いは、宗教の違いで禁忌にされていたらしい。

 

「彼とは友だちのままでいたい」

 

イルマの吐露である。

 

そんな4人が、サチコの歓迎パーティーに集合した。

 

そこにやって来た貴子の友人、ジャーナリストのレニをイルマに紹介する。

 

アチェ紛争を取材中で、イルマの父親が「アチェ独立運動」(注2)の闘士だったからである。

 

その父は拷問され、脚に障害が残っている。

 

一方、サチコに思いを寄せるクリスは、直截(ちょくさい)に愛の告白をする。

 

「サチコ、ツキガキレイデスネ」

 

「月、見えないよ…ごめん、意味分からない」

 

拙い日本語で告白したクリスは、サチコに振られたと思い、努力虚しく、その場を立ち去っていく。

 

実は、「月がきれいですね」というのは、漱石がかつて「I love you」を訳した言葉だった。

 

これは、叔母から教わったタカシが、クリスに伝授した愛の告白だったのである。

 

翌朝、サチコが発熱で苦しんでいた。

 

そこにラウがやって来て、いつものように手をかざした。

 

海で泳ぐ夢を見るサチコ。

 

島のトーチカで、父親がカメラで写真を撮るのが見える。

 

翌朝、サチコの熱は下がっていた。

 

ラウの超能力の発現である。

 

クリスが見舞いにやって来て、サチコは夢で見たトーチカのある場所を訊ねた。

 

それは、アチェ北部のサバンにあると言う。

 

「そこが、私が探していた場所だと思う」

 

クリスが、その場所に連れて行くとサチコに約束した。

 

そのサチコが、テレビを見て仰天する。

 

レニがラウを同席させ、ジャカルタで記者会見を開き、イルマが撮った映像を紹介し、自分の取材であるかのように説明するのだ。

 

矢継ぎ早に質問する記者たち。

 

「日本人ですよね?なぜインドネシアに?」

「分からない。さまよってたら、アチェにたどり着いた」

「今ここで、水の球を出してください」

「何のこと?」

「ビデオで見ましたよ。手品ですか?」

 

ここで、レニが代弁する。

 

「手品ではありません。科学者が証明しています」

 

ラウが再現しようとするが、気乗りがしないのか、ラウは席を立つ。

 

「疲れた。もう帰る。さよなら。またどこかで」

 

すべてインドネシア語である。

 

そう言って部屋を出たラウが、瞬時に、アチェのサチコとタカシのいる部屋に入って来た。

 

まさに、「海を駆ける異体」だった。

 

(注1)【これは、スマトラ島北端に位置するバンダ・アチェアチェ州の州都)を震央にし、22万人の犠牲者を出した「2004年スマトラ島沖地震」のことで、地震の規模のエネルギー量を表す指標値である「モーメント・マグニチュード」(Mw)において、2011年「東日本大震災」の約1.4倍に相当すると言われる。因みに、近代地震学の計器観測史上で世界最大なのは、1960年に起こった「チリ地震」である】

 

(注2)【「アチェ独立運動」とは、インドネシアからの分離・独立を標榜して、1976年に結成された武装組織「自由アチェ運動」を主体にする反政府運動であり、スハルト政権下で30年間に及んで1万5千人の犠牲者を出した大規模な武装闘争だった。「ヘルシンキ和平合意」(2005年)において停戦に至った】

 

以下、人生論的映画評論・続: 海を駆ける('18)   深田晃司より

DVの犯罪性を構造的に提示した映画「ジュリアン」 ―― その破壊力の凄惨さ グザヴィエ・ルグラン

f:id:zilx2g:20201024071307j:plain

1  寄る辺なさ生活拠点を失った男と、男によって奪われた母子の〈生〉の現在性

 

 

 

「両親は離婚して、ママと姉と住んでいます。もうすぐ、姉さんの誕生パーティーです。おじいちゃんの家に住んでます。勉強は一人でちゃんとやっています。友達がいっぱいいて楽しいです。あの男が来るのが怖くて、外で遊べません。おじいちゃんも怒鳴るから最悪です。あの男はママをいじめてばかりいます。ママのことが心配なので、離婚はうれしい。僕がママと姉さんのそばにいないと。僕も姉さんも、あいつが嫌いです。週末の面会を強制しないでください。二度と会いたくありません」

 

