海辺の一角で渾身の一撃を放つ男の、人生のやり直し 映画「アナザーラウンド」('20) 

1  ルールを決め、徹底的に飲み明かし、酔い潰れていく男たち

 

 

 

高校3年の歴史を担当する教師・マーティンが、教室に集まった保護者から大学進学への不安を訴えられる。

 

生徒たちからも、進学への関心の低さと授業内容の意味不明さを指摘された。

 

マーティンは他の教師に代わることも含めて、解決策を検討してみると応えるしかなかった。

 

家では、妻・アニカからも、二人の息子たちからも相手にされず、教師仲間との交流のみが、マーティンの居場所になっていた。

 

心理学教師のニコライの40歳の誕生日に集まった4人の教師。

 

体育教師のトミー、音楽教師のピーターとマーティンである。

 

会食の場で、ニコライが哲学の興味深い話をする。

 

ノルウェー人の哲学者がいた。名はフィン・スコルドゥール(実在人物)。彼は飲むべきだと言っている。人間の血中アルコール濃度は、0.05%が理想らしい…リラックスした状態で、気持ちを大きく持てる。体中に力と勇気がみなぎってくるらしい」

「自信とやる気で、人生が上向きになるかも」とピーター。

 

そこで、マーティンに対する保護者らのクレームの一件が話題となり、ニコライがマーティンにアドバイスする。

 

「君に欠けてるのは、自信と楽しむ気持ちかも」

 

一人でミネラルウォーターを飲んでいたマーティンだったが、皆に勧められてウォッカとワインを飲み、涙が潤(うる)む。

 

「妻は夜勤ばかりで、ろくに顔を合わせてない」

「他にいい人、探せば?」とニコライ。

「アニカは子供たちにとって、いい母親だし、父の看病もしてくれた。老後も手を取り合って、生きていこうと約束したが、どうなるやら」

 

皆はマーティンを慰め、ダンスを習っていたことを話し、店を出てからも、踊ったり、燥(はしゃ)いだりして、4人で弾けるのだった。

 

翌朝、マーティンは0.05%を試すために、学校で酒を一口飲んで授業に向かう。

 

運転ができないからと、ニコライがマーティンを送っていく。

 

トミーに電話をかけ、ニコライが伝えるのだ。

 

「マーティンが人生を変える一歩を踏み出したんだ」

 

トミーの家に集まった4人は、本格的な実験として4人が参加し、心理学の論文を書くことが決まった。

 

「人間の血中アルコール濃度は0.05が理想という仮説の検証。飲酒が心と言動に影響を及ぼす証拠を集めること、そして、仕事の効率と意欲が向上するか調べる」

 

早速、ニコライがパソコンに実験の主旨を書き込み、飲むのは勤務中だけ、8時以降は禁酒、週末は飲酒禁止とするなどのルールを定めた。

 

効果覿面(てきめん)だった。

 

マーティンの歴史の授業は、今までになく興味深いものになり、生徒たちが強く関心を示し、歴史からの教訓を語る。

 

「いつか君たちも分かるときが来る。世の中は、期待どおりにならない」

 

ピーターの音楽の授業も、いつもと違う工夫から生徒たちの心を掴み、活気が生まれてきた。

 

トミーのサッカーの指導も熱がこもる。

 

飲酒の実験以後、4人ともテンションが上がり、授業に手応えを感じるようになった。

 

そんなポジティブな態度が周囲にも波及し、マーティンはアニカとの会話も弾むようになる。

 

かくてマーティンは、もっと効果をあげるために、アルコール摂取量を少し上げることを提案する。

 

そこで、「アルコール摂取量は個人が、適量と判断した量とする」というルールに変更するに至る。

 

その結果、マーティンは0.12%にまでアルコール濃度を高めてしまった。

 

足取りが覚束(おぼつか)なくなり、教師たちの見ている前で、壁に頭を打ち付けて、鼻血を出してしまうのだ。

 

それでもマーティンの授業が盛り上がり、成功している姿を見て、音楽教師のピーターが絶賛し、自らもアルコール量を上げていく。

 

トミーのサッカーチームの試合で、チームメイトから相手にされていなかった“メガネ坊”がシュートを決め、それを見ていた3人がトミーの指導力を称え、喜びを分かち合うのである。

 

マーティンは約束通り、家族とカヌー旅行に出かけた。

 

その夜、マーティンは久しぶりにアニカと結ばれる。

 

「何かあった?どうしたの?

「泣いてるのか?どうして?」

「壁を感じてたから」

「俺もだ」

「寂しかった…ずっと。長かった」

 

テントの中での夫婦の会話である。

 

ニコライの家に4人が集まり、「アルコールが及ぼすあらゆる影響を調べたい」というニコライは、「飲酒の影響を飲めば飲むほどもっと酒が欲しくなる」という“点火状態”に皆でなりたい」と提案する。

 

「これぞ、究極の精神浄化だ」

 

これに対し、マーティンは参加を断る。

 

「家族との時間を大切にしたい」

 

それに対して、トミーは「やる」と言い切った。

 

そして、ニコライの家。

 

妻と3人の子供たちが出かけた後、飲酒パーティーが始まり、ニコライは「血中濃度の最高値を目指したアルコール摂取の実験」と題して、論文に書き込んでいく。

 

マーティンは帰ろうとするが、目に付いたグラスの酒を口にすると、結局、その場に残り、音楽をかけ、皆で踊りながら飲酒のループに嵌っていくのだ。

 

徹底的に飲み明かした4人は、町に繰り出し、大騒ぎを繰り返し、酔い潰れ、正体を失くしてしまうのである。

 

  

人生論的映画評論・続: 海辺の一角で渾身の一撃を放つ男の、人生のやり直し 映画「アナザーラウンド」('20)   トマス・ヴィンターベアより

海街diary (‘15)     是枝裕和

<非在の者が推進力と化し、時間を奪回する旅が、今、ここから開かれていく> 

 

 

 

1  「お母さんのこと、話していいんだよ。すずはここにいて、いいんだよ。ずっと」

 

