エレニの帰郷(’08) テオ・アンゲロプロス <「時の埃」を浄化する「翼」の不透明感を突き抜けて>

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1  「何も終わってない。終わるものはない。帰るのだ
 
 
 
身震いした。
 
心の奥深くまで染み込んでくる映像の途轍もない強度は、独立峰の如く屹立する映画作家の独壇場の世界だった。
 
私にとってアンゲロプロス監督は、ダルデンヌ兄弟と共に、これだけの映像を見せられたら社会観・世界観の不同性など、どうでもいいと思わせるに足る稀有な映画作家である。
 
心震わせるようような鮮烈なラストシーンこそ、テオ・アンゲロプロス監督の最終的メッセージだったのか
 
―― 以下、梗概と批評。
 
「何も終わってない。終わるものはない。帰るのだ。物語は、いつしか過去に埋もれ、時の埃にまみれて見えなくなるが、それでもいつか、不意に、夢のように戻ってくる。終わるものはない」
 
この冒頭のモノローグの主は、映画監督
 
ギリシャアメリカの映画監督である。
 
1999年(現代)のこと。
 
ローマ郊外にある映画撮影所・チネチッタで、A動乱の20世紀の歴史を舞台に、彼の両親の波乱の人生を描こうとする作品に取り組んでいたが、ラストシーンが決まらずに撮影は困難を極めていた。
 
父の名はスピロス。
 
母の名はエレニ。
 
旧ソ連カザフスタン中部の町・テミルタウの集会所。
 
そこで、ロシア革命記念日の祭典のニュース映画を見ていたコミュニズムの活動家・エレニと、友人のユダヤ系難民・ヤコブの二人。
 
エレニが、恋人のコミュニズムの同士・スピロスと運命の再会を果たしたのは、そのテミルタウの集会所だった。
 
以下、路面電車に飛び乗ったエレニとスピロスとの会話。
 
「夢みたいだ。探せないと思ってた」
「来ると信じてたわ。必ず来てくれる。世界の果てでもと信じていた」
「秘密警察に捕まったと。すぐさま、テサロニキに飛んだ。収監所で誰もが話したのは、女子大生の事件。君は逮捕され、脱走した。脱走後の君を追って、国境をいくつ超えたか・・・とうとう迎えに来た」
 
この会話によって、エレニが活動家の女子大生時代に、秘密警察に逮捕され、ギリシャのテサロニキ収監所に送られたが、二人の女性囚人と共に脱走したことで、恋人のスピロスと別れ別れになってしまった事実が明らかにされる。
 
この日、「太陽が沈んだ」スターリンの死去という放送を、二人は市役所前の広場で停車し、誰もいない路面電車の中で愛を確かめ合う。
 
現代に戻る。
 
撮影所に、娘・エレニから電話が入る。
 
咽(むせ)び泣く娘の声に驚くAは、急遽、家にるが、娘はいなかった。
 
学校にも満足に登校せず、高速道路を素足で歩くような情緒不安定な娘への不安を、Aは常に隠せないのだ。
 
乱雑な娘の部屋に入ったAは、母・エレニがシベリアから書いた、父(スピロス)への手紙を枕の下で見つけ、その内容に衝撃を受ける。
 
母・エレニの手紙こそ、A自身が探していたものだった。
 
その手紙を、娘・エレニが先に読んだことで、家出したと思われる娘の情況が気になるのである
 
その不安を、元妻のヘルガに吐露しても、ワーカホリックだったAに愛想を尽かして別れたヘルガからの快い返事は返ってこなかった。
 
「物語だけが僕の居どころ。それ以外の所では、僕は存在しない。どこにもいない」(Aの独り言)
 
以下、母・エレニの手紙の一部。
 
「全てを失う。あなたに触れられない。今は、夢だけが頼り・・・シベリア。1953年4月27日。ここは何もない所。無限に何もない。あの後、3週間拘禁され、尋問された。私の過去。ギリシャでの逮捕。そしてあなたのこと。短い幸福な瞬間の二人への罰・・・あなたの独房に逃げて行きたい。赤ちゃんが宿りました」
 
二人はあの再会の夜、結ばれたのである。
 
しかし、二人は逮捕され、シベリアへ移送されていく。
 
「シベリア。1956年12月。昨日、ヤコブもこの牢獄に。ドイツ系ユダヤ人で苦境での友。同じ運命の人。共産主義者で、ナチスを逃れて亡命した。決して届かない手紙。でも送ります。いつかは、独房のあなたに届くと信じて。窓に、おかしなツタが伸びて来て、雪に耐えています。3歳の坊やが・・・誰のことか、分ります?今日去りました」
 
言うまでもなく、その「3歳の坊や」とはAのこと。
 
この時、「3歳の坊や」を、エレニはヤコブの姉がいるモスクワに逃がすのだ。
 
母と子の別離の悲哀。
 
「天使は叫んだ。“第三の翼!”」
 
一人の女囚(女性詩人)が散布した詩の一節である。
 
この“第三の翼”は、ローマの撮影所・チネチッタを暴漢が襲い、PCやテレビなどを破壊した際に残していった絵を想起させる。
 
その絵は、“第三の翼” を取ろうと手を伸ばす天使の絵であった。
 
それが何を意味しているかについては、本作の肝であると思えるので後述したい。
 
「シベリア。1956年12月。たった一晩で、スターリンの肖像が、絵も銅像も消えた。第20回党大会の後、これであなたは出獄できる。交換出獄で国外へ。昔の仲間が、そうささやいてくれた。嬉しくて泣きました。哀しくて泣きました。二度と会えないの?全てを失う。あなたに触れられない。今は、夢だけが頼り」
 
