自己運動の底部を崩さず、迷い、煩悶し、考え抜いて掴んでいく ―― 映画「星の子」('20)の秀逸さ 大森立嗣

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1  「分かってる。私は大丈夫だよ。誰にも迷惑かけないし、お金も何とか自分でできると思う」

 

 

 

林夫妻の間に虚弱児として産まれた、ちひろ

 

「未熟児だって。ただただ健康に」(2005年2月13日)

「体温37.1度 脈拍121回 湿疹が手足顔に」

 

乳児湿疹に罹患するちひろの母が記した、ダイアリーの一節である。

 

泣き止まぬちひろを前に、父母と幼い姉が座り、母と姉は赤ん坊の泣き声と一緒に泣いている。

 

「どうしたらいいか分からない」

 

母の嘆息である。

 

そんな折に出会ったのは、新興宗教団体の知人が勧める“金星のめぐみ”という万能水。

 

藁(わら)をも掴む思いで、ちひろの両親は、早速、“金星のめぐみ”を乳児の皮膚に試してみる。

 

「ミルク7回1回吐いた。おしっこ4回少し黄色 うんち3回 目に見えて赤みが引いてる!」(ちひろの母のダイアリー)

 

成果が少しずつ現れ始め、両親は、“金星のめぐみ”を販売する新興宗教にのめり込んでいく。

 

「特別の生命力が宿った水ですからね。いかがですか?私は風邪を、一切引かなくなりました」

 

“金のめぐみ”で浸したタオルを頭に載せるという儀式を、会社の同僚(?)から教えられる父。

 

「治った!これは治ったと言える!!」

 

2005年に始まった「10年ダイアリー」に書き込んだのは、閉じた日記の表紙をポンと叩く母。

 

教団の発行する通販誌、“星々のちから”に紹介された商品を買い、機関紙には、乳児のちひろが病気から救われたという両親の「奇跡の体験談」が掲載される。

 

かくて、完全に確信的信者となったちひろの両親は、生活と人生そのものを宗教と共に身を投じるに至ったのである。

 

15年後。

 

中学3年になったちひろに好きな人ができた。 

 

新任の南先生である。

 

「あの先生のどこがいいの」と案じるのは、小学校時代からの親友なべちゃん。

 

なべちゃんの言葉に聞く耳を持たず、ちひろは南先生のプロフィールを集め、授業中に先生の似顔絵を描くことに没頭する。

 

両親がのめり込むカルト系の新興宗教との関与を除けば、ごく普通の思春期を繋いでいた。

 

―― ちひろの回想シーン。

 

家を出た姉まーちゃんの服を着て、姉の言葉を思い出していた。

 

「元はと言えば、ちーちゃんのせいだよ。病気ばっかりするから」

 

父と喧嘩をして家を出て行った姉のまーちゃんが、久しぶりに戻った際にちひろに吐露した言葉である。

 

「まーちゃんから生ゴミのにおいがしたから、鼻の息をとめてた」(母のダイアリー)

 

「もう帰りません。バイバイ」

 

そのまーちゃんが、残した置手紙である。

 

―― ちひろの回想シーン。

 

「ゆうぞうおじさんがやさしかった。変なの」(母のダイアリーから受け継いだ、ちひろの日記)

 

「凝り固まった筋肉を、ほぐしてくれるっていうのかな。長時間外してたり、“金星のめぐみ”自体しばらく飲まないでいると、すぐ分かりますよ。数値に出ますからね」

 

この父の言葉に、義兄の雄三は、きっぱりと反駁(はんばく)する。

 

「それ、“金星のめぐみ”じゃぁ、ありませんよ。公園の水道の水ですよ…入れ替えたんだ」

「“金星のめぐみ”は?」と父。

「全部、捨てました…あんたら、2か月間も、公園の水道水飲んで、喜んでただけなんだよ!これで目が覚めただろ、いい加減!」

「嘘言わないで!」と母。

「まーちゃんが協力してくれた」と雄三。

 

その事実を確かめ、狂乱するように叫ぶ両親。

 

「帰れ!帰れよ!」

「もう二度と来ないで!」

 

伯父さんと協力して水道の水を入れ替えたまーちゃんも含めて、ここだけは、家族一丸となって攻勢をかけるのだ。

 

居丈高(いたけだか)に、本来的に穏やかで優しい両親を糾弾(きゅうだん)されれば、黙視できないのは至極当然のことである。

 

自らも傷ついてしまうからである。

 

―― ちひろの回想シーン。

 

「空も飛ぶようになる」とカイロ 。

「気づく時がくるの。気づいた人から、変わっていくの」とショウコ。

 

子供たちに向けての、教団幹部の話である。

 

「あんたは騙されているの?」となべちゃん。

「私?騙されてないよ」

 

放課後の教室での、新聞委員の作業中での会話である。

 

―― ここで、ちひろの回想シーンは閉じていく。

 

早く帰るようにと教室にやって来た南が、3人を車で送ることになる。

 

「あそこに変なのがいる!」

 

ちひろの家の近くの公園に到着し、車から降りようとしたちひろを、南が制止した。

 

「2匹いるな…完全に狂ってる」

 

それは紛れもなく、“金星のめぐみ”の儀式を行う両親の姿だった。

 

南の言葉に傷ついたちひろは、嗚咽を漏らしながら夜の道を疾走する。

 

家に戻ると、いつものように、優しい父母が迎えてくれた。

 

食事を勧めても、「いらない。欲しくない」と言うちひろ

 

そう言って、虚脱するちひろを案じる両親は、ちひろの頭にタオルを載せ、“金星のめぐみ”をかけようとする。

 

「やだ!やだ!」

 

激しく拒絶するのだ。

 

察するに余り有る反応である。

 

翌日、登校し、廊下でちひろとすれ違った時、南は声をかけた。

 

「何でお前とドライブしたことになってるんだ」

 

ちひろが南に好意を持っているという情報が、クラス内で共有されていたのである。

 

苛立つ南に、ちひろは告白する。

 

「先生、昨日公園にいたのは私の親です…嘘です」

 

嘲笑するような南の顔を見て、ちひろは走って、その場を去った。

 

廊下の隅に縮こまり、ここでも嗚咽を漏らす少女。

 

何かが解凍されたような少女は、親戚の法要に一人で出席した。

 

ちひろは伯父夫婦と、その息子と4人で、喫茶店で話をしている。

 

ちひろの将来を心配する伯父の家族は、高校入学を機に家を離れ、伯父宅から高校へ通うよう説得する。

 