 

 

「お父さんって、結構、幸せだったんだね。たくさんお別れに来てくれて」と三女・千佳(ちか)。

「うん、優しい人だったって、みんな言ってた」と次女・佳乃(よしの)

「優しくて、ダメな人だったのよ。友達の保証人になって借金背負って、女の人に同情して、すぐ、どうにかなっちゃうんだって」と長女・幸(さち)。

 

15年前に家族を捨て、失跡(しっせき)した実父の死が知らされ、山形の山深きスポットで悠然と構える旅館にまで足を運び、葬儀を終えた際の香田(こうだ)家の三姉妹の会話である。

 

その帰り際、異母妹のすずが追い駆けて来て、幼い頃の三姉妹の写真を手渡す。

 

浮気で蒸発した父親が、後生大事に持っていたのである。

 

すずは、父の2番目の妻だった実母を既に喪い、喪主である3番目の妻・陽子と、連れ子の弟とは血縁関係がないので、実質的に寄る辺ない状態になってしまった。

 

挨拶をして帰ろうとする少女を、幸が呼び止める。

 

「この町で、一番好きな場所ってどこ?」

 

少女が連れていった場所は、父とよく来たという海を臨める山の中腹だった。

 

その眺望は、三姉妹が住む鎌倉に類似していたので、彼女らは直感的に感知するのだ。

 

「すずちゃん、あなたがお父さんのこと、世話してくれたんだよね」と幸。

 

頷くすず。

 

「本当にありがとう」と幸。

 

佳乃、千佳も続く。

 

すずの義母の陽子が、逝去した父の病室で寄り添っても、すぐに帰ってしまう情報を得ていた幸が、看護師としての手腕を発揮した言辞だった。

 

すずは、3人の姉たちから感謝を伝えられる。

 

駅で帰りの電車を待つベンチで、すずが呟く。

 

「なんで、お父さんがここに住みたいと思ったのか、分かりました」

 

姉妹が電車に乗り込み、発車の間際(まぎわ)、幸がすずに声をかけた。

 

「すずちゃん、鎌倉に来ない?一緒に暮らさない?4人で」

「でも…」

「すぐ、あれしなくていいから」と幸。

「ちょっと考えてみてね」と佳乃。

「またね」と千佳。

 

ドアが閉まる瞬間、すずが言い切った。

 

「行きます!」

 

程なく、すずは鎌倉の家に引っ越し、地元の中学校に入学する。

 

サッカークラブにも入会し、時を移さず、仲間と打ち解ける。

 

少女の活発で、明るい性格が、そこに垣間見える。

 

試合でゴールを決めたお祝いに、千佳が飲ませた焼酎入りの梅酒で酔っ払ってしまったすず。

 

帰って来た幸が声を掛けると、叫んで暴れるのだ。

 

「陽子さんなんて、大嫌い!お父さんのバーカ!」

 

封印されていた少女の感情が解き放たれた瞬間だった。

 

その後、夫の失跡に続くように、14年前に家族を捨て、行方を晦(くら)ました三姉妹の実母・都(みやこ)が、祖母の7回忌に顔を出すと連絡が入り、大船の叔母の家に泊まり、幸との間で口論になるエピソードがインサートされるが、詳細は後述する。

 

梅雨が明け、夏が来て、それぞれに花火を楽しむ姉妹たち。

 

すずは、いつものように、サッカーチームで一緒のクラスメートの風太に、自分が「ここに居ていいのかな」と吐露し、悩みを聞いてもらうのだ。

 

そういう関係を形成し得た二人の中学生。

 

家に戻り、縁側で線香花火に興じる4人姉妹。

 

幸がすずを連れ、父とよく来たという海が見える山の上に立つ。

 

「お父さんの、バカ~!」と幸。

「お母さんの、バカ~!」とすず。

 

そう叫んだあと、すずも続けて吐露する。

 

「もっと一緒にいたかったのに…」

 

幸はすずを抱き締め、優しく語りかける。

 

「お母さんのこと、話していいんだよ。すずはここにいて、いいんだよ。ずっと」

「うん、ここにいいたい。ずっと…」

 

すずは嗚咽を漏らしながら、反応する。

 

その色合いを変えた季節が循環し、少女の気鬱が剥(は)がされていくのだ。

 

海猫食堂の女主人が、癌で亡くなり、葬儀が営まれ、世話になっていた4人姉妹も参列した。

 

帰りに海岸に出て、人生の終末や父のことなどを語り合う。

 

「お父さん、ほんとダメだったけど、優しい人だったのかもね」

「なんで」

「こんな妹を残してくれたんだから」

 

ラストシーンである。

 

【作品内で、「宝物」の如く特化された少女の記号性が、似たような台詞に変換され、三度出てくるが、些か諄(くど)過ぎなかったか】

 

―― ここで、三姉妹の〈生〉の振れ具合について捕捉しておく。

 

ホストに振られた佳乃は、それを補填するかのように、大学生・藤井との間に男女関係が生まれるが、その藤井は闇金融での借金漬けの弱さを曝け出した挙句、この関係もまた、約束された顛末(てんまつ)をリピートし、あっさり終焉する。

 

金を毟(むし)り取られただけの佳乃には、男を見る目がないのである。

 

その後、信用金庫の受付の仕事から一転し、上司と共に外回りの仕事にアイデンティティを確保していく。

 

一方、スポーツ店に勤務する三女・千佳は、アフロヘアーの店長と恋愛関係を柔和に繋ぎ、二人の姉と一線を分けるマイペース人生を送っている。

 

そして、内科病棟の看護師として堅実に勤務する長女・幸は、心の病で病床に伏せる妻がいる医師・椎名と不倫関係にあったが、帰する所、椎名の方から妻と別れて、小児癌の先端医療を学ぶために米国行きの同伴を求められるが、ターミナルケア(終末期病棟)への転属を決め、男と別れ、家を守り、15歳のすずを育てていく決断に振れていく。

 

