夜明けの祈り('16)   アンヌ・フォンテーヌ

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<「暗闇で叫んでも、誰も応えない」冥闇の世界 ―― それが十字架だった>

 

 

 

1  「この恐ろしい出来事と、信仰の折り合いがつきません」

 

 

 

修道院から戒律を破って逃げ出した一人の修道女。

 

フランス赤十字の病院に駆け込み、助産の助けを求めるが、ポーランド人は無理だと断られる。

 

対応したのは女医マチルド。

 

彼女が窓の外を見ると、追い返したはずの修道女が、祈りを捧げている。

 

直ちに、修道女の意を汲んで、マチルドは彼女と共に修道院へ病院車を走らせた。

 

到着すると、臨月の女性が苦しんでいた。

 

マチルドは即座に手術を施し、赤ちゃんを取り上げた。

 

それを見守る院長マザー・オレスカとシスター・マリア。

 

マチルドは合併症の危険があるので、翌日、ペニシリンを届けに来るとマリアに申し出る。

 

「“讃歌”の時に来て。夜明けの祈りよ。皆が祈っている間に中へ」とマリア。

 

翌日、マチルドを連れて来た修道女は叱責を受ける。

 

「もう二度としないように」とマリア。

「8日間、部屋で祈りなさい」とオレスカ。

 

そして、夜明けの祈りの最中に、マチルドは再び修道院を訪れる。

 

出産したシスター・ゾフィアの手術の手当てをしたが、産まれた新生児は既に叔母に預けられ、修道院にはいなかった。

 

更に、もう一人、妊娠中のシスターが倒れたのを知らされると、マチルドはオレスカに呼ばれ、状況の経緯の説明を受ける。

 

独軍に占領された後、ソ連軍がやって来た。ソ連兵が、この修道院に侵入してきた時は、まるで悪夢のようだった…乗り越えられたのは、神のお陰よ。兵士たちは数日間いた」

「何人が身ごもったの?」

「7人。ゾフィアを除けば6人」とマリア。

「神以外の助けもないと。専門家が必要よ。ポーランド赤十字助産師を」

「そんなことをしたら、修道院が閉鎖される。ここを出て、恥をさらすことになる。町中のさらし者よ。死のうとする者も多い」とマリア。

「だから、秘密を守らないと」とオレスカ。

「このままじゃ…」

「手助けします」とマリア。

「どちらにしろ、天国に旅立つだけ。大切なのは命よ」

「誰も修道院には入らせない」とオレスカ。

「ならいいわ。上司に報告する」

 

そう言って、部屋を出ると、マリアが追いかけて来た。

 

「院長が許可を…あなた以外は認められない」

 

その夜、マチルドは同僚の医師サミュエルと酒場で語り合っていた。

 

マチルドは労働者階級の娘で、両親が共産主義者で、自分もその影響を受けたと吐露する。

 

「両親は収容所で死んだ…もうフランスには戻らない。自由だ。君は?」

 

ユダヤ人のサミュエルの話を聞いたマチルドは暗い面持ちになるが、憂鬱なのは嫌だというサミュエルに誘われ、ダンスを踊る。

 

その夜、マチルドのアパートで二人は結ばれた。

 

教会では、オレスカが妊娠したシスターの相談を受けていた。

 

「この恐ろしい出来事と、信仰の折り合いがつきません。神の花嫁になる覚悟でしたが、これが思し召しとは」

「思し召し?」

「出来事は神のご意向では?」

「ご意向はわかりません。確かなのは神の愛のみです」

「私の中に宿った命が、じき姿を現します。神は私にどうしろと?」

「ひざまずいて、祈りましょう。それが唯一の慰め」

 

並んで祈る二人。

 

出産したゾフィアにマリアが慰める。

 

「厳しい試練だけど、信仰と使命感をさらに強くしてくれる」

 

後任の神父が来ないが、2か月後に「誓願式」(入会後に、終生、神に奉献することを誓うカトリック教会の儀式)を行うので、それまでにマチルドの診察を受けるようにと、オレスカはシスター全員を前に訓示した。

 

早速、シスターたちが順番にマチルドの診察を受けていく。

 

中には、診察を拒否する者もいた。

 

「地獄へ行きたくない」

 

ポーランド語を通訳するマリアはマチルドに説明する。

 

「罰を恐れてるの…現実はどうあれ、貞節を守る必要があるの」

「凌辱されたのは、わかるけど、私はどうすればいいの?」

「複雑よ。肌を見せてはいけないので。人に触らせるのも罪だから」

「危険を冒して来てる。診察中だけ、神を脇に置けないの?」

「そういうわけには…説得してみる」

 

しかし、順番を待つシスターは一人もいなくなっていた。

 

その帰路、マチルドはソ連兵に車を停止され、レイプされそうになり、激しく抵抗する。

 

将校に制止され、最悪の事態は避けられたが、通行止めで再び修道院へ引き返さざるを得なかった。

 

ショックを受けたマチルドは、修道女たちの「夜明けの祈り」に聴き入る。

 

そんな中、ソ連兵が修道院に押し掛けてきた。

 

シスターたちは逃げるが、ソ連兵は敵を匿っていると決めつけ、修道院内を隈(くま)なく捜索しようとする。

 

ソ連兵の前に立ち塞がったマチルドは機転を利かせ、チフスが流行していると告げ、彼らを追い返すのだ。

 

チルダに礼を言うオレスカ。

 

しかし、そのオレスカもまた、ソ連兵にレイプされていたのだった。

 

マリアも堪えきれず、嗚咽する。

 

「どんなに祈っても、心が慰められないの。毎日、あの時の光景が甦ってくる。男たちの臭いまで。彼らは3回来た。毎回必ず…殺されてもおかしくない。殺されなかったのは奇跡よ。私は、まだ運がいい方なの。ここへ入る前に恋人がいたから。でも、大半が処女だった」

「それでも、信仰を失わない?」

「信仰というのは…最初は子どもと同じ。父親に手を引かれて安心する。そして、ある時、父親が手を離す時が。必ずやってくる。暗闇で叫んでも、誰も応えない…不意に襲われ、心を打ち砕かれる。それが十字架よ」

 

その直後、シスターたちがマチルドの元に走り寄り、口々に称(たた)えながら彼女を抱擁する。

 

「私たちを見捨てないで」

「あなたは救世主よ」

 

しかし、「救世主」のマチルドがフランス赤十字に戻ると、上司の大佐から無断外出を厳しく咎められるのである。

 

マチルドが置かれている状況はシビアになっていく。

 

 

人生論的映画評論・続: 夜明けの祈り('16)   アンヌ・フォンテーヌより

獣は月夜に夢を見る('14)   ヨナス・アレクサンダー・アーンビー

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<「村社会」の破壊的暴力に抗し、自らの「獣性」によって弾き返す少女の成長譚>

 

 

 

1  獣人化した少女が拉致した者たちを噛み殺していく

 

 

 

北欧のとある漁村に住み、魚の加工工場で働く少女マリーは、そこに勤める仲間たちから魚の廃棄物の水槽に落とされるという、手荒い歓迎を受けた。

 

家に帰ると、自身も定期受診しているラーセン医師が、父と深刻な面持ちで話をしていた。

 

母の病気の診察に訪れたというが、マリーは不安げな表情で、ラーセンが持ってきた書類を部屋に持ち帰り、中身を確かめる。

 

