ビューティフル・デイ('17)    リン・ラムジー

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<反復的、且つ、侵入的で、苦患の記憶が想起し続ける冥闇の世界に閉じ込められた男の悲哀が漂動する>

 

 

 

1  「何が起きているのか、さっぱり分からない」と漏らす男の少女救済譚

 

 

 

誘拐された少女を連れ戻すという闇の仕事で生計を立て、老いた母と暮らす男・ジョー。

 

そのジョーが、雇い主のマクアリーから仕事を頼まれる。

 

「なぜ俺を呼んだ?」

「州上院議員アルバート・ヴォット。昔、俺が彼の親父を警護してたが、その後、縁が切れてた。ヴォット議員の妻は、2年前に自殺。10代の娘は、それ以来、家出したまま。娘と連絡が途絶えたと、ヴォットから電話があった。彼は現知事と選挙活動中で、警察沙汰は避けたい。現金5万ドルの仕事だ」

「手掛かりは?」

「彼に届いた匿名メールにある住所が。午後2時に、彼と会ってくれ」

 

マクアリーとの会話である。

 

早速、ジョーはヴォットに会いに行く。

 

「娘さんがいたら、必ず連れ戻します」

「君は残忍だって聞いた」

「時にはね」

 

それだけだった。

 

ジョーはヴォットの娘・ニーナの写真をポケットに入れ、次の待ち合わせ場所を指定した。

 

そして、人身売買の拠点に侵入し、警備員をハンマーで殺し、ニーナを救出する。

 

車を止め、隣の座席に座るニーナに話しかけると、少女はジョーに抱きついてきた。

 

「大丈夫、大丈夫だ…そうじゃない。そんなことしなくていい。パパの元へ帰ろう」

 

二人はモーテルに入り、父親の迎えを待つことにする。

 

ところが、テレビでヴォットが飛び降り自殺をしたというニュースが流れるのだ。

 

肝心の依頼主の死に驚愕する間もなく、モーテルの警備員が警官2人を連れ、ドアを開けた。

 

その途端、警備員は背後の警官に射殺され、一人はニーナを連れ去り、もう一人はジョーと格闘して殺された。

 

「何が起きているのか、さっぱり分からない」

 

常に、この言葉がジョーを襲ってくるようだ。

 

いつもの自傷行為で、歯を紐で抜き、血を滴らせるジョー。

 

児童期に家庭内暴力が常態化していて、児童虐待のトラウマを抱える彼には自殺願望がある。

 

そのジョーはマクリアリーに電話をかけるが、留守録のテープが流れるのみ。

 

事務所へ向かうと、マクリアリーは既に殺されていた。

 

そればかりではない。

 

雑貨屋の店主で仕事の仲介者でもあった、エンジェル父子も殺されたのである。

 

混乱の中、子供の頃に受けた父親の虐待のフラッシュバックに苛まれ続けるジョー。

 

「背筋を伸ばして、まっすぐに」

 

そんな言葉が繰り返し、侵入的想起するのだ。

 

不安を抱えて帰宅するや、ジョーは凍り付く。

 

今度は、母親がベッドで銃殺されていたのである。

 

階下に人の気配がしたので、降りて銃を放つと、一人は死に、一人は絶命せずに倒れていた。

 

気息奄奄(きそくえんえん)の男が、ニーナの居場所がウィリアムズ州知事のところであると吐く。

 

この男が黒幕だったのだ。

 

「母は怖がったか?」

「眠ってた」

 

ラジオからかかる「I've Never Been to Me」(愛はかげろうのように)に合わせ、息絶え絶えの男が口ずさむ。

 

ジョーも一緒に歌い、死にゆく男の手を握る。

 

母親の遺体をビニール袋に包んで車に乗せ、美しい森の湖畔へ行き、自らも石をポケットに詰め、潜って母を水葬した。

 

水中に深く沈むジョーは、フラッシュバックで再現されるカウントダウンに入り、自死する行為に振れるが、石を捨て、湖から生還する。

 

ニーナの救済を果たしていないのだ。

 

ニーナを救うべく、ジョーはウィリアムズの選挙事務所に向かい、組織の男たちの車を追尾し、豪邸に入り込む。

 

警備員らをハンマーで撲殺し、ニーナの部屋に辿り着くと、ウィリアムズは既に喉を掻き切られて死んでいた。

 

嗚咽するジョー。

 

ここでも、フラッシュバックが彼を襲う。

 

階下のダイニングルームに行くと、ニーナが血だらけの手で食事をしていた。

 

傍らには、血の付いたカミソリが置かれていた。

 

ニーナがウィリアムズを殺したのである。

 

ニーナに近寄り、少女の腕に手を添えるジョー。

 

「大丈夫よ、ジョー。心配しないで」

 

2人は邸を出て、レストランに入った。

 

「どこへ行くの?」

「そうだな。どこでもいいぞ。どこへ行きたい?」

「分からない」

「俺も分からない」

 

ジョーの言葉を聞くや、ニーナは席を立ち、トイレに向かった。

 

為すすべのないジョーは、一筋の涙を零し、銃で自らの喉を撃ち抜く。

 

ニーナが席に戻り、ジョーの頭に手を置く。

 

「ジョー、目を覚まして」

 

ジョーの自殺は夢だった。

 

「何?」

「行きましょ。今日は、いい天気よ」

「確かに、いい天気だ」

 

二人が座っていた椅子が映し出され、「何が起きているのか、さっぱり分からない」と漏らす男の少女救済譚の物語が、まるで何もなかったかのような印象を観る者に与えて、ラストカットとして閉じていく。

 

 

人生論的映画評論・続: ビューティフル・デイ('17)    リン・ラムジー

 より

ドラマ特例篇 「この戦は、おのれ一人の戦だと思うている」 ―― 「『麒麟がくる』本能寺の変」・そのクオリティの高さ

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1  寂寥感漂う悲哀を映し出す究極の「盟友殺害」の物語

 

 

 

「『麒麟がくる』・本能寺の変」(第59作・最終回)を観て、涙が止まらなかった。

 

テレビを観ない習慣が根付いていながら、「麒麟がくる」だけは別格だった。

 

理由は、本木雅弘斎藤道三を演じるという情報を得たこと。

 

下剋上の象徴の如き戦国武将・美濃の蝮(まむし)を本木雅弘が演じたら、一体、どのような人物像になるか。

 

