アフタースクール('08)  内田けんじ<狭隘なるラベリング思考から抜け切れない男への情感炸裂>

 Ⅰ  「予定調和の逆転劇」の効果を高める伏線としての「対立構図」



 本作がミステリー・ヒューマンドラマとして観るとき、とても精緻に構築された映画であることは間違いない。

 「予定調和の逆転劇」という軟着点を前提化しているように見えるので、ミステリードラマとしての緊張感の継続力が弛緩気味に流れていく瑕疵を除けば、ほぼ完璧なシナリオと映像構成の秀逸さは、それだけで充分、商業映画としての付加価値を高めるだろう。

 だから、本稿では、精緻に練り上げたミステリーの構成力について一切言及するつもりはないし、正直、興味もない。

 その点に関しては、5分も経てば忘れる類の、単に「面白いだけの映画」で終わるからだ。

 本稿で言及したいのは、ただ一点。

 「人生論的映画評論」という視座で本作を観ていくと、この映画が、裏稼業の探偵屋である北沢と、公務員である中学校教師の神野によって成立する作品と考えているので、「人生観」において決定的に乖離している二人の会話にのみ注目し、言及したい。

 本作の中で、「事件」に関わるシナリオの存在すらも知らない、ただ一人動かされ続けるばかりの、ネガティブ思考に塗(まみ)れた北沢の、「訳知り顔の人生観」だけが浮き上がってしまっていて、物語の中での、この男の屈折の様態が炙(あぶ)り出されてくる印象が強いのだ。

 そんな二人の間に、こんな会話があった。

 既に、相手(北沢)が探偵屋であると察知している神野が、ヤクザと連(つる)んで違法行為をする企業幹部の男に依頼され、探偵稼業を引き受けた北沢から、そのネガティブな人生観を滔々と聞かされるシーンがそれである。
 なおこの時点で、「事件」のからくりを知らない北沢は、神野の親友の木村と妊婦が新婚であると信じていて、その木村が浮気している写真を見せることで、「木村の女房とやれるぞ」と毒舌ぶった際に、吐露した北沢の物言い。

 「現実なんてこんなもんだ、先生。勉強になったか」

 妊婦を放置し、不倫に走る木村の振舞いについて、神野に、「然(さ)もありなん」と訳知り顔で説教する北沢に、神野は正攻法の反応をした。

 「お前、何があったんだ。中学では、そんな人間じゃなかったはずだ・・・」

 北沢の「訳知り顔の人生訓」が開陳されのは、このときだった。

 「お前みたいに、ずーと教室で生きている奴に人間の何が分るんだよ。何にも知らないで、自分の都合の良いように世間見て、人間見て、安心しやがって、お前みたいな奴見てると、ムカムカするんだよな。早く卒業しろよ、中学校から」

 そこまで言われた神野は、「どうでもいいや」と捨て台詞を残して、帰って行った。

 心中では、警察を背後にした、自分の置かれた立場が理解し得ていても、「自分だけが人生を分ったつもりになっている、こんなアホとは付き合い切れない」という思いが騒いで止まなかったのだろう。

 それを見て、勝ち誇ったようにニヤけた表情を浮かべる北沢が、そこにいた。
 
 この「対立構図」は、終盤の「予定調和の逆転劇」の効果を高める伏線として、特定的に切り取られた会話であることは言うまでもない。
 
 
(人生論的映画評論/アフタースクール('08)  内田けんじ<狭隘なるラベリング思考から抜け切れない男への情感炸裂> )より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/07/08.html