1 頑として自説を曲げない男
「野球は数字じゃない。科学なら分るが、俺たちのしていることとは違う。俺たちには経験と直感がある。君にはイエール大学卒の小僧がいる。だが、球界歴29年のスカウトもいる。聞く相手を間違えている。野球人にしか分らないものがある」
「嫌なら。クビだ。君は占い師じゃない。俺と同様、人の将来など予測できない」
「もう、友情も過去もクソもない。球界は俺と同じだ。お前は勝てない。このまま惨敗を招いてクビになったら、球界には戻れんぞ」
「クビだ!」
この一言で、全て終わってしまったが、本作のエッセンスが、この会話の中に凝縮されている。
クビを宣告したのは、MLB(メジャーリーグベースボール)東地区に所属するオークランド・アスレチックスのGM(ゼネラルマネージャー)であるビリー・ビーン。
このビーンにクビを宣告されたのが、球団所属のヘッドスカウト。
2001年、かつてワールドシリーズ制覇9回を数える伝統あるチームのアスレッチクスが地区優勝を果たし、「1億1445万7768ドル対3972万2689ドル」と冒頭のキャプションで紹介された、ヤンキースとのリーグチャンピオンを賭けたプレーオフにおいて、2戦先勝しながら3連敗するという結果でプレーオフを敗退した後、そのプレーオフで獅子奮迅の大活躍をしたジェイソン・ジオンビーの他、俊足強打の外野手ジョニー・デイモン、絶対的クローザーのジェイソン・イズリングハウゼンを、FA(フリーエージェント)で強豪チーム(順にヤンキース、レッドソックス、カージナルス)への移籍が決まり、戦力をすっかり骨抜きにされてしまったチームの状況下で、その補強を巡って、球団スタッフと侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をした直後、頑として自説を曲げないビーンが、遂にヘッドスカウトまで解任する事態に陥った現実を露わにする会話 ―― これが、スモールサイズの経営を厳命するオーナーによる、低予算での再建を任された、殆ど未来を展望できない絶望的なチーム状況を凝縮するものだった。
この年、一頭地を抜く成績を残したジオンビ―に代わる選手の補強など、与えられた予算ではとうてい不可能であった。
以下、ヘッドスカウトを解任したスカウト会議で拾われた、古参スカウトマンたちの愚かしい言葉の内実。
「見かけもいい」、「当るとボールが、かっ飛んでいく」、「よく打つ」、「スィングがいいし、クセもない。未熟な部分もあるが、眼をひく。彼女がブスだ」、「生意気だ。そこがいい。チンポコ見れば、自信がみなぎっている」、「見かけは悪くない。見た目もいい」、「奴の女は並みだね」等々。
こんな会話を散々聞かされたビーンが、苛立たない訳がない。
「おしゃべりばかり。ペラペラ。それが仕事だと思ってる。何が問題かが分っていない」
ベテランスカウトマンたちの経験則のレベルが、この程度のものであると知悉(ちしつ)しているはずのビーンの批判のベースにある喫緊の問題意識には、「金持ちチームとの不公平な闘い」に対する球団の構造改革の必要性が横臥(おうが)している。
ただ残念ながら、この時点で、その算段が見つからないだけなのだ。
その苛立ちが本稿冒頭の会話の中で炸裂するのだが、そんな一匹オオカミ然とした男の焦燥感をフォローしていく物語の律動感には全く問題なく、ビーンを演じるブラッド・ ピットの表現力の凄みに感嘆させられる。
因みに、「イエール大学卒の小僧」とは、イエール大学で計量経済学を専攻し、回帰分析という手法で実証分析を行う統計学を学んだピーター・ブランドのことだが、彼については、本作の主人公のビーンに大きな影響を与えた青年なので、稿を変えて言及したい。
(人生論的映画評論・続/ マネーボール(‘11) ベネット・ミラー <「人生を金で決めたことがある。だがもうしないと誓った」 ―― ビジネス戦略を駆使した男の最終到達点>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2012/12/11.html