家では、実母が家を出て以来、7年前に逝去した祖母の大きなサポートもあり、姉妹の面倒を見るスタンスを崩していない。

 

どこまでも堅実な日常を繋ぎ、クレバーであるばかりか、芯の強い包容力のある女性である。

 

 

人生論的映画評論・続: 海街diary (‘15)     是枝裕和 より

「連合赤軍事件」 ― その同志殺しの闇の深さ

1  「我々は『恐怖』に支配されていた」

 

 

 

国家権力と戦争する前に、権力打倒に糾合(きゅうごう)し、集合する居並ぶ同志と戦争してしまった。

 

かくて、国家権力の殲滅(せんめつ)を標榜(ひょうぼう)する戦争は、その戦力を手ずから破壊したにも拘らず、運よく破壊から免れた僅かな手勢(てぜい)によって、彼らが「人民」と呼ぶ無数の人々の息詰まる重い視線を被浴しつつ、躬行(きゅうこう)されるに至る。

 

世に言う「あさま山荘事件」である。

 

3人の死亡者(警察官2、民間人1)と、27人の負傷者(警察官26、報道関係者1)。

 

この衝撃的事件が生み出した、犠牲と被害を蒙った人々の数字である。

 

河合楽器製作所所有の軽井沢保養所・浅間山荘を舞台にし、管理人の妻を人質にして立て籠った事件は、10日間に及ぶ日本最長記録の監禁・人質が生中継で放送されたことで、平均50.8%の視聴率を記録したと言われるほど、多くの国民にインパクトを与えるに充分過ぎた。

 

1972年2月のことだった。

 

事件を起こした極左組織の残党は5人。

 

その名は、坂口弘、坂東國男、吉野雅邦(まさくに)、加藤倫教(みちのり/19歳)、加藤の弟(16歳)。

 

後二者は未成年だったので、当時、「少年A」と呼称。(因みに、改正少年法によって、2022年4月から「特定少年」と明記され、実名報道が可能になる)

 

ここに、一冊の本がある。

 

著書の名は、「連合赤軍少年A」。その副題は、「我々は『恐怖』に支配されていた」。

 

その著者の名は、当時19歳だった「少年A」の兄・加藤倫教である。

 

刑務所の中で転向し、出所後は自民党の党員となり、現在、農業を営んでいる加藤倫教は、周知のように、「総括」という名で、長兄を山岳ベースで殺害されるに至った、加藤3兄弟の二男に当たる人物でもある。

 

本稿では、その著書の中から、「あさま山荘」での「殲滅戦」に関わる記述を引用する。

 

十日目の二月二十八日のこと。

 

事件の最終日に関わる以下の記述が、そこに闘争気分が萎えていく思いを乗せて、生々しく再現されていた。

 

「下に降りてくると、途端にガタガタと体が震えだした。それまで警察の攻撃に応戦する緊張感で気がつかなかったが、体中びしょ濡れだった。外気の温度は零下十数度と報道は伝えていた。

 

下へ降りるまでの間に、私たちの発砲で二人の幹部警察が死亡したということを、ラジオをずっと聞いていた坂口から聞かされていた。坂口は、『やった。警察を殲滅したぞ』と言って、前線にいる四人にニュースを伝えたのである。

 

私は十二人の同志たちに対して厳しい『総括』を要求し、死に追い詰めた永田や森に追随してきた自分の責任を果たすという意味で警察と対峙している今、闘わねばならないと思っていた。

 

警察に向けて引き金を引くことに躊躇はあったが、やるしかないと思った。

 

だが、二十一日にニクソン米大統領が中国を訪問し、世界情勢は大きく変わろうとしていた。

 

私や多くの仲間が武装闘争に参加しようと思ったのは、アメリカがベトナム侵略の加担することによってベトナム戦争が中国にまで拡大し、アジア全体を巻き込んで、ひいては世界大戦になりかねないという流れを何が何でも食い止めねばならない、と思ったからだった。私たちに武装闘争が必要と思わせたその大前提が、ニクソン訪中によって変わりつつあった。 

 

――ここで懸命に闘うことに、何の意味があるのか。もはや、この闘いは未来に繋がっていかない……。

 

そう思うと気持ちが萎え、自分がやってしまったことに対しての悔いが芽生え始めた。

 

屋根裏から下に降りてからは、私はもう警察と闘うことはしなかった。

 

兄が死に、私が逮捕されれば重罪であることは確実だった。せめて弟だけは早く親元に帰したい。弟が重罪に問われるような行動をとらないためにも、早くこの『闘い』が終わって欲しいと願った。(略)

 

私は正しい情勢分析をすることができなかったのだ。自分が立ち上がることで、次から次へと人々が革命に立ち上がり、小から大へと人民の軍隊が成長し、弱者を抑圧する社会に終止符が打たれる。そんなことを主観的な願望だけで夢見ていた。

 

その自らの浅はかさ、未熟さを思い知り、自分を叩きのめしてやりたいほどの悔しさを感じていた。だから、逮捕され、引き立てられて行くことには何の感慨もなかった。

 

ただ、せめて正義を実現する社会を夢みた志だけには誇りを持ち、毅然と歩こうと考えたのだった」

 

「十二人の同志たちに対して厳しい『総括』を要求し、死に追い詰めた永田や森に追随してきた自分の責任を果たすという意味で警察と対峙」し、「闘わねばならない」という感情を必死に自給しつつも、その実、闘争意識がすっかり失せた思いを認知し、今はひたすら弟の身を案じる、19歳の末端の兵士がそこにいた。

 

更に、「あさま山荘」事件の最高指導者であった、坂口弘の著名な手記からも引用したい。

 

寡黙な「革命戦士」を彷彿させる彼が、人質の夫人に対して、必ずしも最も倫理的で柔和な対応をした訳ではない事実を確認しておきたい。

 

「私は、窓際のソファーに夫人を押し倒した。誰かが炬燵(こたつ)カバーを夫人の顔に被せようとしたが、夫人は頭を振ったり、手で払ったりして嫌がった。

 

