さよなら渓谷(’13) 大森立嗣<「レイプトラウマ症候群」 ――  その瞑闇の世界の風景の痛ましさ>

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1  男の贖罪意識を試し続けてきた女の、それ以外にない収束点
 
 
  
東京都郊外(奥多摩近辺と思われる)。
 
夫婦の隣家で起きた幼児殺人事件を契機に、夫婦の関係に亀裂が入る。
 
夫の尾崎俊介(以下、俊介)が、件の殺人事件の容疑者として、地元警察に逮捕されるに至る。
 
幼児の母・立花里美と内通していた疑いをかけられ、逮捕されたが、冤罪によって地元警察から釈放される。
 
一方、かつてラガーマンだった週刊誌記者・渡辺は、16年前の和東大学時代に、当時、プロを目指す野球部員だった俊介の身元を調べていた。
 
その調査から、卒業の半年前に俊介が退部し、都心の証券会社に入社した事実を掴み、その証券会社を訪ねる。
 
俊介をコネで紹介したという証券会社の先輩から、同時期に3人の部員も退部している事実を聞かされ、そこに俊介を含む4人の部員が犯した事件の臭気を嗅いでいた。
 
殆ど同時期に、地元警察から釈放される際に刑事が吐露した言葉の中で、俊介が犯した犯罪が集団レイプ事件である事実が判明する。
 
当然、渡辺も、その情報を共有しているから、彼は俊介を訪ねていくが、無反応の俊介。
 
事件の被害者に深い関心と同情を寄せる、渡辺の部下の小林杏奈(以下、小林)の独自調査によると、事件の被害者である、当時高校生の水谷夏美(以下、夏美)は、事件後、すぐ転校し、その転校先で噂が広まり、両親が離婚する。
 
就職先で恋人ができ、結婚するに至るが、相手の両親が彼女の過去を調べさせた結果、事件のことが知られ、結婚は破談。
 
そして、この噂が広まり、夏美は退職する。
 
今度はリース会社に転職して知り合った男と結婚するが、翌年春頃に流産、その後、その相手からDVを受け、入退院を繰り返す。
 
実家に戻った夏美は、2度の自殺未遂を起こした後、失踪するに至る。
 
ここで、サスペンスベースの物語は、俊介の妻・かなこが、隣家で起きた幼児殺人事件の犯人として、夫を密告するシーンを提示する。
 
警察から釈放後の俊介を、執拗に追う渡辺。
 
渡辺は俊介に対して、直截(ちょくさい)に、集団レイプ事件の被害者・夏美が負ったセカンドレイプの現実を突きつけるが、かなこの密告によって、再び、俊介が警察に拘束される現場を目撃するのだ。
 
今度は、俊介が立花里美と内通していた事実を確認するために、かなこに問いかける渡辺だが、「あなたに、私たちの何が分るっていうの」と吐き捨てられるばかり。
 
一方、そのかなこの密告を警察から知らされた俊介は、かなこを前にした接見室で、衝撃を受ける心情を隠し切れなかった。
 
16年前に起こした集団レイプ事件の辛い記憶が、留置所の中で、フラッシュバックのように襲ってくる。
 
二人の女子高校生に、殆ど泥酔状態の4人の大学生が取り囲んでいた。
 
一人の女子夏美をゲットしたつもりの俊介が夏美といちゃついていて、一見、睦み合うようなムードを醸し出ていたが、不穏な雰囲気を察知したもう一人の女子が、「トイレに行く」という理由をつけ、その場を外したことで、今度は、夏美を囲繞し、明らかにレイプ事件を想起させるカットが挿入される。
 
ここで、現実に戻る。
 
かなこの密告の衝撃を受けた俊介が、冤罪でありながら、贖罪意識から罪を認める俊介。
 
そして、小林の情報によって、夏美が生きていて、電気屋の前で、仲良く二人で、高校野球の中継を見ていたという事実を知らされた渡辺は、「夏美=かなこ」ではないかという印象を強くする。
 
