ある男('22)   束の間の至福を経て昇天する男が物語を揺動させていく

1  「…私は一体、誰の人生と一緒に生きていたんでしょうね」

 

 

 

宮崎の実家の誠文堂文具店で店番をしている武本里枝(りえ/以下、里枝)が、ペンの色を揃えながら、抑え切れず涙を流す。

 

そんな時、大雨の中、スケッチブックを買いに来た男が店の停電の際にブレーカーを上げてくれて、その後も、寡黙な男は画材を買いに来るようになった。

 

里枝は離婚し、母と息子・悠人(ゆうと)との3人暮らし。

 

悠人が外に遊びに出ると、文具店に来た男が、スケッチブックで絵を描いている。

 

男の名は谷口大祐(だいすけ/以下、大祐)と言い、最近、この町で林業に従事し始めたばかりである。

 

その大佑について、役所では、伊香保温泉の老舗旅館の次男坊が、どうして林業するのかと噂している。

 

雨の日、大祐が店に来て、自分のスケッチした絵を里枝に見せる。

 

「もし良かったら、友達になってくれませんか?」

 

驚いた里枝は、離婚して息子がいることを伝えると、大祐は恐縮するが、里枝は大祐の名刺を受け取り、自分も手書きの名刺を渡す。

 

「いつでも、絵、見せに来てください」

 

親しくなった二人は店で食事をしながら、悠人の弟が2歳で亡くなった時の話をする。

 

治療のやり方を巡り夫と対立したことが原因で離婚し、できる限りをことをしてあげられなかった苦しさで涙する里枝の手を握る大祐。

 

その子の名を聞いて、「リョウ君、リョウ君」と声をかけた。

 

二人は親密な関係となり、大祐が車の中で里枝にキスしようとすると、フロントガラスに映った自分の顔を見て、怯(おび)えるようなパニックを起こす様子を目の当たりにした里枝は、「大丈夫、大丈夫」と大祐を優しく抱き締める。

 

まもなく、再婚した二人の間に娘・花が産まれ、妹ができた悠人は中学生になっていた。

 

朝の4人家族の仲睦まじい団らんの様子。

 

「山へ行っていい?」と悠人が聞き、子煩悩な大祐は、登校中の悠人を林業の現場へ連れて行く。

 

ところが、大祐は伐採中に転び、倒木の下敷きになり逝去してしまうのだ。

 

現場に居合わせ、衝撃を受けた悠人は、自転車で坂を上り、「父さんの木」を見上げ続ける。

 

自宅での一周忌の日、大祐の兄・恭一が訪ねて来た。

 

「最後までいろんな人に迷惑をかけて…何でもっとまともな生き方ができなかったんでしょうね。こんなとこで、木の下敷きになって死ぬなんて、最後まで親不孝ですよ」

 

仏壇で恭一が線香をあげ、遺影を見ると、唐突に「大祐ではない」と言うや、里枝と押し問答になる。

 

「じゃ、この人…誰なんですか?」と里枝と恭一。

 

その後、里枝は7年前の離婚調停の際に世話になった弁護士の城戸章良(きどあきら/以下、城戸)に依頼し、生命保険の名義を「X」として受け取り、大祐の戸籍上の死亡を取り消すなどの手続きの指示を受けた。

 

城戸はDNA鑑定のために、里枝から大祐の毛髪や使っていた歯ブラシを受け取り、置いてあったスケッチブックを開く。

 

「いい絵ですね。少年が、そのまま大人になったみたいな」

「ほんとに、この絵のとおりの人だったんです」

 

ページをめくると、大祐の目をグチャグチャに描いた自画像が目に留まる。

 

「夫は、犯罪に関わってるんでしょうか」

 

城戸は人権派の弁護士として、堅実な仕事をしており、妻・香織(かおり)と4歳の息子・颯太(そうた)との3人で暮らしている。

 

香織の両親を招いて食事をしていると、義父が生活保護の話から在日の話が出て、三世で帰化している夫を気遣う香織。

 

「あ、もちろん、章良君は全然別だよ」と義父。

「…もう三代経ったら、日本人よ」と義母。

 

もう一人子供が欲しいと言う香織は、父の援助で一戸建てに引っ越すことを提案する。

 

気乗りしない城戸。

 

その後、城戸は、伊香保温泉の恭一の旅館を訪ねた。

 

弟の大祐の顔写真を確認し、恭一から大阪に住んでいたところまでは確認できていると知らされる

 

恭一は、大祐が入れ替わった男Xに殺されたと思っており、生命保険を受け取った里枝も調べるべきだと城戸に進言する。

 

