1 「国民のために身をささげる。旅はいま始まった」
インドや東南アジアで、雨季を意味する「モンスーン」(季節風)の気候下にあるエリアを
「モンスーンアジア」と呼ぶ。
湿潤な地域が広がる「モンスーンアジア」は、格好の水稲栽培地帯になっていて、多くの人口を養う利点から、高い人口密度の領域を複合的に構成している。
コメの外に、綿花・サトウキビなどの農産物が栽培され、郊外でも、酪農業が盛んに行われている。
「民主主義」とは無縁な中国の相対的な経済停滞の傾向とは対照的に、人口12億人を超え、「世界最大の民主主義国家」と褒(ほ)め殺しにも似た称賛を受け、注目されているインド。
このグジャラート州は、「ヒンドゥー至上主義」(ヒンドゥトヴァ)を標榜(ひょうぼう)するインド人民党の党首・ナレンドラ・モディ首相が、「モディノミクス」という名で、州の行政と統治の改善、道路インフラや電力の供給力の確保など、大胆な構造改革を推進し、成功に導いた実績が評価され、「ローク・サバー」(連邦議会を構成するインド下院)の総選挙において、経済成長に頓挫したシーク教のシン首相の国民会議派連立政権(統一進歩同盟)を、予測を上回る大差で破り、10年ぶりに政権交代を実現した。
ナレンドラ・モディの勝利宣言である。
現在、「ネール・ガンジー家」と呼称される系統を継ぐ、ラフル・ガンジー総裁(第4世代)率いる国民会議派が勢いを増している渦中にあって、目前に迫った選挙で、「ヒンドゥー至上主義」を希釈化し、穏健な指導者・モディ首相が、幾重(いくえ)もの、内憂外患(ないゆうがいかん)が山積みした逆風を乗り越えられるか否か、不透明である。
そのモディ首相を悩ませている「内憂」の一つは、少女に対する性犯罪の増加だ。
2017年1月16日に逮捕された男・スニル・ラストーギは、100人以上の少女に性的暴行を働いたことを認めた(「ラストーギ事件」)が、直ちに保釈され、結局、一切の刑罰を受けることなく、今度もまた、問題の根を蔓延(はびこ)る貧困と、急速な社会の変貌に帰結させて、一見落着となった。
そこには、常習犯を投獄できない司法システムの脆弱性のみが露わにされていた。
性犯罪の厳罰化も進んでいると言われながらも、「インドは無法国家になりつつある」との指摘がある。
「インド政府は、妊婦にすべての肉と卵を避け、『不潔な考え』をしないようアドバイスをしている。医師らはこのアドバイスがばかげたものであり、一般的にインドの妊婦の健康状態があまり良くないなかで、危険ですらあると主張している。インドの家庭は伝統的に男性上位であり、食事を取るのも医療を受けるのも女性は最後にされることが多い」
「AP通信」(米)の配信記事である。
成長著しいインドであっても、女性はいまだに不当に扱われているという由々しき現実が、「世界最大の民主主義国家」の闇の向こうで生き残されているのだ。
忘れもしない。
2012年12月のことだ。
あろうことか、ニューデリー(現・デリー)の無認可のバスの車内で、女医を志す当時23歳の実習生が、6人の男に集団レイプされ、死亡した事件の酷薄(こくはく)さに、身の毛もよだつ。
この報道をネットで知った時、慄然(りつぜん)とした。
女子大生の膣の中に鉄棒が挿入され、暴行を受けた直後、車外に放り出され、重傷を負い、手術後、絶命した。
人間の尊厳を踏み躙(にじ)る集団レイプ事件の救いがたさに、絶句する。
ミステリー小説ではないが、絶命する寸前に女性医者実習生が放ったダイイング・メッセージである。
あまりに悲痛な事件の経緯に、言葉を失うばかり。
容疑者の一人は自殺したとされるが、殺害説もあり、今なお不明である。
そして、5人の被告人に対して、検察サイドは死刑を求刑する。
この事件を受けて、シン首相(当時)は、常習犯を投獄できない司法システムの改革を含む、性犯罪の取締りを強化する決意を表明した。
「世界最大の民主主義国家」の闇の向こうで、蜷局(とぐろ)を巻く凶悪犯罪に終わりが見えないのだ。
