醉いどれ天使('48)  時代遅れのヤクザに対峙し、町医者の憤怒が炸裂する

1  「俺はお前の肺に巣食ってる結核菌に用があるんだ。そいつを一匹でも多く殺したいんだ」

 

 

 

眞田病院という小さな町医者に、ドアに手を挟まれて包帯を巻いた男・松永がやって来た。

 

釘が刺さったと言うが、眞田(さなだ)が取り出したのは銃弾だった。

 

「迷惑はかけねぇ。つまらない出入(でい)りがあってね。駅前のマーケットで、松永と聞きゃぁ、誰でも知ってるぜ」

 

麻酔なしで手荒く手術される松永は、苦痛に悶える。

 

「前もって言っとくが、医療代は高いよ。無駄飯食ってるヤツからは、できるだけぼることに決めてるんだ」

 

治療が終わった松永は咳き込み、風邪薬を要求するが、眞田は結核の可能性を疑い、その病気の恐ろしさを話す。

 

「怖いのか?」

「怖い?黙ってりゃ、つけ上がりやがって」

 

イキがる松永は、「じゃぁ診てみろ」と啖呵を切り、眞田が聴診器を当てると、案の定、結核の兆候が見られた。

 

「お前、どっかでいっぺん、レントゲン撮ってみな」

「どうなんだって聞いてるんだ!」

「レントゲンで診ねぇと、はっきりしたことは言えねぇが、まず、これくらいの穴が開いてるね」

 

そう言って、松永は右手で穴の大きさを示す。

 

「このまま放っときゃ、長いことないね」

 

その診断に腹を立てた松永は、眞田の体を抑え込むが、そこに美代という女性が入って来て、松永は不貞腐(ふてくさ)れて帰って行った。

 

「あいつは気にするだけ上出来さ。まだ少しは、人間らしいところが残ってる証拠だよ」

 

眞田は、医院の傍らにあって、悪臭を放つ澱んだ沼地で遊ぶ子供たちに怒鳴りつける。

 

「こら!チフスになるぞ!」

 

松永のことが気になる眞田は、マーケットの飲み屋で働くぎんから、ダンスホールにいると聞きつけた。

 

そのホールで、愛人の奈々江と踊る松永。

 

「どうしたの?少し影が薄いわよ。バリバリしてないアンタなんか大嫌い」

「暑いんだ、黙ってろ!」

 

そこに眞田が訪ねて来た。

 

「何の用だ」

「人の勘定踏み倒しやがって。大きなツラすんな!」

 

ここでも口が悪い眞田は、松永に勘定の代わりに酒を無心をする。

 

「仲直りだ」と言って、極上の酒を振舞う松永。

 

眞田は上手そうに酒を飲み、松永が飲もうとするボトルを取り上げる。

 

「お前の分まで、俺が飲んでやる。肺に風穴が空いている奴が酒を飲むなんて、自殺も同然だ」

 

それを聞いて、深刻な表情になる松永。

 

再び、レントゲン撮影を勧める眞田。

 

「レントゲンなんて、糞くらえだ」

 

そう言い放って酒を飲み、咳き込む松永。

 

「お前なんかどうなろうと構わない。しかしな、俺はお前の肺に巣食ってる結核菌に用があるんだ。そいつを一匹でも多く殺したいんだ。お前が今すぐここでくたばって火葬にしちまえば、一番、世話ねぇんだが」

 

その悪態を耳にするや、松永は真田の胸倉を掴み、乱暴に店から追い出した。

 

病院に戻った眞田は、腕の傷を洗いながら、謗(そし)りが止まらない。

 

「畜生、人の気も知らないで…もう、知らねえぞ、あんな野郎」

「そんなこと言っても、ダメよ。先生はね、自分が見た患者となると、自分のことより心配なんだから。傍(はた)から見てると、バカらしいくらいだわ」

 

美代は、眞田が本当のことをずけずけ言い過ぎると忠告するが、「大きなお世話だ」と返して聞く耳を持たない。

 

