2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

全身リアリストの悶絶

「“機銃を浴びせて手当てする”―― 欺瞞だ。見れば見るほど、欺瞞に胸がムカついた」 これは、「地獄の黙示録」の主人公、ウィラード大尉が放った言葉。最悪なる戦場に向かう哨戒艇の中で、彼はその否定的な感情を吐き出したのである。 「地獄の黙示録」は欺瞞…

生きること、必ずしも義務にあらず

「海を飛ぶ夢」(アレハンドロ・アメナーバル監督/写真)という映画がある。スペインの実在の人物、ラモン・サンペドロの「安楽死事件」をモデルにした有名な作品である。 本作への評価については、私の「人生論的映画評論」に詳しいので、ここではダイレク…

パパってなに?('97) パーヴェル・チュフライ <「仮構された『父性』=スターリン」に対峙する「暴力的立ち上げ」>

1 「盗まれた家族愛」と「奪われた少年時代」 「原題の『泥棒』にはいろいろな意味がこめられています。盗まれた家族愛、奪われた少年時代・・・」(NHK教育テレビの番組・「ロシア語会話」の取材でのインタビュー) これは、「パパってなに?」という震撼…

風の丘を越えて('93) イム・グォンテク  <寒風に身を晒す旅―「旅」、「恨」、そして「忘れ物」>

一人の芸人が、二人の義理の子供と旅をする。 子供の一人は、芸人に養女として引き取られた孤児。もう一人は、自分が愛した女の連れ子。女は難産の末逝去し、そこに一人の男の子が残された。芸人は男の子を引き取って、養父となった。 パンソリの名手である…

今日、この日を如何に生きるか

奇跡的傑作との評価も高い「幕末太陽傳」の評論を書き終ったとき、その作り手である川島雄三(写真)の宿痾(しゅくあ)について、私はしばし思いを巡らせていた。 作品の主人公の佐平次がそうであったように、川島雄三もまた、「生きるための薬」と縁が切れ…

終わりなき、姿態の見えない悪ガキたちとの戦争

序 学習塾 見かけは、単に古いだけの木造平屋建ての小さな家屋だった。 しかし、些か塗料が錆び落ちた玄関を開けて、その中に踏み入ってみたら驚いた。天井の白い木枠は相当くすんでいて、そこからぶら下がる豆電球は如何にも頼りない照明光として、小さく揺…

野いちご('57) イングマール・ベルイマン <凝縮された時間が抱え込んだ老境の悲愴性と、その軟着点>

「人間の付き合いは隣人の性格を批判したり、行動を評価することから始まる。私はこれを嫌い、あらゆる形式の社交生活を努めて避けた。他人との付き合いを殆どしなかった。私の生涯は勤勉に費やされ、まず生活の糧を得ることから始められ、勉学への愛情に終…

フィールド・オブ・ドリームス('89) フィル・アルデン・ロビンソン <反論の余地のない狡猾さを、美辞麗句で糊塗してしまう始末の悪さ>

「古き良きアメリカ」を象徴する、伝統的なスポーツ文化であるベースボールを介在にして、「父と子の物語」の復権を、もはやファンタジーという、ハリウッド映画の「最強の切り札」によってしか表現できなくなった悲哀を痛感させる一篇。 そこにはもう、「展…

氾濫する『情感系映画』の背景にあるもの ― 邦画ブームの陥穽

成瀬巳喜男の「流れる」についての評論を擱筆(かくひつ)したとき、どうしても言及したいテーマが内側から沸き起こってきた。 「邦画ブーム」と言われる、この国の現在の有りようの社会学的背景について、些か大袈裟だが、年来の思いを記述してみたいと思っ…

優しい文化

一体、この国の人たちは、いつ頃から、このように、「感動」への渇望感を意識し、それを常に埋めようと騒ぎ出すようになったのだろうか。(写真はスローフードのロゴマーク) 思えば、「一児豪華主義」の社会的定着の中で、生まれついたときから、「この眼に…

サッド ヴァケイション('07) 青山真治 <「陰影のスポット」を仕切る、「無限抱擁」への原点回帰>

真紅に眩い若戸大橋を仰ぎ見る、間宮運送という運送会社のそのポジションは、逆に言えば、35kmもの杭州湾海上大橋には及びもつかないが、かつて東洋一の吊り橋であった若戸大橋から俯瞰(ふかん)しにくい位置にあるということで、まさに高度成長の象徴…

シテール島への船出('83)  テオ・アンゲロプロス <「戻るべき場所」を削り取られた者の「内的亡命」という実存への希求>

本作の中で、私に最も鮮烈な印象を与えた構図が、少なくとも二つあった。 一つは村人たちから厄介者扱いされても、、故郷の村に拘泥する老人スピロが、自分の山小屋を放火されたとき、それを目撃するシーン。 そこに至るプロットを、簡潔に要約しておく。 3…

この国の「闘争心」の形

1 序 ―― その場凌ぎのリアリズム この国では、しばしば、結果よりもモチーフの純度こそ評価される傾向があるという指摘は多い。 極端に言えば、この国では「何をしたか」によってではなく、「何をしようとしたか」によって人間の価値が決まるのであり、その…

情感的軟着点によって雲散霧消した「岡田JAPAN」 ―― その風景のくすんだ変色

1 敗者をも特定する「近代スポーツの本質」 「曖昧な国の、曖昧な文化」の欺瞞性に地団駄を踏んでいたとき、偶(たま)さか、同時進行で「サッカーW杯南アフリカ大会」のテレビ中継があった。 テレビ中継は、大方の予想を裏切って、我が国は1次リーグを2…

乱れる('64) 成瀬巳喜男 <繋げない稜線を捨て去って、振り切って、遂に拾えなかった女>

翌日から、幸司は人が変わったように酒店の仕事を手伝うようになった。従業員が突然辞めたからであるが、幸司にとってそのことは好都合なことでもあった。 しかし、懸命に働く義弟を見つめる義姉の視線は、明らかに、以前のそれの延長線上に合わせていける類…

放浪記('62) 成瀬巳喜男 <天晴れな映画の、天晴れな表現宇宙が自己完結したとき>

「放浪記」は成瀬映画の真骨頂を発揮した作品である。 その意味で、成瀬映画の集大成でもあると言える。 作品の内に、成瀬映画を特徴づける人生観、人間観のエッセンスが収斂されていると思えるからだ。 私見によれば、成瀬映画とは、「人生は思うようになら…

映画の中の決め台詞  その1  〈欺瞞を撃ち抜く台詞集〉

序 「“機銃を浴びせて手当てする”―― 欺瞞だ。見れば見るほど、欺瞞に胸がムカついた」 「 友愛外交というのは難しいテーマではありますが、それを現実に行ってきたのがヨーロッパ、EU(欧州連合)であることを考えたときに、敵視し合っていたフランスとド…