そこには、発疹の出ている画像やX線写真があった。

 

ラーセンが帰った後、いつものように、父は母の腕に注射を打ち、浴室で体を洗い、背中の毛を剃っていた。

 

その場を覗き見しているマリーに父は気づくが、そこに会話がなかった。

 

マリーは工場生活に慣れ、そこでダニエルと親しくなる。

 

食堂で、入社日に水槽にマリーを突き落としたエスベンが話しかけてくるが、マリーは無視する。

 

「母親に似たのか?」

 

その言葉を聞くや、マリーはコップを投げつけた。

 

その場にいたフェリックスは、マリーを庇い、二人は外で煙草を吸って寛ぐ。

 

「母親の具合は?」

「いいわ」

 

更衣室で着替えていると、二人の男(一人はエスベン)に抑えつけられ、魚を顔に押し付けられるという悪質な嫌がらせを受ける。

 

シャワーを浴びると、マリーの胸の発疹が更に赤く広がっていた。

 

衝撃を受け、呼吸を荒げるマリー。

 

車椅子の母を連れ、散歩しているマリーに、バイクに乗ったダニエルが話しかけてきた。

 

ダニエルは母親の手を握り、挨拶する。

 

ダニエルからの遊びの誘いを断って、帰宅したマリーは、母親に食事の世話をする。

 

「母さんは何の病気?」

 

マリーは、一番気になっていることを父に尋ねた。

 

そのまま部屋に戻ったマリーを父が呼び出すと、マリーは父に胸の発疹を見せた。

 

再び、ラーセンが自宅にやって来た。

 

「もう、隠しておけない…先生から、お前の病気について話がある」

「病気のせいで君の体に異変が起きているはずだ。お母さんの症状から判断して、君の体はどんどん変わっていき、体じゅうが毛深くなるだろう。それだけじゃない。感情面でも、気が短くなり、攻撃的になる。だから薬を飲んだほうがいい」

「薬は飲まない」

「いうことを聞け」と父。

「父さんこそ聞いて。先生が間違ってる。私は絶対に飲まないから」

 

そう言うや、マリーは家を出て、港の外れにある廃船の中に入っていく。

 

先日、盗み見したラーセンの資料の画像の中に気になる画像があったからだ。

 

船内で発見したのは、其処彼処(そこかしこ)にある爪痕だった。

 

その直後、マリーはフェリックスの家を訪ねた。

 

「港にあるサビついた古い船の持ち主は?」

「ロシア人の2人組」

「今、どこに?」

「ロシアで酒をあおってるよ」

「母さんが乗船したことは?」

「お前の母親は…美しいが、怖がられていた。お前と同じだ。首を突っ込むな」

 

フェニックスの誘いで、二人はナイトクラブに踊りに行く。

 

そこにダニエルもいた。

 

マリーはダニエルの耳元で囁いた。

 

「私が怪物になってしまう前に抱かれたいの。手伝ってくれる?」

 

店を出て、二人は廃船の中で結ばれる。

 

マリーの裸の背中には、背筋に沿って体毛が伸び始めていた。

 

帰宅するや、父とラーセンがマリーを抑えつけ、注射を打とうとするが、母がラーセンに襲いかかり、殺害してしまう。

 

ラーセンの死体処理をする父。

 

フェリックスの話したロシア人の二人も、母に手を出して殺されたことを父は認めた。

 

ラーセンの失踪は、村人たちの噂になっていて、マリーの家に村の者たち(工場の関係者)が訪れ、母の爪や歯茎を確認していった。

 

マリーは工場に出勤するが、既に、工場の従業員はラーセンの失踪を知っていて、マリーに冷たい視線が投げかけられる。

 

帰宅すると、母が浴槽で溺死しているのを発見する。

 

自死である。

 

絶叫する父。

 

孤立を深めるマリーと父。

 

母の棺を送り出す二人に、村人たちは、遠くでひそひそと噂しながら、父娘に冷たい視線を向ける。

 

教会で葬儀が始まった。

 

マリーの両手の爪が赤く滴り、血が落ちた。

 

その指のまま、構わずマリーは弔問客にコーヒーを振舞う。

 

父の制止を聞かず、敢えて自らの姿を晒していくのだ。

 

自宅に帰っても挑発的な行動を止めないマリー。

 

コップのガラスを食べ、口の中を血だらけにするのだ。

 

「いい加減にしろ。止めろ!」

 

マリーは服を着替え、出勤しようとする。

 

「外では助けてやれない。家にいろ」

 

マリーは父の制止を振り切って、工場に出かけ、仕事を続けるのだ。

 

マリーの更衣室のロッカーには、大量の魚の廃棄物が投げ入れられていた。

 

それだけではなく、自転車で帰ろうとすると、複数のバイクで追いかけられ、フェリックスの家に助けを求めて走っていくが、反応はなかった。

 

更に逃げていくと、一人の男に襲われるが、反対に噛み殺してしまう。

 

廃船で寝ていると、ダニエルがやって来た。

 

「起きて、マリー。寝てる場合じゃない。早く逃げないと、やつらが捜してる」

「何があったの?」

「覚えてない?」

エスベンを殺した」

「まさか」

「船を用意して迎えに来るから、ここで待ってろ。一緒に逃げよう。どう?」

 

マリーはいったん家に戻り、リュックに荷物を詰め、脱出の準備をする。

 

父が部屋にやって来た。

 

「キレイだ」

 

そう言って、娘を思い、涙する。

 

「マリー。バカなマネはするな」

 

優しく語りかけ、娘を見送る父。

 

廃船に戻ると、そこにはダニエルではなく、フェリックスを含む工場の従業員らがマリーを待ち受けていた。

 

殴られたマリーは、漁船の地下室に拉致されてしてしまう。

 

ダニエルはマリーを救おうと、密かに船に乗り込んだ。

 

出港した船内では、既に獣人化した狂暴なマリーが次々に拉致した者たちを噛み殺していく。

 

最後に殺害されたのはフェリックスだった。

 

その惨状を目の当たりにしたダニエルだが、そんな獣人の顔になったマリーを優しく抱きしめる。

 

翌朝、意識を失っていたマリーが目を覚ます。

 

「ダニエル?」

「ここにいる。君のそばに」

 

そう言って、ダニエルはマリーの手を握り締める。

 

ラストカットである。

 

人生論的映画評論・続: 獣は月夜に夢を見る('14)   ヨナス・アレクサンダー・アーンビーより

きっと、いい日が待っている('16)   イェスパ・W・ネルスン

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<決定的に成就する、「月面着陸」という復讐劇>

 

 

 

1  「幽霊になること」を強いられた少年たち

 

 

 

1967年 コペンハーゲン

 

望遠鏡や雑誌を万引きし、店員に追いかけられ、2人の兄弟が逃走する。

 

エリックとエルマーである。

 

まもなく、“児童保護サービス”に捕捉された二人を、母親が迎えに来る。

 

「学校の報告によれば、無断欠席やケンカに無気力、盗みも働いている」

 

そう指摘され、施設行きを促されるが、病気がちな母親は、困窮する母子家庭の背景を説明し、今回だけは施設行きを免除された。

 

「兄弟の父親は数年前に、首を吊って自殺。母一人だった。エルマーは内反足で、人類が月に行ければ、大抵の問題は解決すると信じていた。母親に会ったことはないけれど、笑顔を想像できる。何があっても、希望を保つしかない」(トゥーヤのモノローグ/以下、モノローグ)