私は、それを止めさせ、『彼女の気持ちが分からないから縛っておく』と板東君らに言い、夫人を北側から二番目のベッドに連れて行き、上段と下段のベッドを連結した梯子に縛り付けることにした。

 

夫人は、体を海老のように折り曲げて嫌がった。グニャッとして、扱い難かった。夫人は、突然の出来事を、現実なのか、幻覚なのか、いずれとも判別しかねるといった感じで、表情に恐怖と笑みが交互に現れた。

 

ようやく梯子(はしご)の背を凭(もた)せかけ、脚を前に伸ばして坐らせた。私はベッドルームにあった洗濯用紐を使って、最初に夫人の左、右上腕を梯子に縛り付け、次に後ろ手にした両手、そして両足、足首、両膝と順次縛って行った。

 

緊縛が終わると、これもベッドルームにあったハンカチを丸めて夫人の口の中に入れた。だが、夫人が激しく嫌がったので、すぐ取り出し、代わりに猿轡は緩めにしたが、すぐはずした。残酷に思えたからである」(「あさま山荘1972・(下)」彩流社刊/筆者段落構成)

 

以上の記述で明らかなように、人質となった夫人に対する「革命戦士」の態度が、映像で描かれたような、際立ってモラリスト然とした立派なものではなかったということだ。

 

坂口は夫人を緊縛したのである。確かに、緊縛を解いた2日目以降、夫人に対する対応には硬質的な態度が消えていたが、当事者である彼の手記には、夫人を「人質」として見ていた事実が窺われるのである。

 

当然の如く、夫人も又、恐怖感の中で、彼らを怒らせないように相当の配慮をしていたことが読み取れるが、しかし、「中立」を約束させられた後の夫人の心から、少なくとも、命の保証だけは得たという安心感があったのは事実らしい。但し、夫人が山荘の外からの家族の呼びかけに対して、その度に涙を流していたという記述が、坂口の手記の中に記録されていた事実を書き添えておく。

 

―― ここから、事件の全貌に迫っていきたい。

 

未成年の二人を含めて、なぜ、彼らは信州の山奥に籠っていたのか。

 

それを説明するには、彼らが所属する組織内部で起こった忌まわしき事件について書いていかねばならない。

 

連合赤軍とは、当時最も極左的だった「赤軍派」と、「日本共産党革命左派神奈川県委員会」(日本共産党から除名された毛沢東主義者が外部に作った組織)を自称した軍事組織である、「京浜安保共闘」(以下、「革命左派」)が軍事的に統合した組織で、その最高指導者に選出されたのは、「赤軍派」のリーダーである森恒夫。更に組織のナンバー2は、「革命左派」のリーダーである永田洋子

 

彼らは群馬県と長野県にかけて、「山岳ベース事件」と「あさま山荘事件」を惹き起こした。

 

とりわけ前者の事件は、組織内の同志を「総括」の名において、次々に凄惨なリンチを加え、12名を殺害、遺棄した事件として、この国の左翼運動史上に決定的なダメージを与えた。

 

従って、「連合赤軍事件」は、この「山岳ベース事件」がなぜ惹き起こされたかという、その構造性を解明することこそ、私は緊要であると考える。

 

事件に関与した若者たちの過剰な物語を支えた革命幻想は、彼らの役割意識を苛烈なまでに駆り立てて、そこに束ねられた若い攻撃的な情念の一切を、「殲滅戦」という過剰な物語のうちに収斂されていく。しかし彼らの物語は、現実状況との何らの接点を持てない地平で仮構され、その地下生活の圧倒的な閉塞性は若者たちの自我を、徒(いたずら)に磨耗させていくばかりだった。

 

ここに、この事件をモノトーンの陰惨な映像で突出させた一人の、際立って観念的な指導者が介在する。

 

当時、先行する事件等(「大菩薩峠事件」、「よど号ハイジャック事件」)で、殆ど壊滅的な状態に置かれていた赤軍派の獄外メンバーの指導的立場にあって、現金強奪事件(M作戦)を指揮した末に、連合赤軍の最高指導者となった森恒夫その人である。

 

この事件を、「絶対的な思想なるものを信じる、若者たちによる禍々しいまでの不幸なる事件」と呼ぶならば、その事件の根抵には三つの要因が存在すると、私は考える。

 

その一。有能なる指導者に恵まれなかったこと。

 

その二。状況の底知れぬ閉鎖性。

 

その三。「共産主義化論」に象徴される思想と人間観の顕著な未熟性と偏頗性。

 

―― 以上の問題を言及することで、加藤倫教が記した、「我々は『恐怖』に支配されていた」

という言葉のリアリティが理解できるのである。

 

 

時代の風景: 「連合赤軍事件」 ― その同志殺しの闇の深さ」より

尊厳死に向かって、「終活」という「生き方」を自己完結させていく 映画「しあわせな人生の選択」('15) 

1  「俺は1年間、考えてきたが、お前は今、考え始めた」

 

 

 

カナダから、スペイン・マドリードに住む親友の舞台俳優フリアンに会いに来たトマス。

 

フリアンのアパートを訪ね、再会を喜び合う。

 

末期癌を患うフリアンはトマスと共に、愛犬トルーマンの里親探しの相談に、動物病院へ行った。

 

「犬も喪失感を感じる?」

「誰かが亡くなった時に?」

「飼い主を亡くした犬を、癒す方法が?」

「捨てられた時と同様、犬の心は傷つく」

「具体的にどうなる?」

「飼い主が死ぬと、人を寄せ付けなくなり、心的反応を起こす可能性もあるだろうね」

「実は、愛犬に新しい家族を探している。俺と同じように独り暮らしの方がいい?それとも、子どものいる家族がいい?」

「僕には分からないな」

「あいつ、他の犬と暮らせるかな」

「慣れない環境はよそう…トルーマンが愛を感じることが大事だ」

 

「万全を尽くしたい」と言うフリアンは、事細かに担当医に質問する。

 

そんな遣り取りを、傍で聞くトマス。。

 