ここで眞田は、刑務所から近々出所する美代の情夫・岡田のことで、美代の気持ちを確かめる。

 

「私がどんなにあの人のことを憎んでいるか。体が震えるくらいだわ。あたしの一生を盗んだんじゃありませんか」

「まだ、半分残ってるよ」

 

その夜になり、岡田と一度会ってみようかと言う美代を、眞田は叱り飛ばす。

 

翌日のこと。

 

眞田は、結核に罹患している17歳の女学生のレントゲン写真を見ながら、だいぶ良くなったと、真面目な治療への取り組みを褒める。

 

そして、「結核ほど、理性を必要とする病気はない」と諭(さと)そうとすると、その言葉を女学生にトレースされてしまう。

 

この物言いは、医師としての中年男の確たる持論である。

 

少女と入れ替わって、松永が病室に入って来た。

 

「俺に言わせれば、お前たちほど臆病者はいないよ」

 

相変わらず悪態をつくが、しばらくは黙って眞田の言葉を聞く松永。

 

「お前なんか、今出て行った小さな女の子の方が、どれだけ土性骨があるか分からねえ。あの子はな、病気と面と向かってしゃんとしてらぁ」

 

ここで松永は我慢の限界を超え、眞田の胸倉を掴んで押し倒そうとするが、美代がそれを阻止する。

 

「しかし、何だって来たんだろうな」

 

そう漏らし、傘も差さずに帰っていく松永を見る。

 

そんな折、眞田が往診に向かって歩いていると、かつての同級生で、大病院の医師の高濱(たかはま)に声をかけられ車に乗り、3日前に松永がレントゲンを撮りに来たことを知らされる。

 

右の肺が酷(ひど)く、そのフィルムを持って、「命を預けるつもりで頼んでみろ」と眞田のところへ行くように話したと言うのだ。

 

早速、眞田はダンスホールの松永を訪ね、今や対面儀式の如く、互いに悪態をつく。

 

「黙って、レントゲン写真を持って来て見せたらどうだ。バカ野郎!」

 

病院で待ってると告げ、眞田は帰っていく。

 

その後、泥酔した松永が、眞田の家に転がり込んで来た。

 

酔い潰れて畳に寝込んだところで、上着のポケットに入っていたレントゲン写真を美代が見つけて渡すと、眞田は深刻な表情に変わる。

 

起き上がって水を飲んだ松永は、コップを割り、「おい、本当に治るか」と眞田に肉薄するのだ。

 

「治る」

「今からでもか」

「治るよ」

「いい加減なこと言うと、承知しねぇぞ」

「その代わり、俺の言う通りにするんだぞ」

 

立ち上がった松永は、「どっちみち死ぬんだ」と言って、再び倒れて伏してしまう。

 

毎夜、澱んだ沼地の傍らで、男がギターを奏でる音が聴こえてくるが、その日は別のメロディーが流れてきた。

 

美代は岡田の出所を直感する。

 

かつて岡田が弾いていた曲だからである。

 

出所した男が弾いたのは、岡田曰く「人殺しの歌」。

 

ここから、風景が一変していくのだ。

 

  

人生論的映画評論・続: 醉いどれ天使('48)  時代遅れのヤクザに対峙し、町医者の憤怒が炸裂する 黒澤明 より

夕凪の街 桜の国(’07)  被曝で壊された〈生〉なるものを拾い集め、鮮度を得て繋いでいく

1  「生きとってくれて、ありがとな」

 

 

 

昭和三十三年 夏

 

大空建研という建築事務所に勤める平野皆実(みなみ/以下、皆実)。

 

復興が進む広島の街の一角にあるスラムで、母フジミと穏やかに暮らしている。

 

皆実には、疎開先の伯母の家に養子に入った弟の旭(あさひ)がいる。

 

その旭からのハガキを読みながら、疎開先の水戸へ、フジミに随行し、迎えに行った6年前のことを思い出していた。

 

7年間、離れ離れに暮らした旭は、友達も死んでしまった広島へ戻りたくないと吐露し、皆実に謝罪する。

 