それが堪(たま)らなく魅力的だった。

 

期待に違(たが)わず、美濃の蝮の独壇場の世界が、大河序盤で全開するのだ。

 

もう、止められなくなった。

 

正直、主役の明智十兵衛光秀 (以下、「十兵衛」とする)を演じる長谷川博己には、殆ど期待薄だった。

 

映画を通じて観ていたが、特段に惹きつけられることもなかった。

 

まして、上流層からも招かれる博打好きの名医・東庵(とうあん)、その東庵の助手で本篇で最も重要な役割を担い、「麒麟」という理念の象徴的存在となる駒、家康の忍び・菊丸、旅芸人一座の座長で、関白・近衛前久(さきひさ)や朝廷と十兵衛との仲立ちをする、伊呂波太夫(いろはだゆう)といったオリジナルキャラクターが次々に出て来て、当初は、大河ドラマの創作性の高さに馴染めなかったが、馴致するのも早かった。

 

所詮、テレビドラマであると決め込んでいたからだ。

 

ところが、次第に十兵衛の存在に目を離せなくなってくる。

 

特に、道三の壮絶な死後、信長と十兵衛の関係が描かれていくに連れ、見逃せなくなってきた。

 

東京オリ・パラによる5週分の放送休止(全44回に縮小)や、新型コロナウイルス(COVID-19)・パンデミックの怒涛のような激流(実際に、2カ月に及ぶ収録の一時休止)もあり、これまでの「戦国もの」の印象と異なり、定番の合戦シーンと、その行程表現が希薄であった代わりにシフトしたのが、主要登場人物、就中(なかんずく)、十兵衛と信長の関係の心理描写が丹念に描かれていて、「戦国絵巻」の渦中での精緻な人物造形に吸い込まれていくようだった。

 

これが、「『麒麟がくる』・本能寺の変」という、それ以外にない王道の最終篇の中で、埋め草の余情という心像をも超え、決定的に奏功する。

 

想像の範疇を超えた圧巻の最終回に心打たれ、絶句した。

 

「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり」と謡って、「敦盛」(幸若舞)を舞うという、あまりに気障(きざ)な「本能寺の変」の定番描写を破壊する演出に、涙腺崩壊の状態だった。

 

ここで描かれた信長像が、従来のイメージを完全に払拭し、「非常にナイーブな信長像」(脚本家の池端俊策)として提示されたこと。

 

まさに、意表を突かれた時の心地よい感覚の充足感 ―― これが観る者を衝いてきたのだ。

 

「信長という人物は、戦国時代のスーパーヒーローです。異端児としても知られていますね。側近の平手政秀は信長の奇行をいさめるために腹を切ったといわれるなど、信長の異端ぶりは『信長公記』をはじめ、いろいろと語り継がれています。でも、僕はいままでのような剛直で独裁者風で、偉大な信長ではなかったのではないかと思っています」

 

池端俊策の言葉である。

 

「母親は弟の信勝ばかりかわいがって、信長のことはむしろ疎ましく思っていた。母親に愛されなかった信長というのが浮かび上がってきます。少なくとも母親から愛されなかった男の子が抱くコンプレックスはなんとなく想像がつく。その裏返しとして異端児、つまり不良少年のようにふるまうようになったのではないか。そういう人ほど、こころは繊細であることが多い」

 

これも、池端俊策の信長論。

 

この「非常にナイーブな信長像」を演じた染谷将太が、出色の演技力を炸裂させ、「麒麟がくる」の面白さが全開していく。

 

そして、この信長に「麒麟」を見た十兵衛が、足利義昭と信長への両属状態の中で、加速的に存在感を可視化し、まさに長谷川博己のドラマと化した。【因みに、「麒麟」とは優れた王が世を治める、中国神話に現れる伝説上の霊獣のこと】

 

明智光秀のイメージが一変するのだ。

 

かくて、以下の池端俊策の言葉に収斂されるように、「『麒麟がくる』・本能寺の変」において、十兵衛と信長の心理の交叉は、寂寥感(せきりょうかん)漂う悲哀を映し出す究極の「盟友殺害」でピークアウトに達したのである。

 

「光秀は信長を殺したくて殺すわけでもなく、憎らしいから殺すわけでもありません。やむを得ず、自分の親友を殺したんです。ここまで一緒に歩いてきて、一緒に夢を語った相手を殺すのはつらいですから、本能寺で信長を殺しても『やった!』という快感ではなく、悲しさがありますし、大きな夢を持った人間は、やはり大きな犠牲を払わなければならない。その心の痛みを描きました」

 

創作性の高さを認知してもなお、「『麒麟がくる』・本能寺の変」が神業級の凄みを見せたのは、撮影カメラが十兵衛の内面の世界に深々と潜り込んで、「盟友殺害」に至る心の振れ具合を描き切ったという一点にある。

 

それが、信長の「是非もなし」という、代用が効かない絶対言辞のうちに極まったのだ。

 

そして、本篇が何より抜きん出ているのは、十兵衛の内面の漂動を精緻に汲み取り、謀反を決意するまでの回想シーンを四つに分断させ、それを駆使した演出のシャープさ ―― これに尽きる。

 

以下、概略をフォローしていきたい。

 

人生論的映画評論・続: ドラマ特例篇 「この戦は、おのれ一人の戦だと思うている」 ―― 「『麒麟がくる』本能寺の変」・そのクオリティの高さ より

東ベルリンから来た女(‘12)  クリスティアン・ペツォールト

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<凛として越境し、地域医療を繋いでいく>

 

 

 

1  「私が地方に飛ばされた理由も知っているのね…孤立させてもらうわ」

 

 

 

1980年夏 旧東ドイツ ベルリンの壁崩壊後の9年前。

 

「孤立しない方がいい。ここの職員は敏感だ。首都ベルリン、大病院…みんな、卑屈になる」とアンドレ

「自分も卑屈になりたくないから、そう言うの?」とバルバラ

 

ベルリンからトルガウ(現・ドイツ東部。ザクセン州の都市)の小児外科病院に左遷されて来た女医バルバラ

 

その初日の態度を見て心配する同僚医師のアンドレは、彼女を車で送る際での会話である。

 

「道を聞かなくても、私の家へ行けるわけ?私が地方に飛ばされた理由も知っているのね…孤立させてもらうわ」

 