「私は…今のままでいい」

 

ちひろの弱々しい反応である。

 

説得を続ける伯父の家族に対し、ちひろは自分の置かれた境遇について、今度はきっぱりと反応した。

 

「分かってる。私は大丈夫だよ。誰にも迷惑かけないし、お金も何とか自分でできると思う」

 

ちひろを両親から引き離し、救い出したいという伯父家族の思いを跳ねのけるのだ。

 

近くの海に出て、思いを巡らすちひろ

 

真剣に黙考する少女が、そこにいた。

 

 

人生論的映画評論・続: 自己運動の底部を崩さず、迷い、煩悶し、考え抜いて掴んでいく ―― 映画「星の子」('20)の秀逸さ 大森立嗣  より

ある少年の告白('18)   ジョエル・エドガートン

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<同性愛の矯正治療の無意味さを弾劾し、克服していく>

 

 

 

1  「妄想が罪なら、神に赦しを求める」

 

 

 

「何も起きなければよかった。でも、起きたことを神に感謝する」

 

主人公・ジャレットのモノローグである。

 

「全員で、“光を輝かせろ”。ここに集う完璧でない方は、手を上げて」

 

そこに集う全員が手を上げた。

 

ジャレットの父で、牧師マーシャルの言葉である。

 

その中には、ジャレットと母・ナンシーの姿もあった。

 

「救済プログラム」という名の矯正治療を行う施設がある。

 

ナンシーに車で送られたジャレットは入所手続きを済まし、9時から5時までの12日間に及ぶ、この「救済プログラム」に参加することになった。

 

ナンシーは施設近くのホテルに泊まり込み、そこでジャレットを送迎することになった。

 

施設では、携帯・日記などの私物は取り上げられ、保管される。

 

そればかりではない。

 

喫煙・飲酒・ドラッグの禁制・治療内容はすべて内密にする守秘義務、更に、トイレはスタッフの監督下で利用すること、治療期間中の読書・映画・テレビの禁止等など、細かな禁止事項やルールが、参加メンバーたちの日常になっていく。

 

早速、初日のサイクスの授業が開かれていく。

 

「“私は性的な罪と、同性愛によって、神の形の空洞を埋めた”」

 

サイクスのこの言葉を、11人の参加メンバー全員が復唱するのだ。

 

「“だが、砕けてはいない。神が私を愛する”」

 

同様に、メンバーが一斉に復唱する。

 

「…これからの12日間は、とてもキツいが、実りは大きい。目的は、ただ一つ。我々の身を神に戻すことだ。再び神を招き入れ、神が我々を想像した真意を理解すること。ここへ来る道のりは、つらかっただろう。だが、今日からは楽になる。共に力を合わせ、すばらしい旅に出発するからだ」

 

こうして、全員の和やかな笑顔と拍手によって、治療訓練がスタートする。

 

「“同性愛者に生まれる”というが、それは違う。嘘だ。私はカウンセラーで牧師だ。そのように生まれたか?違う。それは行動と選択の結果だ…行動の原因を知り、断ち切ることを学べば、もう“烙印”を押されない」

 

その原因とは、“家族関係図(ジェノグラム)”に示されるという。

 

ジェノグラムとは家系図のようなもので、親類の行動パターンを記号で示した表である。

 

Hが同性愛、Dはドラッグ、Aはアルコール依存症、Mは精神疾患、等々である。

 

「彼らが君たちを作った」

 

全員が床に寝そべり、紙を広げ、指示されたように、各人の家系図と彼らの罪を書き始めていく。

 

ジャレットは、高校時代に恋人のクロエに性的関心が持てなかったエピソードを思い出していた。

 

5時になり、迎えに来たナンシーに、レストランで施設の様子を聞かれるが、他言無用とされているので、「一生懸命頑張る」としか反応できなかった。

 

ただ、宿題として親族の問題行動について知るために質問をするが、ナンシーは「まともな一族よ」であると答えるが、「女性的な雰囲気」の叔父がいたことを付け加える。

 

翌日の講義。

 

男らしさを教授するのはブランドン。

 

「本当の男とは、信心深い男のことだ。私は深く神を信じる。だが、以前は違った。息子が“家族関係図”を書けば、私の名の横に多くの記号が並ぶ…だが、諸君のような性的問題とは無縁だ…苦しむ君たちは、学ぶ必要がある。生き残る術を。刑務所では、生き残るために何でもやる」

 

自らの矯正の成功体験から、男らしさを教授するブランドンが、屋外で体を鍛えるためのメニューを開始する。

 

教室に戻り、自分の罪を一覧にし、神に赦しをもとめるという、“心の清算”を、メンバーの前で発表するという授業が始まった。

 

その日は、サラという少女が自身の問題行動を話し、赦しを求めた。

 

ホテルに戻ったジャレットは、その“心の清算”の宿題に取り組んでいた。

 

そこで、大学時代のエピソードを回想する。

 

クロエと別れた後、大学の寮で知り合ったヘンリーについて書こうとしているのだ。

 

友人となったヘンリーは、ある日、ジャレットの部屋に泊まり、無理やり彼をレイプした。

 

「僕はどうかしている。すまなかった」

 

ヘンリーはジャレットに謝罪し、自分が同性愛者であり、過去にも同じことをしたと告白する。

 

それ以来、ジャレットは自分自身の中に、同性愛の感情が芽生えていることに悩み始める。

 

大学のカウンセラーと名乗る何者から、自宅にかかってきた電話で、ナンシーはジャレットの行動の変化を聞かされた。

 

問い詰める父・マーシャル。

 

「同性愛者か?」

 

ジャレットは、電話の主がカウンセラーではなく、ヘンリーであることを両親に話す。

 

ジャレッドに忌避(きひ)されたと思い込んだ故の、ヘンリーの行動だったと思われる。

 

そのヘンリーが教会で少年をレイプしたことを聞いた父は、事実なら通報すべきだと主張する。

 

「我々には、神に与えられた権利が。だから、男と女が結びつき、新たな命を創造する。それほどの責任を与えるくらい、神の愛は大きい」

 

しかし、「それは違う」と真っ向からに反発するジャレット。

 

「(クロエと)別れたのは、僕に関する話が本当だから。男のことを考える」

 

ジャレッドの告白である。

 

言葉を失う両親。

 

「理由は分からない。ごめんなさい」

 

父は早速、牧師仲間を家に呼び、この問題を相談する。

 