これは、離婚後の親権を巡る家裁で読み上げられた、11歳の息子ジュリアンの陳述書である。

 

読み上げたのは家裁の調停員。

 

この嫌悪感に満ちた陳述書を聞いているのは、ジュリアンの父アントワーヌ・ベッソン

 

以下、親権を巡る家裁での、長い離婚調停の弁論の内実。

 

「子供2人の親権ですが、18歳のジョセフィーヌは対象外。しかし、ジュリアンは、まだ子供。それで希望を聞いたのです。夫側の要求には同意できません。ベッソン氏は、共同親権を求めており、近隣に引っ越して来ました。ですが、子供たちは明らかに会いたがっていません。ジュリアンは父親に対し、厳しい表現を使って拒絶しています。子供たちが不安を感じる理由を示すものとして、父親の暴力による長女のケガの診断書を添付しました。従って、子供たちが母親と暮らせるように求めます。ジュリアンが父親と会うかどうかは、彼の意志に任せるよう、取り決めを希望します。彼女は離婚訴訟を取り下げ、精神的負担のかかる調停を選びました。理由は夫に脅されたからです。電話をしたり、実家に押し掛けたりしたのです」

 

ミリアム側の弁護士の陳述である。

 

「証拠はありますか?」と調停員。

「彼女の両親の証言があります」

「脅迫の証拠です」

「いいえ。番号を頻繁に変えたため、録音が残っていないのです。条件の話に戻りますが、妻側は慰謝料は要求しません…貯金もなく、ゼロからの再出発になります…新居を探すための費用も早急に必要なので、共同財産の5000ユーロ分を前金として頂きたい。夫に対し、支払い命令を出すことを要請します」

 

今度はアントワーヌ側の弁護士。

 

「確かにジュリアンは、父を悪く言っています。でも、子供の教育は両親2人の責任です。ベッソン氏は近くに移住し、共同親権を求めただけ。脅迫や娘への暴力で非難されるとは心外です…彼の両親も孫と会えなくなり、被害者と言えるでしょう。また、同僚は彼はリーダーで、穏やかな人物を評価しています…“心が広く自然を愛し、飲酒もしない”とのことです。いたって普通の人間であり、先ほど話に出た人物像とは、全く違います。脅迫の証拠があるなら、警察に訴えて捜査すべきです…控えめに言っても、父と子の絆を断ち切ったのは夫人です。それ以来、彼は子供と話すことさえできません。実家の電話番号も分からない。確かにベッソン氏は、夫人の実家に押しかけ、車中で夜を明かしました。でも子供に会いたいが故にやったことです…(略)ベッソン夫人は、子供の権利を奪ったのです…ですから、要求は変わりません。2週に1度、土曜の昼から日曜午後6時までの面会です。彼は近くに住んでいるので、親権は共同とし、隔週末と休暇に会わせて欲しい。彼女の住所も必要です」

「ジョセフィーヌの診断書ですが、何があったのですか?」と調停員。

「ボーイフレンドのサミュエルと…娘が帰宅するのを待ち、殴ったんです…帰宅するとケガをしていて、翌日、娘が学校でそのことを相談したんです」とミリアム。

「娘は体育でケガをしたんです。他に何を言えと?」とアントワーヌ。

「どちらかが、ウソということですね…子供たちの訴えを、どう証明します?」と調停員。

「なぜか分かりません。何か吹き込まれたのかも」とアントワーヌ。

「お子さんは、あなたの味方のようです」と調停員。

「息子は自分から、陳述書を書くと言ったんです」とミリアム。

「父親を奪うのは、息子のためにならない」とアントワーヌ。

 

以上、あとは家裁の裁定を待つだけだった。

 

この親権問題に直接関わりのないジョセフィーヌは、今、恋人のサミュエルとの恋愛しか関心がなく、彼と会うために学校を休むことで、ミリアムに小言を言われる始末。

 

ミリアムは家族と新居の見学中に、裁判所で共同親権を認める裁定の知らせを受ける。

 

早速、週末にアントワーヌが車でジュリアンを迎えに来た。

 

父に会いたくないジュリアンの気持ちを汲み取り、腹痛を理由にミリアムが携帯で断るが、「それなら訴える」という一点張りのアントワーヌ。

 

当然の如く、ミリアム自身もジュリアンを会わせたくない。

 

そのやり取りを聞いて、やむなく車に乗り込み助手席に座るジュリアンは、露骨に嫌な顔をしている。

 

