「人生を無駄にした罪」によって裁かれる男の物語

イメージ 11  「半径2メートルの世界」 ―― 〈私の状況〉であり、〈私の時間〉の囲み方
 
 
 
森内俊雄の「氷河が来るまでに」(河出書房新社刊)。
 
かつて私は、この小説を二度読んだ。
 
現代文学の中で、私は、底知れぬほど苦脳する男の心の風景を描いたこの小説を、最も愛好する。
 
小説の中に、こんな一節がある。
 
自らを「壊れた器」と呼ぶ「ダダ」と称される主人公が、しばしば断薬を試みて、それを医師に相談すると、一蹴されたというエピソードである。
 
「後はせいぜい、2、30年の命、薬を上手に使って、楽しく仕事をなさったらいかがですか」
 
担当医から、そんな言辞を返されて、衝撃を受ける「ダダ」。
 
「ダダ」の衝撃は、私の衝撃でもあった。
 
「私の衝撃」と言っても、この担当医の言葉に特段の違和感を覚えず、却って、気持ちが楽になったのは事実。
 
 そうなんだ。
 
高々、あと2、30年の時間なのだ。
 
 不埒な理由で危険ドラッグに手を出さない限り、当時、脂漏性皮膚炎の治療薬として塗布していたステロイド系のロコイド軟膏を、外用薬の副作用など気にせず、2、30年間、塗り続けていけばいい。
 
  脂漏性皮膚炎による全身の皮膚掻痒症(ひどい痒み)に悩まされていた私にとって、原因症状が異なる「ダダ」の不安など、簡単に払拭できたわけである。
 
 それ以来、「あと2、30年」という言葉は、奇妙なほど馴染み深く、一種、心地良き情報と化していく。
 
ところが、身体障害者障害程度等級・1級の脊髄損傷者になって以来、私もまた、手痛い不眠症者への仲間入りを果たしてしまった。
 
中枢性疼痛の沈痛効果のために抗鬱剤なしには生活できないほど、私の日常性は、完全に自律性を失った脆弱性を剥き出しにしている。
 
日一日と崩されゆく恐怖の中で、「平生業成」(へいぜいごうじょう)という真宗の言葉によって説明される、「生きている今、救われる」という感覚のみを求めて、辛うじて時間と繋がっているのだ。

 「生きている今、救われる」
 
私の「非日常の日常」に張り付く観念系の言辞である。
 
「生きている今」、その生命の僅かだが、それなしに時間を繋げない、私の「非日常の日常」の渦中に救われないと、生きていけないのだ。
 
どこまでも他人事だったから勝手に感情移入して読んでいた、「氷河が来るまでに」という一冊の文学作品は、そんな私がかつて読んだとき以上に、不眠の現実を持て余している現在、いよいよ近接度が増してきている分、何よりも気にかかる作品になってしまったのである。
 
「ダダ」は、自らを「壊れかけた器」と捉え、そこからの脱出を彼なりに模索するが、私もまた、その身体の総体が「壊れかけた器」と化し、中枢性疼痛に有効なセルシントリプタノール(共に抗鬱剤)なしに「非日常の日常」を耐えられないし、レンドルミン眠剤)なしに入眠することが叶わない。
 
すべて副作用があるが、当然ながら、「せいぜい、2、30年の命」と言う「ダダ」のに名当医の言葉すら、今の私には慰めにもならない。
 
だから、「生きている今、救われる」という感覚のみを求めて、辛うじて時間と繋がっている。
 
「生きている今」だけが、私の時間となる。
 
この感覚は、私の自我にオブセッション(強迫観念)をもたらした。
 
まるで、憑かれているような時間の感覚。
 
それは、「時間を無駄にしたくない」という強烈な意識である。
 
 「時間の無駄」=「人生の無駄」である。
 
そこまで追い込んでいる。
 
だから、不必要なだけの「余白」の時間を作らない。
 
「人生には、無駄な時間は何一つない」というポジティブ思考も素晴らしいが、今の私とは無縁である。
 
と言うより、位相の異なる話なのだ。
 
私もまた、多くの「無駄な時間」を蕩尽してきたが、その全てが「不必要な無駄」であるとは思っていない。
 
 「人生には、無駄な時間も必要である」と考えていることは、当然ながら、「不必要な無駄」の時間を合理的に排除して生きていくことと矛盾しないのである。
 「不必要な無駄」の時間の一切を排除する。
 