そんな物言いをするバルバラが地方へ左遷された理由は、西側への出国申請をしたこと。

 

以来、東独のディストピア(監視社会)の象徴・シュタージからの監視が強化されている。

 

バルバラを監視するシュタージの局員(諜報員)の名はシュッツ。

 

そんなバルバラが、人民警察(東独の準軍事組織)から連れて来られた少女・ステラを診ることになる。

 

髄膜炎か?ダニかな」とアンドレ

「たぶんね…草むらに6日間、隠れたって。マダニの生息地よ」とバルバラ

 

処置を終えたステラの病室で、アンドレバルバラに忠告する。

 

「ステラの入所は4度目で、仮病とサボりの常習犯だ…甘やかしは禁物だ」

 

バルバラは自転車で駅に出て、電車に乗り換え、レストランへ行く。

 

レストランのトイレで、ウエイトレスの一人から小包を受け取る。

 

そこには、待ち合わせ場所・時間のメモ・金が入っていた。

 

その小包を、十字架の下の岩に隠すバルバラ

 

夜になって官舎に戻ろうとすると、シュッツが車から声をかけてきた。

 

数時間、行方不明だったという理由で、彼らはそのまま部屋に入って来て、家宅捜索するのだ。

 

翌朝、出勤して来なかったバルバラを、アンドレが訪ねて来る。

 

「ステラが君以外の医師の処置を拒んでる」

 

童話を読んでもらえる喜びに浸るステラににとって、バルバラの存在は「解放者」として映っているようだった。

 

病院へ向かう車の中で、ステラが妊娠中であることをアンドレから知らされる。

 

以下、病院での短い会話。

 

「妊娠が本当なら、大変なことになる。堕ろさなきゃ」

「本人の希望か?」

「本人は知らない」

 

バルバラは血清の結果を再確認するために、アンドレの研究施設を利用して、自ら確かめる。

 

結果は同じだった。

 

アンドレの医師の技量を認知するバルバラ

 

「なぜ地方にいるの?人を監視するため?」

「ここが好きだ」

「私を説得する気?」

「何の説得?」

「出国申請を出すなと。“医者になれたのは、労働者と農民のお陰だよ”と」

「確かにそうだ」

 

そんな会話の後、バルバラはメモにあった待ち合わせの森に行く。

 

そこに仲間の運転で、西側の恋人ヨルクがやって来て、束の間、愛し合う二人が、そこにいた。

 

夜遅く出勤したバルバラは、ステラにいつものように絵本を読んで聞かせる。

 

「自分で読めるようになると、作業所に戻される。私を助けて、先生」

「やってみる」

「作業所には戻りたくない。耐えられないの。先生、赤ちゃんができた。何とかして」

「堕ろしたいの?」

「いいえ、違うの。トルガウから逃げたい。この国から逃げたいの」

 

疲弊し切っているバルバラを仮眠させたアンドレが、コーヒーを持って入って来た。

 

「報告書に書くの?」

「昔、ある病院にいて、ニュージーランド製の機器が入った。未熟児用の機器だ。保育器では助からない子を助ける。取扱説明書は英語で260ページ。読もうと努力したよ。僕には助手がいた。英語が少しできるから手伝ってくれた。疲労困憊の僕に、言ってくれた。“やっておきます”。機器の接続を任せた。ところが彼女は、摂氏と華氏を間違えた。異常に圧力が上昇し、2人の網膜を破壊した。名前はマイクとジェニファー。命は助かった。でも光を失った。僕の責任だよ。研究の道は絶たれ、ベルリン行きも消えた。もみ消してやる代わりに、地方で働けと。守秘義務が課せられた。報告の義務も。でも出世欲はない。3年前だ」

 

この話で、アンドレの置かれている立場が判然とする。

 

二人の会話は、ステラを救助する一件に転じていく。

 

「トルガウ作業所の実態は知ってる?作業所とは名ばかりで、抹殺するための施設よ」

 

そう吐き出すステラにとって、ディストピアからの解放だけが拠り所なのだ。

 

しかし、最長2日間しか退院を伸ばせないとアンドレに指摘され、困惑するバルバラ

 

かくてステラは、人民警察に無理やり連行されるに至った。

 

バルバラの名を呼び、泣き叫ぶステラに近寄り、抱き締めることしかできないバルバラ

 

監視の目を潜(くぐ)り、外国人専用ホテルに向かうバルバラ

 

恋人のヨルクが、ホテルの窓からバルバラを迎い入れた。

 

バルバラ、僕が君の所へ来るよ。東で暮らそう。ここで君と幸せになるんだ」

「気は確か?この国では無理」

 

そして、岩場に船で迎えにいくというその場所を指定するヨルク。

 

「決行はいつ?」

「この土曜の夜だ」

「勤務日よ。休まなきゃ」

「西に行けば眠れる。僕の稼ぎで十分だ。働かなくていい」

 

ヨルクの言葉には、医師としてのバルバラに対する基本的な認知の欠如が読み取れる。

 

人生論的映画評論・続: 東ベルリンから来た女(‘12)   クリスティアン・ペツォールトより

心と体と('17)   イルディコー・エニェディ

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<「個人的主観的リアリティ」を共有する男と女が、立ち塞がる障壁を乗り越えていく>

 

 

 

1  「それでは、今夜も夢で会いましょう」

 

 

 

ハンガリーブダペスト郊外(映画では、字幕・台詞の提示なし)。

 

食肉加工工場で、2カ月の産休に入った食肉検査員の代理として採用されたマーリア。

 

「気が重い。かなりの堅物で、あれは手を焼く」

 

社員食堂で、見慣れないマーリアについて尋ねた財務部長のエンドレに対する、同僚の友人イェヌーの言葉である。

 

左腕の不自由なエンドレには妻と娘がいるが、今は、別れて一人暮らしをしている。

 

そのエンドレは、トレーを片手に、食事中のマーリアに近づき、話しかけた。

 

形式的な挨拶を交わすが、マーリアの反応はどことなくぎこちない。

 

帰宅したマーリアは、調味料入れを使ってエンドレとの会話を再現し、「上手く切り返せれば会話が続けられたのに」などと反省するのだ。

 

そのマーリアは、食肉牛の検査で片っ端からBランクをつけ、従業員から陰口を叩かれていた。

 