アントワーヌの実家に着くと、両親が待ち構えて歓待する。

 

「パパ、週末を交換しようよ。僕も姉さんのパーティーに出たいし」

 

ジュリアンの提案に何も答えず、無視するアントワーヌ。

 

アントワーヌはジュリアンのバッグを勝手に開け、学校の連絡ノートに父親の欄が修正液で消されているのを目視する。

 

翌朝、家に送る車の中で、アントワーヌがジュリアンを追求する。

 

「俺は、あの男か?パーティーに行きたいか?なぜママは、お前に言わせて、自分で頼まない?普通は親同士で話し合うもんだ」

 

「ママは携帯ない」と嘘を言って誤魔化すジュリアンだったが、アントワーヌは高圧的に連絡ノートを出させ、ミリアムの携帯に電話をかける。

 

ミリアムと話し合うために、家の前に車を止めて待つが、置き忘れたカバンを取りに戻ったジュリアンはママは居ないと言う。

 

「ママは普通じゃない」

「出かけたって。カバンを返して」

「パーティーに行けないのはママのせいだ」

 

そう言うや、カバンをジュリアンに投げつけ、車で走り去る。

 

再び週末がやって来て、アントワーヌは明るい調子でジュリアンを迎えた。

 

パーティーに行けることを匂わせながら、ミリアムとの会話を持ちかけるが、ジュリアンは、ママは留守だと頑なに拒絶する。

 

「クソッタレ!」

 

助手席に座り、思わず吐き捨てるジュリアンだが、アントワーヌは何も反応せず、車を出す。

 

実家に着き、食事をしながらも、ジュリアンたちの行動をアントワーヌが監視していることが露わになる。

 

新居の場所を探ろうとしているのだ。

 

その行き先を執拗にジュリアンに問い質すアントワーヌに対し、祖父の制止を無視したことで、父子は激しい言い争いを始めてしまう。

 

「子供たちがお前に会いたがらないのも当然だ!二度と家に足を踏み入れるな!」

 

ジュリアンの手を引き、実家から足早にで行くアントワーヌを、彼の父は罵倒する。

 

怯(おび)えるジュリアン。

 

「俺を怒らすと、どうなると?ママが間違ってるんだ。コケにするなら、痛い目に遭わせてやる!俺は、お前たちの家を知る権利がある!」

 

引っ越し先を教えようとしないジュリアンに、シートを叩きながら恫喝し、ジュリアンは泣きながら、その場所を教えざるを得なくなった。

 

ジュリアンの誘導で車を新居に止めたところで、鍵を暴力的に奪ったアントワーヌは、その建物に近づくが、そこでジュリアンは逃げ出した。

 

ジュリアンは嘘をついたのだ。

 

少し走って、ジュリアンは父親の様子を見に戻ると、鍵をかざして、家まで送ると言うアントワーヌの車に再び乗り、鍵を返すように訴える少年。

 

それに答えないアントワーヌは、レティシアがジュリアンたちを見たという場所に車を止めた。

 

「ママを殴らないで」

「探し出す」

 

結局、ジュリアンはアントワーヌから首根っこに手を回され、観念して新居のアパートに連れていき、エレベーターに乗り込んだ。

 

鍵を返されたジュリアンは、アントワーヌを伴って家に入っていく。

 

「何の用?」

「子供の部屋を見に来た」

 

怯えるミリアムに対して、アントワーヌは、突然、キッチンで嗚咽する。

 

「俺は変わった」

 

そう訴え、ミリアムを抱き締め、号泣するのだ。

 

「もう行かないと」

「明日、迎えに来る」

「いいわ」

 

実家に戻ると、父親がアントワーヌの荷物を、塀の外に積み上げていた。

 

寄る辺なさ生活拠点を失った男は、完全に行き場を断たれてしまったのである。

 

以下、人生論的映画評論・続: DVの犯罪性を構造的に提示した映画「ジュリアン」 ―― その破壊力の凄惨さ グザヴィエ・ルグランより

ロスト・イン・トランスレーション(’03)   ソフィア・コッポラ

f:id:zilx2g:20201018064036j:plain

<「時間」と「空間」が限定された、一回的に自己完結する心理的共存の切なさ>

 

 

 

1  東京滞在に馴致できない中年男と、年若き女の出会いと別れの物語

 

 

 