「深刻な要件の時は、前もって言えよ」

「人生で大事なのは、愛する相手との関係だけだ。家族、お前と俺、トルーマンと俺…こんなに長く、友達でいられるとは驚きだ」

「意外なことだ」

「お前から、大事なことを学んだ…」

「僕が教えた大事なことって?」

「見返りを望まないこと。何も要求しない。お前は寛大だ。俺は違う」

「ありがとう」

「俺は?何を教えた?」

「何も教わってない。悪いこと以外はね…勇気だ。決して逃げ出さない。今もね」

「だから北の果てから、会いに来たのか?」

 

フリアンとトマスはその足で病院に行き、主治医から治療方針の説明を受ける。

 

「化学療法を再開したい。腫瘍への効果が出やすい薬に変えよう。CTスキャンで肝臓の腫瘍を確認したい…」

「いいや、もう通院はしない」

「検査結果が出た時、君に勘違いさせたかもしれない」

「俺たちは、全力を尽くしたよな?何か月も闘ってきただろ?わずかな財産を治療に使いたくない…もう終わりだ。俺は、この1年、肺がんと闘い続けてきた。治療をひと休みしてる間に、がん細胞は全身を暴れ回った。治療の再開に意味が?つまり、治療を再開すれば治るのか?」

「いいや、難しいだろう」

「どっちみち死ぬんだろ?」

「そうだ」

「ではムダだ」

「時間が稼げる」

 

ここで、トマスが口を挟む。

 

「そうだ。当然だろ。どのくらい?」

「干渉しない約束だ」とフリアン。

「はるばる来たのに?」

「何とも言えないが、治療を止めたら、先は短い」と主治医。

「ほら、治療はムダじゃない」

「俺はもう、心を決めたんだ」

「衝動的な判断だ。落ち着いて考えれば、他の結論に至るかも」

「俺は1年間、考えてきたが、お前は今、考え始めた」

 

結局、フリアンは主治医への別れの挨拶に来たのだった。

 

その夜、トマスはフリアンの従妹のパウラと演劇を観た後、バーでフリアンの様子をパウラに聞かれた。

 

このパウラこそ、フリアンの説得に気乗りのしないトマスに対して、マドリード行きを後押しした女性である。

 

「医者に別れを告げた」

 

フリアンの言葉をパウラに伝えるトマスに、考え直すつもりがないフリアンを説得して欲しいと考えているのだ。

 

「あなたの意見なら耳を傾けるわ」

「…友人の死は初めてでね。どうしていいか…」

 

翌日、トマスとフリアンはトルーマンを連れて、里親に会いに行く。

 

息子との相性を見るため、一日預かりたいという申し出に、フリアンはその必要はないと断るが、トマスに促されトルーマンを置いて帰ることになった。

 

車の中で嗚咽を漏らすフリアン。

 

「長い付き合いだ。寝る時もシャワーも一緒だ。今夜はうちに泊まってくれ」

 

二人が次に向かったのは葬儀会社。

 

自身の埋葬方法や遺灰の壺のデザイン、追悼用のカード、供花、セレモニーでの写真やDVDなどの手配の相談をしつつも、フリアンは徐々に気持ちが希薄になり、顔を背け、遠くを見つめるばかり。

 

埋葬方法を事務的に進める葬儀会社の商業主義に、嫌気が差したのである。

 

その様子を見たトマスは、見積もりを自分に送るように依頼する。

 

その後、レストランで話をしていると、突然、フリアンは入って来た客を避け、顔を隠す。

 

件(くだん)の客は、元親友のルイスで、かつて、彼の妻と不倫して離婚の原因を作った人物。

 

ルイスがフリアンのテーブルに近づくや、口にしたのは、意外にも、彼の病気を案じる言葉だった。

 

「病気のこと、気の毒だな。少し前に聞いた。闘病は大変だろうね。それを言いたくて。心配してた」

「ありがとう、ルイス」

「頑張れよ。邪魔したね」

 

フリアンは自分を恥じ、ルイスのテーブルへ行き、深々と謝罪する。

 

「帰る前に別れを言いたくて。さっきはうれしかった…感激した。君は友達だったのに、俺は卑劣なことをした。何より申し訳ないのが、当時、謝らなかったことだ…」

 

ルイスへの謝罪も、別れの挨拶となっていく。

 

店から出ると、トマスが言った。

 

「君は絶滅種の生物みたいだな」

 

言い得て妙の表現である。

 

その後、トマスはフリアンの舞台を見る。

 

楽屋で化粧を落としていると、劇場のオーナーが来て、病気の心配をし、配慮しながらも、月末には代役を立てると話し、出て行った。

 

「今のは解雇宣告だ」とトマス。

「崖っぷちだな」とフリアン。

 

依って立つ基盤が一つまた一つ失われ、避けられない死へと誘(いざな)われ、現実を突きつけられていくのだ。

 

  

人生論的映画評論・続: 尊厳死に向かって、「終活」という「生き方」を自己完結させていく 映画「しあわせな人生の選択」('15)   セスク・ゲイより

望み('20)   堤幸彦

f:id:zilx2g:20220412150819j:plain

<深刻な仮定への考察を奪い取った物語の「約束された収束点」>

 

 

 

1  団欒が崩されていく

 

 

 

12月17日(火)

 

埼玉県戸沢市。

 

建築デザインの仕事をしている石川一登(かずと)は、商談中の顧客を、事務所に隣接する自宅の見学に連れて行く。

 

出版社の校正の仕事に専心する妻・喜代美(きよみ)が顧客を出迎え、一登は2階の長男・規士(ただし・高一)、長女・雅(みやび・中3)の子供部屋を案内した。

 

夕食時、客に愛想よく接する雅と切れ、不愛想な態度だった規士に対して、一登はオブラートに包むように注意した後、怪我でサッカーを止めて以来、目標を失い、反抗的になっている規士に説教する。

 

「何もしなかったら、何もできない大人になるだけだ。考え方次第で、未来は変えられるんだ…」

「時期が来れば、真面目にやるわよ。ね」と喜代美。

 

