岸辺の旅(’15) 黒沢清<人間の〈生〉と〈死〉、グリーフワークを丹念に描いた秀作>

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1  望みが叶って、稲荷神社の祈願書を燃やし、グリーフが完結
する
 
 
 
 
 
「楽しい曲だし、何か、曲のリズムと先生のテンポが合っていないっていうか…だから、この子、間違えるんじゃないかって…」
 
ピアノ講師の仕事で、見過ぎ世過ぎを繋いでいる瑞樹(みずき)の心の風景を、端的に示すシーンから開かれる物語は、3年前に失踪した夫の優介の唐突の帰宅によって、一気に変化の端緒を反照するシークエンスを映し出していく。
 
「俺、死んだよ。富山の海でね。体はとっくにもう、カニに食われて失くなってる。だから、探しても見つからないんだ。あの頃、病気だったんだろうね」

「あたしのせい?」
「違うよ。何か、仕事に追われてる気がしてさ。不思議な感じだったな。あっという間なんだ。一歩踏み出して、ことが始まると、もう引き返せない」

「死者」となって帰宅した優介と、その夫を探すために苦労し続けた妻・瑞樹との奇妙な会話だが、一貫して、物語は「映画的リアリティ」を被せつつ進行していく。
 
「ここまで長い道のりだった。そうやって、旅をする死者は少なくないんだよ。途中で疲れてしまって、一カ所に住み着いてしまう者もいる。とうとう、自分が自分じゃなくなって、あるとき、ふっとまた、いなくなってしまうんだろうね」
 
その夜の優介の言葉だった。
 
ここで、夢から覚めた瑞樹は、優介の「帰宅」が夢ではなく、現実である事実を知り、3年ぶりに会った夫に抱きつき、「いつまでもここにいて」と懇願するが、優介の答えは、以下のもの。
 
「俺と一緒に来ないか?あちこち、きれいな場所があるんだ。あの世とかじゃないよ。ここに来るまでに色々世話になって、俺がいなくなって困ってる人もいるんだよね」
 
かくて、精神的に追い込まれ、入水自殺した優介の死後、彼が亡くなってから帰宅する間に立ち寄った生活スポットを、夫に導かれ、その夫の3年間の足跡を辿る二人の「岸辺の旅」が開かれる。
 
二人が最初に出会った人物の名は、新聞配達業に従事する初老の島影。
 
「死者」である事実に気が付いていない島影は、人情味のある好人物。
 
この新聞屋で働いていた優介は今、頼まれてパソコンの修理をし、瑞樹は島影の新聞の折り込みの手伝いをする。
 
「優介が帰って来たのは、どうして?」
「みっちゃん、好きだよ」
最も聞きたいことを尋ねる瑞樹に、未だ答えられない優介。
 
「何だか、呼ばれてるような感じがする。どこだか分らないけど、行かなくちゃならない…」
 
同時に、「死者」である島影もまた、「ややこしい」現実に捕捉され、自分のポジションと、肝心の「辿り着く先」が不分明になり、泥酔しながら、その苦悩を優介に打ち明けるのである。
 
この直後、迷いを振り切ったのか、趣味の花の絵や写真を切り抜いた、そこだけは特段に、鮮やかな色彩で彩られた部屋の中で、彷徨(さまよ)う霊体の島影は「あの世」に旅立っていく。
 