 

「母親は工場に行かず、自転車置き場で具合が悪くなり、家に戻った。重病だった。叔父によれば“癌”だ」(モノローグ)

 

叔父は定職がないため、行政の指示で、二人は児童施設に預けられることになった。

 

入所した翌朝、一斉に起こされ、皆、無言でオートミールの牛乳のみの朝食を摂る。

 

ヘック校長(以下、ヘック)が入って来るや、全員起立して挨拶をする。

 

ヘックは新任の国語教師のハマーショイ先生(以下、ハマーショイ)を紹介する。

 

続いて、ヘックに新顔のエリック兄弟が紹介された。

 

「将来、何になりたい?」

「宇宙飛行士」

 

エルマーがそう答えるなり、二人を直接指導する一人の教師(以下、この体罰教師がトフトという名であることが、トゥーヤのモノローグで判明する)が平手打ちを食らわした。

 

「勘違いはいけない。やり直そう。では、まずは堤防への岩運びをさせろ」

 

ヘックがそう言うや否や、エリックが反発した。

 

「できません。弟は内反足で、重い物を持つと足が痛むんです」

 

校長は全く取り合わなかった。

 

「勝手に校長に話しかけるな。分かったか?」

 

今度は、エリックにトフトのビンタが飛んだ。

 

ハマーショイを教室に案内した際、ヘックは指導方針を説明する。

 

「ここの子供たち皆を、そこそこの職人にするのが我々の義務だ。たとえ体罰を用いてでも」

「私は体罰は与えませんが、分かりました」

 

それだけの会話であるが、既に体罰を目視しているハマーショイにとって、この児童施設での仕事の馴染みにくさを感じ取っていた。

 

岩運び作業の日課を、皆で行っていた時だった。

 

昼食はビスケットのみ。

 

兄弟に話しかけてきたトゥーヤは、仲間のトッパーとロードも紹介した。

 

「生き残るには幽霊になれ。目立たないように。いつか“永久許可証”がもらえる。施設を卒業できる。15歳までには。それまで透明人間でいろ」

 

その一方で、施設の他の少年たちから貢ぎ物を出せと、酷い暴力的な虐めを受ける。

 

「兄弟は初日に逃げ出した。あまりにショックで、家に帰りたくなった。逃亡で学ぶ教訓だ。施設の子の味方はいない」(モノローグ)

 

結局、兄弟がヒッチハイクした車は、二人を施設に送り返したのだった。

 

エリックとエルマーに対し、施設に入所する少年たちによる、「制裁!制裁!」の合唱が響く。

 

何も為し得ず、それを目視するだけのハマーショイ。

 

押さえられた二人に対し、一人一人の鉄拳が顔面を激しく殴打する。

 

【この描写だけは頂けない。全員が拳で殴ったらショック死する危険性があるばかりか、兄弟の顔は腫れ上がり、その相貌も変形するだろう】

 

「兄弟は幽霊になろうと頑張った。だが簡単じゃなかった」(モノローグ)

 

更にエルマーが寝小便をしたことが発覚し、寒空の中、裸でシーツを手で広げて、乾くまで立ち尽くすという罰を受けた。

 

その姿を、一斉に囃(はや)し立てる少年たち。

 

「エルマーが医者にかかり、貢ぎ物の量を増やされた。エルマーのおねしょのせいだ。」(モノローグ)

 

【ここで治療薬として処方されたのは、統合失調症治療で鎮静剤・トルクサルと、ADHD(注意欠陥・多動性障害)に使用される危険ドラッグのアンフェタミン

 

ノローグによると、「トルクサルで鎮静し、朝はアンフェタミンで覚醒された。だが、薬を増やしても、おねしょは続いた」とある。

 

因みに、「子どもを『薬漬け』にする児童養護施設の現実」というサイトによると、全国605施設に約2万5000人が入所している我が国の児童養護施設で、ADHDと診断され、複数の副作用が現出する向精神薬コンサータストラテラの服用が強いられるなど、「体罰から向精神薬へ」という流れが定着しているとのこと。紛れもなく人権侵害である】

 

ハマーショイの授業でも、エルマーは薬の副作用で、居眠りして注意される始末。

 

ところが、エルマーの識字能力はハマーショイの目に留まり、自分で書いた日記を読むように指示され、皆の前で音読して見せる。

 

高い識字能力を認められたエルマーは、郵便係を担当することになり、いつしか寝小便も止まった。

 

加えて言えば、エルマーの識字能力の高さは、宇宙への関心の深さが宇宙関係の新聞記事を読み漁る習慣の結果であり、これがラストシークエンスの布石となっていく。

 

クリスマスも迫ったある日、いつものように郵便物を配るエルマー。

 

エリックたちにも、母親からの手紙が届いていた。

 

部屋で何度も読み上げるエルマー。

 

そして、毎年、クリスマスに同じ文面で不在を知らせるトゥーヤの父親からの手紙を、エルマーは「追伸」と称して、妹が見た兄との宇宙の夢を創作して語り始める。

 

「“妹も会いたがってる。愛を込めて”」

 

そう結んだエルマーの言葉に、最初は嫌がっていたトゥーヤだったが、いつしか感極まっていた。

 

かくて、トッパーも自分の手紙をエルマーに差し出すのだった。

 

「俺たちはエルマーの才能に気づいた。自分たちでも読めたが、彼に読んでほしかった。俺たちは月と妙な名前の惑星の話を聞いた。エルマーも楽しんでいた…俺たちは初めて施設の外の大きな何かを感じた。大事なことだ。幽霊でいるべき時があるのと同じぐらい…」(モノローグ)

 

しかし、エルマーのハネムーンの時間は、呆気なく頓挫する。

 

夜になって、アクセルという教師が、寝静まっている少年たちの部屋に来て、エルマーを連れ出した。

 

性的虐待を受けたのだ。

 

これは常態化していて、施設内の子供たちの周知の事実だった。

 

性的虐待を受けたエルマーが洗面所で倒れていた事態について、施設の教師たちと医者が話し合っていた。

 

ハマーショイは虐待を強く主張したが、施設の校長・教師・医師たちは思春期の悪戯であると決めつけ、ハマーショイの異議をあっさりと退けてしまう。

 

言うまでもなく、アクセルも同調する。

 

次の議題では、監査当局の検査の問題について話し合われていくという手順であった。

 

それでも拘泥するハマーショイは、直接、何があったかをエルマーから聞き出そうとする。

 

犯人が子供だと思い込んでいるハマーショイだったが、エリックに否定され、施設内での性的虐待の構造の根深さに初めて気づくのだ。

 

「年次検査では、エルマーは、ほぼ普通に見えた。校長の指示で、アザは化粧でごまかした。俺たちは一張羅を着込んだ。検査官は俺たちを見ないのに…兄弟の帰宅は数日後。俺までうれしかった」(モノローグ)

 

工具の作業中、検察官に問いかけられたエリックは、「とても楽しいです」と答えるのみ。

 

この閉鎖系のスポットにおいて、幽霊でいる以外の適応戦略は存在しないのである。

 

そのとき、エルマーがアクセルに呼ばれ、二人の秘密だと念押しされる。

 