黙って聞いていた規士は、突然、箸を置いて、2階に上がって行ってしまった。

 

「お父さんからも、ちゃんと聞いてよ。顔のアザのこと」と喜代美。

「話したくないこともあるんじゃないか」と一登。

「この前、友達と怖い話してたよ。なんか、やらなきゃ、こっちがやられるとか」と雅。

 

12月19日(木)

 

喜代美は、規士の部屋の掃除中、切出しナイフのパッケージが捨てられるのを見つけた。

 

一登がその切出しを見つけ、規士に問い質(ただ)す。

 

「何に使うんだ」

「何って、色々だよ」

「なんか、揉(も)め事に関わってないか。顔のアザのことと関係あるのか?」

「ない」

「…使う目的な言えないなら、預かっとく…どこで、誰と遊んでる?」

「名前出したって、分かんないでしょ」

 

1月5日(日)

 

朝食時に規士が帰っていないことで、一登は夜遊びを止めるように言わなかったのかと喜代美に質すが、何度も言っていると反論する妻。

 

夕方、喜代美は、帰宅の遅い規士にLINEをすると、「心配しなくていいから」とメッセージが届き、電話をかけてみるが応答がなかった。

 

夜、戸沢市の車道の側溝に乗り捨てられている車のトランクから、ビニールで包まれた若い男性の死体が発見されたというテレビニュースを夫婦で観る。

 

高校生くらいの2人の男の子が逃げて行ったとの目撃情報と、殺害された男性が激しい暴行を受けた可能性が高く、被害者が10代半ばから後半などという情報を耳にして、喜代美は極度の不安に駆られる。

 

かくて、一登は戸沢署に電話を入れる。

 

団欒が根柢から崩されていくのだ。

 

1月6日(月)

 

翌朝、朝刊で昨日発見された被害者の顔写真入りで、「倉橋与志彦」という高校一年生であると確認し、安堵する一登と喜代美。

 

新聞を見た雅が、規士の友達かも知れないと話すや、戸沢警察署の刑事2人が訪問して来た。

 

「実は、倉橋君の友人関係を調べていくと、複数の遊び仲間と日頃から行動を共にしていたことが分かってきています。そこに規士君も加わっていたようです。今、分かっていることは、その遊び仲間のうち、一昨日から所在が掴めなくなっている子が複数いることです。そして、規士君も、その一人であるということです」

「規士が、事件に関わっているということですか?」

「規士君と事件の関連性については、まだ、何の事実も判明しておりません。ただ、事件の事実関係を知っている可能性は高いと考えています」

 

規士の携帯番号と機種名を聞かれ、パトロール中の警察官が見つけやすくなるので、「行方不明者届」を出すように促される。

 

「それじゃあ、まるで…私たちは、今、このようになっていると聞かされて、気持ちの整理もつかないんですよ。警察は疑うのが仕事でしょうけど、まるで規士が事件を起こして、逃げ回っているみたいな言い方をされて、家族の気持ちも考えてください」

 

しかし、一登は行方不明者届を出すことを申し出る。

 

警察が帰り、一登と雅が家を出た後、週刊誌の記者が自宅に訪ねて来た。

 

「事件があってから、行方が掴めない少年は何人かいます。規士君で3人目です」

 

喜代美は玄関口で、被害者と同じサッカーチームで遊び仲間だった規士について、執拗に聞き出そうとする記者を追い返そうとするが、警察が教えてくれない情報を知っていると話すのだ。

 

雅が通う進学塾では、事件関係の生徒の画像が出回り、噂になっていた。

 

一方、一登は建築中の家の様子を見に行った先で、担当する高山第一建設の社長から、被害者の高校生が、会社の取引業者である花塚塗装店の社長の孫であると聞かされる。

 

居ても立ってもいられない喜代美は、近所のファミレスで、規士と同じ高校の生徒たちに規士の所在を聞き回るが、成果なし。

 

一登が帰宅するや、メディアスクラム(集団的過熱取材)の攻勢を受け、振り切って自宅に戻ると、喜代美から、取材を受けた雑誌記者から、逃げている2人以外に、もう一人が事件に関わっているという重大な情報を知らされる。

 

隣の家から電話で苦情が入り、一登は家を出てメディアの取材を受けざるを得なかった。

 

そこに、規士のクラスメートの女生徒が心配して訪ねて来た。

 

一登はその女生徒から、規士が被害者の他に遊んでいたのが、中学時代のサッカークラブの生徒らのグループであると教えられた後、スルーできない事実を知るに至る。

 

彼女は、サッカーで規士が怪我をした時の試合を見ており、その様子をスマホの動画で撮っていた。

 

そこで明らかになったのは、先輩が故意に、エースナンバーを付けた規士に怪我を負わせたという事実。

 

更に、その先輩は部活帰りに襲われ、足を折られたと言うので、一登は規士を疑ったが、彼女は「そんなことをする人ではない」と言い切った。

 

一方、例の雑誌記者は規士について、生徒たちに取材を進め、その中で、病院送りになった先輩の話を知る。

 

「事件のこと、色々、ネットに書かれている。逃げてるのは誰だとか色々。もう一人死んでいるかも知れないって」

 

夕食時、雅は、そう言って、ネット情報を両親に見せたことから、一登も喜代美もSNSの情報を漁るのである。

 

1月7日(火)

 

家に卵が投げつけられ、担当刑事に相談しても新たな情報も得られず、埒が明かない。

 

愈々(いよいよ)メディアスクラムが膨張し、家族3人は追い詰められていく。

 

受験生の雅もまた、塾に行くことに迷いが生じている。

 

言い争いになる中年夫婦。

 

憔悴し切っているのだ。

 

そんな折、喜代美の母が手料理を持って訪ねて来た。

 

号泣する娘を、母が励ます。

 

「何がどうなっても、たっちゃんを守る覚悟をしなさい。覚悟さえあれば、怖いことはないから」

 