旅立っていった島影の部屋は、鮮やかな色彩で彩られた風景とは無縁な廃屋と化していて、それを視認する瑞樹は恐怖に怯(おび)えてしまう。
 
優介もまた、そんな運命を辿っていく思いを隠せないのだ。
 
次に、二人が立ち寄ったのは、「生者」である神内(じんない)夫婦。
 
中華料理店を切り盛りする神内夫婦の店で、一時(いっとき)、働くことになる二人。
 
優秀な歯科医だった優介は餃子作りの仕事に励み、瑞樹は神内夫人・フジエのピアノを弾く平穏な日々を過ごすが、ここで惹起したエピソードは重要なので後述する。
 
優介との物理的共存に愉悦しながらも、霊体である優介との交接はルール違反なので拒絶される。
 
中華料理店と別れ、二人は新たな旅に出る。
 
その旅の中で、優介が生前中に病院の事務員と浮気していた事実を、優介のパソコンのメールで知った瑞樹に、「どうでもいい女なんだし」と歯牙にもかけない反応する優介。
 
その言葉に切れた瑞樹は、その女・朋子と会うために、一人で東京に戻ってしまう。
 
一見、穏やかながらも、敵意丸出しの朋子との言語の応酬によるキャットファイトは、毅然とした態度を貫く朋子に蹴散らされる始末
 
瑞樹の心は動揺し、改めて、自分の知らない夫の内面世界の一端を知らされる。
 
それは、3年間の「空洞」を埋めるために必死だった瑞樹の嫉妬感情が、なお息づいている現実を認知させるのだ。
 
二人の旅は続く。
 
二人が辿り着いたのは、優介が私塾を開いていた山奥の農村。
 
そこには、優介が懇意にしていた星谷老人がいる。
 
アインシュタイン相対性理論をレクチャーしていた最も懐かしい農村だが、そこで今、優介は情熱を持って、老いも若きも、一堂に会する村人たちを相手に、難解な科学的講話中心の寺子屋を再現する。
 
タバコ畑を経営する星谷老人の義理の娘・薫と、その息子の良太と親戚縁者のような関係を作っていた優介は、そのタバコ畑で働き、人生の最も良好な生活を繋いでいた。
 
この山奥の農村での生活こそが、歯科医であることにアイデンティティクライシスに陥っていた優介の、その再構築の人生のルーツである現実を、瑞樹は目の当たりにするのだ。
 
星谷老人が、自分の息子と仲違いし、息子・タカシが家を出るに至り、旅先で風邪をこじらせ、行路病死(こうろびょうし)し、その骨を薫が一人で受け取りに行くが、肝心の良太を置いて、それっきりになってしまった話を、しみじみと聞かされる瑞樹。
 
ところが、2年後に、失踪した薫が、空腹で死にそうな優介を連れて帰宅したと言うのだ。
 
しかし、帰宅した薫は、「何をやらそうとしても、まるで魂が抜けたみたいに、ぼーとしてるだけで…」(星谷老人)という状態だった。
 
その薫を、優介と同様に霊体と考えていた瑞樹は、失踪した薫の夫こそ霊体であると、優介から教えられる。
 
この村での瑞樹の体験の総体は、彼女の心の闇を払拭させるに足るだけの決定的な何かになっていく。
 
瑞樹は、星谷老人に教えられた渓谷の滝に行く。
 
その滝で、瑞樹の前に現れたのは、彼女が16歳の時に逝去した瑞樹の実父だった。
 
優介との関係で、娘の将来を心配するあまり、自分の思いを娘に伝えに来たのである。
 
既に、霊体となって彷徨(さまよ)っている薫の夫が森に現れ、その夫に未練を持つ薫との絡み合いを視認し、「生者」である薫から、「死者」である薫の夫・タカシを引き離そうとして格闘する優介のエピソードが、この直後に提示される。
 
「ここまで来れば、なるようにしかならねぇよ」
 
そんな投げ遣りな言葉を吐いて、相変わらず、自分に未練を持つ薫と消えていこうとする。
 
それを遮断しようとする優介に対峙し、瑞樹は最も重要な言葉を吐き出した。
 
「区切りなんて、つけない方が楽なことだってあるよ!」
 
たじろぐ優介。
 
「みっちゃん、それでいいの?」
 
そして、あまりに不全な状態に置かれ、不安と恐怖に呪縛されているタカシに、優介は「最後の望み」を尋ねるのだ。
 
「死にたくなかった。俺は死にたくなかったんだ。薫に、そう伝えてくれ」
 
これが、「あの世」に導かれていくことになるタカシの遺言となった。
 
更に、肝心の優介にも、顕著な疲弊感が現出し、彼にもまた、「あの世」からの呼び出しが近いことが実感するに至る。
 
この決意が、優介のレクチャーのうちに変換されていく。
 
「宇宙はこれで終わるんじゃない。ここから始まるんです。我々は、その始まりに立ち会っているんです。俺はそう考えるだけで、すごく感動します。生まれてきて、本当に良かった。それがこの時代で、本当に幸運でした」
 
このレクチャー後、優介と瑞樹は結ばれる。
 
禁断の行為に振れた優介には覚悟ができていた。
 
だから、海辺にやって来た。
 
  

人生論的映画評論・続/岸辺の旅(’15) 黒沢清<人間の〈生〉と〈死〉、グリーフワークを丹念に描いた秀作> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/07/15.html