2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「連合赤軍」という闇 ― 自我を裂き、削り抜いた「箱庭の恐怖」  補論

補論 「権力関係の陥穽」 人間の問題で最も厄介な問題の一つは、権力関係の問題である。権力関係はどこにでも発生し、見えない所で人々を動かしているから厄介なのである。 権力関係とは、極めて持続性を持った支配・服従の心理的関係でもある。この関係は、…

「連合赤軍」という闇 ― 自我を裂き、削り抜いた「箱庭の恐怖」  5

5.魔境に搦め捕られた男の「自己総括」 稿の最後に、「連合赤軍」という闇を作り上げた男についてのエピソードを、ついでに記しておく。永田洋子と共に、仲間が集合しているだろう妙義山中(写真)の洞窟に踏み入って行った森恒夫は、そこに散乱したアジト…

「連合赤軍」という闇 ― 自我を裂き、削り抜いた「箱庭の恐怖」  4

4.恐怖越えの先に待つ世界 しかし兵士たちの山越えは、兵士たちの運命を分けていく。 時間を奪還できずに捕縛される者と、銃撃戦という絶望的だが、せめてそれがあることによって、失いかけた「革命戦士」の物語を奪還できる望みがある者との差は、単に運…

達磨はなぜ東へ行ったのか('89) ペ・ヨンギュン  <勝ち過ぎた観念によって削られた映像構築力>

一人の青年がいる。 彼は自分の人生の方向が定まらず、懊悩していた。魂の自由への渇望もあった。 彼の名はギボン。 その魂の自由への飛翔を束縛すると感受させるのは、盲目の母と妹への扶養意識の精神的負担感だった。 ギボンは間もなく、盲目の母と妹を、…

Love Letter(‘95) 岩井俊二 <「グリーフワーク」という基幹テーマの内に、べったりと添えられた「感動譚」の洪水>

どう考えても、本作のテーマは、ヒロインである渡辺博子の人格を深々と呪縛する自我に張り付く原因子を、「グリーフワーク」に向けてソフトランディングさせていくプロセスと、その克服と再生を描くもの。 それは、以下のエピソードによって判然とするだろう…

「連合赤軍」という闇 ― 自我を裂き、削り抜いた「箱庭の恐怖」  3

3.箱庭の恐怖 ある人間が、次第に自分の行動に虚しさを覚えたとする。 彼が基本的に自由であったなら、行動を放棄しないまでも、その行動の有効性を点検するために行動を減速させたり、一時的に中断したりするだろう。 ところが、行動の有効性の点検という…

「連合赤軍」という闇 ― 自我を裂き、削り抜いた「箱庭の恐怖」  2

2.箱庭の帝王 森恒夫と永田洋子が上州の山奥に構築した場所は、およそ人間の自我を適度に休ませる場所から最も隔たっていた。 人間の自我に恒常的に緊張感を高める場所にあって、森恒夫の自我は常に裸にされることを恐れつつ、必要以上の衣裳をそこに被せ…

「連合赤軍」という闇 ― 自我を裂き、削り抜いた「箱庭の恐怖」  1

1.最高指導者 森恒夫はかつて、赤軍派の内ゲバの恐怖から敵前逃亡を図り、組織から離脱したという過去を持つ。当時、赤軍派の創立者であった塩見孝也の意向により組織への復帰を果たすが、実は、この消しがたい「汚点」が、後の連合赤軍事件の陰惨さを生み…

「連合赤軍」という闇 ― 自我を裂き、削り抜いた「箱庭の恐怖」  序

1971年末から72年にかけて、この国を震撼させた大事件が起こった。「連合赤軍事件」がそれである。 連合赤軍とは、当時最も極左的だった「赤軍派」と、「日本共産党革命左派神奈川県委員会」(日本共産党から除名された毛沢東主義者が外部に作った組織…

ワン・フルムーン('92) エンダヴ・エムリン  <「悲劇の連鎖」が「贖罪の物語」の内に自己完結する映像の凄味>

全ては、主人公を含む3人の少年による、一人の男への常軌を逸した悪戯によって開かれた。 その「事件」から、本篇を貫く、理不尽とも言える「悲劇の連鎖」が繋がっていったからである。 最後に、「少女殺し」によって全てを失う少年の、その後の人生の時間…