その後、死んだ与志彦を連れ回していたのが規士であると決めつけ、高山が一登に詰め寄り、今後、仕事を引き受けられないと匂わされた挙句、自社のホームページには脅迫まがいの書き込みで溢れ返るのだ。

 

追い詰められた家族の風景が、今、大きく変容していくようだった。

 

逃走しているのは兄であり、家族が犯罪者だと志望校に受からないとまで塾の生徒に言われ、不安に苛(さいな)まれる雅の様子を見て、母もまた決定的な言辞を放つ。

 

「どうなってもいいように、心の準備はしておきなさい…今まで通りにいかないこともあるんだから、雅は雅で、考えておきなさい」

 

ここで、父に吐露した本音を吐き出した雅は、「昔から、お母さんは私よりお兄ちゃんの方が大事だから!」と叫び、泣きながら自分の部屋に戻っていくのだ。

 

喜代美は、規士が加害者か被害者か分かった時点でインタビューを受けるという交換条件で、雑誌記者から取材した情報を得るが、そこで、規士は被害者というより、寧ろ加害者であるだろうと聞かされる。

 

規士が加害者である場合、刑期は5年から10年、億単位の損害賠償が請求されるが、それでも生きていて欲しいかと問われた喜代美は、「生きていて欲しいです」と毅然と言い切った。

 

1月8日(水)

 

冒頭で、住宅デザインを注文した顧客からキャンセルの電話が入る。

 

予想の範疇だったから、特段の反応はない。

 

一登が、規士から取り上げた切り出しが工具箱からなくなっているのを発見したのは、その直後だった。

 

社員に電話で確認すると、規士が4日に持って行ったと聞かされる。

 

そんな折、逃走中の主犯格の17歳の少年が捕捉された。

 

動揺を隠せない家族3人。

 

そんな渦中にあって、女は強かった。

 

反転していくのだ。

 

程なくして規士も捕捉されると確信する喜代美は、スーパーへ買い物に行き、差し入れする弁当を料理する。

 

「どこ、逃げてるんだろうな」と一登。

「望みはあるわよ」と喜代美。

 

どんな状況でも動じなくなった喜代美の強さが、際立っていた。

 

 

人生論的映画評論・続: 望み('20)   堤幸彦 より

ナチュラルウーマン('17)    セバスティアン・レリオ

f:id:zilx2g:20220405214605j:plain

<身体疾駆するトランスジェンダーの尊厳を守る闘い>

 

 

 

1  裸の写真を撮られ、検査されるトランスジェンダーの歌手

 

 

 

トランスジェンダーのマリーナは、南米チリ、サンディエゴのナイトクラブの歌手として、毎晩、美しい歌声を披露している。

 

パートナーの実業家であるオルランドがクラブを訪れ、二人はレストランでマリーナの誕生日祝いをする。

 

そこでオルランドは、マリーナにプレゼントの封筒を渡す。

 

中には“イグアスの滝へ行ける券”と書かれた便箋が入っていた。

 

「その滝は、世界7不思議の一つだぞ」

「ステキね。いつ行く?」

「10日以内に」

 

実は、オルランドは買った切符を入れた封筒を、サウナから出た後、どこかに置き忘れてしまったのだ。

 

店から出た二人は、自宅で愛し合うが、夜中に突然、オルランドが体の不調を訴えた。

 

マリーナが病院へと連れ出そうとした玄関先で、鍵を取りに部屋に戻った際に、オルランドは階段から転げ落ちてしまう。

 

何とか、マリーナは車で病院に運び込んだが、オルランドは意識不明のまま亡くなってしまった。

 

57歳だった。

 

動脈瘤破裂だった。

 

マリーナは失意のうちに病院を出て、弟のガボオルランドが死亡した事実を携帯で知らせる。

 

ガボオルランドの家族には電話をしないようにと、マリーナに告げた。

 

マリーナが家に帰ると警察が待ち受け、再び病院に連れられ、警官の質問を受ける。

 

身分証を求められたマリーナは、手続き中と説明したが、警官はマリーナを女性として認知しなかった。

 

マリーナが病院から早々に帰ったということで、事件性を疑われたが、そこにガボがやって来て、マリーナへの疑念は、一且、払拭されるに至る。

 

昼はレストランで働くマリーナの元に、オルランドの元妻・ソニアから電話が入り、オルランドが所有する車などを戻すように督促され、マリーナもそれに応じた。

 

「いつも謎めいてる」

 

店長の悪意のない言葉である。

 

仕事中のマリーナの元に、性犯罪捜査班の女性刑事・コルテスが訪ねて来たのは、この直後だった。

 

「お金の関係?」

「付き合っていたの」

「体だけじゃなく?」

「健全な大人同士の関係です。それが何か?」

「父親ほどの年齢よ。発作の前に、何か薬は?…セックスは?」

「覚えてない」

「肉体的な負荷はなかった?」

「私たちはノーマルよ」

「オネット(オルランド)さんの体には、擦り傷と殴打痕が。両腕、脇腹、首に。頭部に外傷も……そういう人たち…失礼、あなたみたいな女性は心得てる。何もかも。あなたを支えたいの。正当防衛とか?」

 

コルテスは、仕事が終わってから連絡するように言ったが、電話しなかったマリーナの留守録に、明日、警察署に来るように命令した。

 

翌朝、マリーナの寝ているところに、オルランドの息子・ブルーノが勝手にアパートに入って来た。

 

父の死の背景を疑問視するブルーノは、マリーナに悪態をつき、アパートから直ちに出て行くように言い放つ。

 

「父は気が狂った。いいか、何も盗むなよ」

 

捨て台詞を吐き、ブルーノは去って行った。

 

マリーナは約束通り、車をソニアに返しに行く。

 

その際に、ソニアは率直にマリーナに語りかける。

 