パークハイアット東京ホテルに、二人のアメリカ人が宿泊している。

 

一人は、ウィスキーのCM撮影のために来日したハリウッドスターのボブ。

 

早速、スタジオで撮影に入るが、日本語が分からないボブは、通訳を介し、CMディレクターから,威圧的な態度で「もっとテンションを上げろ」と指示されるが、要求されている内容が理解できず、戸惑うばかり。

 

そんな状況下で、部屋でテレビを見ても、バーで飲んでいても落ち着かず、早く仕事を終えて帰国することばかり考えている。

 

もう一人は、カメラマンの夫ジョンに随行して、大都市・東京にやって来たシャーロット。

 

仕事が忙しく、ジョンに相手にされないシャーロットは、東京の街を一人で寂しく歩いて回るが、彼女もまた言葉が通じず、寺や生け花に接しても、心を動かされることがない。

 

ホテルの部屋に戻り、友人に電話しても話を聞いてもらえず、孤独感が極まって涙を零してしまうまうのだ。

 

ジョンの仕事の打ち合わせに同行したシャーロットは、バーに居合わせたボブと目が合い、笑みを交わし、ボブに一杯のお酒をプレゼントする。

 

不眠に悩むシャーロットとボブは、再びバーで出会い、会話する。

 

「なぜ東京に?」

「妻から逃れ、息子の誕生日を忘れ、200万ドルのギャラで、ウィスキーのCMに出てる。CMより芝居に出るべきだが。でも酒で気分がいい。君は、なぜ東京に?」

「カメラマンの夫が東京で撮影があって。ヒマだからついてきたの。東京に友人もいるし」

「結婚して、何年?」

「2年よ」

「僕は25年だ」

「あなたは“中年の危機”かも…25年だなんて。すごいわ」

「人生の三分の一は眠ってるから、8年と少し引ける。残りは16年と少し。16歳は、まだ“青春”だ。運転できるけど、事故を起こしやすい。君の仕事は?」

「まだ何も。春に大学を卒業したばかり」

「専攻は?」

「哲学よ」

「そいつは儲かりそうだ」

 

時に笑いながら、シャーロットは会話を繋いでいく。

 

「眠れないの」

「僕もだ」

 

最後の一言は、東京滞在に馴致(じゅんち)できない二人の本音だった。

 

夫の仕事仲間と飲みに行っても、溶け込めず、いつものように、バーに来ているボブに近づき、声をかけるシャーロット。

 

「楽しんでる?」

「秘密を守れる?脱獄を計画してる。共犯者が必要だ。このバーを出て、ホテルから逃げ出す。街からも、この国からも。やるか?」

「いいわ。荷物をまとめる。コートも。じゃあね」

 

そんな冗談めいた短い会話が、本当に遂行された。

 

ホテルの脱出計画が実行されたのだ。

 

ジョンが撮影の仕事で福岡へ行く留守の孤独を埋めるために、シャーロットの東京の友人チャーリーと会う約束にボブを誘ったのである。

 

再開した友人たちと飲み、踊り、街を走り抜け、カラオケを歌い、存分に愉悦する二人。

 

遊び疲れた二人は、タクシーでホテルに戻る。

 

ボブはシャーロットを抱え、彼女の部屋のベッドに寝かせるが、何も起きない。

 

それ以降、二人は遊びに出かけたり、病院へ行ったり、眠れぬ夜は部屋で一緒に酒を飲んだりして、会話が重ねられていく。

 

例えば、こんな会話もあった。

 

「なぜ日本人は“RとL”が苦手なの?」

「わざとさ。ふざけてるんだ。間違った発音で、楽しみたいのさ」

「二度と東京には来ない。今回が楽しすぎて」

「そうだな。君の言う通り」

 

東京で味わった孤立感が、ホテルの脱出計画の実践躬行(じっせんきゅうこう)を契機に、様々な体験の共有によって、「TOKYO」の多様性を感受し、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)することができたのである。

【ついでに書けば、日本では、LとRが音声として存在しないからである】

 

「君は、絶望的じゃない」と、ボブに言われたシャーロットは、その言葉を推進力に、一人で新幹線に乗り京都へ行く。

 

初めてシャーロットが能動的に行動し、「不思議の国・JAPAN」と遭遇したのだった。

 

古い寺社を訪ね、静寂な古都の空気感に自らをゆだねていく。

 