 この極端な観念を貫流することなしに、今の私に張り付く、「非日常の日常」を繋いでいく時間を耐えるのは、とうてい不可能なのだ。
 
「不必要な無駄」の時間の一切を排除する生活を極限的に突きつめていけば、「今日という一日のみを、全身全霊を傾けて生きていく」という、陰翳を削った人生の素描の様態を形象化するだろう。
 
仙境にて暮らす道教の仙人道のイメージも悪くない。

 しかし、この物言いは、あまりに奇麗事過ぎる。
 
 実際は泥濘に塗れ、ひどく汚れていて、本来の純度すらも保持し得ない、「精神の焼け野原」の際(きわ)で呻吟し、「奈落の底」に堕ちるギリギリの辺りで呼吸を繋いでいる。
 
 このイメージの方が正解だが、「思い」としては、道教的な奇麗事を引き摺っているから厄介なのである。
 
だから、極端な観念系を濾過させることなく、〈私の状況〉が分娩する〈私の時間〉を繋ぐ。
 
厄介であっても、それでいいと思っているのだ。
 
少なくとも、「時間の無駄」=「人生の無駄」は、今の私にとって、「道徳的規範に背馳する罪」以外の何ものでもない。
 
 そこまで追い詰めないと成立しない世界に、私は棲んでいる。
 
 「半径2メートルの世界」
 
これが、私の世界である。
 
私仕様のソファーの前のテーブルに置かれている、一台のノートパソコン。
 
そこに向かって、書きたいことを書いていく。
 
それが、私の観念系の営為の全てである。
 
あとは、生存のために為し得る仕事を熟(こな)していく。
 
テレビは全く観ない。
 
ベッドに潜っているときは、自分でできるリハビリをやる。
 
35分間、マンションの廊下を歩くときが一番辛いが、そこで転倒したら、私の人生は終わる。
 
「生きている今」だけが全て。
 
それ以外に何もない。
 
だから、特別でも何でもない。
 
ただ単に、これが〈私の状況〉であり、〈私の時間〉である。
 
この囲み方を受容する。
 
それだけである。
 
 
 
2  ドグマの否定と、「自分の内なる声」を掻き消す「人の意見の雑音」の拒絶
 
 
 
 「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ」(青空文庫・「病床六尺」)
 
 これは、正岡子規の「病床六尺」の冒頭の文章である。
 
 結核菌が脊椎を冒し、脊椎カリエスを発症した子規は、「病床六尺」の世界が終焉するまでの約3年間、寝返りも打てないほどの苦痛の継続的な「非日常の日常」の中で、俳句や短歌を書き続けていた。
 
それが、子規の生き方だったのだろう。
 
 彼の苦痛を、誰も共有できない。
 
 自分の経験から想像するだけである。
 
 人間の孤独の極相を見ることができるが、今更、そんな青臭いことを言っても始まらない。
 
34歳で逝去した子規が、人生を無駄にしなかった文学者であったかどうか、私は知らない。
 
 そんなことは、本人の解釈上の問題であって、他人がとやかく言うことではない。
 
少なくとも、子規は子規の〈生〉を生き切った。
 
 それで充分だと思う。
 
 「私は自分の時間を無駄にしたくない」
 
 無論、この言葉は子規ではない。
 
 中華人民共和国の47歳の映画監督の言葉である。
 
 多数の「政治犯」が砂漠の中枢に放り込まれ、収容所で強制労働を強いられた反右派闘争の理不尽を描き切った、有名な「無言歌」(2010年製作)の監督・王兵ワン・ビン)の言葉である。
 
 「ぼくの映画は政治的ではない」
 
常に、この類いの言辞を送波しなければならないほど、王兵監督の映画には、軍事的に膨張する母国への批判的メッセージが感受されるから、いつもインタビューで尋ねられる宿命から逃れられないようである。
 
 これは、イラン映画に出現した驚くべき映画監督・アスガー・ファルハディもまた同様である。
 
 「彼女が消えた浜辺」(2009年製作)、「別離」(2011年製作)を観たときの衝撃は、政治的色彩を脱色するために、子供中心の映画を作ってきたイラン映画に対する私たちのイメージを根柢から変えてしまう、「本物の映像」との出会いでもあった。
 
  
 
 
(新・心の風景 「人生を無駄にした罪」によって裁かれる男の物語)より抜粋http://www.freezilx2g.com/