ニキータ('90)  リュック・ベッソン <「炸裂するヒロイン」の「非抑制的・非内面的ワールド」から、「抑制的・内面的ワールド」の「内的表現」を身体的に繋ぐ変容の物語>

 1  「絶対状況」に捕捉された「炸裂するヒロイン」の究極の〈生〉の転がし方



 個人的には思い入れの少ない、この作り手の作品の中で、受容できる殆ど唯一と言える作品だが、客観的に評価すれば、存分なまでの「映画の嘘」の「自在性利得」の中で、物語構成力による「初頭効果」(第一印象効果)のインパクトと、その身体表現によって「炸裂するヒロイン」と、その「炸裂するヒロイン」を巡る二人の男の人物造形の魅力が見事に溶融することで、壊れそうで壊れない、アクション娯楽ムービーがマキシマムに表現し得る絶妙な内的風景を描き切った、リュック・ベッソン監督の記念碑的な一篇。(因みに、映像イメージから、本作の主人公である「ニキータ」を、本稿では敢えて、「炸裂するヒロイン」と呼称していくことにする)

 物語構成力による「初頭効果」のインパクトとは、秘密工作員という名の女テロリストである「炸裂するヒロイン」が、縦横無尽に身体表現する本作が完璧に前編と後編に分れていて、「『外的表現』を身体的に繋ぐ、『炸裂するヒロイン』の非抑制的・非内面的ワールド」である前編と、「『内的表現』を身体的に繋ぐ、『炸裂するヒロイン』の抑制的・内面的ワールド」である後編の鮮烈なコントラストによって、観る者を些か強引に引っ張り切るパワーを持ち得ていたことに尽きる。

 後述するが、本作の中で最も重要なシーンは、物語を実質的に前・後編に分けたと言えるバスルームのシーンであり、このシーンなしに本作の訴求力の高さを語れないだろう。

 初めて、形ばかりの自由を得た秘密工作員としての女テロリストが、最初に請け負った仕事が単なるホテルのメイドでしかなかったが故に、「炸裂するヒロイン」にとって、相当程度、「任務」を甘く見た印象の余韻で、弾けるような歓びを体現した辺りは、観る者の度肝を抜くような、文字通り、「出口なし」のレストランでの凄絶な銃撃戦を展開した、「命を賭けた卒業テスト」の苛烈さをパスしたとは言え、まだまだ、暴走無頼のイメージの濃厚な女テロリストの印象を拭えなかった。

 大体、訓練という名の3年間の限定的な洗脳ラッシュで、ショートカットの「炸裂するヒロイン」の人格が容易に変容する訳がないと思わせる人物造形を、本作は一貫して、「映画の嘘」の「自在性利得」の中で繋いできているのだ。

 件の「炸裂するヒロイン」は、元々ドラッグ欲しさに、仲間の父親が経営する薬局を襲撃する事件の流れの中で、3人の警官を射殺した重罪によって、陪審員裁判(注)の結果、無期懲役刑(注2)を言い渡されるが、「クソ裁判官、ふざけるな!」と叫び、法廷で暴れ狂うほど始末に悪かった。

 まもなく、中枢神経の異常な興奮を静める抗興奮剤(?)を注射され、意識を失った「炸裂するヒロイン」が、見知らぬ部屋のベッドで覚醒したとき、見知らぬ男が現れ、戸籍上は葬式も済ませ、自殺したことにしたという報告を受け、自分が置かれた状況の把握ができず、男の話を一方的に聞かされるに至る。

 男の名はボブ。

 政府直轄の国家機密機関の秘密工作員である。

 ボブは「炸裂するヒロイン」に、秘密工作員となることを強く求めていく。

 「君にもう一度だけチャンスを与えよう」

 まもなく、教育係になっていくボブの、恫喝的な言葉である。

 「何をするの?」
 「訓練だ。読み書き。歩き方。話術。格闘技を教える」
 「なぜ?」
 「国のためだ」
 「断ったら?」
 「墓場に送る」

 「炸裂するヒロイン」は、1時間ほど眠らせて欲しいとボブに頼み、その許可を取った後、再びやって来たボブから銃を奪取するが失敗し、自殺を図ろうとして、それも未遂に終わった。

 結局、「炸裂するヒロイン」は秘密工作員としての訓練を受けるに至るのだ。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/ニキータ('90)  リュック・ベッソン <「炸裂するヒロイン」の「非抑制的・非内面的ワールド」から、「抑制的・内面的ワールド」の「内的表現」を身体的に繋ぐ変容の物語>)より抜粋http://zilgz.blogspot.com/2012/02/90.html