ここから、時系列は、レイプ事件から時を経て、DVの痕を顔に残し、疲弊し切った様子で、病院の中庭のベンチに座るシーンにシフトする。
 
病院に見舞いに来た俊介の声掛けに、呆れ果て、その場を去っていく「夏美=かなこ」の悄然(しょうぜん)とした姿が、相当な間をとって、印象的に映し出されていた。
 
そして、「夏美=かなこ」である事実を、本人に向かって、ダイレクトに問いただす渡辺。
 
そこには、小林もいる。
 
玄関の扉をノックし、開扉(かいひ)を求める小林。
 
フラッシュバックに襲われるかなこ。
 
二人目の男に初めてのDVを受けるかなこには、抵抗する術もなかった。
 
その事実を、渡辺と小林に、正直に話すかなこ。
 
何度も入退院を繰り返すかなこのもとに、男が訪ねて来たと言うのだ。
 
「本当に申し訳ありませんでした」
 
それ以外にない言葉をリピートするだけの男を、追い返す実母。
 
初めてのDVによってレイプ事件のフラッシュバックが惹起し、自殺未遂に振れるかなこ。
 
心身ともに疲弊し切ったかなこが、「お金貸して」という電話を、証券マンの俊介にかけた映像が、その直後に提示される。
 
慌てて駆けつけて来た俊介の前にいるのは、電話ボックスの中で蹲(うずくま)り、「死ねないんだよ…」と漏らし、心配のあまり、自分の体に触れようとする俊介を拒絶するかなこだった。
 
俊介に怒り狂い、炸裂するかなこ。
 
新しく部屋を借り、自分の人生を再スタートさせるはずの俊介は、この叫びを受け、もう、何もできなくなった。
 
二人の逃避行が開かれた瞬間である。
 
列車に乗る女と、少し離れた席で座っている男。
 
女が先行し、男がそのあとを追う。
 
男に対する拒絶を言動化する女。
 
「どうしても、あんたが許せない」
 
女はそう言い放って、裏寂れた田舎の道路の中枢に、男を置き去りにする。
 
それでも、ついていく男。
 
には、今、それ以外の選択肢がないのだ。
 
田舎の宿に入り、女は事件の際に逃げたもう一人の高校生の名が、「かなこ」である事実を男に告げる。
 
弾丸の雨の中、男は女に金を渡そうとするが、それを拒絶し、男の頬を叩く女。
 
明らかに、「支配・服従」の関係を露骨に押し付ける女の思いには、彼女もまた、それ以外の選択肢を持ち得ないのである
 
こんな状況下で、「それでも、ついていく男」との物理的距離が狭まっても、「支配・服従」の関係によって、「永遠なる贖罪」を男に求める女の情感系の強度に変化がなかった。
 
「あの日、あなたに会わなきゃ…」
 
吐き捨てて、足早に歩いていく女。
 
「それでも、ついていく男」に「ついて来ないでしょ!」と叫びながらも、「それでも、ついていく男」との距離を確認し、歩を緩める女。
 
歩道橋から飛び降りようとして、男を試す女。
 
「飛び込むんじゃないかと、一瞬、思ったよ…」
 
「それでも、ついていく男」の一言に、「死ねばいいと思った?」と突きつける女。
 
「すいません…楽になる気がして…」
 
思わず、本音を吐く男。
 
「あたし、あんたが逃げたかと思った。だけど…戻って来て欲しかった」
 
女も本音を吐く。
 
この言葉に、嗚咽を漏らす男。
 
贖罪だけが、男の残り人生のすべてなのか。
 
―― 以上が、渡辺と小林に語り切った、「夏美=かなこ」の告白である
 
この直後の映像は、かなこの密告が虚偽である事実を自ら認めることで、俊介が警察から釈放されるシーンに繋がるが、再び、時系列が戻っていく。
 
二人はアパートの部屋を借り、棚も何もない殺風景な、「非日常の日常」の生活の一歩を踏み出していく。
 
「死ねって言われたら、俺、死ぬから」
 
男のこの一言によって、女との物理的距離が最近接し、そこに、一人の男と一人の女の心理的距離が最近接する。
 
最近接した男と女が交接する、そのファーストステージが開かれた瞬間である。
 
そんな回想に耽っていた男が、解放された身を、「ただいま」と言って、部屋にこもる女の前に現れた。
 
「お帰り。お腹すいてる?チャーハンくらいだったら作れるけど」
「食べたいな」
普通の会話だった。
 
二人は自宅を離れ、小さな旅に出る。
 
渓谷の見える温泉場(奥多摩のもえぎの湯)で、ここでも、普通の会話を繋いでいた。
 
二人は渓谷にかかる吊り橋を歩き、橋の中枢点で止まった。
 
「何にも言わないんだね。あたしのせいで留置所に入ったでしょ。怒ったりしないの?あなたが留置所に入ってるとき、あの渡辺って記者に何もかも話したよ。あの人、『それで幸せなのか』って頻りに聞いてた。だから私、答えたのよ。私たちは…幸せになろうと思って一緒にいるんじゃないって」
 
かなこはここで、おもむろに、右足のサンダルを渓谷に落とした。
 
「私が決めることなのよね」
 
そこだけは、きっぱりと言い切った。
 
それは、男の贖罪意識を試し続けてきた女の、それ以外にない収束点だった。
 
 

人生論的映画評論・続/さよなら渓谷(’13) 大森立嗣<「レイプトラウマ症候群」 ――  その瞑闇の世界の風景の痛ましさ> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/07/13_19.html