<「基本・メロドラマ」の、反戦名画の曲折的到達点>
1 白旗を掲げ、降参・帰順のスタイルを捨てられない悲哀が宙を舞う
トラック運転手ピエールという恋人がいながら、セーヌの河岸近くに、常連客で賑わう「アルベール・ラングロワの店」という名のカフェを、女手一人で経営するテレーズが、ピエールの誘いの積極的になれないのは、16年前にゲシュタポ(秘密国家警察)に捕らえられて以降、消息を絶った夫アルベールの帰還に一縷(いちる)の望みを抱いているからだった。
アルベール・ラングロワ。
夫の名である。
その夫の名を店の名にしていることで、夫を想うテレーズの想いの強さが窺える。
テレーズの想いの強さが伝わったのか、彼女の前にアルベールと思しき男が出現する。
毎日、「セビリアの理髪師」を歌うホームレスである。
警官を恐れる態度が尋常ではないホームレスを視認したテレーズが、そのホームレスに深い関心を持つのは当然だった。
だから、件(くだん)のホームレスを正確に確認するために、カフェで働くマルティーヌに頼み、男を店に呼び、ビールを勧め、会話を繋ぐが、「ロベール・ランデ」という証明書を見せ、「記憶がない」と言って、帰っていく。
男の声を店の奥で聞いていたテレーズは、驚きのあまり卒倒する。
「恐ろしい。でも、覚悟はできていたの」
そう洩らし、男の後をつけようとするが、男の姿を見失い、セーヌ河岸を歩き通し、その畔で朝を迎えることになる。
男の住む粗末な小屋を発見し、その行動の一部始終を視界に収めていくテレーズ。
木箱を取り出し、紐を解き、そこに入っている雑誌の人物画像などを鋏(はさみ)で切り抜き、淡々と終える男。
特段に悦に入るように見えない。
その男にテレーズは声をかけ、「私にも手伝わせて」と頼むが、拒まれる。
「午前中は古紙を集める仕事だ。午後は私の趣味だ」
男の言葉である。
どうやら、これが男のルーティンのようだった。
そのルーティンを、ずっとフォローし続けるテレーズは、一計を案じる。
メーヌ県のショーリュに住む、テレーズの夫の叔母アリスと、夫の甥を店に呼び、男がアルベールである事実を確認してもらうこと。
男がアルベールであることを疑わないテレーズの強い想いが、この行為に結ばれたのである。
「セビリアの理髪師」のレコードを大音量でかけ、男を店内に誘(いざな)い、ビールを勧め、テレーズが事前に集めた雑誌の束を渡し、男が趣味の切り抜きに没頭する間に、夫の叔母と甥が、男=アルベールである事実を確認する。
それが、テレーズの狙いだった。
この間、テレーズを含む3人が、今から16年前の失踪事件と、故郷ショーリュに関する話などを大きな声で語り合っていくのだ。
男の行動変容を視認すること。
これが目的だった。
「あなたより、25年も前からアルベールを知ってるわ。あなたのように恋心で見ることもない。だから、私の目は濁らない。私は違うと思う。長い時間をかけて、隅々まで観察したわ」
これが、男に対する叔母の感懐。
「証明書の名前が違う」と言ったのは甥。
詳細は後述するが、男が無言で店を出ていった後、アルベールの縁者から、ほぼ迷いなく否定され、テレーズの思惑は頓挫する。
思惑通りにいかなかったが、それでも、テレーズの確信に揺るぎはない。
この確信を推進力にして、テレーズは男の小屋を訪ねていく。
以下、その時の会話。
「本当は話したくて来たの。あなたが、ある人とそっくりだから」
「ある人って?」
「昔知ってた人よ。それきり会えなかった。あなたには分らないわね」
「どうしたいんだ」
「分らない…時々、家に来て欲しいの。たまには、一緒に食事をして、嫌でなければ話をしたり、音楽を聴きましょう」
「私も忙しい」
「ええ、でも、私の家で食事しても、ここでも、何も変わらないでしょ」
奇妙な提案だとお互いに言い合い、微かに笑みを浮かべる二人。
「心から来て欲しい…来るわね?たまにでも」
「分った。行くよ、そのうちに」
数日後、店を訪れたアルベールは、テレーズに自分が作った切り抜きを渡す。
満面の笑みを湛(たた)えるテレーズ。
男も、声を出して笑う。
テレーズに初めて見せた明るい表情である。
テレーズは、予め用意してあった奥の部屋に、男を誘(いざな)う。
しかし、その空間を視界に収めるや、男は後ずさりして、店を出ようとした。
「狭いから」
恐怖感を覚えたのである。
男は別のテーブル席に案内され、食事を摂るに至る。(この時の会話は映画の本線だから、後述する)
思うように話を聞き出せないテレーズは、音楽をかけ、男と並んで二人で聴き入る。
ジュークボックスのレコードから流れる、オペラの歌詞に反応する男。
今 空がほほ笑み
美しい光がさしてくる
あなたは 今もまだ
夢の中にいるのですか
目覚めて 優しい人
姿を見せて いとしい人
ああ 私を悩ませないで
私を苦しめないでください
苦しめないで
願いを聞いてください
私の願いを
聞き入れてください
胸に染み入る音楽である。
音楽が終わると、二人でその歌を歌い、笑い合う。