連作小説(1)  悪意の歩行者

 一 


 ほんのひと押しの揺らぎで崩れてしまうような、ちっぽけなガラスの秩序。そこに私は棲んでいる。

 気晴らしに向かうどのような気分の集合がどれほど威勢よくても、その気分を乗せている辛いものの集合がほんの少し暴れ出したら、もう澱みきったものの淵に流されていた。

 私は長く、ガラスのような気分の内側からしか世界と繋がれない。それ以外に繋がりきれない陰鬱なるものが、底知れないほど深く、私の記憶を呑み込んでいるのだ。捨てたくとも肥大するばかりのものが、失いたくないものに取り憑いて、私の記憶は戻れない世界にまで流れていく。澱みきったものの淵には、記憶の残骸だけが、そこにしかないもののように累々としていた。


 ウウッという呻きの中で、私は闇に放り投げられた。

 超弩級の抵抗虚弱点である腰の辺りに、激痛が走った。切れることを知らない、全身を貫流する切っ先鋭い電流が、腰痛爆発とペアを組んで、痩躯の稼働域の総体を痙攣させるのだ。

 仰向けにしか就眠態勢を確保できない私に、どうやら最初の覚醒が訪れたらしい。十秒ほどの攻撃的な痙攣の後に、両腕硬縮による疼痛が齧りついてきた。私を柔和に包摂してくれるはずの電動ベッドから、圧倒的不快感の中で、冬眠動物のように重く、億劫でけだるい気分の中を、それ以外にない日常性を何とか延長させるためだけに抜け出していくのだ。

 私は死ぬまで、こんな作業を、あと何百回、何千回繰り返すのだろうか。

 いや、死を待つことなく、案外早くこの不快な作業に終止符が打たれるかも知れない。昨今の顕著な筋力低下の爛れの惨状は、寝たきりになることが意外に早いことを、そこだけは体躯の有機性を僅かに記憶する神経網の土手っ腹に警告連射しているのだ。

 そのとき私は、中枢性疼痛の氾濫と激甚な背痛・腰痛爆発によって、自我一個分が辛うじて棲める程度の、くすんだ地下網に構築した小さな秩序の一切を根こそぎ破壊されるだろう。

 身体総体の硬縮爆発が、私を醜怪な悪相の木乃伊に変えていくのだ。

 概日リズムを構築できない不毛な歳月による衰微を強迫的に被浴しながらも、ギリギリに縋りついてきた自己像が否応無く色褪せて、もう固有の時間を拓いていくちっぽけな腕力に繋がれない。自らの拠って立つ中枢が崩され、微塵に砕かれていく私という日常性は、ここ一年ほどの間に、すっかりこの恐怖によって支配され、甚振られ、翻弄されている。

 この夜もまた、未曾有の恐怖が私の重く、しなやかさを失った硬い痩身を三メートルほどシフトさせていた。

 そこには、私仕様の肘掛椅子が待っている。

 私はそこに座り、半壊の体を晒す脆弱な腰部を冷却していく。肘の辺りにタオルを幾重にも積み上げた椅子の腰部の当たる部分には、就寝前に用意されたアイスノンが巻きつけられていて、半睡の中で上半身のストレッチを開始する。己を騙す技術に縋り付いて、幾分でも疼痛を緩和させるためだ。

 この状態になると、レム睡眠が覚醒の通路を呆気なく開いてしまうので、睡眠を時間に繋ぐために、昨日もまたそうであったように、この夜もまた、テーブルに用意された眠剤を一気に嚥下した。

 ほんの少し腰痛が緩和され、今度は六メートルほど先のトイレに向かった。

 ここでは常に、転倒の恐怖記憶が不必要なまでに私を萎縮させる。何しろ二ヶ月前に、蛹を覆う繭であると信じた地下の小宇宙の中枢で、肋骨にひびを入らせるほどの転倒を経験しているのだ。たった一度だが、転倒の瞬間に己が痩躯を防御するテールスキッドを持たない無残さは、強迫的に私の脳裏に焼きついてしまって、爾来、トイレへの匍匐は日常性下の非日常的リスクを帯びた恐怖突入と化したのである。

 そのとき台所の時計を覗くと、午前二時。

 暦を形式的に塗り替えて朝日を視認するまで、私はこの移動を幾度繰り返すのだろうか。騙し込んで抑えている腰痛が反転攻勢にギアシフトするまで、素早くレム睡眠に潜入せねばならぬ。思い做しか、大人一人分を背負っているかのような重く涸れた流動物体を引き摺って、なお引き摺り込んで、そこだけは絶対防衛圏だと信じる電動ベッドの懐深くに潜り込んだ。

 闇の中に繰り返し放り出されるものに、闇の向こうが垣間見えるときが訪れるのか。

 
(心の風景 /連作小説(1)  悪意の歩行者)より抜粋http://www.freezilx2g.com/2009/09/blog-post.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)