「心底から、変わりたいと願うか?」

 

父親に問われたジャレットは、長い沈黙の後、「はい」と答えた。

 

ここから、ジャレットの矯正施設行きが決まったのである。

 

回想シーンが閉じて、現実の非日常の世界に立ち返っていく。

 

スタッフ同伴でないと入れないトイレに、一人で入ったジャレットは、それを見たブランドンに「カマ野郎」と蔑まれる。

 

苛立つジャレットに、メンバーの一人のゲイリーが声をかける。

 

「実態が分かってきた?大丈夫か?」

「平気だ。何でもない」

「助言しておく。役を演じるんだ。信じさせろ。“治ってる”と。“できるまで、フリをしろ”だ。長期間“家”に入れられてしまうぞ…君もそうなりそうだ…無事帰れたら、次のことを考えればいい。でないと、すべて放棄させられる。人間関係も。君もスピーチをでっち上げておけ。“治療”を信じるなら別だ。変わる気ならな」

 

その後、“心の清算”に頓挫したキャメロンが、皆の前で、悪魔祓いの儀式が行われることになった。

 

聖書で、家族やメンバーが次々に叩くのだ。

 

如何わしい現場に立ち会って、施設の治療方針を受容できないジャレットの懊悩は深まっていく。

 

そして、長期入院となったサラと目が合う。

 

それは、ゲイリーが言う、「長期間“家”に入れられてしまう」現実の重みの実感だった。

 

「一緒にいてほしい。神は打ち砕かない」

 

大学の「神 VS.サイエンス」の展示会で知り合ったゼイヴィアの声が蘇る。

 

そんな状況下で、ジャレットの“心の清算”の発表の日がやってきた。

 

隔離されていたキャメロンも、戻って来ていた。

 

ジャレットは、自分の思いを発していく。

 

「男性を想った。学校の子たち、テレビや町で勝手に想像した。大学で、男性と手を握り、朝までベッドに。この行為や、様々な妄想を後悔している」

 

ここで、サイクスがそれだけではないと決めつけ、正直に話すことを求める。

 

「話すんだ。他には?」

「一度も、朝まで一緒にいたけど、何もしていない」

「神に嘘をつこうとするな。すべて、ご存じだ…ヘンリーのことを話せ。お父さんから聞いた」

「その話はフェアじゃない。僕の罪じゃないから」

 

どうしても、性的関係もなく、妄想だけで「救済プログラム」に参加したことを信じないサイクスは、ジャレットに告白させようと強いるが、ジャレットはそれを頑として拒否する。

 

「それも罪じゃないんですか?妄想が罪なら、神に赦しを求める。でも、作り話はしてない」

 

サイクスは、“嘘の椅子”を持って来るや、反駁(はんばく)するジャレットの怒りを吐き出させようとする。

 

「君の、その怒りを前向きに活かしたい」

 

ジャレットは椅子に座ろうとしないが、目の前の椅子に父親がいると想定し、憎しみをぶちまけるように指示するのだ。

 

「怒ってない」

「いや、君は怒っているんだ」

「なぜ、僕が怒らないといけないんです?」

「いいから座れ。座れ」

「犬じゃない!誰にも責任はない!誰かを憎むなんて無意味だ!」

「憎んでないなら、君の怒りは、どこから?」

「あなただ!」

「その怒りを使え!」

「父を憎むフリはしない。憎んでない!」

「君は憎んでいる」

「何が分かる!!みんな、狂ってる!」

 

そう言い捨てて、ジャレットは教室を出て行く。

 

「僕は、あなたを憎んでる!」

 

ジャレットは預けた荷物を奪い、阻む教官を振り切り、トイレに逃げ込んで、ナンシーに迎えに来て欲しいと、涙ながらに電話する。

 

サイクスは、ジャレットの行動は、「一時的な感情によるものであり、自然なことだ」と言い放ち、二人で話そうと語り掛ける。

 

そこに、ナンシーがやって来た。

 

ドアを叩くナンシーに対し、サイクスは応じようとしない。

 

「彼は今、動揺してるだけです」

「今すぐ、開けなさい!開けないなら警察を呼ぶ」

 

そこで、一部始終を見ていた大柄なキャメロンが、教官に突き飛ばし、「開けてやれ!」と叫ぶ。

 

サイクスが扉を開けると、ナンシーはジャレットと共に、車に走っていく。

 

「彼は破滅します」

 

後方から、サンクスは言い放った。

 

「一体、あなたの資格は何?一度も聞いてない。医者?心理学者?ちゃんとした本物?違うわね。思った通り。恥知らず!」

 

立ち竦むだけのサイクス。

 

ナンシーは車内でも叫ぶ。

 

「私もだわ。(サイクスに向かって)恥知らず!」

 

レストランで、ナンシーはジャレットに、マーシャルが施設に戻るように言っていることを伝える。

 

「家で話そうと伝えたわ。(私は)絶対に戻さない」

 

ナンシーは、父親と牧師たちが集まり、男たちだけで施設に入れ、苦痛を与えることが必要だと話し合った際に、何かが違うと感じつつも、黙って従った自分を悔いていた。

 

「私には、はっきり分かった。こんな苦痛は間違いだと。でも、あなたを救わず、口を閉ざし続けた。この先、後悔し続けるわ。でも、もう黙っていない。その時が来たのよ。お父さんを説得する」

 

しかし、牧師であるマーシャルは簡単に認めることができなかった。

 

教会で信者たちの前で、教会に来ているだけの不信心者を指弾する。

 

暗に、息子に向かって説教しているのだ

 

そんな折、キャメロンが自殺したとナンシーから告げられたジャレットは、自宅にやって来た警察の質問に答えるが、衝撃を隠せなかった。

 

正治療による「救済プログラム」の胡散臭さが露わになったのである。

 

 

人生論的映画評論・続: ある少年の告白('18)   ジョエル・エドガートン より

生きちゃった('20)  石井裕也

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<友愛の結晶点を描き切って閉じていく>

 

 

 

1  「私の夢は、庭付きの家を建てることです。妻と娘のために。それと、犬も欲しい」

 

 

 

高校時代の友人、武田と奈津美(なつみ/登場人物名は全て公式ホームから)と3人で過ごした厚久(あつひさ)の回想シーンから、物語が開かれる。

 

厚久は奈津美と結婚し、5歳の娘・鈴を育み、今も、夢を共有する武田との友情を延長させていた。

 

プロのミュージシャンになること・起業すること ―― これが二人の夢だった。

 

