1 男の贖罪意識を試し続けてきた女の、それ以外にない収束点
東京都郊外(奥多摩近辺と思われる)。
夫婦の隣家で起きた幼児殺人事件を契機に、夫婦の関係に亀裂が入る。
夫の尾崎俊介(以下、俊介)が、件の殺人事件の容疑者として、地元警察に逮捕されるに至る。
幼児の母・立花里美と内通していた疑いをかけられ、逮捕されたが、冤罪によって地元警察から釈放される。
その調査から、卒業の半年前に俊介が退部し、都心の証券会社に入社した事実を掴み、その証券会社を訪ねる。
俊介をコネで紹介したという証券会社の先輩から、同時期に3人の部員も退部している事実を聞かされ、そこに俊介を含む4人の部員が犯した事件の臭気を嗅いでいた。
殆ど同時期に、地元警察から釈放される際に刑事が吐露した言葉の中で、俊介が犯した犯罪が集団レイプ事件である事実が判明する。
当然、渡辺も、その情報を共有しているから、彼は俊介を訪ねていくが、無反応の俊介。
事件の被害者に深い関心と同情を寄せる、渡辺の部下の小林杏奈(以下、小林)の独自調査によると、事件の被害者である、当時高校生の水谷夏美(以下、夏美)は、事件後、すぐ転校し、その転校先で噂が広まり、両親が離婚する。
就職先で恋人ができ、結婚するに至るが、相手の両親が彼女の過去を調べさせた結果、事件のことが知られ、結婚は破談。
そして、この噂が広まり、夏美は退職する。
今度はリース会社に転職して知り合った男と結婚するが、翌年春頃に流産、その後、その相手からDVを受け、入退院を繰り返す。
実家に戻った夏美は、2度の自殺未遂を起こした後、失踪するに至る。
ここで、サスペンスベースの物語は、俊介の妻・かなこが、隣家で起きた幼児殺人事件の犯人として、夫を密告するシーンを提示する。
警察から釈放後の俊介を、執拗に追う渡辺。
今度は、俊介が立花里美と内通していた事実を確認するために、かなこに問いかける渡辺だが、「あなたに、私たちの何が分るっていうの」と吐き捨てられるばかり。
一方、そのかなこの密告を警察から知らされた俊介は、かなこを前にした接見室で、衝撃を受ける心情を隠し切れなかった。
16年前に起こした集団レイプ事件の辛い記憶が、留置所の中で、フラッシュバックのように襲ってくる。
二人の女子高校生に、殆ど泥酔状態の4人の大学生が取り囲んでいた。
一人の女子・夏美をゲットしたつもりの俊介が夏美といちゃついていて、一見、睦み合うようなムードを醸し出ていたが、不穏な雰囲気を察知したもう一人の女子が、「トイレに行く」という理由をつけ、その場を外したことで、今度は、夏美を囲繞し、明らかにレイプ事件を想起させるカットが挿入される。
ここで、現実に戻る。
かなこの密告の衝撃を受けた俊介が、冤罪でありながら、贖罪意識から罪を認める俊介。
ここから、時系列は、レイプ事件から時を経て、DVの痕を顔に残し、疲弊し切った様子で、病院の中庭のベンチに座るシーンにシフトする。
病院に見舞いに来た俊介の声掛けに、呆れ果て、その場を去っていく「夏美=かなこ」の悄然(しょうぜん)とした姿が、相当な間をとって、印象的に映し出されていた。
そして、「夏美=かなこ」である事実を、本人に向かって、ダイレクトに問いただす渡辺。
そこには、小林もいる。
玄関の扉をノックし、開扉(かいひ)を求める小林。
フラッシュバックに襲われるかなこ。
二人目の男に初めてのDVを受けるかなこには、抵抗する術もなかった。
その事実を、渡辺と小林に、正直に話すかなこ。
何度も入退院を繰り返すかなこのもとに、男が訪ねて来たと言うのだ。
「本当に申し訳ありませんでした」
それ以外にない言葉をリピートするだけの男を、追い返す実母。
初めてのDVによってレイプ事件のフラッシュバックが惹起し、自殺未遂に振れるかなこ。