スターリンの死去から3年が経過し、ソ連共産党第20回党大会において、第一書記フルシチョフによる「スターリン批判」を背景に、シベリア抑留者の解放が具現される状況が語られているのだ。
 
現代。
 
1999年12月。
 
ベルリンを舞台に撮影しているAは、ギリシャに帰国する両親(エレニとスピロス)をアメリカから迎え入れる。
 
しかし、娘・エレニの居場所が分らず、必死に探し回っていた。
 
両親(Aとヘルガ)の離婚が起因になっているのか、抑うつ状態になっているエレニは、陸橋の上で彷徨(さまよ)っている。
 
まるで、死に場所を探し求めているようだった。
 
そんな折、ドイツに帰国していたヤコブが、Aと、Aの両親が泊るホテルに訪ねて来て、感動的な再会を果たす。
 
「息子はベトナム徴兵を避けて、カナダに去っていた」
 
息子とはAのこと。
 
シベリア抑留から解放されたエレニは、スピロスのいるアメリカに向かうが、エレニへの想いを諦め切れず、共にニューヨークへと向かったヤコブは、そんな話をしながら、エレニと過ごしたニューヨーク時代の回想を吐露する。
 
スピロスを探し続けるエレニへの強い想いも空しく、エレニはスピロスが再婚している現実を目の当たりにし、絶望の心境下で、息子・Aがいるカナダのトロントに行き、「3歳の坊や」だった1956年以来の再会を果たすのだ。
 
「何年も何年も・・・夢に見た母さん」
 
深い霧の中、熱く抱擁し合う母と息子。(トップ画像)
 
ウォーターゲート事件の余波で揺れるニクソン大統領への弾劾が、下院委員会で可決された1974年のことである。
 
一方、エレニと出会ったことで衝撃を受けるスピロスは、自分を求めるエレニの想いが変わらない現実を目の当たりにして、決定的に心が動いていく。
 
ここでは、1999年から1974年に時間がワープするという映画の武器を駆使して、スピロスが向かったのは、エレニの働くトロントのバーである。
 
「遠い道だった」
 
エレニと抱擁するスピロスの言葉には、万感の思いが込められていた。
 
ここで、母に送ったAの手紙が、ナレーションとして挿入される。
 
1989年11月9日に起こった、「ベルリンの壁崩壊」という歴史的事件である。
 
「冷戦が終わったと叫び、歴史の終わりと叫ぶ者もいた。新時代です。僕の映画の撮影は終わり、撮影クルーは去った。僕は残る。ヘルガに会ったから。彼女は17年前、東ベルリンから西に逃げて来た。まだ15歳だった。群衆の中にヤコブおじさんも」(Aのナレーション)
 
初めて明かされる、Aとヘルガの愛のルーツである。
 
1999年12月31日。
 
エレニとスピロスとヤコブが、ベルリンの街を睦み合うように歩いている。
 
「別世界を夢見た。あの夢はどこに消えた?始まりはすべて違っていた。空にも住める。そう思う人までいた」とヤコブ
「歴史に掃き出された、と」とスピロス。
「そう。歴史に掃き出された」とヤコブ
 
ヤコブはエレニを踊りに誘い、二人は踊り出す。
 
ヤコブに誘(いざな)われ、スピロスがエレニる。
 
「時の埃は、すべてに降りかかる」
 
ヤコブの言葉である
 
一転して映像は、陸橋の上の廃墟から自殺を図ろうとするエレニを案じ、警察と共に駈けつけて来たAの家族を映し出す。
 
この時、躊躇なく、祖母・エレニが行動を起こすのだ。
 
「どうしたの?」
 
陸橋の上に昇り、ホームレスらが不法占拠する廃墟の中にいる、孫・エレニに声をかける祖母。
 
その言葉を待っていたかのように、少女は「死にたいの」と言って、祖母に抱きついていく。
 
解放される少女。
 
長年の疲労が溜まり、歩行もままならない祖母・エレニ。
 
雨の中、慌てて病院に行くAの視界に捉えられたのは、道路を挟んだ向かい側の歩道から、娘のエレニを心配そうに見ているヘルガの姿だった。
 
近寄ろうとするAに、手を振って去っていヘルガ
 
それは、Aとの最終的別離を意味するだろう。
 
そして、Aのアパートのベッドで横たわる祖母・エレニ。
 
心配したヤコブがAのアパートを訪問し、嗚咽の中で、それ以外にない思いを言葉に結び、彼もまた、隣室で眠るエレニとスピロスに永遠の別離を告げるのだ。
 
 
 
人生論的映画評論・続エレニの帰郷(’08) テオ・アンゲロプロス <「時の埃」を浄化する「翼」の不透明感を突き抜けて>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/11/08.html