大誘拐('91) 岡本喜八 <「獅子の風格と、狐の抜け目のなさと、パンダの親しさを兼ね備えた人格」の支配力の凄み>

困っている人間を積極的にサポートする、幾多の慈善事業に取り組む程に、スケールの大きな包括力を有する山林王は、「善良性」を垣間見せる若者たちを、無傷で生還させねばならないと括ったのであろう。 そこにはもう、山林王と若者たちとの間で、ストックホ…

ロゼッタ('99) ダルデンヌ兄弟  <もう誰とも繋がれない少女の自我――「自己防衛」のための青春の尖りの苛酷さ>

少女はいつも怒り続けている。 映像の冒頭で、理由もなく解雇された故に工場内を逃げ回り、自分のロッカーの中に潜り込んで抵抗するシーンは、少女が拘泥する意識の中枢を描き出していて印象深い。 作り手は、観る者にいきなり勝負を挑んでくるのだ。 私たち…

「現代のロビンフッド」の快楽

何者でもない者が「特定的な何者か」であろうとするために支払ったエネルギーコストより、そこで手に入れたベネフィットの方が上回っていると信じられ、且つそれが継続性を持ち得るとき、その者は自分が辿り着いたであろう、「特定的な何者か」についての物…

秋のソナタ('78) イングマール・ベルイマン <母娘の愛憎劇を、その裸形の様相の極限まで描き切った室内劇>

1 炸裂する母娘の愛憎劇の極相を炙り出して① 「私は日々、生きる術を練習している。問題は自分が何者か分らないことだ。答えは見えない。誰かが、ありのままの私を愛してくれたら分るかも。でも、今の私にはそんな希望はない」 これは、牧師である夫のヴィ…

リアリズムなき体育会系原理主義の迷走 ―― 『星野ジャパン』自壊す

1 「組織遂行力」の脆弱さ ここに、一人の有能な男がいる。 彼の名は、三宅博。 元プロ野球選手だったが、致命的な故障を来し、若くして引退を余儀なくされた後は、阪神タイガースのコーチを経てスコアラーとなり、それが天職であったかのように才能を存分…

「幸福の最近接領域」―― 自我をスモール化した若者たちの戦略の行方、或いは、覚悟なき「絶対依存」の冷厳な現実を直視して

1 未知のゾーンを広げてしまった厄介さ 「幸福の最近接領域」とは私の勝手なネーミングで、これは発達心理学で著名な、旧ソ連のヴィゴツキー(写真)の「発達の最近接領域」という概念から借用したものだ。 ヴィゴツキーは主著「思考と言語」(上/明治図書…

(人生論的映画評論/幻の光('95) 是枝裕和 <「対象喪失」―― その埋め難き固有性を吐き出して、拾い上げて>」)より抜粋

本作の主人公、ゆみ子はその人生の中で、過去に二度、決定的な対象喪失の危機を経験し、その自我に埋め難いほどの空洞感を作り出してしまった。深甚な対象喪失によって作り出された名状し難い空洞感を埋めるには、彼女の場合、別な新しい人格との遭遇を介し…

スタンド・バイ・ミー('86) ロブ・ライナー <お子様映画の悲惨と退廃>

2 全てを失った偏見の極み この「お子様映画」を貫流する独り善がりの善悪二元論(大人=悪⇔子供=善)と、そこに纏(まと)い付く気恥ずかしくなるような過剰な感傷に、正直吐き気すら覚えるからである。いや実際、この映画の中で、大人も子供も入り乱れて…

スポーツの風景

“スポーツ”― それは、現代を眩く彩る様々なる快楽仕掛けの一つである。しばしば最も安上げりで、最も効率の良い特段の仕掛けとなって巷間を過剰なまでに泡立たせている。 それが運んで来る熱狂と興奮は、殆ど空疎で狭隘なイデオロギーを蹴散らせて、人々を過…

それが日暮れの道であっても

ここに一冊の本がある。 今から40年以上前の雑誌だ。「キネマ旬報 第392号 昭和40年6月上旬号」というレア物の雑誌を、私は在住する清瀬市内の図書館を経由して、都立多摩図書館から取り寄せてもらった。そこに、とても興味深い一文が載っているから…