既に、人事部で採用が決まっていた男性を面接するエンドレ。

 

「我々が加工処理する動物に対し、思うことは?」

「特に…何も思いませんが、哀れみでも?」

「哀れみも?」

「全然ですよ…血も平気です」

「憐れむ気持ちがゼロでは、勤まらない。続かないかも」

 

面接の相手はシャーンドル。

 

この面接相手の名は、その後に出来する「事件」の発生によって判明する。

 

面接中に、牛肉のBランクについてクレームの電話を受けたエンドレは、直接、マーリアに聞きに行く。

 

「規定より脂肪が厚い」

 

これがマーリアの反応。

 

品質の良さは分かっているが、肉眼で僅か2ミリ厚いことで、規定のBランクにしたとのことである。

 

普段の挙動の不自然さもあり、仲間から倦厭(けんえん)されるマーリア。

 

杓子定規の判定を下すマーリアの孤立が、一層、際立っていく。

 

そんな中、牛の交尾薬が盗まれるという事件が惹起する。

 

警察が犯人を特定するために、従業員全員の精神分析を始めた。

 

エンドレは、分析医から昨日の夢について質問された。

 

「夢の中で私は鹿だった…森をウロついたり、小川の水を飲んだり…他にも一頭いて、行動を共にしてた」

「オスとメス、どちら?」

「メスです」

「なぜメスと分かった?」

「感じた」

「交尾して?」

「ご期待を裏切るようだが、ヤッてない。2頭で、ただ森をウロつき、肉厚の葉っぱを探し、雪を掘り返した。小川に下り、水を飲みました」

 

次はマーリア。

 

「昨夜は、どんな夢を?」

「すごく空腹で…雪を掘り返したけど、食べ物がない。同行者が一緒に探してくれた。厚くておいしそうな葉っぱを彼が見つけて、私に全部くれたので、食べました。味は悪くなかった。少しもたれたけど、やがて奇妙な感覚に」

「夢では動物か何かに?」

「鹿です…小川まで下りてから…」

「交尾はしましたか?」

「ノーです」

 

その後、夢の話を申し合わせたと疑う分析官が二人を呼び出し、エンドレの録音を再生する。

 

そこで、二人は同じ夢を見たことを知る。

 

その夜、マーリアは鹿の夢を見る。

 

翌日の社員食堂で、マーリアは自分からエンドレのテーブルにやって来た。

 

「昨夜の夢は?」

「夢は見なかった」

「残念。では席を移ります。食事は一人が好きで」

 

パーソナルスペース(対人距離)の保持に拘泥するマーリアの形相には変化が起こらない。

 

片や、エンドレの元に同僚のイェヌーが来て、犯人はシャーンドルに決まっていると話すのだ。

 

エンドレはトレーの片づけをイェネーに頼み、マーリアに向かって、鹿の夢は「毎晩見ている」と伝える。

 

その夜も、鹿の夢を見た二人。

 

そして、互いに自分が見た夢を書き出し、交換して読むと、驚くべきことに同じだった。

 

「それでは、今夜も夢で会いましょう」

 

そう言って、エンドレは微笑む。

 

頷くマーリア。

 

その晩、エンドレは鹿の夢を見たが、メスの鹿は池の周りにいなかった。

 

エンドレは携帯番号のメモをマーリアに渡したが、マーリアは携帯を持っていないと言う。

 

その夜、マーリアの夢にオスの鹿は現れなかった。

 

マーリアは長年通っている精神科を訪ね、精神科医に携帯を持てばいいと促される。

 

家に戻り、いつものように人形を駆使し、エンドレとの会話を再現し、自分の本心を探りながら、未来に向けてシミュレーションする。

 

翌日、食堂でエンドレに携帯を買うことを告げるマーリア。

 

彼女なりに、エンドレとの距離を縮めようとトライしているのだ。

 

そのマーリアから電話が入り、携帯を買ったこととをエンドレが知らされたのは、別れた妻が訪問中のことだった。

 

「今夜、一緒に夢を」

 

エンドレもまた、トライしている。

 

その夜、二人は同時に眠ることを申し合わせた。

 

「ひとつだけ言っておきたいのですが、あなたは…私を怖がらなくても大丈夫…」

 

常にエンドレは、武装解除を拒むようなマーリアに警戒感を与えないように努めている。

 

そんな中、エンドレは件の精神分析医から、犯人が同僚の人事部長・イェヌーであることを聞かされる。

 

そして、分析医はマーリアと同じ夢を見ることについて尋ねるが、エンドレは二人で口裏を合わせたと誤魔化した。

 

話しても理解されないと思ったからである。

 

その様子を見ていたイェヌ―はエンドレを呼び、分析医の判断を尋ねた。

 

彼はシャーンドルが犯人であると決めつけるのだ。

 

しかし、イェヌ―の様子が一変する。

 

良心の呵責に苛まれたのか、イェヌ―は自分が犯人であると白状する。

 

事件を公にせず、反省を求めるのみのエンドレ。

 

その直後、エンドレはシャンドールに謝罪し、和解する。

 

部下に信頼されるエンドレの人間性が透けて見える。

 

そのエンドレはマーリアを食事に誘い、些かドラスティックな提案をする。

 

「隣同士で眠っては?眠るだけです。同じ部屋で。2人並んで。目覚めたら、すぐ夢の話ができますよ」

 

その夜、マーリアはエンドレのベッドに入り、エンドレはその隣の床に布団を敷いて寝た。

 

「眠れません」

「私もです」

 

眠れない二人はトランプに興じる。

 

初めてのトランプだったが、マーリアは抜きん出て巧みだった。

 

驚くエンドレ。

 

記憶力が異常なほど出色なマーリアに、感嘆すること頻(しき)りのエンドレ。

 

却って、それが不都合な時もあると吐露するマーリア。

 

最近接していく中年男と、年の差が離れた杓子定規の女。

 

「色恋から身を引いて、数年になる…ある時点で、卒業だと自分に言い聞かせた…今さら、一人芝居のピエロにはなりたくない」

 

だから中年男も、裸形の自己を晒して見せる。

 

然るに、中年男の吐露には、「卒業だと自分に言い聞かせ」る思いを晒しながらも、「一人芝居のピエロにはなりたくない」と言い添えることで、マーリアへの性愛を抑制する心情が、手に取るように分かるのだ。