それを見ていたエリックは、密かに電動工具を仕掛けて、アクセルに大怪我を負わせてしまう。

 

ハマーショイはその惨事の一部始終を見て、性的虐待の犯人が誰であるかを察知するに至る。

 

アクセルは救急車で運ばれ、仕事の復帰時期が判然としない状態となった。

 

エリックに叔父から電話が入ったのは、クリスマスの夜の食事中の時だった。

 

それは、母の死を告げるものだった。

 

「静かに食べろという」ヘックの指示に従わず、泣き止まない兄弟たちに、ヘックは怒りを爆発させる。

 

二人に平手打ちを食らわし、無理やり食べさせようと、エリックの顔を皿に押し付けた。

 

それでも嗚咽が止まらない二人に対し、ハマーショイは席を立って、そっと寄り添うのみ。

 

程なくして、兄弟の叔父さんが施設を訪ねて来た。

 

母の死の様子を聞き、遺書の中に、叔父が二人を引き取るという内容が記されていた事実を知らされる。

 

エリックは引き取るのが半年後という叔父に対し、「すぐに出たい」の一点張り。

 

「エリックは逃げる気だった。違法なことを頼むなら、叔父さんが一番。彼は恐れ知らずだ」(モノローグ)

 

叔父はヘックに二人を引き取ることを話すが、ヘックは定職のない叔父に対し、養育する資格がないと取り合わない。

 

「彼らの人生の肝心な時期に、あなたは悪影響です」

 

そこまで言い切ったのだ。

 

「叔父さんは兄弟を連れて帰りたかった。だが兄弟が“夜を待とう”と。叔父さんは道路で彼らを拾い、かくまうと約束した」(モノローグ)

 

ところが、叔父は兄弟たちの話が信じ切れず、約束を守れないことをハマーショイに伝言を依頼する。

 

ハマーショイは消灯後の部屋に入ろうとすると、ヘックに止められ、二人の計画が知られてしまう。

 

予定通り施設を出た二人は再び捕捉され、ヘックとトフトによる激しい暴行を受ける。

 

殴り倒されながらも、エリックは校長に歯向かっていく。

 

「閉じ込めておけないぞ!家に帰ったら、警察に言ってやる!」

 

しかし、ヘックは叔父さんが断りの電話をハマーショイに伝えた事実を告げ、抵抗が無駄であると言い放つ。

 

その話を信じようとせずに暴れるエリックは取り押さえられ、地下室へ連れて行かれる。

 

ハマーショイはエルマーに叔父さんが謝っていたことを告げ、施設に残ることを促す。

 

「他の大人と同じだ」

 

子供ができないハマーショイの、エルマーに対する一連の行為を詰(なじ)ったことで、ハマーショイは思わずエルマーを叩いてしまう。

 

「ごめんなさい」

 

エルマーはその場から走り去り、翌日、ハマーショイも施設を後にした。

 

「兄弟は一夜にして幽霊になった。状況を変えられるのは永久許可証だけだった」(モノローグ)

 

 

人生論的映画評論・続: きっと、いい日が待っている('16)   イェスパ・W・ネルスンより

シングルマン('09)    トム・フォード

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<「悲嘆」の日々を自己完結する男が得た、凝縮した時間の輝き>

 

 

 

1  「この1日を生き抜け」 ―― 「悲嘆」の日々に放つ言葉の収束点

 

 

 

1962年11月30日・金曜日。

 

その日、ジョージは16年連れ添ったゲイのパートナー・ジムを交通事故で喪った悪夢で目を覚ました。

 

「目覚めて浮かぶ言葉は、“在る”と“今”。この8カ月、目覚めは苦痛だった。まだ生きていることに、ぞっとする。昔から朝は苦手だ。ジムは元気よく、跳ね起きたものだ。その笑顔を殴ってやりたかった。私は言う。“バカほど朝、元気だ。単純な事実に気づいていない。今は単なる今じゃない。昨日から1日が経ってる。去年からは1年…そして、いずれ、それは来る”。ジムは笑ってキスした。私は毎朝“ジョージ”になる。世間が期待する自分に化けるのだ。着替えをして、まだ硬いけれど、最後の磨きをかけて完成。役どころは心得てる。鏡に映る“ジョージ”の顔には、苦悩の影もない…」

 

オープニングシーンのジョージのモノローグである。

 

ジョージは鏡に映る自分に向かって、いつもの言葉を発する。

 

「この1日を生き抜け」

 

「芝居じみてる。そしてまた、心が砕けて、沈んでいく。溺れて、息ができない…未来が見えなかった。毎朝が靄(もや)の中。だが今日こそ変えてみせる」(モノローグ)

 

ジョージは、あの日のことを回想する。

 

雨の夜、従兄からの電話に出ると、ジムの交通事故死を告げられた。

 

「葬式は家族のみ」と言われ、出席を断られた。

 

衝撃を抑えつつ、電話の礼を言葉にするジョージだったが、降り頻る雨の中、傘もささずに元恋人のチャーリーの家に走り、彼女の胸に飛び込み、涙に沈んだ。

 

ジョージはその朝、拳銃をカバンに潜め、勤務先の大学へ向かう。

 

時は、キューバ危機の最中のLA。

 

「人の心配している暇はない」

「そんな世界なら、滅ぶがいいさ」

 

核兵器の恐怖に怯える同僚との会話である。

 

学生を前にした講義中も、自分が溺れる情景が浮かんで、脳裏から離れない。

 

「少数派の話をしよう。特に“隠れた少数派”。少数派全般は多彩だ。金髪とかソバカスとか。だが問題は、世間から脅威と見なされるタイプだ。たとえ脅威が妄想でも、そこに恐怖が生じる。実体が見えないと、恐怖は増す。それで迫害されるんだ。だから理由はある。恐怖だ。少数派も人間なのに…混乱気味?」

 

無反応は学生たちを前に、授業の主題を離れて、ジョージは自身の考えを主張した。

 

更に講義は続く。

 

「恐怖こそ真の敵だ。恐怖は世界を支配する。社会を操作する便利な道具だ…語りかけても通じない恐怖」

 

講義の終了後、走って語りかけてきた学生ケニー・ポッター(以下、ケニー)。

 

「今日の授業は圧巻でした」

 

そして、メスカリン(危険ドラッグ)の誘惑の恐怖について話し始める。

 

矢継ぎ早に質問してくるケニーに対し、大学ではすべてを話せないとはぐらかす。

 

大学のデスクを片付けるジョージ。

 

隣に住むチャーリーに電話をかけ、7時に行く約束をする。

 

車に乗って発車しようとすると、バイクに乗ったケニーがやって来て、飲みに行こうと誘って来た。

 

ジョージはそれを断るが、ケニーの申し出を好意的に受け止めた。

 

銀行へ行き、貸金庫の中身を回収する。

 

そこには、パートナーのジムの裸の写真も収められていた。

 

浜辺で横たわるジムとの回想シーンが脳裏に浮かぶ。

 

写真を胸にしまい込み、次に向かったのは銃器店。

 

そこで銃弾を購入する。

 

次に酒店に入るが、入り口で、ジムによく似た若いマドリッド出身の美青年と突き当たってしまう。

 

互いがゲイであることを会話で察知し、好感を持ち合う。

 

しかし、既に自死を決めているジョージは誘いを断り、帰宅する。

 