その足で、地元のスナックで働いている、大祐が別れた元恋人・美涼(みすず)を訪ねると、大祐は突然消息を絶ち、その後は音信不通のままだと聞かされた。

 

里枝は城戸からの電話で、現在分かっている情報を聞かされる。

 

「DNA鑑定の結果、Xさんは谷口大祐ではないことが確定しました…これで、事実上の婚姻関係はなくなり、里枝さんは未亡人でもなくなります…里枝さん、大丈夫ですか?」

「…私は一体、誰の人生と一緒に生きていたんでしょうね」

 

不安に苛まれる里枝。

 

事務所の同僚弁護士の中北から、2013年大阪で「年金不正受給事件」における戸籍交換を仲介した小見浦憲男(おみうらのりお)の事件を知らされた城戸は、大祐が大阪にいた頃とも重なり、早速、大阪刑務所に服役している小見浦を訪ねた。

 

小見浦は、城戸と対面するなり、在日だろうと言い当て、事件と関係ないことを一方的に話す。

 

そして、Xの写真を見せると伊香保温泉の次男坊と戸籍交換したと認めるが、肝心の誰と交換したのかについては、はぐらかして答えなかった。

 

「交換やなくて、身元のロンダリングですよ。汚い金と同じで、過去を洗い流したい人は、いっぱいいるんです。先生かて、在日が嫌で、交換したいと思ったことあるでしょ?」

 

それだけだった。

 

後日、小見浦からハガキが届き、そこに「曽根崎義彦」という名が記されていた。

 

坂道を先に歩く悠人に追いつく里枝。

 

「どうしたの?」

「父さんの木、覚えてる?」

 

里枝は、家族の名が付けられた、それぞれの木を指差す。

 

「今年の命日も、父さんのお墓、作ってあげなかったね…僕、また名字変るの?生まれた時は米田で、母さん離婚して武本になって、で、父さんの谷口。僕、次、誰になればいいの?」

 

不満を漏らす悠人に、里枝は「父さんね、本当は谷口大祐っていう名前じゃなかったの」と、初めて伝えた。

 

「え…じゃぁ、誰だったの?」

 

里枝は今調べていて、まだ分からないので、お墓も作れないと説明する。

 

「僕の、谷口悠人って名前は、何なの?」

「谷口っていうのは、あたしたちが知らない人の名前」

 

一方、城戸のフェイスブックの告知で知った「極点の芸術 死刑囚が描く」の展示会場を訪れた美涼は、城戸に美涼が作った大祐の成り済ましのフェイスブックを見せる。

 

「本人が見たら、絶対に連絡してくるはずだから」

 

城戸は展示を見ていると、Xが描いた絵に酷似する作品を発見する。

 

パンフレットから、作者の顔写真でXと酷似していることを確認する。

 

Xこと小林謙吉はギャンブル依存症で、仕事先の工務店の社長夫婦と小6の息子の一家3人を惨殺した強盗殺人犯である事実が判明した。

 

一審で死刑が確定し、2003年に死刑執行されていて、年齢も親と子ほど離れている。

 

つまり、Xは小林謙吉の息子の原誠(はらまこと)であり、離婚して母親の姓を名乗り、前橋市児童養護施設で育ったということ。

 

そして、プロボクサーとしても名が残っているという事実を調べ上げる城戸。

 

しかし、ハガキに記されていた曾根崎とは結び付かず、再び小見浦を訪ね、「伊香保温泉の家族から逃げて、大阪にいた谷口大祐と、死刑囚の息子としての人生を歩んでいた原真の戸籍交換」について、直截に聞き質していく。

 

相変わらず詭弁(きべん)を弄(ろう)する小見浦に、曾根崎のことを聞き出そうとすると、城戸を口汚く罵る始末だった。

 

「アホ丸出しですね。生きてて恥ずかしくないんですか。先生は、朝鮮人のくせに、私を見下しているでしょ。私のこと、ただの詐欺師やと思うて、何を言うても、信じないんです。私を差別主義者と思いながら、自分の方が差別しているんです」

 

笑って受け流して聞いている振りをしていた城戸が、烈火の如く怒るのだ。

 

「差別も何も、実際はあんたは、詐欺罪で服役してるでしょ!」

「アハハハハ!先生の一番アホなとこ、教えてあげましょか…私が小見浦憲男っちゅう男やて、どうして分かるです?…私だけ、どうして、戸籍変えてないと思うんですか?アホやなぁ。アホな先生に、最後に一つだけ教えてあげますわ」

 

城戸が細い路地を歩いていると、脇道に赤い野球帽を被った少年・誠が立っていた。

 