 

この日は、それだけだった。

 

人生論的映画評論・続: 心と体と('17)   イルディコー・エニェディより

夜明けの祈り('16)   アンヌ・フォンテーヌ

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<「暗闇で叫んでも、誰も応えない」冥闇の世界 ―― それが十字架だった>

 

 

 

1  「この恐ろしい出来事と、信仰の折り合いがつきません」

 

 

 

修道院から戒律を破って逃げ出した一人の修道女。

 

フランス赤十字の病院に駆け込み、助産の助けを求めるが、ポーランド人は無理だと断られる。

 

対応したのは女医マチルド。

 

彼女が窓の外を見ると、追い返したはずの修道女が、祈りを捧げている。

 

直ちに、修道女の意を汲んで、マチルドは彼女と共に修道院へ病院車を走らせた。

 

到着すると、臨月の女性が苦しんでいた。

 

マチルドは即座に手術を施し、赤ちゃんを取り上げた。

 

それを見守る院長マザー・オレスカとシスター・マリア。

 

マチルドは合併症の危険があるので、翌日、ペニシリンを届けに来るとマリアに申し出る。

 

「“讃歌”の時に来て。夜明けの祈りよ。皆が祈っている間に中へ」とマリア。

 

翌日、マチルドを連れて来た修道女は叱責を受ける。

 

「もう二度としないように」とマリア。

「8日間、部屋で祈りなさい」とオレスカ。

 

そして、夜明けの祈りの最中に、マチルドは再び修道院を訪れる。

 

出産したシスター・ゾフィアの手術の手当てをしたが、産まれた新生児は既に叔母に預けられ、修道院にはいなかった。

 

更に、もう一人、妊娠中のシスターが倒れたのを知らされると、マチルドはオレスカに呼ばれ、状況の経緯の説明を受ける。

 

独軍に占領された後、ソ連軍がやって来た。ソ連兵が、この修道院に侵入してきた時は、まるで悪夢のようだった…乗り越えられたのは、神のお陰よ。兵士たちは数日間いた」

「何人が身ごもったの?」

「7人。ゾフィアを除けば6人」とマリア。

「神以外の助けもないと。専門家が必要よ。ポーランド赤十字助産師を」

「そんなことをしたら、修道院が閉鎖される。ここを出て、恥をさらすことになる。町中のさらし者よ。死のうとする者も多い」とマリア。

「だから、秘密を守らないと」とオレスカ。

「このままじゃ…」

「手助けします」とマリア。

「どちらにしろ、天国に旅立つだけ。大切なのは命よ」

「誰も修道院には入らせない」とオレスカ。

「ならいいわ。上司に報告する」

 

そう言って、部屋を出ると、マリアが追いかけて来た。

 

「院長が許可を…あなた以外は認められない」

 

その夜、マチルドは同僚の医師サミュエルと酒場で語り合っていた。

 

マチルドは労働者階級の娘で、両親が共産主義者で、自分もその影響を受けたと吐露する。

 

「両親は収容所で死んだ…もうフランスには戻らない。自由だ。君は?」

 

ユダヤ人のサミュエルの話を聞いたマチルドは暗い面持ちになるが、憂鬱なのは嫌だというサミュエルに誘われ、ダンスを踊る。

 

その夜、マチルドのアパートで二人は結ばれた。

 

教会では、オレスカが妊娠したシスターの相談を受けていた。

 

「この恐ろしい出来事と、信仰の折り合いがつきません。神の花嫁になる覚悟でしたが、これが思し召しとは」

「思し召し?」

「出来事は神のご意向では?」

「ご意向はわかりません。確かなのは神の愛のみです」

「私の中に宿った命が、じき姿を現します。神は私にどうしろと?」

「ひざまずいて、祈りましょう。それが唯一の慰め」

 

並んで祈る二人。

 

出産したゾフィアにマリアが慰める。

 

「厳しい試練だけど、信仰と使命感をさらに強くしてくれる」

 

後任の神父が来ないが、2か月後に「誓願式」(入会後に、終生、神に奉献することを誓うカトリック教会の儀式)を行うので、それまでにマチルドの診察を受けるようにと、オレスカはシスター全員を前に訓示した。

 

早速、シスターたちが順番にマチルドの診察を受けていく。

 

中には、診察を拒否する者もいた。

 

「地獄へ行きたくない」

 

ポーランド語を通訳するマリアはマチルドに説明する。

 

「罰を恐れてるの…現実はどうあれ、貞節を守る必要があるの」

「凌辱されたのは、わかるけど、私はどうすればいいの?」

「複雑よ。肌を見せてはいけないので。人に触らせるのも罪だから」

「危険を冒して来てる。診察中だけ、神を脇に置けないの?」

「そういうわけには…説得してみる」

 

しかし、順番を待つシスターは一人もいなくなっていた。

 

その帰路、マチルドはソ連兵に車を停止され、レイプされそうになり、激しく抵抗する。

 

将校に制止され、最悪の事態は避けられたが、通行止めで再び修道院へ引き返さざるを得なかった。

 

ショックを受けたマチルドは、修道女たちの「夜明けの祈り」に聴き入る。

 

そんな中、ソ連兵が修道院に押し掛けてきた。

 

シスターたちは逃げるが、ソ連兵は敵を匿っていると決めつけ、修道院内を隈(くま)なく捜索しようとする。

 

ソ連兵の前に立ち塞がったマチルドは機転を利かせ、チフスが流行していると告げ、彼らを追い返すのだ。

 

チルダに礼を言うオレスカ。

 

しかし、そのオレスカもまた、ソ連兵にレイプされていたのだった。

 

マリアも堪えきれず、嗚咽する。

 

「どんなに祈っても、心が慰められないの。毎日、あの時の光景が甦ってくる。男たちの臭いまで。彼らは3回来た。毎回必ず…殺されてもおかしくない。殺されなかったのは奇跡よ。私は、まだ運がいい方なの。ここへ入る前に恋人がいたから。でも、大半が処女だった」

「それでも、信仰を失わない?」

「信仰というのは…最初は子どもと同じ。父親に手を引かれて安心する。そして、ある時、父親が手を離す時が。必ずやってくる。暗闇で叫んでも、誰も応えない…不意に襲われ、心を打ち砕かれる。それが十字架よ」

 