その夢の実現のために、中国語と英語のレッスンを続けている。

 

「不思議だよな。英語だとすらすら本音を言える」

 

映像のコアとなる表現が、親友と心を通わす武田の口から吐露された。

 

レッスンの帰りに、武田は厚久の家に寄り、奈津美と鈴との団欒の中に溶け込んでいる何気ない風景が提示される。

 

しかし、この風景を大きく変容させる事態が出来(しゅったい)する。

 

本の配送会社に勤めている厚久が、勤務中に眩暈(めまい)がして早退して家に帰ると、妻の奈津美が見知らぬ男と情事に耽る現場に出くわしてしまうのだ。

 

目撃された妻と目を合わすが、衝撃を受けた厚久は、動転して言葉も発せずに、家から飛び出していく。

 

そのまま、自転車で娘・鈴の幼稚園に迎えに行く厚久の心には、抜けない棘が刺さっている。

 

「悪いんだけど、鈴に風邪移さないで」

 

娘と二人で食事をする奈津美は、具合の悪い厚久にそう言うだけで、昼間の情事の件に触れることなく、恥じる様子もない。

 

そればかりか、押し黙っているだけの厚久に対し、奈津美は言い放った。

 

「あなたからは、愛情感じないから、私はずっと苦しかった。あたしの気持ちは、あっちゃんには分からないと思うけど、苦しかった。この5年、ずっと」

「ずっと?」

「うん、ずっと」

 

妻の顔を呆然と見つめる厚久。

 

「あたしと付き合う前、あっちゃん、早智子(さちこ)さんという女の人と婚約していたでしょ。あっちゃん、婚約破棄してまで、私と付き合った。あのとき、早智子さんには悪いことしたよね。あの人のこと、相当傷つけたよね。私がバカだったって思うんだよね。早智子さん、今頃、どうしてるんだろう。可哀想」

 

そう言って、嗚咽を漏らす奈津美。

 

「何で今更、そんな話」

 

ここでマターを一転させ、奈津美はシビアな話に遷移させていく。

 

「鈴は、私が育てるから、お金のことは任せる。鈴が育てるのに必要な金額は、また改めて相談するってことでいいかな。今すぐには決められないし。それと、これは申し訳ないんだけど、鈴の幼稚園を変えるわけにいかないから、このまま、ここに住みたいと思ってる。意味分かるでしょ…何か、言って?私を全否定してもいいんだよ」

「…うん、全部分かった。でも、分からなくなっちゃったのは、じいちゃんがいたのかいなかったのか…」

 

タンスの上に飾ってある祖父と、二人の兄弟の写真を見ながら、そう答えるばかりの男が、そこに置き去りにされた。

 

夢の具現化から遠ざかる一歩 ―― これが、置き去りにされた男の最初の被弾だった。

 

「私の夢は、庭付きの家を建てることです。妻と娘のために。それと、犬も欲しい」

 

英語のレッスンを受ける男が、担当の女性教師に話した英語だが、最後の授業であるとも告げ、武田と共に帰路に就く。

 

月謝が払えなくなったからである。

 

言わずもがな、中国語のレッスンの途絶も同じ理由。

 

「いいんだよ、あんな嘘つかなくて。庭付きの家の話」

 

その帰路で、親友を思いやる武田の助言に対し、厚久は家を持つことも、武田と起業することも夢であることに変わりがないと答える。

 

まもなく、武田のもとに奈津美が訪ねて来た。

 

「奈津美、お前、ずるいよ」

 

武田の最初の一撃には、親友を裏切った女への感情が存分に込められていた。

 

「武ちゃんは、何を知ってるの?何も知らないで私を責めるのは、ずるいよ。あっちゃんも、ただ被害者面してるんだとしたら、それもずるい」

「…厚久は、お前が大変だった時に、婚約を破棄してまで、お前を救おうとしたんだ」

「知ってるよ。だから?だから、悲しいよね。私は救って欲しかったわけじゃない。愛して欲しかっただけなの。離婚の話してるときも、あっちゃんは、ずっと違うところ見てた。私の目なんて、見なかったよ。そういう夫婦だったの。分かる?じゃ、結局、どうするのが一番だったの?やっぱり、武ちゃんと結婚してれば、良かったんじゃないかな」

「冗談でも、やめろ」

「でも、私は好きだったよ。高校生のとき、ずっと」

「そういうことは、言うなよ。頼むから」

「あっちゃんは、婚約してた。早智子さんて人が、家にいた。ごめんなさい、ごめんなさいって何度も謝るの。あっちゃん、それから変わっちゃった。分かってたよ。私は結婚すべきじゃなかったの。でも、そのときもう鈴がお腹の中にいたし、頑張るしかなかったけど、やっぱり駄目だった。悔しいけど。あっちゃんが愛したのは、私じゃなかった。だから、この5年は、鈴だけのためにやってきた。でも、あたし。今、好きな人がいるの。人を好きになるっていう自分の気持ち、あたし、絶対否定しない。それが間違いだと思ったら、悪いけど、こんな理不尽な人生やってられないから。女でいるって、重要なの…」

「もういい、いい加減にしろ!男と女の話は、お前らでやってくれ!俺はそんなに暇じゃない…ごめん、嘘だ。何かあったら、電話しろ」

 

翌日、武田は厚久に会い、離婚の原因について問い質す。

 

「今、寂しいか。離婚して、泣いたか」

 

首を横に振る厚久。

 

「ムカつかないのか。何でだ。鈴ちゃんには会いたくないのか」

「どっちにしたって、言わない方がいい。言いたいよ。でも、言おうと思っても、何でだろ、声が出ないんだ。日本人だからかな。心の中では泣いてるよ。でも、実際、涙が出ないんだ」

「俺は、お前を信じてるけど、お前が悪かったのか?」

「ああ」

「何をした」

「彼女を悲しませた」

 

半年後、奈津美は同性相手が働かず、生活費に困っていた。

 

男は、デリヘルでも何でもできるだろと開き直るのだ。

 

「デリヘルなんて、簡単にできるよ。だって、大事な娘と、好きな人のためでしょ。できるよ。簡単な気持ちで、あなたといるわけじゃないの。私も、もうどこにも行けないからね。これだけは言っとくけど、絶対に別れない。覚悟決めてるの。当たり前でしょ」

 

奈津美は厚久に電話をかけ、少しだけ振り込んでくれと頼む。

 