「君のそばで、寝そべってれば幸せ。今、死んでもいいよ」

「僕はよくない…」

 

ジムの死の直前に交わされたと思われる会話の回想シーンである。

 

それから、机の上に遺品となる品々を並べ、ベッドに横たわり、銃を口に咥(くわ)えるが、上手くいかいない。

 

チャーリーから電話が入り、約束のジンを持って家に向かう。

 

チャーリーは新年の決意を語り、ジョージにもそれを尋ねる。

 

「過去を捨て去ることだ。完全に永遠に」

 

2人で冗談を交わしながら食事をし、音楽に合わせてダンスする。

 

更にツイストを踊って寝転がり、添い寝するが、チャーリーがジムとの関係について触れると、ジョージは突然立ち上がって、逆上した。

 

「ジムが本物の愛の代用品だったと?ジムはどんなものにも代えられない。ジムの代わりなどいない!」

「ごめんなさい。2人の愛は深いわ。私にはないから嫉妬したの。そんな人、いなかった。夫の愛も偽物だった」

「女として不幸なら、女を捨てろ」

「いつも明快ね」

「過去に生きず、未来を考えろ」

「過去に生きるのが未来よ」

 

帰り際、チャーリーが尋ねる。

 

「私のこと本気じゃなかった?」

「努力したよ。ずいぶん昔…でもダメだった」

 

家に戻り、再び自殺を図ろうとするが、ジムと初めて出会った時のことを思い出し、夜の街へと飛び出していく。

 

バーで酒とタバコを注文すると、そこにケニーが入って来た。

 

それに気づいたジョージは、二人で飲むことにした。

 

ケニーはジョージを探してやって来たことが分かる。

 

「過去は無用、現在は重荷。未来は?」

「核の脅威の未来なんて」

「死が未来か?」

「話が暗いですね」

「暗くない。いずれは誰もが迎えることだから。死が未来だ…現在が苦なら、よりよい未来も信じにくい」

「でも結局は分からない。例えば今夜とか。実際、ほとんどいつも、僕は孤独です…独りだと感じます。つまり人間は、誕生も死ぬ時も一人。生きている間は己の肉体に閉じ込められてる。不安でたまらなくなる。偏った知覚を通してしか、外部を経験できない。相手の真の姿は、違ってる可能性も…」

「私は見たままだ。目を凝らせ。人生が価値を得るのは、ごく数回、他者との真の関係を築けた時だけだ」

「直観どおりです」

「直観?」

「ええ。先生は真のロマンチストだと」

 

ディープな会話を交わした後、2人は浜辺に出て、裸になって海に飛び込んだ。

 

泳いで燥(はしゃ)ぎ、額を傷つけたジョージとケニーは、ジョージの家に向かう。

 

ケニーが傷の手当てにバンドエイドを取りに行くと、引き出しにジムの裸の写真を見つけた。

 

ジョージの額にバンドエイドを貼ると、ケニーは裸になってシャワーを浴び、二人でビールを飲んで会話する。

 

「なぜ来た?なぜ今朝、秘書に私の住所を聞いた?」

「学校以外の場所で会いたかったので」

「なぜ?」

「人と考え方がズレてて、つらいんです。でも、先生となら…それに先生が心配で」

「私が?私のどこが?大丈夫だ…」

 

そう言った後、酩酊したジョージは意識が遠のき、水中で溺れる妄想に入っていく。

 

目を覚ますと、ケニーがソファで眠っている。

 

近づくと、ケニーはジョージの拳銃を抱えていた。

 

ジョージはケニーから拳銃をそっと取り上げ、毛布を掛け直す。

 

拳銃を引き出しに仕舞い込み、窓を開けると、一羽のフクロウが飛び立った。

 

「ごく時たま、非常に明晰な瞬間が訪れる。ほんの数秒だが、静寂が雑音を消し、感覚が冴える。思考でなく、全てがくっきりとして、世界は清新になる。今、誕生したかのように…その瞬間は続かず、しがみついても消えてゆくが、これこそ命の泉。現在への覚醒。何もかもが、あるべきようにある」(モノローグ)

 

チャーリーへの遺書を燃やし、ジョージは生きることを決意したのだ。

 

その瞬間だった。

 

胸の痛みに襲われ、ベッドの横に倒れ込んでしまう。

 

ジムがやって来て、冒頭のシーンとオーバーラップするように、ジョージにキスをする。

 

「そして、しかるべく死も訪れた…」

 

決意虚しく、ジョージは命を散らす運命を負ってしまったのである。

 

「この1日を生き抜け」 ―― 「悲嘆」の日々に放つ言葉の収束点。

 

風景の変容は、図らずも、孤独な男の「悲嘆」の日々を溶かしていった。

 

それだけが、「悲嘆」を自己完結させた男の遺産として輝くのだ。

 

 

人生論的映画評論・続: シングルマン('09)    トム・フォードより

 「自分自身を信じる力」が強い男の強烈なメッセージが、風景を変えていく 映画「ノクターナル・アニマルズ」の凄み('16)   トム・フォード

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1  強い衝撃を与えた小説の残像が張り付き、過去の日々が侵入的に想起していく

 

 

 

ロサンゼルス(以下、LA)。

 

全裸の肥満女性たちが卑猥な相貌性を展示するオープニングシーンが、観る者の中枢を抉(えぐ)っていく。

 

このおぞましい展示をプロデュースしたのは、アートディーラーのスーザン。

 

仕事を終え、帰宅するとスーザン宛の書類が届いていた。

 

開けてみると、「『夜の獣たち』エドワード・シェフィールド著」と表紙に書かれた小説の校正刷りが入っていた。

 

エドワードとは、スーザンが20年ほど前に別れた元夫のこと。

 

“小説を書いた。出版は春だ。君といた頃とは作風が違う。君との別れが着想となった。校正刷りを読んでほしい。仕事で水曜までLAにいる。ぜひ会いたい。連絡を待つ。エドワードより”

 

添えられた手紙の全文である。

 

エドワードは現在未婚で、ダラスの進学校の教師をしているというが、数年前にスーザンが電話をかけた際には一方的に切られた経験を有している。

 

夫ハットンに、そのことを話すスーザン。

 

彼は妻の仕事に全く関心がなく、週末の誘いにも乗らず、仕事でNYへ行くと言うのみ。

 

不眠症に悩むスーザンは、常用する眠剤を飲んだ後、ベッドでエドワードの小説を読み始める。

 

小説の舞台はテキサス(以下、テキサス)。

 

目的地であるマーファー(砂漠の町)に向けて、トニーと妻ローラ、娘のインディアの親子3人の夜のドライブが始まる。

 

ハイウェイをしばらく行くと、1台の車が絡んで来た。

 

絡む車に対し、気の強いインディアが中指を立てた行為(Fuck you=くそったれ)によって、走行を邪魔されるばかりか、車体を激しく衝突させられ、遂に路肩に弾き出されてしまう。

 

車を衝突させた男たちがやって来て、言いがかりをつけるのだ。

 

警察に行くと言うが、トニーの車はパンクさせられていて、身動きが取れない状態。

 

タイヤを交換すると言いながら、車からローラとインディアを降ろさせた挙句、激しい揉み合いとなり、二人はならず者たちに拉致され、車で連れ去られてしまう。

 

残されたトニーは呆然と立ち尽くすのみ。

 

そこまで読み終えたスーザンは、衝撃を抑え切れなかった。

 

