依存症の地獄と、その再生を描き切った逸品 映画「凪待ち」の鋭利な切れ味 ('19) 白石和彌

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1  陽光が削られた鉛色の空が、男の総体を覆い尽くしていた

 

 

 

川崎競輪場で大負けした挙句、印刷所を解雇され、宮城で再就職することになった男・木野本郁男(きのもといくお/以下、郁男)。

 

「約束できる?ギャンブル厳禁。一緒に向こうで暮らすんなら、お酒はほどほどにしてよ!」

 

パートナーの亜弓(あゆみ)からそう言われながら、引っ越しの支度をしている。

 

そして、亜弓の娘・美波(みなみ)と共に、石巻へ車で向かうのだ。

 

「結婚しようって、言えばいいじゃん」と美波。

「言えないよ、こっちから」と郁男。

「何で?」

「仕事もしないで、毎日ぶらぶらしているだけのろくでなしだし」

「仲間だね。あたしもろくでなしだよ。学校行かないで、ゲームばっかしてる。けど、お母さんって、勝手だよね。いきなり、実家に帰れだの、定時制に行けだの。超ムカつくんだけど」

 

石巻の亜弓の実家で暮らすことになった郁男は、隣人の小野寺に紹介された印刷所で働き始めた。

 

小野寺は末期癌の美波の父・勝美(かつみ)の世話をするなど、何かと面倒をみてくれる人のいい男である。

 

印刷所に勤め始めた郁男だったが、印刷所の従業員が通うノミ屋(賭博罪に抵触する違法投票所)について行き、早速、亜弓との約束を破ってしまう。

 

籍が入っていない郁男を無視する偏屈な勝美は、亜弓の反対を押し切って、咳をしながら漁に出ていく。

 

「あんとき、俺が傍にいたら、助けた」

 

妻を津波で失った勝美は、今でもトラウマに苦しめられている。

 

「一緒に死んでたら、こげな苦しむこともなかった」

 

漁師仲間に船を売って、引退した方がいいと言われる勝美。

 

「俺は死ぬまで、漁さ、出る。船は絶対に売らねえ。あの船と一緒にあの世さ、行く」

 

勝美の意思は強固である。。

 

一方、夜間学校に通い始めた美波は、小学校時代の同級生・翔太(しょうた)と出会い、友達となる。

 

亜弓と美波と郁男の3人で、和気あいあいと会食をしている場に、突然、元夫の村上が割り込んで来た。

 

「ひでぇ女だな。すっかりダマされた。何も知らないから、ずっと養育費払って来たけんど、この人と一緒に、5年も暮らしてるそうでねぇか」

「あんた、何なんすか?」と郁男。

「私の父親」と美波。

「DVの美波の父親」と亜弓。

 

翔太に映画に誘われた美波は、亜弓の反対を押し切って、家を出て行ってしまうのだ。

 

相変わらず、ノミ屋に出入りしている郁男のもとに、亜弓から美波が帰って来ないと連絡が入る。

 

盛り場を探し回る亜弓は、印刷所の郁男のもとに行くと、同僚の発言から、郁男が賭け競輪をしていることを知ってしまう。

 

友だちと一緒に遊んでいるんだろうと言う郁男に対して、亜弓は言い放つ。

 

「自分の子供じゃないから、そんな呑気なこと言えんのよ!」

 

美波を甘やかす郁男に当たる亜弓に対して、「だったら一人で探せよ!」と怒鳴り、車から降ろしてしまうのである。

 

自分でも美波を探しに行く郁男は、翔太と一緒にいるのを見つけ出す。

 

郁男は亜弓に電話するように指示するが、美波が携帯をかけると、応答したのは警察だった。

 

亜弓は何者かに殺害されていたのだ。

 

現場に駆けつけた二人は、激しい衝撃を受ける。

 

亜弓の葬式が終わり、美波は自分を責め続けていた。

 

「お母さんに怒られて、ムカついて、心配させてやろうと思って…遅くまで遊び回って、ずっと電源切ってて、私のせいで…私が遊びになんか、出かけてなければ…メールだけでもしとけば、お母さん、あんなことには…」