「うちらは姉弟じゃけん。それは変わらんけぇ。伯父さんと伯母さんを、本当のお父さんとお母さんと思うて、大事にするんよ。ええね」

「うん、また会えるよね」

 

そんな折、事務所の同僚の打越(うちこし)が、会社を休んだ皆実の家を訪ねて来た。

 

皆実が振舞った雑草料理を美味しいと褒める打越。

 

「平野さん、きっと、ええ嫁さんなるで」

 

その言葉を聞いた瞬間、皆実は原爆で苦しんで逝った妹の翠(みどり)の声がフラッシュバックする。

 

「“お姉ちゃん、お姉ちゃん、熱いよ、熱いよ”」

 

突然、皆実は立ち上がって、打越に言い放つ。

 

「うちは、嫁なんぞ行かん。帰って下さい」

「何か、悪いこと言うたんじゃろか」

 

反応しない皆実に明日は出て来られるかと尋ねて、打越は帰って行った。

 

翌日、皆実は会社を出たところで、大きな契約を獲った打越に「おめでとう」と言って、昨日の行為の謝罪に代える。

 

打越はブティックに行き、好きな人へのプレゼントの見立てを皆実に頼み、ハンカチを選んでもらうのだ。

 

早々に帰る皆実を追い駆けて来た打越は、そのハンカチを皆実に渡すのだった。

 

気持ちが通じ合う二人だったが、皆実の耳元に、またも翠の呼ぶ声が侵入してくる。

 

「ごめんなさい。うち、ごめんなさい」

 

皆実は堰堤を駆け下りて、転んで手をつき、目の前の川を見詰める。

 

「お前の住む世界は、そっちではない、と誰かが言っている」(モノローグ)

 

ここでも、フラッシュバック。

 

「“翠!翠!お母さん、翠、翠、どこ?”」

 

そこに追い駆けて来た打越に声を掛けられ、我に帰るのだ。

 

「打越さん、教えてください。うちは、この世におってもええんかね」

「話してくれんか?」

 

以下、皆実の告白。

 

「13年前、うちは5人家族じゃったんです。両親と妹の翠と弟の旭がいて。旭はまだ小さかったから、伯母さんのところに疎開に行っていて、8月6日、あの日は朝から眩しいくらいに晴れていた。父は前の日から会社に泊まとった。うちと翠は、いつものように学校に行ったんです。ピカが落ちたのは、学校に着いてすぐじゃった。あの一瞬で、街は変わってしもうた。いいや、消えてしもうたんじゃ。家も人も、何もかも。まるでおもちゃみたいに飛ばされて、焼かれて、溶けた」

「その時、君はどこにおったん?」

「学校の倉庫に。建物疎開の作業に行く日だったんじゃ。うちは先生に言われて、釘抜き取りに。じゃけん、助かったんじゃ。外におった友達は、皆死ぬか、大火傷して。家は殆ど壊れとった。お母さんは見つからなくって、何時間歩いたか、分からんようになっとった。妹の翠が、瓦礫の中で偶然見つかった。うちは翠を背負うて、当てもなく歩いた」

 

赤トンボを歌いながら、妹を背負って歩く皆実。

 

【「建物疎開」とは、空襲による火災防止のために建物を取り壊して、「防火地帯」を作ること】

 

「妹さん、無事じゃったんか?」

「うちの背中で、そのまんま。熱いよう、熱いよう言うて。最後に、お姉ちゃん、長生きしいねって」

「もうええよ、もうやめ」

 

打越は皆実の肩に手を置くが、皆実は泣きながら話し続ける。

 