シャーロットとの関係で少し元気が出たボブは、予定を変更してテレビのトーク番組に出演した。

 

一方、携帯電話に日常生活の些末なことで、逐一、電話をしてくる妻リディアに合わせていたが、そろそろ限界にきていた。

 

今回は、書斎の絨毯の色の変更についてだった。

 

「君に任せる。自分を見失った」

「たかが、絨毯よ」

「そのことじゃない」

「じゃ、何なの?」

「分からない。健康になりたい。自分を大切にしたい。まずは食生活を健康に。もうパスタはイヤだ。日本食のような食事がいい」

 

夜、バーのいつもの席で飲んでいると、専属歌手の女性に誘惑され、朝起きたら、ベッドを共にしたことに気づく。

 

嫌悪感に襲われたボブは、部屋にシャーロットがスシを食べに行かないかと誘い来るが、今は無理だと断る。

 

シャーロットも、「取込み中」と察知し、退散する。

 

その後、二人でしゃぶしゃぶ店に行くが、気まずい雰囲気で会話が弾まない。

 

世代の違う二人の共有言語が見つかっていないのだ。

 

その夜、ホテルの火災報知機が鳴り、部屋着のままロビーに集まる客たち。

 

シャーロットはそこでボブに気づき、立ち話で、明日、出発することを知る。

 

バーで見つめ合う二人。

 

「帰りたくない」

「じゃ、私と一緒に残って」

 

翌朝、出発のロビーで関係者に挨拶をするボブ。

 

シャーロットが部屋から降りてきて、別れの挨拶を交わすが、心残りのボブは、彼女が去るのを見つめている。

 

タクシーに乗り、ふと見ると、街中を歩くシャーロットの後ろ姿が目に留まった。

 

タクシーを降りて、シャーロットの元に行き、そっと抱擁し合う二人。

 

シャーロットは涙を浮かべ、ボブはその耳元に、何かを囁(ささや)く。

 

別れ際にキスを交わし、二人はそれぞれの方向へ歩いていく。

 

以下、人生論的映画評論・続: ロスト・イン・トランスレーション(’03)   ソフィア・コッポラより

「別離のトラウマ」の破壊力 映画「寝ても覚めても」('18) ―― その「適応・防衛戦略」の脆弱性  濱口竜介

f:id:zilx2g:20201010072838j:plain

1  震災が、うまく折り合えない二人の関係を溶かし、親愛感を強化していく

 

 

 

「朝ちゃん、あれはあかん。一番あかんタイプの奴や。泣かされてるのが目に見えてる」

「バクっていうの、麦って書くねん。妹さんがマイって言うねん。米って書いて、マイ。お父さんが北海道で、穀物研究してんねん。いい名前やない?麦って書いて、バク。あたしは、すごく、いい名前と思った」

 

その麦に一目惚れした朝子が、彼女を心配する親友の春代と、クラブで踊っている時の会話である。

 

そんな春代のアドバイスにも拘らず、朝子は麦とツーリングしたり、共通の友人たちと遊んだりして、楽しく過ごしていた。

 

舞台は大阪。

 

ある日、朝子は、麦が居候中の岡崎の家に泊りがけで遊びに行った。

 

夜になり、パンを買いに行くと言って出かけた麦は、翌朝になっても帰って来なかった。

 

心配する朝子を尻目に、岡崎は麦が一週間くらい帰って来ないのは、よくあることだと言う。

 

不安になった朝子が、家を飛び出していくや、麦が帰って来た。

 

抱きついた朝子に、麦は言う。

 

「朝ちゃんのところに、必ず帰って来る」

 

「半年後、麦は靴を買いに出かけると言って、そのまま帰らなかった」(朝子のモノローグ)

 

2年と、少し後。

 

そんな朝子が、失踪した麦と瓜二つの亮平に会ったのは、東京で喫茶店に勤めてからだった。

 

隣のビルの酒造メーカーに、コーヒーポットを取りに行った際、大阪から転勤してきたばかりの亮平を見るなり、麦と思い込み、衝撃を受ける。

 

しかし、名前を言ってもピンときていない様子の亮平に、立て続けに発問していく。

 

「東京は初めてなんですか?」

「いや、出張では何度かありましたけど、住むのは初めてです」

「出身は?」

「姫路です。大学から大阪で」

「ご兄弟は?」

「一人っ子です。これ、何のアンケートですか?」

「お名前は?」

「丸子亮平」

「麦やん…」

「え?俺が、まさか、バクに似てるって言うてんの?」

 

