1 「俺は国に仕えたし、税金も払ってる。したいことをする権利がある」
州面積の過半が大草原・プレーリーであり、小麦・トウモロコシ・綿花を中心にする北米の大穀倉地帯になっている。
この都市に住む一人の老人が高速道路をゆっくりと歩行していて、ハイウェイパトロールの警官に捕捉されたところから物語は開かれる。
老人の名はウディ・グラント(以下ウディ)。
父であるそのウディを引き取りに、警察まで迎えに行った次男・デイビッドに、高速を歩行していた理由を話すウディ。
そう言って、ウディはデイビッドに手紙を見せる。
「父さん、これはインチキだ。古い手口だよ。雑誌を売るためだ」
そう言い聞かせても信じないウディを、車に乗せ、自宅に戻すデイビッド。
「これでもう2回目よ。まさか、100万長者になるのが夢とはね」
ウディの妻・ケイトが心配のあまり、怒り心頭に発して待っていた。
「もし、100万ドルあったら?」とデイビッド。
「トラックを買う」とウディ。
「免許は?」
「返してもらう。コンプレッサー(空気圧縮機)も欲しい。エドが持っている」
「あの人、泥棒よ」とケイト。
「泥棒じゃない。貸したんだ」とウディ。
「いつ貸したの?」とデイビッド。
「1974年」
「もう40年になる。盗んだも同然だ」とデイビッド。
「だから欲しいんだ」
認知症とも思しきウディと、それを案じる家族の会話の一端である。
しかし、ウディの徘徊は止まらない。
「もう手に負えないわ」
今度は、ウディの長男・ロスが父を説得している。
100万ドルを受け取りに行くことが諦められないのだ。
州の大部分が平坦な大平原・グレートプレーンズに属していて、今なお、カウボーイの文化を繋ぐネブラスカ州。
「なぜ、徒歩で?」とロス。
厳しく父を責めるロスに、「そんな言い方するなよ。本人も分かってない」とデイビッドは小声で話すが、老人ホームに入れることしか頭にない兄との心理的距離の乖離は判然としていた。
「父は生きがいが欲しいだけだ」
「酒を飲むのが生きがいと思ってた。母さんと俺は現実を見てる。ホームは最善の場所だ。本人にとっても良い。昔から俺達には興味もないし・・・」
人気キャスターの病欠の代役としてニュースキャスターの仕事をするロスは、アルコール依存症とも思しき父に対する心地良き思い出がないようだった。
2,3日付き合えば、1500kmに及ぶ父の妄想の如き旅も終わるだろうというような軽い気持ちで、デイビッドが運転するスバル・レガシーでの車の旅が開かれたのである。
デイビッドが望んだ寄り道だが、その寄り道に関心を示さないウディは、そそくさと車に戻るばかり。
ところが、最初に宿泊したモーテルで転倒したことで病院行きになり、頭部の裂傷を縫うに至った。
元々、線路で転倒したときの後遺症が原因であると言うウディの傷が深く、入院を勧められるのだ。
然るに、その線路で亡くしたウディの入れ歯を、父と子で必死に探し、苦労の末、デイビッドが見つけ出すエピソードを挟んで、入院することなく、父と子の旅は目的州のネブラスカに辿り着く。
ここでも、父と子の旅は寄り道をする。
この時点で1200km。
十数年振りかでレイと会っても、簡単な挨拶で済ますウディ。
寡黙な性格は兄弟揃って酷似しているようだ。
刑務所に入所した過去を持つコールとバートという名の、失業中のレイの肥満の息子たちも特段の歓迎もせず、無愛想だから、一人マーサだけが目立っていた。
マーサの家を拠点に、ウディとデイビッドは酒場で会話を繋ぐ。
「ノエルとは別れた。2年間一緒に暮らしたが、彼女は出て行った。求婚すべきだったかも。でも、確信が持てなくてね。父さんは、どうだった?確信してた?母さんとの結婚を決めた時」
恐らく、自分の辛い状況を初めて父に吐露する息子が、そこにいた。
以下、二人の会話。
「母さんが望んだ」
「父さんは?」
「“何てこった”と」
「後悔したことは?」
「しょっちゅうだが、まあ何とかなった」
「少なくとも、最初は愛してたよね?」
「考えたことない」
「子供は何人欲しいとか、相談は?」
「してない」
「じゃ、なぜ作ったの?」
「ヤリたいからさ。母さんはカトリックだし、分るだろ」
「子供について話し合ってないの?」
「ヤリ続けりゃ、子供ができるに決まってる」
「別れようとは?」
「文句ばかり言う女とは別れたい」
「そりゃ、そうだろうけど、母さんも、父さんには耐えてきた。アル中だ」
「バカな」
「何を言ってるんだ。僕が8歳のとき、車庫に酒を隠すのを見た」
「やっぱり盗んだのは、お前か。出費がかさんだぞ」
「中身は捨てた。酒浸りの姿を見たくなくて」
「だからお前は、ロスにかなわないんだ。俺は国に仕えたし、税金も払ってる。したいことをする権利がある」
「だから酒を?」
「少しな」
「大量だ」
「そうさ、大量に飲んだとも。だから何なんだ。何をしようと自由だろ。母さんと結婚すりゃ、お前も飲む。とやかく言われる筋合いはない」
そこまで言い切って、一人で店を出ていく父と、その父を負う息子。
ここで笑う人がいるかも知れないが、これは笑わせるために挿入した会話ではない。
頑固でウルトラマイペース、且つ、些細なことに拘らない豪放磊落(ごうほうらいらく)な性格の父の生き方に反発し、反面教師としての自我を作ってきたデイビッドの真面目な性格が浮き彫りにされているからだ。
そして同時に、この老人が認知症に罹患していないことだけは判然とする。
単にウディは、思い込みが激しく、寡黙だから本音で喋る偏屈な老人の一人であるに過ぎないのだろう。
アルコールを忌避し、異性との結婚に対しても自信を持ち得ないデイビッドの心情には、何事につけても口煩い母や、アルコール依存症にまで堕ちていった原因を、母との夫婦関係から受けたストレスと決めつける父へのリバウンド形成が底層に窺えるが、それでも、「俺は国に仕えたし、税金も払ってる。したいことをする権利がある」と言い切る父の言葉には、相当の説得力があった。
人生論的映画評論・続/ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅(‘13) アレクサンダー・ペイン <「誇り」の奪回を懸けた老人の人生最高の旅の物語>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/09/13.html