新婦の結婚持参金が足りないことで焼き殺されるという、「持参金殺人」(ダウリー死)=「ダウリー殺人事件」を防ぐために、近年、新婚夫婦に対する補助金を与えるという記事があったが、女性の人権が基本的には認められず、結婚しても夫に従属することが強いられている実状を捕捉する限り、女性にとって、配偶者選択が難しいという状況がダウリー温存の社会的背景に存在する。
この現実は、1961年に制定された、「ダウリー禁止法」=「文化による死」というカテゴリーを無化してしまうだろう。
当然ながら、34歳以下の新婚夫婦に対して、「結婚新生活支援事業」(30万円)という名の補助金を支給する日本の制度とは本質的に異なっている。
また、寡婦が夫に殉死(焼身自殺)するという社会的風習・「サティー」(寡婦殉死)の問題も、ヒンドゥー社会における慣行として残っていたが、ルーツ不明の「サティー」の廃止運動の指導者・ウィリアム・ケアリー宣教師の尽力によって、「サティー禁止法」が制定されたことで、現在、「寡婦殉死」は殆ど行われなくなった。
ついでに、カースト制度についても言及しておきたい。
後述するが、紀元前13世紀頃に、イラン系アーリア人がガンジス流域に進出し、拡大的に定住していく過程で、インダス文明を築いた、先住民族の色黒のドラヴィダ人を征服し、ヒンドゥー教社会を4階層(バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラ)に分割する宗教的身分制度・「ヴァルナ」が社会的に形成されていった。(現在、南インドのタミル人はドラヴィダ系インド人とされ、一貫して、ヒンドゥー教の受容を拒否しているので、国教になっていない)
「ヴァルナ・ジャーティ制」はカースト制度と同義であり、「身分秩序」としての「ヴァルナ」に対して、「ジャーティ」は通婚・共食・出自・特定の職業集団であり、その地位は一生変わらない。
従って、他集団との婚姻関係を認めないから、厳格な内婚制で固定された閉鎖性を保持している。
そんな状況下で、カースト制度の埒外(らちがい)に置かれている「ダリット」(被差別民である不可触民)のマヤワティは、「大衆社会党」を設立し、大学卒業後、政界に入り、1989年の総選挙で下院議員に当選した。
それにも拘らず、「物理的接触すれば、穢(けが)れてしまう人間」=「ダリット」は社会的に分離され、苛酷な差別を被弾してきた。
自らが「ダリット」として自覚することで、「インド憲法の父」と称されるアンベードカルのように、ネール内閣の法務大臣にまで上り詰めて、反カースト運動の指導者として仏教復興運動を進め、「ダリット」の改革・解放を主唱する政治家も存在する。
憲法で否定されていながらも、「ヴァルナ・ジャーティ制」としてこの国に残存し、ヒンドゥー教の世界観とリンクしている歴史的事実の重みは、ガンジーですらも、カースト制度の身分制度を擁護したことにおいても検証可能である。
悪しき陋習(ろうしゅう)の不全なる慣行と、改革・近代化との禍々(まがまが)しさの「共存」の実態。
そんなインドの改革・近代化に向けた努力において、高く評価できるモディ首相の政策がどこまで受け入れるか不分明だが、閣僚や自身を巡る汚職が噴出しても、汚職の罪で起訴され禁錮10年の有罪判決を言い渡され、収監された、パキスタンのナワーズ・シャリフ前首相のケースと異なっていると言うべきか。
「モディノミクス」と呼ばれる経済改革の成功の是非について評価は分かれるが、それでも、インド紙幣で最も高い1000ルピー、次の500ルピー紙幣を、即日廃止するという過激な政策は、そのニュースを知った時、信じ難かったが、「高額紙幣の廃止」を大胆に断行したモディ首相の改革・近代化への政策遂行の覚悟は、アドホック(その場限り)な政治的パフォーマンスではないと思われる。
このラジカルな政策について、「モディ政権に死角なし インド経済の快走は続くか」(2017年4月)と題した、「日本経済新聞 電子版」での山田剛・編集委員の事情説明を知って、快哉(かいさい)を叫ぶ心境になった。
時代の風景「『世界最大の民主主義国家』 ―― 遥かなるインド・その〈現在性〉」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2019/05/blog-post.html