その反応を耳にするや、朝子は部屋から走り去った。

 

亮平は、奇妙なことを口走る朝子のことが気になり、彼女に近づこうとするが、朝子は拒絶的な態度を崩さない。

 

ある日、亮平は会社帰りに、写真展の前で立っている朝子を見つけ、声をかける。

 

そこに朝子のルームメイトのマヤが遅れてやって来て、入店を断られるが、亮平が取り成して、何とか3人で写真展を見ることができた。

 

その写真展こそ、最初に麦と出会った同じ作家の作品展だった。

 

その後、3人で喫茶店に入り、亮平とマヤの話は盛り上がるが、朝子は相変わらず口数が少ない。

 

突然、「もう帰る」と言って、朝子は一人で帰宅してしまう。

 

帰り際に自宅に来るようにマヤに誘われた亮平は、後日、同僚の串橋を連れて、朝子とマヤの家を訪ねる。

 

女優志望のマヤの舞台のビデオを4人で観ていたが、串橋は突然帰ると言い出し、険悪なムードになった。

 

マヤに理由を聞かれた串橋は、マヤの演技を安っぽく、自分に酔っているだけだとと誹議(ひぎ)し、「これでは誰にも届かない」と持論を展開するのだ。

 

それに対し、朝子はマヤを擁護する。

 

「ちゃんと、私には届いた。一つのことを、ずっと続けているマヤちゃんを凄いと思う。自分にはできないって、いつも思う。尊敬してる」

 

見かねた亮平も、マヤに謝るように促すと、串橋はそれに応じる。

 

「すいませんでした。言うべきじゃなかった…嫉妬したんだと思います。自分が諦めたことをずっと続けている人がいて、その人が輝いていて、それで、言ってしまいました」

 

亮平の仲介によって、この場はそれで収まり、4人の交流は続いていく。

 

翌日、いつものようにコーヒーポットを受け取って戻ろうとする朝子を、亮平が追って呼び止めた。

 

「何で、君はいつも、僕から逃げんねん。何かの勘違いなら申し訳ないけど、君かて、俺のこと、気になってんのちゃうか。初めて会ったとき、何か、感じたんとちゃうか。俺は、ずっと君のことが気になってる…俺は多分、君のことが好きなんやと思う。もっと、段階踏めたらいいんだろうけど、いつも話にならんし、でも、俺、多分、君が思うてるような奴やないで。そんな怖い奴でも悪い奴でもない…俺のこと、ちゃんと見てくれ。俺は、君が好きや」

 

朝子は俯(うつむ)いたまま話を聞いていたが、亮平の差し伸べた手に朝子も応え、二人はそこでキスする。

 

亮平はマヤの舞台があることを知り、夜の部に行くと言うが、朝子は昼の部にしてくれと言う。

 

「すみません、もう無理です。もうお会いできません。私のこと、忘れてください」

「ちょっと、急に何で?」

「ごめんなさい」

 

唐突だった。

 

突然、朝子から亮平に携帯がかかってきたのだ。。

 

折り返しかけても、不通の状態。

 

亮平は、マヤの舞台を昼の部に変えて行くが、朝子が翌日に変更したことを知る。

 

そして、舞台が開幕する直前に、突如、強い地震が起こり、公演は中止となる。

 

東日本大震災である。

 

交通機関はストップし、歩行者で溢れる東京の街を、亮平も歩いて会社に戻っていく。

 

路傍に座り込み、涙する女性に声をかける亮平。

 

亮平の優しい性格が透けて見える。

 

日が暮れて、なお歩き続ける、無数の人々が群れを成している。

 

亮平の足が止まり、その先に、朝子の姿があった。

 

ひしと抱き合う二人。

 

「亮平」

 

初めて、その名を呼んだ朝子の眼には涙が滲んでいた。

 

未曽有の災害の恐怖が、朝子の中枢を襲い、凍てついた感情が一気に溢れ出してしまったのだ。

 

震災が、うまく折り合えない二人の関係を溶かし、親愛感を強化していったのである。

 

以下、人生論的映画評論・続: 「別離のトラウマ」の破壊力 映画「寝ても覚めても」('18) ―― その「適応・防衛戦略」の脆弱性  濱口竜介  より