夫に電話するが、そこに愛人が寄り添っているのが判然として、孤立感を抱くばかり。

 

テキサス。

 

置き去りにされたトニーは、残った仲間の一人に指図され、自らが運転して二人の後を追うが、誘導された道の行き止まりに放り出されてしまう。

 

暗闇の中を歩いていると、ならず者らが車で戻って来てトニーを探すが、トニーは身を隠し、呼びかけに応答しなかった。

 

夜が明け、ハイウェイに戻り、歩いて走行する車に助けを求めるがスルーされ、民家からの通報で警察に辿り着いた。

 

事件を伝え、モーテルで休んだトニーは、その後、所轄署のボビー警部補と共に、妻と娘の行方を探すことになる。

 

ボビーのパトカーに乗り、元の道を辿っていくと、幹線道路から外れた脇道が見つかった。

 

トニーとボビーと警官は車を降りて、その奥へと向かう。

 

その行き止まりでトニーが見たものは、ゴミ置き場のソファに裸体で横たわる妻と娘の姿だった。

 

小説の世界に衝撃を受けたスーザンは実娘に電話をかけ、その声を聞き、心を落ち着かせようとする。

 

しかし、スーザンに強い衝撃を与えた小説の残像が張り付き、エドワードと過ごした過去の日々が侵入的に想起していく。

 

トニーが元夫のエドワードと重なったからである。

 

ニューヨーク(以下、NY)。

 

20年前、NYの街角で、コロンビア大学奨学金の面接で、テキサスの田舎からやって来た小説家志望のエドワードと偶然に再会する。

 

その頃、スーザンはイェール大学を卒業し、美術史専攻でコロンビア大の修士課程にいた。

 

いずれも、アイビー・リーグ8校のエリート私大である。

 

スーザンがエドワードを食事に誘い、レストランでの会話が弾む。

 

「君は僕の初恋の人なんだ。君に会いたくて、お兄さんと友達に」

「あなたは兄の初恋の人」

「彼がゲイだったとは…僕は悪い友人だ。彼を傷つけたかな」

「あなた、いい人ね。親友がゲイだと知ると、皆、イヤがるのに…両親に勘当され、口もきいてもらえない」

「なぜ?」

「両親は保守的で信心深く、性差別・人種差別主義者。共和党支持の救いがたい物質主義者よ…両親は、私と兄も“同類”だと思ってる。だから兄を認めない。そんなの許せない。私にも古い考えをおしつけてくる。特に母がそう」

「…君の瞳にも同じ“悲しみ”が」

「何のこと?」

「お母さんと同じ」

「変なこと言わないで…もう言わないで。母に似たくないわ」

 

更に会話は、二人の将来の話に展開する。

 

「なぜ芸術家の道を諦めた?」

「私は物の見方が皮肉すぎるから、芸術家に必要な心の奥に秘めた衝動がないのよ」

「自分を過小評価してる」

 

そして、スーザンは告白する。

 

「あなたに夢中だったの」

「知ってる」

 

テキサス。

 

「死因が判明した。奥さんは、頭蓋骨、骨折だ。凶器はハンマーか、野球のバット。殴打は1回か2回だ。娘さんは、もっと苦しんだ。窒息による死。片方の腕が折れていた。2人ともレイプされてた」

 

衝撃を受けて、顔を埋めるトニー。

 

NY。

 

将来について母親から尋ねられたスーザンは、エドワードとの結婚の意志を伝える。

 

当然ながら反対する母親に対し、反発するスーザン。

 

「私が言いたいのは、あなたはとても意思が強い。でも、エドワードは弱すぎる」

「“繊細”と言うべき。うちの家族にはない感性よ」

「“自分は親と違う”と思うのは間違いよ。数年後、“ブルジョワ的生活”がとても大切に思えてくるわ。でも、エドワードではムリ。財力がないもの。意欲も野心もないわ」

「…でも、彼は強い。いろんな意味で、私より、ずっと…彼の強さとは、自分自身を信じる力よ。そして私を」

「…あなたは彼を傷つけるだけ。やがて彼の長所まで憎むようになる。気づいていないでしょうけど、あなたと私はとても似てるのよ…見てなさい。娘はみんな、母親のようになる」

 

LA。

 

「“エドワードへ 原稿を読んでいるけど、圧倒的で、力強い作品よ。すばらしい!火曜日の夜に会いたいわ スーザンより”」

 

スーザンは、エドワードにメールを送ったのだ。

 

 

人生論的映画評論・続: 「自分自身を信じる力」が強い男の強烈なメッセージが、風景を変えていく 映画「ノクターナル・アニマルズ」の凄み('16)   トム・フォードより

神々と男たち(’10)   グザヴィエ・ボーヴォワ

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<死への恐怖、欺瞞・偽善と葛藤する時間を累加させた果てに、究極の風景を炙り出す>

 

 

 

1  クリスマスイブの夜、粛然と聖歌を唄う修道士たち

 

 

 

スンニ派イスラム教の共和制国家・アルジェリア

 

時代は、「暗黒の10年」と呼ばれるアルジェリア内戦の渦中にある1990年代。

 

この国の村の丘に建つ厳律シトー会(後述)の修道院

 

そこには、9人(ブリュノ修道士は別院で修道)のフランス人修道士が祈りの日々の中、手ずから牧羊・農耕に励み、イスラム教徒の多い村人たちと深く馴染み、穏やかな交流を続けつつ、自給自足の共同生活を繋いでいた。

 

中でも、高齢の修道士リュックは、院内にある村で唯一の診療所の医師として、分け隔てなく診察し、村人たちの様々な相談に乗っていた。

 

ある日、修道院長クリスチャンは、18歳の孫娘が殺されたという初老の男の相談を受けていた。

 

「バスの中で刺された。ナイフで心臓を一突き。犬のように投げ捨てられた。スカーフで髪を隠してなかったから…兄弟を殺す者は地獄へ行くと、コーランに書かれている」

「その男たちは信心深いふりをしながら、コーランも読んでない」と一緒に来た友人。

「フランスを見ろ。小学校がスカーフ問題で揺れている。世界はおかしくなった」(これは後に、サルコジ政権によって、顔の全てを覆うベールの着用を公共の場で禁じる「ブルカ禁止法」として施行された)

「彼らは指導者(イマーム)まで殺した」

「昨日、イマームが殺された。この先は?誰の仕業か、アッラーだけがご存じだ」

「もはや理解できない。誰が誰を殺す?」

 

その話を聞いたクリスチャンは、家族のために祈りを捧げようと答えるのみ。

 

イスラム教徒が唱える「インシャラー」(神の御心のままに)である。

 

ここで言う「その男たち」とは、1996年当時、アルジェリアの政府軍と内戦を続けていた武装イスラム集団(GIA)のこと。

 

そして遂に、カトリック教徒である12人のクロアチア人労働者たちが、GIAによって無残に虐殺される事件が起きた。

 

1993年12月のことである。

 

その事件で騒然とする村人たち。

 

クリスチャンの元にも、村人たちによって、その情報がもたらされた。

 

「喉をかき切られて、全員が」

 

戦慄するクリスチャン。

 

修道院は軍に警備させる」

「それはいけない」

「ここは殺害現場から、わずか20キロ。残虐行為はまた起こる」

「確かに、よく考えてみないと。ここには家族も住んでる」

 