「父は仕事に行っとったまんま、会社の建物ごと潰れて、骨も見つからんかった。母に会えたんは、一週間後。漸(ようよ)う救護所で見つけたんじゃ。顔も分からんくらいに腫れあがっとって、その後、一か月も、目、見えんかった。じゃけん、母は、何にも見とらんのよ。あの日のことも。翠がどんな風に死んでいったかも。何にも。うちが忘れてしもうたら済むことなんかも知れんけど、でも、忘れられんのです。何かを見て綺麗だなあって思ったり、楽しいなあって、思うたんびに、どこからか、声が聞こえてくるような気がするんよ。お前の住む世界は、そっちじゃない言うて。だって、うちらは誰かに死ねばいいと思われた。それなのに、こうして生き延びとる。そうじゃろ。打越さん、うちら一番怖いこと、何か分かる?」

 

首を横に振る打越。

 

「死ねばいいと思われるような人間に自分が本当になっとる。それに、自分が気づいてしまうことなんよ。じゃけん、うちは幸せになったら、いけんような気がして。誰かに聞いて欲しかった」

 

嗚咽しながら、もう、言葉にならなくなった皆実を優しく抱き留める打越。

 

「生きとってくれて、ありがとな」

 

「嬉しかった。でも、それきり、力は抜けっぱなしだった」(モノローグ)

 

風邪を引き、会社を休んでいる皆実の家に、打越が見舞いにやって来た。

 

打越を見送り、明日は会社に行きたいと言う皆実だったが、翌日もまた休み、同僚がまた見舞いに来た。

 

皆実は熱が下がらず、咳き込み、髪も抜け始め、もうすぐ要らなくなるからと、父に買ってもらった髪留めを、フジミに渡すのである。

 

「その夜に真っ黒な血を吐いた」(モノローグ)

 

皆実は寝込む日が続き、水戸から旭が見舞いにやって来た。

 

「夏休みだっぺ。だからさ、たまには顔見ろって、母さん…伯母さんがさ」

 

「もう、何も喉を通らない。ただ、生ぬるい塊だけが、駆け上がっていく。ただの血ではなくて、内臓の破片だと思う」(モノローグ)

 

皆実は旭と一緒に、家の前の原っぱに出て、座って旭が川に石を投げる姿を見ている。

 

「お父さんや翠の顔、覚えとる?」

「うん」

「嘘ついて」

「これ、毎日見てっから」

 

旭は子供の頃の5人家族の写真を取り出して、皆実に見せた。

 

「あんたが、水戸へ行く前の日に撮った。懐かしいなぁ。家にあったのは、皆焼けてしもうたんよ。この翠の髪、うちが結うてやってんよ…長生きしいねって、言うたんよ。あれは、自分がもっと生きたいっちゅうことじゃったんじゃろうね」

「何で、広島だったんだ。何で、原爆は広島に落ちたんだよ」

「それは違うよ。原爆は落ちたんじゃなくて、落とされたんよ」

 

皆実は写真を旭に渡す。

 

「これは旭が持っとき。ほいで、うちら家族のこと、忘れんといてね」

「姉ちゃん」

「離れて暮らしてても、名字が違ごうても、たとえ、もう二度と会えんようになっても、うちらは家族じゃ。それは誰にも変えられん」

 

そこに、打越がやって来た。

 

野球好きな二人は、川に石を投げ合って、実況中継の真似事をする。

 

それを後ろで見ていた皆実は、翠のいる大空にハンカチを掲げると、そのまま倒れ込む。

 

「ひどいなぁ。てっきり私は、死なずに済んだ人かと思ったのに。なぁ、嬉しい?13年も経ったけど、原爆を落とした人は、私を見て、“やった!また一人殺せた!”って、ちゃんと思うてくれとる?あぁ、風?夕凪が終わったんかね。何度、夕凪が終わっても、このお話は、まだ…」(モノローグ)

 

「このお話は、終わりません」(石川七波のモノローグ)

 

【夕凪とは、陸から海に向かって空気が流れる「陸風」のことで、無風の時間になるので「瀬戸の夕凪」と呼ばれる】

 

以下、「桜の国」へと物語は繋がっていく。

 

  

人生論的映画評論・続: 夕凪の街 桜の国(’07)  被曝で壊された〈生〉なるものを拾い集め、鮮度を得て繋いでいく   佐々部清清 より

いつか読書する日('05)   たった一度の本気の恋を成就させる思いの強さ

1  「私には大切な人がいます。でも私の気持ちは絶対に、知られてはならないのです」

 