心身ともに疲弊し切ったかなこが、「お金貸して」という電話を、証券マンの俊介にかけた映像が、その直後に提示される。
慌てて駆けつけて来た俊介の前にいるのは、電話ボックスの中で蹲(うずくま)り、「死ねないんだよ…」と漏らし、心配のあまり、自分の体に触れようとする俊介を拒絶するかなこだった。
俊介に怒り狂い、炸裂するかなこ。
新しく部屋を借り、自分の人生を再スタートさせるはずの俊介は、この叫びを受け、もう、何もできなくなった。
二人の逃避行が開かれた瞬間である。
列車に乗る女と、少し離れた席で座っている男。
女が先行し、男がそのあとを追う。
男に対する拒絶を言動化する女。
「どうしても、あんたが許せない」
女はそう言い放って、裏寂れた田舎の道路の中枢に、男を置き去りにする。
それでも、ついていく男。
男には、今、それ以外の選択肢がないのだ。
田舎の宿に入り、女は事件の際に逃げたもう一人の高校生の名が、「かなこ」である事実を男に告げる。
弾丸の雨の中、男は女に金を渡そうとするが、それを拒絶し、男の頬を叩く女。
こんな状況下で、「それでも、ついていく男」との物理的距離が狭まっても、「支配・服従」の関係によって、「永遠なる贖罪」を男に求める女の情感系の強度に変化がなかった。
「あの日、あなたに会わなきゃ…」
吐き捨てて、足早に歩いていく女。
「それでも、ついていく男」に「ついて来ないでしょ!」と叫びながらも、「それでも、ついていく男」との距離を確認し、歩を緩める女。
歩道橋から飛び降りようとして、男を試す女。
「飛び込むんじゃないかと、一瞬、思ったよ…」
「それでも、ついていく男」の一言に、「死ねばいいと思った?」と突きつける女。
「すいません…楽になる気がして…」
思わず、本音を吐く男。
「あたし、あんたが逃げたかと思った。だけど…戻って来て欲しかった」
女も本音を吐く。
この言葉に、嗚咽を漏らす男。
贖罪だけが、男の残り人生のすべてなのか。
―― 以上が、渡辺と小林に語り切った、「夏美=かなこ」の告白である。
この直後の映像は、かなこの密告が虚偽である事実を自ら認めることで、俊介が警察から釈放されるシーンに繋がるが、再び、時系列が戻っていく。
二人はアパートの部屋を借り、棚も何もない殺風景な、「非日常の日常」の生活の一歩を踏み出していく。
「死ねって言われたら、俺、死ぬから」
男のこの一言によって、女との物理的距離が最近接し、そこに、一人の男と一人の女の心理的距離が最近接する。
最近接した男と女が交接する、そのファーストステージが開かれた瞬間である。
そんな回想に耽っていた男が、解放された身を、「ただいま」と言って、部屋にこもる女の前に現れた。
「お帰り。お腹すいてる?チャーハンくらいだったら作れるけど」
「食べたいな」
普通の会話だった。
二人は自宅を離れ、小さな旅に出る。
渓谷の見える温泉場(奥多摩のもえぎの湯)で、ここでも、普通の会話を繋いでいた。
二人は渓谷にかかる吊り橋を歩き、橋の中枢点で止まった。
「何にも言わないんだね。あたしのせいで留置所に入ったでしょ。怒ったりしないの?あなたが留置所に入ってるとき、あの渡辺って記者に何もかも話したよ。あの人、『それで幸せなのか』って頻りに聞いてた。だから私、答えたのよ。私たちは…幸せになろうと思って一緒にいるんじゃないって」
かなこはここで、おもむろに、右足のサンダルを渓谷に落とした。
「私が決めることなのよね」
そこだけは、きっぱりと言い切った。
それは、男の贖罪意識を試し続けてきた女の、それ以外にない収束点だった。
人生論的映画評論・続/さよなら渓谷(’13) 大森立嗣<「レイプトラウマ症候群」 ―― その瞑闇の世界の風景の痛ましさ> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/07/13_19.html