1 「やめて下さい。仕方ないんです。こういうことは誰のせいでもないので」
アクセサリー作家の北林三知子(以下、三知子)は、昼は喫茶店の一角で自作作品を販売し、教室を開いたりしながら、夜は居酒屋でバイトをしている。
若い女性店長の寺島千春(以下、千春)が差配する客で賑わう居酒屋で、三知子は忙しくフロアを動き回り、客の残した料理を洗い場に運び、フィリピン女性のマリアにこっそりと渡す。
その直後にマネージャーの大河原聡(以下、大河原)が来て、マリアに嫌味たらしく警告する。
「くどいようだけど、残飯はゴミと混ぜて、野良犬が食べないようにして捨てて下さいねぇ」
そう言いながら、大河原は残飯をゴミ箱に捨て、ビールを振りかけて見せる。
出て行った大河原の背中に向かって、「<野良犬って私への当てつけかよ!今時、この街に野良犬なんかいるか。ムカつくんだよ。苦労知らずのボンボンが!>」とフィリピン語で怒りをぶつけるマリア。
仕事が終わり、三知子は同じ社宅アパートに住む同僚と飲みに行って帰宅すると、実家の兄から電話が入る。
兄に母親が施設に入るので費用の一部を出すように言われ、実家と疎遠で、母親とそりが合わなかった三知子は、自身も生活が苦しい中、渋々20万円を振り込む。
三知子は、別れた夫が三知子のカードで使い込んだ借金を、自分が選んだ夫がやったことであり、自分の名義のカードだからと払い続けているのだった。
その話を聞いた同僚の純子が、呆れて言い放つ。
「あんたってさ。いつも正しいよね。それって何か、時々むかつく」
いつものように、マリアが三知子から受け取った残飯の袋を、大河原が取り上げてゴミ箱に捨ててしまう。
「うち、食べ盛りの孫がいるんです」
「知らねぇよ。だいたいさ、孫にそんな飯食わして恥ずかしいとか思わないの?そういうの日本語で何て言うか知ってる?虐待だよ、虐待」
大河原に共犯扱いされた三知子は、店が終わってからマリアを慰め、話を聞く。
「日本に来て、もう35年だよ。ジャパゆきさん、聞いたことある?みんな日本に来れば、幸せになれると思ってた。日本の男と結婚すれば、フィリピンに家、建てられるって。全部ウソ」
マリアの夫は娘を生んでからいなくなり、今度は娘も3人の孫を残していなくなったと涙ながらに話すマリア。
「こんな国、来なきゃ良かったよ」
「そんなこと言わないでよ」
「孫たちは日本語しか話せない…」
嘆息するばかりだった。
【「ジャパゆきさん」とは、日本に出稼ぎに来るアジアの女性のこと】
如月の喫茶店でアクセサリー教室を開いている三知子の元に、店長の千春が習いに来た。
「その店長って言うの、やめてもらえますか」
「じゃ、何て呼んだらいいの?」と如月。
「ちーちゃんとか…」
三知子と如月は笑うが、「じゃ、“ちーちゃん”で」と三知子が笑顔で応える。
制作する石の効果を「心身の調和と…それから、チームワークと友情」と三知子は説明し、千春とお揃いのブレスレットを作った。
そんな中、如月が新型コロナで停泊していた大型クルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス)から陰性の乗客500人が下船したという携帯のニュース画面を二人に見せる。
「ちょっと、怖くない?」
不安を隠せなかった。
【2020年2月初旬に、新型コロナウイルスに感染した乗客が、横浜から香港にかけて本クルーズに乗船していたことが発覚。横浜港で長期検疫体制に入り、その後も感染していた人数が増え続ける事態となった。この事象は、その後、数年間続く世界的なパンデミックの始まりとなった/ウィキ】
新型コロナの蔓延で、予約のキャンセルが相次ぎ、居酒屋の売り上げが激減したことで、従業員のシフトも半減するだけではなく、解雇候補者が検討されることになった。
如月の店もしばらく締めることとなり、三知子は展示販売していた作品を家に持ち帰る。
テレビでは、安倍首相による緊急事態宣言の発出を伝えている。
LINE一つで解雇通知されたマリアと純子と三知子の3人が店に行くと、中からマネージャーが出て来た。
マリアは大河原にゴミをぶちまけ、逃げて行く大河原に更にゴミを投げつけるのだ。
「あたしは、野良犬じゃないよ!人間だよ!」
三知子は八方塞となり、兄に電話をかけてみるが、逆に介護用品の費用が足りないので、あと5万円送って欲しいと言われ電話を切った。
社宅アパートを引き払うため、荷物をまとめている三知子の元に、千春が訪ねて来て自分の力不足だと謝罪する。
「やめて下さい。仕方ないんです。こういうことは誰のせいでもないので」
次の仕事のことを聞かれた三知子は、住み込みの介護施設の仕事が見つかったと千春を安心させる。
ところが、スーツケースを曳いて介護施設へ行ってみると、コロナで採用見送りの通知を昨夕に送ったと言われ、メールを受け取っていない三知子は食い下がるが、追い返されてしまった。
途方に暮れる三知子は、住み込みの条件で仕事を探し、新宿のホームレスが屯(たむろ)する公園を横切って、夜は幡ヶ谷のバス停のベンチに座って一夜を過ごす。
朝になり、三知子は公園の公衆トイレで顔を洗い、薬局で生理用品やスナック菓子を買う。
季節は夏となり、公園の水道で歯を磨き、コインランドリーで洗濯をしながらアルバイト雑誌に目を通す三知子は、相変わらずバス停のベンチで休み、すっかりホームレス生活を常態化させていた。