分かったと答える厚久は、何かを言いかけるが、それ以上話せなかった。

 

「ごめんね、ごめんね」

 

奈津美は厚久に謝り、涙を流す。

 

お盆に実家へ単身で帰った厚久は、そこで初めて奈津美と離婚したことを家族に告げた。

 

大麻を吸い、引き籠りがちで仕事に就けない兄も、その話を又聞きし、驚いている。

 

その兄は、後日、弟が住んでいるであろう家に訪ねると、そこには、奈津美と鈴、そして、同棲相手の男が住んでいた。

 

外に出たその男を、厚久の兄は付け回し、あろうことか、殺してしまうのだ。

 

半年後、厚久と両親が徹が収監されている刑務所にやって来た。

 

ラーメン店で父親が客に頼んで、親子3人の家族写真を撮る。

 

「バカだな。くだらない奴ほど、のうのうと生き残る」

 

厚久の父親は、こんなことを平然と言ってのける男なのだ。

 

刑務所近くの公園へ行き、今度は、母親の提案で刑務所をバックに家族写真を撮る。

 

一方、殺された同棲相手の男の借金の返済を求めて、強面の3人が奈津美の家に上がり込んでいた。

 

切羽詰まった状況下に捕捉された奈津美は、逃れる術もなく、連帯保証人としてサインするに至る。

 

片や、厚久が元の自宅へ来たが、そこにはもう誰も住んでいなかった。

 

玄関のドアを叩き、「ごめん」と言いながら、早智子が厚久の元にやって来た時のことを回想する。

 

早智子は自分が子宮に問題があると分かり、子供が産めない体だったことを告げ、結婚しないで良かったんだと吐露するのだ。

 

「いいなあ、私も女の子が欲しかったから。可愛がってあげてよね」

 

厚久は、その言葉を受け、涙ながらに謝罪する。

 

「ごめん、奈津美を大切に思ってる」

「分かってるけど、そんなにはっきり言わないでよ。好きじゃないから、私にはそうやって、本音を言えるんだよね」

 

そこに、奈津美が帰って来たところで、回想シーンは閉じる。

 

譬(たと)え誤解であったとしても、厚久と早智子の睦み合う現場を、奈津美に目視されたという一件が負い目と化した男が、ここで決定的に沈み込んでいく。

 

全ては、この早智子に話した奈津美への思いを言語化しなかったこと ―― これに尽きるだろう。

 

鈴を実家に預け、デリヘルの仕事に就く奈津美。

 

これが、窮乏生活を強いられた奈津美の〈現在性〉だった。

 

 

人生論的映画評論・続: 生きちゃった('20)   石井裕也 より

町田くんの世界('19)   石井裕也

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<余りある利他心が、「健全な個人主義」に収斂されていく>

 

 

 

1  必死に走り続ける「町田くん」の青春譚

 

 

 

「善」の記号性を被(かぶ)せたような高校生が、スクールカーストが常態化しているスポットで、心弾む気持を捨てることなく呼吸を繋いでいる。

 

件(くだん)の高校生・「町田くん」は、「善」の絶対記号のようだった。

 

「キリスト」などと揶揄され、その存在の異様性が際立っているのだ。

 

バスで席を譲ったり、子供の風船を追いかけて疎水に落ちたり、束ねて運ぶ本を書架に戻してあげたり、元気のない女子を励ましたり、部活でレギュラーになった男子に声をかけ、喜びを分かち合ったり、等々。

 

そこに「善行」という意識が微塵も拾えず、これらのアクトを、いつでも率先して起こすから驚くのである。

 

「人間好き」を体現する、そんな「町田くん」が、「人間嫌い」を公言する同級生の猪原に興味を持ち、いつもと同じように、普通の利他的行為に振れていく。

 

ハンカチを借り、そのお礼を言うために走って追いかけたり、凛として、「これは何か違う。彼女、大切な人なんです」と言い切って、同じ学校の生徒にナンパされている彼女を連れ戻したり、等々。

 

さながら、ムイシュキン(「白痴」の主人公)を彷彿させるような、ただの世間知らずで、洞察力欠如の印象を与える「町田くん」にとって、特定・非特定を問わない他者の「困った状態」に無関心ではいられないのである。

 

「雨だと、家に閉じこもっていても許されるから。ここにいていいよって言ってくれてる気がするんだ」

 

孤独の本質を射抜くような猪原の言辞である。

 

そんな猪原が「町田くん」に好意を抱くようになる。

 

「町田くん」は、その好意の意味が理解できない。

 

同学年の西野との会話が面白い。

 

「恋って、どういう気持ち?他の好きと、どう違うの?」

 

恋を知らない「町田くん」の言葉に驚きながら、真剣に説明する西野。

 

「他の好きと、根っこは一緒だと思うよ。それがちょっとしたきっかけで、爆発するみたいに、魔法みたいに恋になる」

 

今度は、それを猪原に聞くのだ。

 

「どんなことがきっかけになるんだろう。好きな気持ちが爆発するみたいに恋になるきっかけって何?」

 

問われた猪原の方が狼狽(ろうばい)する。

 

「分かんないよ、そんなこと」

 

そう、反応するだけだった。

 

しかし、異性に対する恋愛感情を持ち得ない「町田くん」に翻弄される猪原は、もう、ギブアップ。

 

父の言葉が推進力になって、猪原に対する感情が異性愛であることを実感する「町田くん」は、ギブアップした猪原を、「生まれるんだ!新しい町田!」と叫びながら追い駆けるのだ。

 

しかし、もう手遅れだった。

 

ロンドンに留学する意志を固めた猪原に対する「町田くん」は、意気消沈するばかりだった。

 

珍しく落ち込んでいる「町田くん」を励ます高校生たち。

 

その高校生の中に氷室もいた。

 

「町田くん」をバカにしていた彼は今や、「一生懸命」に生きる「町田くん」に感化された一人だった。

 

以下、それを印象づけるような二人の会話。

 

氷室は、付き合っていたサクラから贈られた時計を投げ捨てた。

 

その時計を拾う「町田くん」。

 

「ダメだよ、氷室君。君はもっと、人の気持ちを大事にしなきゃ、ダメだ。これはゴミなんかじゃない」

「何?偉そうに説教?人の気持ちを大事にしろ?あはは、そんなの聞き飽きたし、何百回も言われたわ」

「それだけじゃない。君は自分の気持ちを考えないから、人の気持ちも分からないんだ。もっと自分を大事にしたほうがいい」

「はぁ?何だよ、じゃ、お前分かんのかよ。え?その気持ちとやらを」

「分からないから、言ってんだ!どうするんだ、俺」

「知らねえよ。てか、やっぱ、お前、変だ」

「そんなの聞き飽きた。今まで、何百万回も言われたよ!」

 