 

 

「未来の私からの手紙 二中三年四組 大場美奈子 

 

あなたは、十五歳だった時の事を覚えていますか?もうずいぶん昔の事だけど、あなたは、こう思っていました。私は、この町が大好きって。お兄さんやお姉さんたちは、この町を出て行くけれど、私は出て行かない。一生この町で生きていく。みんなともっと知り合えるし、もっと仲良くなれるでしょ。それは、素敵な事じゃない?」

 

現在50歳の大場美奈子が、15歳の時に書いた「未来の私からの手紙」。

 

美奈子の一日は、早朝の牛乳配達から始まる。

 

「あたしには、ずっと気になっている娘がいる。彼女のことは、子供の頃からよく知っている。女学校時代の友人の娘だからだ。娘と言っても、もう50歳だ。結婚もせず、浮いた噂一つなく、毎日判で押したような、傍目から見れば、何が楽しいのか分からないような生活をしている。その娘が、毎朝、我が家の庭先にやって来る」

 

認知症の夫を持つ、皆川敏子の小説の一節。

 

そこに、美奈子が牛乳配達に訪れた。

 

敏子から夫・昌男の通院の付き添いを依頼された美奈子は、快く引き受ける。

 

そして今、「よし」と言って、目指す家までの長い石段を走って上がり、重い病を患う高梨容子のミルクボックスに牛乳を届ける。

 

「高梨槐多(かいた)と結婚して、二十六年と八か月になるのだが、結局この人は、どういう人なのか、はっきりと分かりかねている。どうも、毎日が穏やかでありさえすれば、いいと思っている節がある。だから、このあいだ聞いた話は、少し私を幸せな気分にしてくれた。初めて、秘密に触れたような気がしたからだ」(容子の日記)

 

容子は、訪問の看護師から、牛乳を配達するのが大場美奈子という夫の同級生であると知らされたのだ。

 

美奈子の事を槐多に訊ねたら、「うん」と一言。

 

その牛乳を一口飲んで捨てる槐多は、無駄だから止めるかと、容子に訊ねる。

 

「ダメよ。飲めるようになるかも知れないし」

「そうだね」

 

そして、「今日、カレーを作る?」と聞く容子に、「いいよ」と槐多が答える。

 

「今の楽しみは、カレー小僧について考えることぐらいだ。カレー小僧は、少し前から、町の噂になっている子供のことだ。夕暮れ時になると、その子はスプーンを握り締めて、町を歩き回る。美味しそうなカレーを作っている家を探して」(容子の日記)

 

日中はスーパーに勤めている美奈子が自転車で出勤すると、店長と若い店員のマリが抱き合っているのを目撃する。

 

レジに戻って来たマリは、後ろめたさから、「悪いことしたみたいじゃないですか」と言って美奈子に絡むと、きっぱりと言い返される。

 

「悪いことです…そういうのは家でやって下さい」

 

役所の児童課に勤めている槐多が、帰路、このスーパーに寄り、カレーの食材の買い物をする。

 

美奈子と背中合わせにレジを済ませると、スーパーの前に男の子が座っていた。

 

槐多が「カレーが好きか」と声を掛けると、走って去って行く。

 

美奈子が書店で本を探していると、17歳の美奈子の記憶が思い出されてきた。

 

書店の外に目をやると、楽しそうに、自転車で二人乗りをする男女が通り過ぎる。

 

自分の母と槐多の父である。

 

そこに、同じく高校生の槐多が美奈子に声をかける。

 

美奈子が迎えに来て、敏子は自分の診察と称して、昌男を「もの忘れ外来」に連れて一緒に受診させると、少し進行が速いと診断される。

 

敏子の家でおでんを食べる3人。

 