幻視である。

 

ここで、先の小見浦の声がリフレインする。

 

「先生が熱心に正体知りたがってる男はな、つまらんヤツですよ…人殺しの子なんて、所詮そんなもんですよ」

 

回想シーン。

 

誠が工務店の友達のところへ、野球の誘いにやって来たが返事はなかった。

 

その時、事務所から返り血を浴びた少年の父が出て来て包丁を捨て、「おう、誠」と言って、血だらけの札を押し付けられるが、誠の手が震えて落としてしまう。

 

少年は恐る恐る、血だらけの男が横たわる凄惨な現場を目撃し、奥に腹を刺されて死んでいる友達の姿を視認するのだ。

 

この苛酷な体験の記憶がトラウマとなって、大人になってもフラッシュバックを起こし、誠を苦しめるのである。

 

城戸は原誠が所属していたボクシングジムを訪ね、会長の小菅とトレーナーの柳沢に話を聞く。

 

「誠が来たのは、2001年の春ですよ。」と小菅。

「初めの印象は、なんか気味悪かったですよ。暗いっていうか、怖いっていうか、正直苦手でしたね」と柳沢。

 

ボクシングのことは何も知らずに来たが、運動神経もよく、すぐ上達しプロテストに合格し、順調に試合を勝ち上がって行き、注目を浴び始めていた。

 

「ご存じでしたか?原誠さんのお父さんのこと」

「ま、びっくりはしましたけど、親は親、子は子だし…」と会長。

「分かったのは、誠が新人王決定戦に出る前で、あいつ、辞退したいって言ったんですね。俺も相談されて。それで、何でだって、会長が聞いたんです。そしたら、親父さんのこと話し始めて」

 

回想シーン。

 

誠と小菅がジムの練習場で話し合う。

 

「そんな明るい場所に、俺、立ってもいいのかなって」

「そりゃ、お前、お前の純粋な実力で勝ち取ったんだろ?」

「正直、勝ち負けとかは、どうでもいいんです。俺がボクシング始めたのも、自分を殴るためだから。朝起きて、鏡見るじゃないですか。したらね、そこに親父いるんですよ。俺、そっくりなんです。自分の体に親父いるって思うと…体かきむしって、はぎ取りたくなる。だから、俺、ボクシングで、この体虐めてるんです。この体…もう、それだけなんです」

「じゃあ、お前、あれか?自分が苦しんだら、殺された人が生き返るのか?…生き返るのかって、聞いてんだよ!じゃあ、俺が、殴ってやるよ」

 

タオルを手に巻き、誠を殴る会長に、柳沢が止めに入る。

 

「新人王になりたくて、なりたくて堪(たま)らない奴のこと、考えたこと、あんのか!」

 

柳沢が誠に、親身に語りかける。

 

「会長さぁ。お前の強さ、買ってんだよ」

「すいません」

「今のお前の家族はさ、俺たちだろ?」

 

そう言って、柳沢が誠の頭を撫でる。

 

誠はバイト先で一緒に働く茜のアパートで結ばれようとするが、鏡に映った自分の顔を見て過呼吸となり、抱こうとする茜を振り払ってしまう。

 

服を掴んで出て行った誠は、真夜中の道を自転車で疾走する。

 

「本日8時15分、小林謙吉さんの死刑が執行されました」と連絡が入り、父親の遺体の引き取りについて問われた誠は、「結構です。父の物は何一つ引き取るつもりはありません。今後、このことで連絡して欲しくもありません」と答える。

 

猛スピードで自転車を走らせる誠の後ろ姿。

 

柳沢ととランニング中に、突然、誠は道路上に倒れて横たわり、荒い息の中、咽(むせ)び泣きながら藻掻(もが)くのだ。

 

現在。

 

「その後すぐ、あいつ事故起こしたんです…ビルから落ちたんです…本人は“うっかりしてて”とか言ってましたけど、うっかり落ちないでしょ」

 

一瞬、考え込む城戸。

 

「会長さんは?」

「会長もショックでね。今はもうすっかり元気ですけど、随分、長いこと鬱だったんですよ。さっき、席外したでしょ。しんどいんですよ。思い出すと多分」

 

柳沢は城戸に、誠の最期が自殺かどうかと訊ね、そうではなかったと知ると、ホッとして誠の家族写真をしみじみ見つめながら呟く。

 

「あいつと今、話したいこと、いっぱいありますよ」

 

誠の悲哀だけが浮き彫りにされていくのだ。

 

  

人生論的映画評論・続: ある男('22)   束の間の至福を経て昇天する男が物語を揺動させていく  石川慶より