「町田くん」に近づいて、胸倉を掴む氷室。

 

「おい、何でお前は、いつもそんな一生懸命なんだよ。あぁ、ムカつくな。言っとくけどな。そんな、必死に一生懸命生きても、いいことないぞ!」

「でも、氷室君、今、一生懸命な顔をしてる。難しいけど、頑張って想像してみないと…これには、さくらさんの一生懸命な気持ちがこもってる。想像しないと」

「想像…」

 

そんな会話だったが、氷室の表情から怒気が消えていた。

 

物語をフォローしていく。

 

仲間に尻を押され、再び動き出す「町田くん」。

 

サカエの自転車を借り、必死に走り続ける「町田くん」の前に、風船を飛ばされた子供が現れたので、自転車を降り、風船を取ろうとするが、猪原のことが忘れられない「町田くん」は子供に自分の思いを率直に伝え、そのまま、風船に導かれ、大空を飛翔していく。

 

そんな折、猪原が空港へ行くための電車に乗り合わせた雑誌ライターの吉高は、没になった原稿を猪原に渡し、読んでもらうことになる。

 

そこには、「町田くん」のことが記述されていた。

 

「この世界は悪意に満ちている。弱い者をいじめ、自分のことしか考えない。命を簡単に踏みにじり、他人の不幸を喜ぶ。思いやりなんて存在しない。この世界は悪意に満ちていて、まるで救いようがない。長い間、そう思いながら暮らしてきた。でもある日、私の前に一人の青年が現れた…世界は悪意に満ちている。本当に、そうだろうか…彼が、町田君という名の青年が見る世界は、きっと美しいに違いない」

 

その文章を読み、感銘を受け、目を潤ませる猪原。

 

「町田君に会いたくなりました」

 

そう言うや、車窓から空を飛ぶ「町田くん」を目視した猪原と吉高は降車し、「町田くん」が気づくまで、彼の名を呼び続けるのだ。

 

猪原に気づいた「町田くん」は、ジャンプする彼女の手を掴み、抱き上げ、二人で大空を飛翔していく。

 

その光景を見て驚く氷室とさくら、西野とサカエ、そして「町田くん」の家族。

 

「これから、どうすればいいんだろう」と「町田くん」。

「分からない。けど、ゆっくり行こう」と猪原。

 

ところが、カモが近づき、風船を割ってしまうのだ。

 

地上に落下する二人が落ちたのは、自校のプールだった。

 

「何でだろ。分かんないけど、まだ生きてる!」と「町田くん」。

「何でだろう。生きてるね!きれい!ねえ、町田君。町田君には、何が見えてるの?優しい人ばっかり?醜くて、どうしようもないような人間は、町田くんには、見えてないの?」

 

猪原は「町田くん」に問いかける。

 

「町田くん」は、明瞭に言い切った。

 

「今は、猪原さんが見える。猪原さんしか見えない。他のものは、見えなくなってしまいそうなんだ。それって、いいことなんだよね?猪原さん、君が好きだ」

「私も!」

 

ラストシーンである。

 

 

人生論的映画評論・続: 町田くんの世界('19)   石井裕也 より

blank13('17)    齊藤工

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<「家族」という小宇宙の闇の呪縛を解いていく>

 

 

 

1  「現象としの父親」に対する否定的観念系の中で円環的に閉じている

 

 

 

「自分が見たものが全て」

 

多くの場合、人間は現象に対して、この思考回路の視界限定の狭隘さの中で円環的に閉じている。

 

この戦略が安寧を防衛的に担保してくれるからである。

 

だから、この思考回路の狭隘さをアウフヘーベンするのは容易ではない。

 

より視界良好の地平にまでアウフヘーベンするには、現象に関与する内的時間の層が、継続的、且つ、高強度のリテラシーを手に入れていなければならないだろう。

 

なぜなら、現象に関与する内的時間の層が、情動系を強化させたエクスペリエンス(体験)として自我に張り付いてるから、蓋(けだ)し厄介なのだ。

 

現象に関与する内的時間の層が、否定的観念系の中で円環的に閉じているなら、より視界良好の地平にまでアウフヘーベンするのは艱難(かんなん)さを露わにするに違いない。

 

映画では、長男のヨシユキが、この状況において宙吊りにされていた。

 

「現象としの父親」に対する否定的観念系によって自我を反転的に形成し、「家族を守る長男」という自己像を延長させることで、その〈生〉を繋いできた行為のコアにあるのは、「現象としの父親」の破壊力だった。

 

それは、「永遠なる不在者」と同義である。

 

「あなたみたいにになりたくない」

 

胃癌で余命3ヶ月の父・雅人を見舞いに行った際に、病院屋上で、次男コウジが、ヨシユキの言葉を代弁したもの。

 

それこそが、「現象としの父親」=「あいつ」を、「永遠なる不在者」にしたヨシユキの適応戦略だった。

 

成就したと信じるこの適応戦略が、大手広告代理店に勤めるエリートにまで上り詰めたヨシユキの決定的推進力になったと思われる。

 

「現象としの父親」に対するヨシユキの否定的観念系を準拠枠に考えれば、この映画の風景が透けて見えてくる。

 

「早くしないと終わんないよ」

 

これは、怪我した母の代わりに新聞配達する只中で、少年期のヨシユキが、必死に走るコウジに言い放った言葉。

 

「そんなこと分かってるよ。いま、作ってるんだろ!なんで俺が、こんな苦労しなくちゃいけないんだよ!」

 

これも同様に、遅刻を気にするコウジに、少年期のヨシユキが、苛立ち紛れに言い放った言葉。

 

この二つの台詞が、少年期のヨシユキが、物語の中で捨てた言葉の全てである。

 

二つの台詞に象徴され、透けて見えるヨシユキの父親像が、「自分が見たものが全て」の風景だった。

 

かくて、「現象としの父親」に対するヨシユキの否定的観念系が、彼の自我を反転的に形成し、ブラッシュアップして成就し得た若者は今、なお延長された時間の渦中に、安アパートの臭気が漂う家族を訪ねる。

 

逸早く、「あいつ」の末期の胃癌の情報を入手し、それを伝えるために安アパートを訪ね、いつものように金を渡すのだ。

 