 

嗚咽を漏らしながら、郁男に語る亜弓。

 

それに対し、郁男は自分のせいだと言い、その悔いを吐露する。

 

「あんなことに母さんがなったのは、美波のせいじゃないんだ。あの夜、実は…亜弓と口論になって、車から降りろって、思い切り怒鳴った。俺が、あんなこと言わなかったら、亜弓は死ななくてよかった」

 

この言葉を聞いた美波は、激しく反駁(はんばく)する。

 

「じゃあ、苦しんでる私を見て、ずっと黙ってたってこと?最低!出てって!早く、出てって!」

 

拒絶された郁男は、部屋を出ていく。

 

職場に刑事がやって来て、郁男は事情聴取されることになる。

 

川崎時代に、競輪三昧で亜弓との口論が絶えなかったと言う証言を持ち出し、頭ごなしに、犯人と決めつける刑事の物言いを、郁男は完全否定する。

 

印刷所の社長にも、職員を誘い、ノミ屋通いすることを注意され、更に、職場の金をくすねていると疑われ、何もかも郁男の責任にされたことで、遂に切れてしまった。

 

郁男の悪い噂を社長の告げ口している同僚に対し、郁男は怒りを炸裂させ、暴れ捲(まく)ってしまい、ここでも郁男は解雇されるに至る。

 

壊した印刷機械の弁償を肩代わりすると言う小野寺の好意に対し、頭を下げる郁男。

 

「俺みたいな奴に、何でこんなに、優しくしてくれるですか?」

「だって、あんたは、死んだ亜弓ちゃんの大切な人だから」

 

しかし郁男は、懲りない男である。

 

受け取った小野寺から当座の金を、ノミ屋の競輪で使い果たしたばかりか、ノミ屋の種銭(たねせん/ギャンブルの軍資金)にまで手を出してしまう。

 

その種銭で賭けたレースにも負け、全てを失ってしまい、惨めな男・郁男の悪循環が止まらない。

 

亜弓の家に行き、歩みが好きだった島の写真集に挟まれたヘソクリの封筒から、自分の必要な分だけ金を抜き取ってしまうという事(こと)の次第に、観る者は悲哀すら覚えるだろう。

 

誰も知り得ない亜弓のヘソクリを、全額盗まなかった辺りに、男の性格が読み取れる。

 

そこに、美波がやって来た。

 

美波は、自分は実父である村上のところへ行くと言い出したのである。

 

島の写真集に気づいた美波は、母・亜弓の思い出を回想する。

 

「この写真集、お母さん好きだったよね。行きたい島があるって、色々話してたな。どこだっけ?ジャマイカ?」

 

この問いに、郁男は答えられない。

 

完全に忘れているのだ。

 

その写真集から紙幣の入った封筒を発見し、驚く美波。

 

「お母さん、郁男とこの島に行くために、へそくりしていたって前に言ってた。この島だったんだ」

 

帰ろうとする郁男に、美波は声をかけ、「これは郁男のものだよ」と言って、金を抜いたばかりの封筒を手渡すのである。

 

気まずそうに去って行く郁男。

 

「俺は、クソだ。大馬鹿者だ!」

 

その足でノミ屋に行き、競輪で使い果たすという負のサイクルに終わりは見えない。

 

ここでも種銭を要求するが、既に借金は200万円に膨らんでいて、その清算を迫られてしまう郁男の、懲りない男の懲りない行為に終わりが見えないのだ。        

 

その足で、亜弓の殺害現場にやって来た。

 

供えられた花の前で、一人で酒を飲む男の画(え)は、あまりに痛々しい。

 

出口の見えない闇に閉じ込められた男を襲う、「依存症の罠」の破壊力。

 

陽光が削られた鉛色の空が、男の総体を覆い尽くしていた。

 

  

人生論的映画評論・続: 依存症の地獄と、その再生を描き切った逸品 映画「凪待ち」の鋭利な切れ味 ('19) 白石和彌 より