こうのとり、たちずさんで('91) テオ・アンゲロプロス  <“家に着くまでに、何度国境を越えることか”――「確信的越境者」の呻き>

 1  「人は去る。なぜ去るのか?」



 「国境の取材に向う間、ずっとビレウス港の事件を考えていた。海に浮かんだアジア難民の死体。ギリシャ政府は、彼らの上陸を拒否した。太平洋でギリシャ船に拾われた彼らは、結局、海に身を投げて死んだ。なぜそういう決心をしたか分らない。人は去る。なぜ去るのか?どこへ?まるで、あの古い歌の通りだ。“旅たちのときは来る。それを忘れるな。風が吹いて、お前が遠くを見る”」
 
 これは、テレビレポーターのアレクサンドロスの冒頭のナレーション。
 
 彼はアジアの難民が上陸をギリシャ政府から拒否されたため、海に身を投げて死んだ事件に触発されて、国境の問題に関心を持った。

 彼は北ギリシャの国境の辺りの村にやって来て、そこで知り合った大佐から案内を受けて、国境の現場に立ち入った。そこには一本の白い線が引かれているだけで、橋の向こうには異国の兵士が銃を構えて立っている。

 その一本の白い線に、大佐は冗談めかして右足を上げて、そこで一瞬立止まるポーズをしてみた。そのポーズは、恰も国境を平気で越えていく「こうのとり」の格好に見えた。まさに「こうのとり、たちずさんで」という図柄が、そこに映し出されていた。それは、作り手の実際の経験から、映像のタイトルにイメージされたものであった。

 「国境とは何なのか・・・この線でギリシャは終る。一歩踏み出せば、異国か、死か」
 
 その大佐は、傍らのレポーターに明瞭に言い切ったのである。

 レポーターは国境の村に敷設されている難民収容所の取材に向った。そのレポーターに、大佐は監視所の上から説明した。
 
 「この町の外れの無人の一角に、隣国や遠い国々からの難民が住みついた。男、女、子供、トルコ人クルド人ポーランド人、アルバニア人。保護を求めて越境してきた人々を、ギリシャ政府は一区画に住まわせたが、人数が増えて、町まで溢れ出した“待合室”で正式に異国に住みつく許可を待ち、異国には神話的な意味さえ生じた」
 
 まもなくアレクサンドロスは、撮影スタッフを伴って、難民の村を精力的に取材していった。

 そこで拾った彼らの声。
 
 「クルドの村は、化学兵器でもう住めない。ギリシャとトルコの国境のエヴロス河まで逃れて来たが、そこから先には、もうどうしても進めなかった」(クルド難民)

 「アルバニアから国境を越えた。俺は死の世界を後にして、自由に向って躓きながら必死に走った。手や足は傷だらけ」(アルバニア難民)

 「人の声がするたびに、後を追って来た兵士かと、いつも怯えた。イランでは、月が死ねばいいなんて思ったことはなかったけれど、越境の後、月が死んでくれたらと願った。月の光が、逃げる俺を照らす。捕まるかと思った。捕まれば、死は確実。背後の道はそのまま、俺の死を意味した。何とかして国境を越えない限り、死が背後で待っている。そう思って逃げた」(イラン難民)
 
 やがてアレクサンドロスは、この取材の中で、見覚えがある一人の男の顔を確認することになる。彼を写した撮影テープを繰り返し見て、アレクサンドロスは、彼こそ10年ほど前に疾走した一人の政治家であることを特定した。

 彼は政治家の元妻に会いに行った。ギリシャ語が話せないという妻に、彼は英語で語りかける。
 
 「失踪について、どんなことでも知りたい」
 「今更、意味のないこと」
 「政治家の失踪は重大な事件です。それも、理由も分らないまま、あんな風に唐突に議事堂から歩いて出て行って、消えた」
 「でもなぜ?何年も経った今になって。今の生活が大事。何がお望みなの」
 「全てが謎です。40日後に一度戻って、何も覚えていないと言ったとか?」
 「知っていることは、全部警察に言いました」、
 「ご協力がなくても、調査を続けます」

 その言葉に反応せず、婦人はレポーターの前から離れていく。その婦人に、レポーターは声をかけた。
 
 「賞を取った後でしたね。『世紀末の憂鬱』という著書で・・・」
 「ごめんなさい。主人が私を探しているわ」
 
 婦人はその言葉にも反応しないで、離れ去って行った。
 

(人生論的映画評論/こうのとり、たちずさんで('91) テオ・アンゲロプロス  <“家に着くまでに、何度国境を越えることか”――「確信的越境者」の呻き>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/91_13.html