地元自治体の首長と修道士たちの会話である。

 

しかし、クリスチャンはその申し出を一蹴する。

 

「結論は出てる。断る…19時半以降は門を閉めて、人を入れない」

「それで十分か?君は奴らを知らない」

 

クリスチャンは答えないまま、その場を去っていく。

 

かくて、修道士たちは聖歌を歌う。

 

“暴力の時にも 主は私たちと共にあるから 

いたる所に主を 夢見るのはやめよう 

急いで行こう 忍耐をあの御方へ向けよう 

苦しむ御方の元へ行こう…復活の日の暁のように 

私たちと共にあるから…”

 

祈りのあと、修道士たち全員が一同に会し、今回の件について議論を戦わせる。

 

セレスタン:「なぜ私たちに相談せずに決める?皆の命が危ないのに」

クリスチャン:「君ならどうする?」

セレスタン:「皆で話し合って、各自の意見を聞きたい」

クリスチャン:「何を答えるために?」

ジャン=ピエール:「答えは重要じゃない。君の態度によって共同体の原則が曲げられる」

クリスチャン:「では、今夜ここに軍隊を入れたい者は?」

ジャン=ピエール:「君は分かろうとしてない」

クリスチャン:「分かってる。我々の誰一人、軍隊に守られて生活したいとは思ってない」

ジャン=ピエール:「君一人に決定権はない」

クリストフ:「テロリストが来たら?黙って殺される?」

クリスチャン:「確かに危険だ。だが我々はここに遣わされた。この国の人々と生き、恐怖を共にする。この不可解な状況で生きるのだ」

クリストフ:「私は集団自殺しに来たのじゃない」

リュック:「テロリストが来たらどうするか、それぞれが決めればどうだ?」

 

収拾がつかない最初の議論だった。

 

しかし、事態は混乱を極めていた。

 

危険が修道会にも迫っていたのだ。

 

そんな中、突然、GIAが敷地内に押し入り、歩いていたセレスタンに迫る。

 

GIAは修道会のトップであるクリスチャンの名を叫び、呼び出す。

 

「何の用だ。ここは平和の家だ。武器は持ち込めない。話があるなら置いてきてくれ」

「絶対に手放さない」

「では、外で話そう」

 

外に出たGIAのリーダーは、重症者がいるので医者を連れて行くと強要する。

 

「それはできない。リュック修道士は高齢で喘息がある。彼は診療所を訪れた人をいつも誰でも、分け隔てなく診察する」

「それなら、薬をよこせ」

「薬が足りない。毎日100人の村人を診てる」

「うるさい!選択の余地はない!」

「ある。私は選択する。無いものは与えられない。私たちは慎ましく暮らしている。大地で取れるものだけだ」

 

クリスチャンは、コーランの一節を唱え、私達は隣人であると伝える。

 

それを聞くと、GIAのリーダーは仲間を連れ、引き揚げて行く。

 

「今日は特別な日なんだ」

 

背後からそう語りかけると、GIAのメンバーは足を止め、振り返る。

 

「なぜだ?」

「今日はクリスマス。平和の王子の誕生を祝う日」

「平和の王子?」

「〈シドナ・アイサ〉」(ムハンマドも認める再臨したキリストのこと)

「イエスか」

 

リーダーがクリスチャンの元にやって来て、握手を求めた。

 

「すまん。知らなかった」

 

クリスチャンは握手で応えた。

 

クリスマスイブの夜、粛然と聖歌を唄う修道士たち。

 

以下、その直後の議論。

 

セレスタン:「ここに留まれば、日々、命の危険がある。生きるために修道士になった。殺されるためではない」

クリスチャン:「そのとおりだ。殉教するつもりはない」

セレスタン:「去るべきでは?せめて、もっと安全な場所に」

アメデ:「セレスタンは、よい事を言った。彼らはまたすぐにやって来る。要求を全て、はね付けたことは、宣戦布告と取られかねない。クロアチア人は殺された」

クリスチャン:「殺す気ならもう、とっくに殺されている」

ポール:「ファヤティア(GIAのこと)が引き揚げても、明日また別の者が来る。別の解決法がある。発つことだ。各自の良心に従って、決めるべきだと思う。フランスに帰るか。アフリカ内の安全な修道院に移るか」

ジャン=ピエール:「発つことは逃げること。この村を見捨てることだ」

セレスタン:「村人を不安にさせないよう、徐々に発つ」

ジャン=ピエール:「結局は変わらない。よき羊飼い狼が来ても、群れを見捨てない」

クリストフ:「各自の気持ちを述べよう」

ジャン=ピエール:「留まるべきだ。暴力には屈しない」

ポール:「発つべきだと思う。段階的に」

セレスタン:「私は病気だ。発ちたい」

リュック:「発つことは死ぬこと。私は残る」

ミシェル:「私を待つ人はいない。私は残る」

アメデ:「まだ分からない。もっと考える。そして共に祈ろう」

クリストフ:「私は発つべきだと思う」

クリスチャン:「アメデに賛成。結論を出すのは早い。助けは主の内に」

全員:「天地を創りし御方の内に」

 

最後に聖歌を唱和し、解散するに至る。

 

こうして、2度目の議論もまた、結論を持ち越すことになった。

 

人生論的映画評論・続: 神々と男たち(’10)   グザヴィエ・ボーヴォワ

より

人生論的映画評論・続 ひつじ村の兄弟(‘15) 

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<人間と羊の血統の絶滅が、併存する空間の渦中で同時に具現する>

 

 

1  持てる力の全てを出し切った男の震え声が、残響音となって、虚空に消えていく

 

 

 

「“氷河と火山の環境で生き抜いてきた羊ほど、この国で大きな役割を果たす存在はいない。何が起ころうとも、辛抱強く体の丈夫な羊は、1000年もの間、人類の救い手として友であった。一年を通して、喜びや厄介事をもたらしつつ、羊は放火の仕事と生活に深く結びついている。我らの羊が健(すこ)やかなる時、前途は明るく、羊の数が減っていく時、眠れぬ夜が続いた”」

 

これは、羊の品評会の審査の結果発表前に、アイスランドが世界有数の羊大国であることを誇る主催者(地区の長老)の挨拶である。

 

この品評会で優勝を競ったのは、互いに独身で、隣居する兄キディーと弟グミー。

 

そして、僅差で優勝したのは、スプロティという名の、キディーが育てた愛羊だった。

 

2位はギミーの愛羊ガルプル。

 

「勝敗を分けたのは背中の筋肉の厚さでした。この羊は同じ血統です」と主催者。

 

勝ち誇る兄と、落胆する弟。

 

両者間に一言の会話もない。

 

兄弟でありながら、40年間も口を利いていないのだ。

 

異変が起こったのは、その直後だった。

 

「キディーの羊が病気にかかってると思う」

 

牧羊仲間に相談するグミーの言葉である。

 

キディーの羊とはスプロティのこと。

 

「何の病気だ?」

スクレイピー

「昨夜調べたてみたら、それらしい症状があった」

「病気にかかっていたら、獣医のカトリンが気づいただろう」

 

【獣医のカトリンでさえも気づかなかったスクレイピーを、グミーだけが気づいたということ。これは看過できない事態だろう】

 

グミーは自分で話せないので、仲間に検査の手配を頼んだのだった。

 