「この一年間、あなたをずっと想像してた。想像と全然、違うわ…あの人と一緒の姿を想像できない…オルランドとは38歳の時に結婚したの。ごく普通の夫婦で、普通に暮らしてた。そんな彼から、事情を説明された。私は…こう思った。あなたを傷つけたら、ごめんなさい…変態だって。ごめんね。目の前のあなたが、理解できない…神話の怪物(キマイラ)みたい…ごめんね」

「謝らないで。それが普通よ。気にしないで」

 

慣れている差別言辞に柔和に反応したマリーナは、先に駐車場を出た。

 

エレベーターを降りて、ソニアとオルランドの葬儀の話になり、マリーナは葬儀場所を訊ねる。

 

「そっとお別れを」

「来る気なの?」

「行く権利はあるわ」

「今は、もう私の問題よ…悪いようにはしない。お互い、納得のいく方法で…」

「お金は要りません…オルランドを愛してた」

「通夜も葬儀も来ないで…お願い!私たち家族だけで、静かに葬儀をさせて…家族全員、ショックでうちひしがれてる」

 

その足で、コルテス刑事の元に向かったマリーナは、暴行を受けていないか調べるために裸の写真を撮られ、検査されるのだった。

 

 

人生論的映画評論・続: ナチュラルウーマン('17)    セバスティアン・レリオ より

プーチンの軍隊「ロシア連邦軍」の人権抑圧・腐敗の凄まじさ

f:id:zilx2g:20220405213229j:plain

1  「自国民を守る」という理由で小国に駐留し、侵略戦争を仕掛けるプーチンの戦略は一貫して変わらない

 

 

 

プーチンの「当然の変化」に驚くロシア史の専門家が少なくないことに、正直、唖然とする。

 

この人たちは、一体、何を研究してきたのだろうか。

 

アンナ・ポリトコフスカヤやリトビネンコの著書を漏れなく読んでいるはずなのに、プーチンの「当然の変化」に驚くのである。

 

また、ウクライナへの侵略戦争の報道の只中で、プーチンに理解を示すコメンテーターもいる。

 

彼らは一様に発信する。

 

ゼレンスキー大統領こそが、東部ドンバス地域での停戦合意文書・「ミンスク合意」を破棄したことを誹議(ひぎ)するのだ。

 

「攻められたらしょうがないじゃないか」とも言ってのけるのだ。

 

独仏の仲介によっ合意された「ミンスク2」(2015年2月11日)の内容は、ウクライナと分離独立派双方の武器使用の即時停止、領内の武装集団・戦闘員の撤退、 そして、ドンバスの「ドネツク民共和国」・「ルガンスク人民共和国」 の「特別な地位」に関する法の成立、等々だが、要するに、親ロ派に「高度な自治権」を認めるという極端にロシア寄りの文書である。

 

この文書に対して、ウクライナ当局が一貫して同意していなかった経緯があるが、署名したにも拘らず、ロシア側は「当事者性」を否定し、「合意の保証人に過ぎない」と強弁したのだ。

 

かくて、ウクライナ軍がドローンを駆使し、分離独立派の武装組織を攻撃(2021年10月)したとして、プーチンは「ミンスク2」違反であると糾弾した。

 

プーチンウクライナ東部の親ロシア派支配地域の「独立承認」を一方的に決めた挙句、「ウクライナ内戦」の解決に向けた努力が求められながらも、「ミンスク2」を手ずから破棄するに至る。

 

ここから開かれたのが、ウクライナへの侵略戦争

 

ここで顧みるに、ウクライナ当局は、ドローン攻撃が親ロシア派地域からの砲撃への反撃と捉えているのだ。

 

然るに、コメンテーター諸氏は、このドローン攻撃を、結果責任を常に相手側に反転させるロシア得意の「偽旗作戦」とは考えないようである。

 

だから、「攻められたらしょうがないじゃないか」という結論になる。

 

厄介な御仁である。

 

何より厄介なのは、「ロシアも悪いが、ウクライナにも相当程度の責任がある」というように、恰も「喧嘩両成敗」とも思える言辞を発信する連中である。

 

そんな彼らに欠けているのは、以下の認識である。

 

即ち、ウクライナ侵攻と呼称される戦争が、「侵略戦争」であるということ。

 

そして、それが「プーチンの戦争」であるということ。

 

要するに、「プーチンによる侵略戦争」であるということ ―― この認識が欠落しているのだ。

 

だから、件(くだん)のコメンテーターによれば、「戦争という状態になっちゃったら人が死んじゃうんですよ。地獄のような状況になっちゃう」などという児戯的、且つ、過分に情緒的な物言いに流されていく。

 

その「地獄のような状況」を回避する方略が、「侵略されたら降伏する」という一択しかないという極論にまで行き着くのだろう。

 

それは、侵略する主権国家によって、侵略された主権国家の尊厳を守るために命を懸けて戦う人々に対して、冷や水を浴びせる言辞であることに無頓着過ぎる能天気な思考回路という外にない。

 

プーチンによる侵略戦争」の向こうに待つ、目を覆うが如き恐怖政治が集合的に内包する、ごく普通サイズのリアルな問題意識の致命的欠如。

 

表現の自由が保障されている国民国家で〈生〉を繋ぐ者と、侵略された主権国家で生存の保障すら奪われた国民国家で必死に〈生〉を繋ぐ者との、手に負えないほどの埋め難い絶望的乖離。

 

これだけが透けて見えてしまうのだ。

 

【この侵略戦争は、既に、ロシア支配からの脱却を求めて起こした「ジョージア・ロシア戦争」(南オセチア紛争/2008年)が悲劇の前例となっていて、黒海東岸のジョージア(旧グルジア)の南オセチアにロシア軍が駐留し、緊張関係が続いている。

 

全て「自国民を守る」という理由で、小国に駐留し、侵略戦争を仕掛けるプーチンの戦略は一貫して変わらない事実を知るべきである。これは、4で紹介するプーチンの軍隊「ロシア連邦軍」の凄まじい犯罪と腐敗ぶりを知れば、身の毛がよだつだろう】

 

 

時代の風景: プーチンの軍隊「ロシア連邦軍」の人権抑圧・腐敗の凄まじさ」より