その直後、シスターたちがマチルドの元に走り寄り、口々に称(たた)えながら彼女を抱擁する。

 

「私たちを見捨てないで」

「あなたは救世主よ」

 

しかし、「救世主」のマチルドがフランス赤十字に戻ると、上司の大佐から無断外出を厳しく咎められるのである。

 

マチルドが置かれている状況はシビアになっていく。

 

 

人生論的映画評論・続: 夜明けの祈り('16)   アンヌ・フォンテーヌより

獣は月夜に夢を見る('14)   ヨナス・アレクサンダー・アーンビー

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<「村社会」の破壊的暴力に抗し、自らの「獣性」によって弾き返す少女の成長譚>

 

 

 

1  獣人化した少女が拉致した者たちを噛み殺していく

 

 

 

北欧のとある漁村に住み、魚の加工工場で働く少女マリーは、そこに勤める仲間たちから魚の廃棄物の水槽に落とされるという、手荒い歓迎を受けた。

 

家に帰ると、自身も定期受診しているラーセン医師が、父と深刻な面持ちで話をしていた。

 

母の病気の診察に訪れたというが、マリーは不安げな表情で、ラーセンが持ってきた書類を部屋に持ち帰り、中身を確かめる。

 

そこには、発疹の出ている画像やX線写真があった。

 

ラーセンが帰った後、いつものように、父は母の腕に注射を打ち、浴室で体を洗い、背中の毛を剃っていた。

 

その場を覗き見しているマリーに父は気づくが、そこに会話がなかった。

 

マリーは工場生活に慣れ、そこでダニエルと親しくなる。

 

食堂で、入社日に水槽にマリーを突き落としたエスベンが話しかけてくるが、マリーは無視する。

 

「母親に似たのか?」

 

その言葉を聞くや、マリーはコップを投げつけた。

 

その場にいたフェリックスは、マリーを庇い、二人は外で煙草を吸って寛ぐ。

 

「母親の具合は?」

「いいわ」

 

更衣室で着替えていると、二人の男(一人はエスベン)に抑えつけられ、魚を顔に押し付けられるという悪質な嫌がらせを受ける。

 

シャワーを浴びると、マリーの胸の発疹が更に赤く広がっていた。

 

衝撃を受け、呼吸を荒げるマリー。

 

車椅子の母を連れ、散歩しているマリーに、バイクに乗ったダニエルが話しかけてきた。

 

ダニエルは母親の手を握り、挨拶する。

 

ダニエルからの遊びの誘いを断って、帰宅したマリーは、母親に食事の世話をする。

 

「母さんは何の病気?」

 

マリーは、一番気になっていることを父に尋ねた。

 

そのまま部屋に戻ったマリーを父が呼び出すと、マリーは父に胸の発疹を見せた。

 

再び、ラーセンが自宅にやって来た。

 

「もう、隠しておけない…先生から、お前の病気について話がある」

「病気のせいで君の体に異変が起きているはずだ。お母さんの症状から判断して、君の体はどんどん変わっていき、体じゅうが毛深くなるだろう。それだけじゃない。感情面でも、気が短くなり、攻撃的になる。だから薬を飲んだほうがいい」

「薬は飲まない」

「いうことを聞け」と父。

「父さんこそ聞いて。先生が間違ってる。私は絶対に飲まないから」

 

そう言うや、マリーは家を出て、港の外れにある廃船の中に入っていく。

 

先日、盗み見したラーセンの資料の画像の中に気になる画像があったからだ。

 

船内で発見したのは、其処彼処(そこかしこ)にある爪痕だった。

 

その直後、マリーはフェリックスの家を訪ねた。

 

「港にあるサビついた古い船の持ち主は?」

「ロシア人の2人組」

「今、どこに?」

「ロシアで酒をあおってるよ」

「母さんが乗船したことは?」

「お前の母親は…美しいが、怖がられていた。お前と同じだ。首を突っ込むな」

 

フェニックスの誘いで、二人はナイトクラブに踊りに行く。

 

そこにダニエルもいた。

 

マリーはダニエルの耳元で囁いた。

 

「私が怪物になってしまう前に抱かれたいの。手伝ってくれる?」

 

店を出て、二人は廃船の中で結ばれる。

 

マリーの裸の背中には、背筋に沿って体毛が伸び始めていた。

 

帰宅するや、父とラーセンがマリーを抑えつけ、注射を打とうとするが、母がラーセンに襲いかかり、殺害してしまう。

 

ラーセンの死体処理をする父。

 

フェリックスの話したロシア人の二人も、母に手を出して殺されたことを父は認めた。

 

ラーセンの失踪は、村人たちの噂になっていて、マリーの家に村の者たち(工場の関係者)が訪れ、母の爪や歯茎を確認していった。

 

マリーは工場に出勤するが、既に、工場の従業員はラーセンの失踪を知っていて、マリーに冷たい視線が投げかけられる。

 

帰宅すると、母が浴槽で溺死しているのを発見する。

 

自死である。

 

絶叫する父。

 

孤立を深めるマリーと父。

 

母の棺を送り出す二人に、村人たちは、遠くでひそひそと噂しながら、父娘に冷たい視線を向ける。

 

教会で葬儀が始まった。

 

マリーの両手の爪が赤く滴り、血が落ちた。

 

その指のまま、構わずマリーは弔問客にコーヒーを振舞う。

 

父の制止を聞かず、敢えて自らの姿を晒していくのだ。

 

自宅に帰っても挑発的な行動を止めないマリー。

 

コップのガラスを食べ、口の中を血だらけにするのだ。

 

「いい加減にしろ。止めろ!」

 

マリーは服を着替え、出勤しようとする。

 

「外では助けてやれない。家にいろ」

 

マリーは父の制止を振り切って、工場に出かけ、仕事を続けるのだ。

 

マリーの更衣室のロッカーには、大量の魚の廃棄物が投げ入れられていた。

 

それだけではなく、自転車で帰ろうとすると、複数のバイクで追いかけられ、フェリックスの家に助けを求めて走っていくが、反応はなかった。

 

更に逃げていくと、一人の男に襲われるが、反対に噛み殺してしまう。

 

廃船で寝ていると、ダニエルがやって来た。

 