「もしスクレイピーだと判明したら、我々の羊も殺処分になるかも知れない」

 

逸(いち)早く、伝染病の検査にスプロティが連れて行かれたが、その夜、言いがかりをつけられたキディーは、いきなりグミーの寝室に銃丸をぶちこんだ。

 

「お前のデッチ上げだ!この負け犬め!」

 

そう叫びながら、更に銃を撃ち込んでくる。

 

キディーは自分の羊が優勝したことに対する、グミーの妬みだと決め込んでいるのだ。

 

グミーは割られた窓ガラス2枚の請求書を牧羊犬に咥(くわ)えさせ、キディーに届けるが、完全に無視される。

 

数日後、獣医のカトリンがグミーの家を訪れ、スプロティはクレイピーに罹患していると説明する。

 

かくて、グミーの羊も検査されることになった。

 

「バルダルダールル(バルダルダルル)で、春のスクレイピー症例を確認。感染したのは大人の雄羊で、現在、近隣の飼育場でも検査が行われています。殺処分についてはまだ未定です。19世紀末、英国種の羊と共に、アイスランドに上陸したと言われるこの病気は、羊の脳と脊髄を侵し、治癒することはありません」

 

スクレイピーの症状と殺処分の是非について、ラジオのニュースを聴くグミー。

 

牧羊家の集会で、他の2か所の飼育場でもスクレイピーが見つかり、村の全ての羊の殺処分の決定が告げられた。

 

そこに参加するキディーとグミー。

 

グミーは暗鬱な表情を浮かべるばかり。

 

「わしらも殺せばいい…この村で羊のいない生活を考えられるか?」

 

キディーはそう言い放ち、殺処分を断固拒絶する姿勢を示した。

 

「2年間の我慢だ」

「獣医たちの好き勝手にさせてたまるか」

 

殺処分を巡って参加者の間で意見が飛び交い、それぞれの立場の違いが顕在化する。

 

「今こそ、我々が一致団結して行動するときだ。これは全員にとって痛手だし、つらい気持ちもよく分かる。だが、もう決定事項だ。変更されることはない」

 

この地区の長老の発言で、最早、参加者全員が殺処分は不可避であるという現実を認識させられるに至る。

 

グミーはカトリンからの電話を受け、羊たちは生まれた場所で埋葬すると告げるのだ。

 

号泣しながら羊たちを銃殺するグミー。

 

屋外で発砲音がするので、グミーが窓から覗くと、キディーが保健所の職員に押さえられ、最後の抵抗をしていた。

 

以下、カトリンと職員たちがグミーの飼育場を訪れた際の会話。

 

「なぜ、あなたが?」

「自分の手で死なせたかった」

「これで全部?」

「147匹」

「勝手に殺処分しないで。伝染病を根絶したいなら、規則を守らなきゃ」

 

行政の担当者から、処分した羊の損失補填について説明を受けるグミー。

 

「お金は2年間の分割支給で、その後、新たに羊のご購入を」

 

カトリンがやって来て、飼育場の床にある物、使用した道具、干し草など、全て焼却処分するように指示される。

 

グミーが飼育場で作業をしていると、キディーが入って来て、いきなり後ろから羽交い絞めにされ、押し潰される。

 

「お前のせいで、ここの貴重な羊の血統が全滅だ!今年は最悪の冬になるぞ。羊はいない。わしら2人だけだ。お前の望み通りだな」

 

ところがグミーは、重大な規則違反を犯していた。

 

全ての羊を処分せず、地下で数匹育てていたのである。

 

雄羊(おひつじ)ガルプルと、数匹の雌羊(めひつじ)である。

 

交尾のためである。

 

クリスマスの夜、グミーはガルプルと雌羊と交尾させ、成就した。

 

屋外で倒れているキディーを見つけた保健所の職員が、グミーに助けを求めて訪ねて来たのは、ちょうどその頃だった。

 

グミーは酩酊状態のキディーを屋内に入れ、手当てをする。

 

翌日、目を覚ましたキディーは黙って出て行くばかり。

 

相変わらず、口を利かない兄弟が、そこにいる。

 

今や、牧羊仲間の間では、廃業すると言う者も出てきた。

 

そんな中、一向に飼育場の清掃に協力しない厄介なキディーの問題で、グミーの家に行政担当者が相談に訪れた。

 

この状態が長引けば、村に羊を搬入できないと言うのだ。

 

「登記を調べたら、お兄様が使用している土地は、全てあなたの名義でした…理由は?」

「父が兄の相続を望まなくて、私が兄に古い飼育場を貸すと、生前の母に約束したんです」

「ならば、お兄様の過失は、あなたの責任になりますよ」

「どうなります?」

「法廷争いになれば、訴えられるのはあなたです。ご兄弟で解決されるのが得策です」

 

グミーは早速、キディーに手紙を書き、再び牧羊犬に届けさせた。

 

いつものように、酩酊状態のキディーが怒鳴りながら、グミーの家の前にやって来た。

 

「わしの保護者にでもなったつもりか!」

 

翌朝、グミーが外に出ると、キディーは雪の中で仰向けに倒れていた。

 

グミーは除雪車でキディーを持ち上げ、そのまま町へ運び、病院の前で降ろして、置き去りにしたまま引き返した。

 

帰宅後、行政担当者の思いを受け止めたグミーは、キディーの飼育場を無断で清掃する。

 

まもなく、キディーが車で送られ、帰宅して来た。

 

グミーの家にやって来たキディーが、地下室の羊の秘密を知ったのは、その直後だった。

 

キディーに目撃されたと知るや、グミーは家に戻り、銃を手にして待機する。

 

ガルプルを絶対に守るという、一心の行動である。

 

ところが、キディーの行動は決定的に反転する。

 

この村の羊の血統が守られることを歓迎するのだ。

 

そんな折、保健所の職員がトイレを借りに、キディーの家に入って来た。

 

予測困難な事態が惹起したのは、この時だった。

 

地下室の羊たちが暴れ、その音を聞いた職員は黙って帰って行ったが、グミーは急いで羊たちをキディーの家に移動させた。

 

「キディー、助けてくれ。獣医たちが来る」

「中に入れよう」

 

兄弟が協力して羊たちを匿うや、グミーは家に戻り、地下室を片付ける。

 

そこにカトリンを中心に獣医たちがやって来て、地下室を遍(あまね)く捜索する。

 

羊の捜索が始まって、ほどなく職員に発見されるが、キディーがスコップで職員の頭を打ち、気絶させてしまう。

 

キディーとグミーは4輪バギーに乗り込み、羊たちを山へ誘導させていくのだ。

 

猛烈な吹雪の中、バギーが故障してしまい、真っ暗な山の上で羊たちを見失ってしまった。

 

薄っすら夜が明け、ガルプルを探し求めて力尽きたグミーは、雪の斜面に横たわっていた。

 

キディーは急いで穴を掘ってグミーを運び入れ、服を脱がし、自らも裸になって、動かなくなったグミーを固く抱き締め、心血を注いで体を温めていく。

 

「もう大丈夫だからな」

 

極限状態に捕捉されたキディーの声である。

 

持てる力の全てを出し切ったキディーの震え声が、残響音となって、虚空に消えていった。

 

ラストカットである。

 

人生論的映画評論・続: ひつじ村の兄弟(‘15)    グリームル・ハゥコーナルソンより