霧の中の風景('88) テオ・アンゲロプロス <始めに混沌があった>

始めに混沌があった それから光がきた そして光と闇が分かれ 大地と海が分かれ 川と湖と山が表われた その後で 花や木が出てきた それに動物と鳥も・・・ 闇が支配する部屋の小さなベッドに身を埋めて、11歳の姉が5歳の弟に、この夜も「創世記」をコンパクト…

丹下左膳余話 百萬両の壷('35) 山中貞雄 <飄々たる者たちの長閑なる振舞い―「絶対英雄」の対極として>

問題のその壷は、屑屋の隣に住む子供の安吉の金魚鉢に変わっていた。その安吉の父親、七兵衛は遊び人で、夜毎に矢場(注2)に出入りしていた。その矢場の女将はお藤といい、しばしば客の要請に応えて小唄を三味線で語り弾くことを得意にしていた。この夜も、…

北条民雄、東條耿一、そして川端康成 ―― 深海で交叉するそれぞれの〈生〉

1 「おれは恢復する、おれは恢復する。断じて恢復する」 「人生論的映画評論」の「小島の春」の批評の中でも書いたが、北條民雄(写真)の「いのちの初夜」の中の一文をここでも抜粋したい。(なお本稿では、多くの引用文があるため、ハンセン病患者を「癩…

スモールステップの達人

ここに、一人のプロボクサーがいる。(写真) 現時点(2000年3月)で、前東洋太平洋某級のチャンピオンだから、彼は成功したボクサーと言っていい。 彼とは、彼が中学2年生以来の付き合いだから、その間、何年かのブランクがあったにせよ、早いもので…

アラビアのロレンス・完全版('88)  デヴィッド・リーン <溢れる情感系のアナーキー性を物語る抑制機構の脆弱さ>

1 自分で運命を切り開く男の英雄伝説の第一歩 T.E.ロレンスの自伝(「知恵の七柱」)で書かれたロレンス像とどこまで重なり合っているか定かでないが、明らかにデイヴィッド・リーン監督は、本作の主人公を「英雄譚」として描き切っていない。 何より、…

こうのとり、たちずさんで('91) テオ・アンゲロプロス  <“家に着くまでに、何度国境を越えることか”――「確信的越境者」の呻き>

これはとてつもなく重く、根源的な問いかけを、観る者に放つ映画である。 これほどラジカルな問題を真っ向勝負で捉えて、しかもそれを、人間の生きざまの悲哀を絡めて描き切っていく映像世界は、アンゲロプロス監督の独壇場の感がある。これは現代世界史の最…

崩されゆく『打たれ強さ』の免疫力

今井正監督の最高傑作とも思える、「キクとイサム」(1959年製作/写真)の映画評論を書き終わった後、本作の主要なテーマである、「差別」の問題と離れて言及したい由々しきテーマが、私の中で出来(しゅったい)してしまった。映像を通して、キクとい…

定着への揺らぎと憧憬―「寅さん」とは何だったのか

一切の近代的利器とは情感的に切れる生き方を徹底させ、渡し舟に乗り、月夜の晩に故郷を懐かしむリリシズムが全篇に漂う中、その男は純愛を貫くのである。 人々は映像の嘘と知りつつも、この架空のヒーローに深々と思いを込めていき、気がついたら、自分たち…

田舎の日曜日('84) ベルトラン・タヴェルニエ <老境の光と影――慈父が戦士に化ける瞬間(とき)>

6 映画の重量感を決定づけた老画家の語り 「田舎の日曜日」は、私にとって究極の一作と言っていいほどの作品となっている。 パリ郊外に住む老画家の邸に、長男一家と、都会の華やかな生活感覚を漂わせたような娘が訪ねて来る。 晴天の日曜日での家族の交歓…

シンドラーのリスト('94) スティーブン・スピルバーグ <英雄、そして権力の闇>

1 歴史の重いテーマの映像化の中で不要な、「大感動」のカタルシス効果 ポーランドで軍用工場を経営していたオスカー・シンドラーは、ユダヤ人会計士の協力を得て、ゲットーのユダヤ人を工場労働者として集め、好業績を挙げた。 複数の愛人と関係し、放恣な…