末期癌の情報を入手しながら、弟と母が見舞いに行かないと信じたであろうヨシユキが、「集まる必要もなかった」と言って帰っていくのは、穿(うが)って見れば、「家族を捨てた男」から「家族を守る長男」という肯定的自己像の確認だったようにも思われるのである。

 

だから、ヨシユキの否定的観念系が崩されることがない。

 

崩されてはならなかった。

 

大袈裟に勘ぐって言えば、「家族を捨てた男」から「家族を守る長男」という肯定的自己像が、その彩度を失ってしまうのだ。

 

「家族を捨てた男」と「家族を守る長男」。

 

後者の「唯一性」=「絶対性」に、揺るぎがない。

 

そこには、彼の否定的観念系に集合する感情の束が渦巻いている。

 

「家族を捨てた男」の見舞いなど、無条件で有り得ない。

 

そんな状況下で開かれた、「家族を捨てた男」を偲ぶという弔いの儀式。

 

ところが、映像中盤で提示された「blank13」を契機に、風景が一変する。

 

人生論的映画評論・続: blank13('17)    齊藤工 より

LION/ライオン 〜25年目のただいま〜('16)    ガース・デイヴィス

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<人間の性(さが)に揺さぶられ、葛藤し、突き抜けていく>

 

 

 

1  浮浪生活の果てに

 

 

 

これは真実の物語(冒頭のキャプション)

 

【インド カンドワ 1986年】

 

「サルー!やったぞ。今日は、たくさん石炭を取った」

 

いつものように、サルーは兄グドゥのリードで貨物列車に乗り込み、石炭泥棒をする。

 

奪った石炭を市場で牛乳に替え、母の元に届ける。

 

その牛乳を分け、妹である乳児のシェキラにも飲ませるのだ。

 

母はその牛乳をどこで手に入れたかを兄弟に聞くが、答えない。

 

母はそのまま、仕事に出かけていった。

 

そして、グドゥはシェキラの世話をサルーに頼み、「1週間の大人の仕事」に出ようとするが、サルーはどうしても一緒に行くと言う。

 

2人は夜の街に繰り出し、列車に乗り込む。

 

駅に着き、眠り込んで起きないサルーをベンチに置いて、グドゥは仕事を見つけに行った。

 

待っているように言われたサルーだが、目が醒めてグドゥを探しているうちに、回送列車に乗り込み、遥か遠くに運ばれてしまったのである。

 

この悲哀に満ちた実話ベースの物語の起点である。

 

西ベンガルカルカッタ カンドワから東へ1600キロ】

 

聖女マザーテレサの活動拠点・カルカッタの駅に着くと、大量の乗客が乗り込んで来て、そこでサルーは、漸(ようや)く列車から降りることができた。

 

大勢の人たちに揉(も)まれながら、当て所(あてど)なく彷徨うサルー。

 

水飲み場で一緒だった少女の後をつけ、地下道へやって来ると、段ボールを敷布団にして、同じ年頃の子供たちが屯(たむろ)していた。

 

その一角に段ボールを敷き、眠っていると、得体の知れない大人たちがやって来て、子供たちを捕捉していくのだ。

 

サルーは必死に走って逃げていく。

 

カルカッタの夜の街に出たサルー。

 

路上に眠り、朝を迎える。

 

線路の上を歩いていると、ヌーレという女性に出会い、彼女の家に連れられ、食事をご馳走になる。

 

そこに、ラーマという男がやって来て、サルーの身体検査をする。

 

「あの子なら合格だ」

 

ヌーレにそう囁(ささや)くラーマもまた、人買いだったのだ。

 

身の危険を察知したサルーは、ヌーレの家を飛び出し、走り去っていく。

 

【それから2カ月】

 

浮浪生活を続けるサルーは、一人の青年と出会い、警察に連れられて行く。

 

ヒンディー語しかしゃべれないんです。“家はどこ?”と聞いても、“ガネストレイ”と言うだけ…母親の名前は?」

「母ちゃん」

 

まもなく、孤児院に収容されるサルー。

 

「ここは、とってもひどい所よ」

 

最初に知り合った、アミタという少女の話である。

 

体罰も辞さない孤児院の中では、性的虐待も横行している。

 

そんなサルーが、ミセス・スードの斡旋で里親を紹介される。

 

オーストラリアの南方海上に位置するタスマニア島(注)に住む、ジョンとスー夫妻だった。

 

「運がいいわ。オーストラリアは、いい所よ」

 

アミタの言葉で、サルーは決心がついたのか、明るい表情で、ミセス・リードのテーブルマナーや英語を学ぶのだった。

 

飛行機に搭乗し、オーストラリアへと旅立った。

 

 

人生論的映画評論・続: LION/ライオン 〜25年目のただいま〜('16)    ガース・デイヴィス   より

勝手にふるえてろ('17)   大九明子

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<持ち前の「自己推進力」が、心の隘路を抉じ開けていく>

 

 

 

1  「なるほど。孤独とは、こういうことか」 ―― 冥闇の世界に放り込まれ、凹んだ女子の傷心の決定的変換点

 

 

 

何年もの間、憧憬し続けてきた「天然王子」イチと、「彼氏なし」の24歳のOLヨシカとの会話。

 

「ねえ、君、なんか話してよ」とイチ。

「え~どうしよ。あーじゃ、絶滅したドードー鳥の話でもいいかな」とヨシカ。

「え~いいねぇ。好きだよ。古代の動物とか、絶滅した動物とか、特に好き」

「え、どうして?」

「本当に、あんな歪(いびつ)な奴らが地球上に存在したんだとか考えるだけで、面白いから」

「歪かぁ。だから私、どっか自分と重ねちゃうんだな」

 

自分と趣味が合うと知り、目を輝かせるヨシカ。

 

そこからアンモナイトの話になり、「励まされるちゃう」とヨシカの気分は弾んでいく。

 

絶滅したオオツノジカの話でイチと盛り上がり、「生き下手過ぎて、泣けてくるよね」と意気投合するのだ。

 

「君と話してると、不思議。自分と話してるみたい」

「そうだね」

「あの頃、君と友達になりたかったな」

 

目の色が変わるヨシカ。

 

「そうだね…イチ君て、人のこと、君って言う人?」

「ごめん、名前、何?」

 

瞬時に凍り付くヨシカ。

 

突然、笑い出すヨシカだが、泣き笑いがウェーブし、胸のあたりが苦しくなって、タワマンから退散する。

 

