ペコロスの母に会いに行く(‘13)  森崎東 <流れゆくまで繋いだ時空に嵌り込んだ者の、記憶の復元の融合感>

 
1  「何もせんで、怒らんと。もう何もせんけ!」
 
 
 
「はい、岡野です。はあ、オレって誰?まさきか。まさき、どげんしとる?え?事故に示談?ちょっと、待っとって・・・」
 
オレオレ詐欺の電話に出たみつえの反応である。
 
孫のまさきからの電話に誠実に対応しようとしたみつえだが、電話を置いた途端に、「えーと、誰の電話やったかいな」と言う始末だった。
 
トイレから出て来た息子の“ペコロス (小さいタマネギ=禿頭)こと、岡野雄一に電話の件を聞かれ、電話がかかって来たことすらすっかり忘れていたみつえの認知症は、電話の向こうで話しかけてくる男の詐欺師を置き去りにするほど、今や、相当の「年期」が入っていた。
 
この時点での、みつえの認知症の症状は記憶障害である。
 
記憶には、「記銘」⇒「保持」⇒「想起」という3段階で構成されているが、みつえのケースは、認知症の中核症状であり、脳の器質的障害(神経細胞死)である記憶障害を、疑念の余地なく顕在化しつつあった。
 
そんな母の認知症の現状を見て、注意するだけの雄一に、みつえは、「よごれはっちょーが来るぞ」と子供のように脅すばかりだった。
 
「よごれはっちょー」とは、長崎の方言で、親が子を叱るときの「化け物」のこと。
 
ところが、みつえの認知機能の障害のレベルは、一方的に注意を受けることで、却ってストレスが溜るばかりの状況を呈していた。
 
ある日のこと。
 
一家が住む、長崎の街を歩いている祖母を目視した、孫のまさきに呼び止められたときだった。
 
「あんひとば帰って来たら、飲むやろ思うて、今、酒屋に行きよる」
 
みつえは、とうに死んだ祖父(さとる)の酒を買いに行くつもりだったのである。
 
その話を息子のまさきから聞いて、辛うじて、仕事のできない営業マンを繋いでいるだけの雄一の負荷が肥大していく。
 
その雄一の帰りを、一日中、駐車場で待っていたみ

つえを、雄一は危うく轢きそうになってしまう。
 
ここでもまた、𠮟り飛ばすだけの雄一の存在は、「よごれはっちょー」の恐怖で恫喝するストレッサーでしかなかった。
 
「何もせんで、怒らんと。もう何もせんけ!」
 
そう言って、雄一に謝るだけの一人の無力な老婆 ―― それが、みつえの「現在性」だった。
 
翌日も駐車場で待つみつえの「現在性」の心理を横臥(おうが)するのは、記憶障害を起因にする認知症の症状である戸惑いと不安の感情の現れであると言っていい。
 
そのみつえの「現在性」は、汚れ切った自分の下着を箪笥(たんす)の引出しに目一杯押し込んでいた、笑えないエピソードのうちに拾われていた。
 
もう、ライブハウスでオリジナルソングを歌い上げる趣味を持つ、不真面目な営業マンの雄一の能力の限界を顕在化していたのだ。
 
認知症の典型的なパターンなんですよ。お母様の認知症は、かなり進んどるみたいですね。施設にお預けした方が安心かと思いますけど」
 
ケアマネの言葉である。
 
かくてみつえは、施設に入居するに至った。
 
 
 
2  「ボケるとも、悪かことばっかりじゃなかかもなあ」
 
 
 
グループホーム さくら館」
 
これが、みつえが預けられた施設の名である。
 
そこには、他人を見ると飴をねだるユリ婆さん、女学生時代に戻って、「級長さん」になっているマツさん、介護士の胸に触り、セクハラする洋次郎、原爆で喪った妹を背負うマサコさん、等々の面々だった。
 
「雄一・・・雄一!」
 
認知症のみつえは、自分だけが置き去りにされた不安を言葉に結ぶが、後ろを振り返る感情を断って、バックミラーで確認しつつ、そのまま帰途に就く雄一と孫のまさき。
 
騒がしいグループホームに馴れず、みつえは、雄一の浴衣を縫っている。
 
認知症罹患者は、身体で覚えた記憶である「手続き記憶」は、かなり長期間保持されているから裁縫が可能なのである。
 
「父ちゃんの背広ば、“ふせ”ばせんといかん」
 
若い女介護士に語ったみつえの言葉である。
 
ここで言う「父ちゃん」とは、既に逝去したみつえの夫さとるのこと。
 
また、“ふせ” とは、服の継ぎ当てのこと。
 
10人弟妹の長女であったみつえには、殆ど日常下していた少女時代のこの経験が鮮烈な記憶に残っているのだろう。
 
長崎での、さとるとの新婚生活時代のこと。
 
天草生まれのみつえは、長崎に行った幼馴染のちぃちゃんと偶然、街で出会った。
 
ちぃちゃんは被爆死することなく、被災地の長崎で生き延びていたのである。
 
しかし、再会した途端に姿を消すちぃちゃんは、人には言えない娼婦稼業を繋いでいたのである。
 
本人が当時言ったように、口減らしのために天草に売られ、年季が明けて長崎で酌婦になったのだろうか。
 
以上、みつえの断片的回想シーンだが、ここでは、既に、自分の孫のまさきを、ちぃちゃんに手紙を出す「郵便屋さん」と間違える見当識障害にまで悪化した、深刻な記憶障害を顕在化させている認知症罹患者の回想のリアリティに言及したい。
 
専門家の多くの見解では、現実の世界から過去に戻る症状の内実は、当然ながら、正確な過去の記憶の「再生」を意味しないということ。
 
それ故、認知症罹患者の「昔の記憶」は、どこまでも、彼らの個人的な思い出の断片に限られているが故に、連鎖的な繋がりを持つ記憶の復元であることは、殆ど困難に近いと言っていい。
 
それが、深刻な記憶障害を顕在化させている、多くの認知症罹患者の症状の「回想」の現実であると認知すべきなのである。
 
だから私は、このシーンの意味を、今や紛れもない認知症罹患者・みつえの断片的回想を、映画的に加工させた表現手法であると考えている。
 
その辺りを間違えると、認知症罹患者の「回想」を、「子供に帰った」みつえの「退行症状」=「精神の幼児的退行」という、極めて「差別的視線」含みの偏頗(へんぱ)な見方を許容してしまうだろう。
 
「精神の幼児的退行」に下降した認知症罹患者に対して、「子供同然に接触すればいい」という傲慢な態度形成を許容してしまうからである。
 
その点だけは、よくよく留意すべきである。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/ペコロスの母に会いに行く(‘13)  森崎東 <流れゆくまで繋いだ時空に嵌り込んだ者の、記憶の復元の融合感>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2014/12/13.html