「起きて、マリー。寝てる場合じゃない。早く逃げないと、やつらが捜してる」

「何があったの?」

「覚えてない?」

エスベンを殺した」

「まさか」

「船を用意して迎えに来るから、ここで待ってろ。一緒に逃げよう。どう?」

 

マリーはいったん家に戻り、リュックに荷物を詰め、脱出の準備をする。

 

父が部屋にやって来た。

 

「キレイだ」

 

そう言って、娘を思い、涙する。

 

「マリー。バカなマネはするな」

 

優しく語りかけ、娘を見送る父。

 

廃船に戻ると、そこにはダニエルではなく、フェリックスを含む工場の従業員らがマリーを待ち受けていた。

 

殴られたマリーは、漁船の地下室に拉致されてしてしまう。

 

ダニエルはマリーを救おうと、密かに船に乗り込んだ。

 

出港した船内では、既に獣人化した狂暴なマリーが次々に拉致した者たちを噛み殺していく。

 

最後に殺害されたのはフェリックスだった。

 

その惨状を目の当たりにしたダニエルだが、そんな獣人の顔になったマリーを優しく抱きしめる。

 

翌朝、意識を失っていたマリーが目を覚ます。

 

「ダニエル?」

「ここにいる。君のそばに」

 

そう言って、ダニエルはマリーの手を握り締める。

 

ラストカットである。

 

人生論的映画評論・続: 獣は月夜に夢を見る('14)   ヨナス・アレクサンダー・アーンビーより

きっと、いい日が待っている('16)   イェスパ・W・ネルスン

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<決定的に成就する、「月面着陸」という復讐劇>

 

 

 

1  「幽霊になること」を強いられた少年たち

 

 

 

1967年 コペンハーゲン

 

望遠鏡や雑誌を万引きし、店員に追いかけられ、2人の兄弟が逃走する。

 

エリックとエルマーである。

 

まもなく、“児童保護サービス”に捕捉された二人を、母親が迎えに来る。

 

「学校の報告によれば、無断欠席やケンカに無気力、盗みも働いている」

 

そう指摘され、施設行きを促されるが、病気がちな母親は、困窮する母子家庭の背景を説明し、今回だけは施設行きを免除された。

 

「兄弟の父親は数年前に、首を吊って自殺。母一人だった。エルマーは内反足で、人類が月に行ければ、大抵の問題は解決すると信じていた。母親に会ったことはないけれど、笑顔を想像できる。何があっても、希望を保つしかない」(トゥーヤのモノローグ/以下、モノローグ)

 

「母親は工場に行かず、自転車置き場で具合が悪くなり、家に戻った。重病だった。叔父によれば“癌”だ」(モノローグ)

 

叔父は定職がないため、行政の指示で、二人は児童施設に預けられることになった。

 

入所した翌朝、一斉に起こされ、皆、無言でオートミールの牛乳のみの朝食を摂る。

 

ヘック校長(以下、ヘック)が入って来るや、全員起立して挨拶をする。

 

ヘックは新任の国語教師のハマーショイ先生(以下、ハマーショイ)を紹介する。

 

続いて、ヘックに新顔のエリック兄弟が紹介された。

 

「将来、何になりたい?」

「宇宙飛行士」

 

エルマーがそう答えるなり、二人を直接指導する一人の教師(以下、この体罰教師がトフトという名であることが、トゥーヤのモノローグで判明する)が平手打ちを食らわした。

 

「勘違いはいけない。やり直そう。では、まずは堤防への岩運びをさせろ」

 

ヘックがそう言うや否や、エリックが反発した。

 

「できません。弟は内反足で、重い物を持つと足が痛むんです」

 

校長は全く取り合わなかった。

 

「勝手に校長に話しかけるな。分かったか?」

 

今度は、エリックにトフトのビンタが飛んだ。

 

ハマーショイを教室に案内した際、ヘックは指導方針を説明する。

 

「ここの子供たち皆を、そこそこの職人にするのが我々の義務だ。たとえ体罰を用いてでも」

「私は体罰は与えませんが、分かりました」

 

それだけの会話であるが、既に体罰を目視しているハマーショイにとって、この児童施設での仕事の馴染みにくさを感じ取っていた。

 

岩運び作業の日課を、皆で行っていた時だった。

 

昼食はビスケットのみ。

 

兄弟に話しかけてきたトゥーヤは、仲間のトッパーとロードも紹介した。

 

「生き残るには幽霊になれ。目立たないように。いつか“永久許可証”がもらえる。施設を卒業できる。15歳までには。それまで透明人間でいろ」

 

その一方で、施設の他の少年たちから貢ぎ物を出せと、酷い暴力的な虐めを受ける。

 

「兄弟は初日に逃げ出した。あまりにショックで、家に帰りたくなった。逃亡で学ぶ教訓だ。施設の子の味方はいない」(モノローグ)

 

結局、兄弟がヒッチハイクした車は、二人を施設に送り返したのだった。

 

エリックとエルマーに対し、施設に入所する少年たちによる、「制裁!制裁!」の合唱が響く。

 

何も為し得ず、それを目視するだけのハマーショイ。

 

押さえられた二人に対し、一人一人の鉄拳が顔面を激しく殴打する。

 

【この描写だけは頂けない。全員が拳で殴ったらショック死する危険性があるばかりか、兄弟の顔は腫れ上がり、その相貌も変形するだろう】

 

「兄弟は幽霊になろうと頑張った。だが簡単じゃなかった」(モノローグ)

 

更にエルマーが寝小便をしたことが発覚し、寒空の中、裸でシーツを手で広げて、乾くまで立ち尽くすという罰を受けた。

 

その姿を、一斉に囃(はや)し立てる少年たち。

 

「エルマーが医者にかかり、貢ぎ物の量を増やされた。エルマーのおねしょのせいだ。」(モノローグ)

 

【ここで治療薬として処方されたのは、統合失調症治療で鎮静剤・トルクサルと、ADHD(注意欠陥・多動性障害)に使用される危険ドラッグのアンフェタミン

 

ノローグによると、「トルクサルで鎮静し、朝はアンフェタミンで覚醒された。だが、薬を増やしても、おねしょは続いた」とある。

 

因みに、「子どもを『薬漬け』にする児童養護施設の現実」というサイトによると、全国605施設に約2万5000人が入所している我が国の児童養護施設で、ADHDと診断され、複数の副作用が現出する向精神薬コンサータストラテラの服用が強いられるなど、「体罰から向精神薬へ」という流れが定着しているとのこと。紛れもなく人権侵害である】