「私の名前をちゃんと呼んで…」

 

帰りの電車から降ると、これまでの風景は一変していた。

 

フレンドリーに話しかけていた駅員は素知らぬ振り。

 

行きつけの喫茶店の金髪の女子店員も、オープニングシーンとは打って変わって、素っ気ない接客態度。

 

コンビニ店員も、朝晩釣りに興じている中年男も、誰もがヨシカの存在に気づかない。

 

「誰にも、見えてないみたい」

 

そう呟き、笑うヨシカ。

 

これまで提示されたヨシカの、他者とのコミュ―ニケーションや好意的なストローク(他者への働きかけ)は、自分の世界で妄想を膨らませて享受するポジティブな妄想癖の所産だったのだ。

 

アパートに帰宅して、号泣するヨシカ。

 

この一件があってから、自分が観ていた“ニ”に対する評価が遷移していく。

 

公園での二人のデート。

 

「付き合おうっか。私たち…え?もう付き合ってましたっけ」

「え?どうなの?」

「じゃ、付き合ってる」

 

その答えを聞いて、喜び転げる“ニ”。

 

「何で今、そう思ったの?」

「何か、自然じゃない?私たちって。違和感ないって」

 

そこで、“ニ”がキスしようとすると、ヨシカは狼狽し、一目散に走り去ってしまう。

 

会社で再会した二人。

 

“ニ”が昨日のことを謝り、ヨシカは受け入れるが、親友のクルミから彼氏と付き合ったことがないから、それを踏まえてアタックするようにというアドバイスを受けた事実を知り、逆上してしまった。

 

「今ので私、決めた。私ね、中学の頃からずっと好きな人がいるの。その人のこと、10年ずっと好きなの。私には彼氏が二人いて、一人がその人。もう一人があなた。でも、やっぱり、一人に絞ります。一番好きな一人に絞ります。だから、さようなら」

 

悔し涙を隠し、心配するクルミに声を掛けられると、悪阻(つわり)と偽り、アパートに戻るヨシカ。

 

翌日、出社したヨシカは、虚偽の産休を上司に申し入れるが、暫定的な有給扱いで休むことになる。

 

秘密をバラしたクルミに対する怒りで、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせた。

 

経理のスキルの高さにおいて、クルミへの優越意識が、ヨシカの悪意の言辞に垣間見える。

 

荷物を整理し、帰り際に“ニ”と出くわすが、彼は冷たい視線をヨシカに向けただけだった。

 

家に帰り、ベッドに横たわり、呟く。

 

「なるほど。孤独とは、こういうことか」

 

この思いは、冥闇冥闇(めいあん)の世界に放り込まれ、凹んだ女子の傷心の決定的変換点と化していく。

 

会社に行かず、ただ家にいるヨシカは、何度も携帯のメールの着信を確認するが、何も届いていない。

 

唯一、クルミから電話がかかってきたが、ヨシカは出なかった。

 

二度目のクルミからの電話の留守録を聞くヨシカ。

 

「あたし、ヨシカを怒らせるようなことしちゃったのかな。しちゃってたら謝ります。ごめんなさい」

 

ヨシカの妊娠を信じるクルミは祝福のメッセージを送り、社内で付き合っていた男から振られた話をして、謝罪するのだった。

 

それを聞きながら、涙ぐむヨシカ。

 

留守録を保存し、クルミに電話をかけると、着信拒否になっていた。

 

「ファック!」

 

ここでまた、キレてしまう。

 

次に、会社に電話をかけ、“ニ”を呼び出し、自宅に招くのだ。

 

雨の中、玄関前で、「とりあえず来た」と言う“ニ”に、妊娠が虚偽だった事実を告げるヨシカ。

 

それを聞いて、怒り出す“ニ”。

 

想定外の“ニ”の反応には、それまでの「チャラ男」のイメージを払拭するのに充分だった。

 

「被害者面、よしなよ!バラすつもりなくても、人の秘密バラしちゃうことってあって、でも、そこに少々の意地悪心がないと言えば嘘かもしれないけど、でも、人間って、そんなもんじゃん!」

 

ヨシカも、感情含み存分に反駁(はんばく)する。

 

「それ、他人事だから言えんだよ。私なんかね、もう、ウヒャーってなって、会社中にバレちゃったんだよ。みっともない。だって、もう私、会社行かれない人になっちゃったじゃんよ!何ひとつ成し遂げられないまま、愚痴あてることになっちゃったんじゃんよ!!」

 

二人の言い争いには、終わりが見えないようだった。

 

「なに大げさなこと言ってんの。この歳で、何かを成し遂げてる奴なんて、この地球上に存在しねぇよ!」

ジャンヌ・ダルクがいる!」

「すげぇとこと、勝負しようとしてんじゃねぇよ!偉人になりたいの?…もう、脳ミソが悪魔的だよ!」

「そっちこそ、処女狙いの悪魔じゃん。あたしのこと処女だから好きになったんでしょ!処女だから、可愛いとか、何でそんな怖いこと言うの?」

 

激しい雨の中、言い争っていたが、隣人が二人の言い争いを聞き、立ち竦んでいるのに気づき、部屋に入る二人。

 

「あのね、好きなら耐えろとか、すげぇこと言ってるの、自分で分かってる?普通は怯(ひる)むんだけど、ヨシカを見つけた俺は、かなり冴えてると思うから、自分を信じて頑張ってみる」

「何それ、上から目線。傲慢で震えがくるわ…私のこと、愛してるんでしょ。こうやって野蛮なこと言うのも私だよ。受け入れてよ!」

「いや、正直、俺、まだ、ヨシカのこと愛してはない。好きレベル…俺は、かなりちゃんとヨシカを好き」

「何で?」

「何だろ。珍しいからかな」

「珍しいって、何?異常ってこと?」

「異常でもないし、偉人でもないけど、一緒にいたくなるんだわ。ヨシカは分かんないことだらけなんだよ。だから、好き。でも、いくら好きだからって、相手に全部むき出しで、しなだれかかるのは、よくないよ」

 

玄関のドアを開け、“ニ”は戸外に向かって叫んだ。

 

「俺との子供、作ろうぜ!!」

 

ヨシカは涙を一筋流し、“ニ”に抱き着く。

 

「霧島君…勝手に震えてろ」

 

そう言い放ち、“ニ”にキスするヨシカ。

 

ラストカットである。

 

 

人生論的映画評論・続: 勝手にふるえてろ('17)   大九明子 より