陸軍(‘44) 木下惠介 <「嗚咽の連帯」によって物語の強度を決定づけた「基本・戦意高揚映画」>

イメージ 11  精神主義一点論のシーンを切り取った出来の悪いプロパガンダ映画



これは、相当出来の悪いプロパガンダ映画に、木下惠介監督特有の暑苦しい「センチメンタル・ヒューマニズム」が強引に張り付くことで、「無限抱擁」の「慈母」の情愛のうちに収斂されていく、この国の「戦争映画」の「定番」とも思える、それ以外に軟着し得ない厄介な「基本・戦意高揚映画」であって、これだけは確信を持って言えるが、映画観に不必要なまでのバイアスが掛かった、「映画人九条の会」や「マスコミ九条の会」などが褒めちぎるような「反戦映画」では断じてない。

相当出来の悪いプロパガンダ映画と言うのは、「国体」概念のルーツとも言える、水戸学の結晶である「大日本史」を預かった、小倉の質屋・高木家の三代のエピソードの中で、「国体」を合理化し、列強に囲繞されたこの国の帝国主義戦争の正統性を、見え透いた会話による説明的台詞で随所にインサートされていくシーンの連射で検証されるだろう。

例えば、こんな台詞。

 「これからは、大きな忠義を考えなきゃいかん。これからは大変じゃぞ。アメリカやイギリスが鵜の目鷹の目なんじゃ」

 これは、長州征討において、幕府側の九州側の最先鋒だった小倉藩藩士が、深傷を負いながら、高木家の息子に放った言葉。

そして、時代は日清戦争にワープする。

プロパガンダエピソードを特定的に切り取りたいからである。

件の質屋の息子高木友の丞)は大人になって、かつて、小倉藩士から預かった「大日本史」を丁寧に保管している

言うまでもなく、このカットの含意には、「国体護持」の堅固なメンタリティが張り付いている

三国干渉の屈辱。
 
下関条約日清戦争講和条約)によって日本に割譲された、決定的な戦略的位置を持つ遼東半島日清戦争講和条約)を放棄し、清に返還することを求めた、当時の列強であるロシア、ドイツ、フランスの露骨な干渉に対する屈辱のことだが、この状況下で、日本が最も頼りにした英国が動かず、孤立化したことが大きい。

そこで奪われた「戦利品」を取り戻すための合い言葉は、あまりに有名な「臥薪嘗胆」。

この故事成語は、復讐の志を忘れることなく、いつの日か、必ず起こるだろう、最強の大敵・ロシアとの戦争に備えよという含みを持っていた。

この辺りのシーンでは、東京で倒れた父・高木友の丞への見舞いに上京した、息子の友彦を叱咤するカットのインサートが主眼になる。

「おひざ元に出て来て、一番に宮城へ詣らんとどげんするか!」

この台詞高木友の丞に言わせることで、友彦の宮城詣での構図を映像提示させるのだ。
 
明治天皇の住居である明治宮殿(宮城)に向かって膝を突き、額を地面に付け、頭を下げる友彦。

その友彦が病院に戻ると、父・友の丞は、既に事切れていた。

「立派な軍人になれ」

これが父の遺言だった。

かくて、世代が繋がったのである。

国体護持」の堅固なメンタリティを継いだ友彦の精神主義の傾向は、肝心の日露戦争に従軍するものの、病を得て帰還する屈辱を味わうに至る。

この屈辱が、物語総体を支配していくのだが、伏線としての映像提示があまりに見え見えなので、当然ながら、物語の陰翳感を深々と表現し切れていないのだ。

ここからは、病が癒えた友彦の家族が、物語の主体となっていく。

近代天皇制の骨格である「国体護持」のメンタリティを、必要以上に体現することで、日露戦争の前線に立てなかった男の自我に巣食う空洞感を、過剰に補填せんと動く行為が、物語の随所で拾われていく。
 
思えば、近代天皇制という、殆どそれ以外に選択し得ないシステムでサポートされた、この国の男たちは、その「形式的男性優位」の文化に甘えて、論理的思考力の脆弱性を隠し込むことに成就するだろう。

だから、簡単に、其処彼処(そこかしこ)に精神主義一点論の軍人もどきが再生産されても、「形式的男性優位」の文化に浸かった男たちの虚栄の城砦だけは延長されていく。

本作の中に、そんな男の典型である父親像が描かれていた。

高木友彦その人である。

虚栄の城砦に縋り付く友彦と、比較的、この国の男たちの少なからぬ意見を代表する実業家との、興味深い「神風論争」が挿入されていた。

この国の男たちの少なからぬ意見を代表する商人とは、鉄鋼場を営む櫻木常三郎のこと。

以下、二人の「神風論争」を再現する。

元寇の話ば聞いとると、本当にあの時は日本は危なかった。戦法も兵器も古か。鉄砲は向うにあって、こっちにはなかけん。あの時、神風が吹かなかったら、どげんなっとるか分りませんな」

「神風論争」の火蓋(ひぶた)を切ったのは、櫻木だった。

これに対して、間髪を容れず、反論する高木友彦。

彼には、前線経験を持てなかった過去がトラウマになっているから、余計、感情投入が先鋭化するようである。

「どげんなっとるか分らんちゅうことは、日本が負けたっちゅうことですか?」
「ま、そげんなっとったかも知れんですな」
「日本が負けて、蒙古の領土になったっちゅうことですか」

ここで、友彦の態度が威丈高になる。

「もし神風が吹かんやったら、負けとったかも・・・」

威丈高になった友彦には、櫻木の「戯言」を受容する感情の片鱗もないから、相手の反論を途絶させてしまうのだ。

「なんば言うなすな!私はそげな風に生徒たちに話した覚えはありまっしぇん。たとえ神風が吹かんでも、立派に元軍を撃退することができとった。文永の役でも、元軍はいったん上陸しただけで、後は上がらんじゃった。弘安のときは全然上陸もしらんで、あの志賀島に小部隊が上がっただけです。これは要するに、日本軍の勇猛に怖れたからです。日本の挙国一致の精神に敵わんじゃったけんです」
「それはそうじゃが、どげん勇猛な部隊でも、相手の戦法や火器が優れておったら、破られるちゅうこともあるもんです」
「相手に負けんくらい強かった!」
「いや、あの場合は、もし神風が吹かんやったら・・・」
「止めて下さい!何遍、言うて聞かせたら分るとですか。神風が吹かんでも日本は敗れんとです。敗れる国でなかとです!」
 
精神主義一点論の軍人もどきの友彦は、最後まで、相手の反応を受容する態度を見せなかった。

大体、この国では、精神主義一点論の男ほど声高になり、威圧的な態度を崩さないから、「論争」に詰まって、実質的に論破されたにも拘らず、澱んだ空気を支配した雰囲気が変色することはない。

だから、「論争」を最も嫌うこの国では、常に声の大きい者が、「論争」の「勝者」の印象を払拭し得ないのである。

とりわけ、この時代は、精神主義一点論の「純粋」さが価値を有していたのだ。

本作の中で、この「神風論争」のシーンだけは面白かった。

いつも、声の大きい者の威圧的な態度に対して、笑って濁りを浄化するリアリストの困惑が、ここでも印象深く描かれていたからである。
 
 
 
 
(人生論的映画評論・続/陸軍(‘44) 木下惠介  <「嗚咽の連帯」によって物語の強度を決定づけた「基本・戦意高揚映画」>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/08/44.html