 

ハマーショイの授業でも、エルマーは薬の副作用で、居眠りして注意される始末。

 

ところが、エルマーの識字能力はハマーショイの目に留まり、自分で書いた日記を読むように指示され、皆の前で音読して見せる。

 

高い識字能力を認められたエルマーは、郵便係を担当することになり、いつしか寝小便も止まった。

 

加えて言えば、エルマーの識字能力の高さは、宇宙への関心の深さが宇宙関係の新聞記事を読み漁る習慣の結果であり、これがラストシークエンスの布石となっていく。

 

クリスマスも迫ったある日、いつものように郵便物を配るエルマー。

 

エリックたちにも、母親からの手紙が届いていた。

 

部屋で何度も読み上げるエルマー。

 

そして、毎年、クリスマスに同じ文面で不在を知らせるトゥーヤの父親からの手紙を、エルマーは「追伸」と称して、妹が見た兄との宇宙の夢を創作して語り始める。

 

「“妹も会いたがってる。愛を込めて”」

 

そう結んだエルマーの言葉に、最初は嫌がっていたトゥーヤだったが、いつしか感極まっていた。

 

かくて、トッパーも自分の手紙をエルマーに差し出すのだった。

 

「俺たちはエルマーの才能に気づいた。自分たちでも読めたが、彼に読んでほしかった。俺たちは月と妙な名前の惑星の話を聞いた。エルマーも楽しんでいた…俺たちは初めて施設の外の大きな何かを感じた。大事なことだ。幽霊でいるべき時があるのと同じぐらい…」(モノローグ)

 

しかし、エルマーのハネムーンの時間は、呆気なく頓挫する。

 

夜になって、アクセルという教師が、寝静まっている少年たちの部屋に来て、エルマーを連れ出した。

 

性的虐待を受けたのだ。

 

これは常態化していて、施設内の子供たちの周知の事実だった。

 

性的虐待を受けたエルマーが洗面所で倒れていた事態について、施設の教師たちと医者が話し合っていた。

 

ハマーショイは虐待を強く主張したが、施設の校長・教師・医師たちは思春期の悪戯であると決めつけ、ハマーショイの異議をあっさりと退けてしまう。

 

言うまでもなく、アクセルも同調する。

 

次の議題では、監査当局の検査の問題について話し合われていくという手順であった。

 

それでも拘泥するハマーショイは、直接、何があったかをエルマーから聞き出そうとする。

 

犯人が子供だと思い込んでいるハマーショイだったが、エリックに否定され、施設内での性的虐待の構造の根深さに初めて気づくのだ。

 

「年次検査では、エルマーは、ほぼ普通に見えた。校長の指示で、アザは化粧でごまかした。俺たちは一張羅を着込んだ。検査官は俺たちを見ないのに…兄弟の帰宅は数日後。俺までうれしかった」(モノローグ)

 

工具の作業中、検察官に問いかけられたエリックは、「とても楽しいです」と答えるのみ。

 

この閉鎖系のスポットにおいて、幽霊でいる以外の適応戦略は存在しないのである。

 

そのとき、エルマーがアクセルに呼ばれ、二人の秘密だと念押しされる。

 

それを見ていたエリックは、密かに電動工具を仕掛けて、アクセルに大怪我を負わせてしまう。

 

ハマーショイはその惨事の一部始終を見て、性的虐待の犯人が誰であるかを察知するに至る。

 

アクセルは救急車で運ばれ、仕事の復帰時期が判然としない状態となった。

 

エリックに叔父から電話が入ったのは、クリスマスの夜の食事中の時だった。

 

それは、母の死を告げるものだった。

 

「静かに食べろという」ヘックの指示に従わず、泣き止まない兄弟たちに、ヘックは怒りを爆発させる。

 

二人に平手打ちを食らわし、無理やり食べさせようと、エリックの顔を皿に押し付けた。

 

それでも嗚咽が止まらない二人に対し、ハマーショイは席を立って、そっと寄り添うのみ。

 

程なくして、兄弟の叔父さんが施設を訪ねて来た。

 

母の死の様子を聞き、遺書の中に、叔父が二人を引き取るという内容が記されていた事実を知らされる。

 

エリックは引き取るのが半年後という叔父に対し、「すぐに出たい」の一点張り。

 

「エリックは逃げる気だった。違法なことを頼むなら、叔父さんが一番。彼は恐れ知らずだ」(モノローグ)

 

叔父はヘックに二人を引き取ることを話すが、ヘックは定職のない叔父に対し、養育する資格がないと取り合わない。

 

「彼らの人生の肝心な時期に、あなたは悪影響です」

 

そこまで言い切ったのだ。

 

「叔父さんは兄弟を連れて帰りたかった。だが兄弟が“夜を待とう”と。叔父さんは道路で彼らを拾い、かくまうと約束した」(モノローグ)

 

ところが、叔父は兄弟たちの話が信じ切れず、約束を守れないことをハマーショイに伝言を依頼する。

 

ハマーショイは消灯後の部屋に入ろうとすると、ヘックに止められ、二人の計画が知られてしまう。

 

予定通り施設を出た二人は再び捕捉され、ヘックとトフトによる激しい暴行を受ける。

 

殴り倒されながらも、エリックは校長に歯向かっていく。

 

「閉じ込めておけないぞ!家に帰ったら、警察に言ってやる!」

 

しかし、ヘックは叔父さんが断りの電話をハマーショイに伝えた事実を告げ、抵抗が無駄であると言い放つ。

 

その話を信じようとせずに暴れるエリックは取り押さえられ、地下室へ連れて行かれる。

 

ハマーショイはエルマーに叔父さんが謝っていたことを告げ、施設に残ることを促す。

 

「他の大人と同じだ」

 

子供ができないハマーショイの、エルマーに対する一連の行為を詰(なじ)ったことで、ハマーショイは思わずエルマーを叩いてしまう。

 

「ごめんなさい」

 

エルマーはその場から走り去り、翌日、ハマーショイも施設を後にした。

 

「兄弟は一夜にして幽霊になった。状況を変えられるのは永久許可証だけだった」(モノローグ)

 

 

人生論的映画評論・続: きっと、いい日が待っている('16)   イェスパ・W・ネルスンより