大場美奈子は幼い時に、製鉄所の技師だった父親を工場の事故で亡くしている。高校生の時に、母親も喪った。母親の千代は、トラックに轢かれて死んだ。彼女は、高梨という画家の自転車に乗っていた。千代と高梨が、どんな関係だったのか、詳しくは知らない。しかし、夕暮れ時に、山の方へ出かける男と女について、町の人たちが想像を逞しくしたことだけは間違いない。二人の遺体が霊安室に置かれたとき、高梨の妻が、一緒にしないでと取り乱したことを覚えている。息子の槐多と美奈子は、同じ高校だった。後で、二人が付き合っていたことを聞いた」(敏子の小説)

 

その時のことを、美奈子はよく覚えてないと言う。

 

「どうして結婚とかしないの?」

「だって、いなかったもん」

「高校の時、付き合った人いなかった?」

「あたしだって、恋の一つや二つあります。でもね、ダメ。足りないみたい。人に対する気持ちの量みたいなもの」

「何か、歯がゆいのよねぇ。別の違う生活とか、人生とか、あったんじゃないかって」

「おばさん、あたし、そういう風に考えないわ。寂しいと思ったこともないし、おばさんもいるし、おじさんもいるし…」

「うん」

 

スーパーでコロッケを万引きした、槐多が声をかけた例の少年が捕まり、警察へ通報しようとする店長に美奈子が進言し、槐多が引き取りに来た。

 

子供を連れて帰る槐多と恵美子の目が合い、互いに小さく会釈する。

 

少年は家の近くで繋いだ槐多の手を払い、一目散に家に入っていく。

 

槐多がドアを開けると、紐に縛られ、散乱するゴミに埋もれている弟に、少年がコロッケを食べさせている。

 

帰って来た母親に、食事を与えるように言うと、「関係ないだろ」と毒づくや、家に逃げ込む。

 

仕事が終ったロッカールームで、シングルマザーのマリが自らの不安を美奈子に訴える。

 

「寂しくないですか?夜とか」

「いいのよ、クタクタになれば」

「あ、そっか」

「元気、出して」

 

美奈子が退社しようとすると、店長が不躾(ぶしつけ)に聞いてくる。

 

「大場さんて、バージン?」

 

セクハラを受け、無言で帰る美奈子。

 

その夜、ベッドで本を読みながら、涙する美奈子。

 

「私には大切な人がいます。そう思っている私のことを、知って欲しいと思うこともあるのです」

 

ハガキにそこまで書いて、破り捨て、また書き直す。

 

「私には大切な人がいます。でも私の気持ちは絶対に、知られてはならないのです」

 

美奈子は溢れる思いを、いつも視聴するラジオ番組に投稿したのである。

 

セクハラを受け美奈子は今、永く隠し込んできた感情の呪縛から逃げられなくなったのだ。

 

槐多の家。

 

「ねえ、あたしがいなくなったら、どうする?」と容子。

「どうしようかな」

「真剣に答えて」

「考えたくない」と槐多。

「甘えないでよ」

 

一方、昌男の認知機能障害が進み、ついに徘徊が始まった。

 

表を走っていくと、橋の上でスプーンを握り締めたカレー小僧と出くわし、昌男は食堂で二人分のカレーを注文していたところを電話で知った敏子が駆けつけた。

 

元英文学者の認知症の夫との暮らしの体験記を連載することになっていた敏子は、出版社に断りの文章を書き、別の五十歳の恋愛小説の構想を伝える。

 

ラジオのパーソナリティーが、美奈子が投稿したハガキを読み上げる。

 

「私には大切な人がいます。でも私の気持ちは絶対に、知られてはならないのです。どんなことがあっても、悟られないようにするのは、難しいことです。しかし、その人の気持ちを確かめることができないのは、本当に辛いものです。もし、神様が二人だけで話し合う時間を与えてくれるというのなら、丸一日は欲しいと思うのです」

 

そのラジオを聞いていた容子は、リスナーの居住地とイニシャルから、その片思いの相手が槐多であると確信する。

 

槐多が寝た後、容子は点滴スタンドを引き摺り、自ら書いたメモをやっとの思いでミルクボックスに入れる。

 

その朝、美奈子は容子のメモを受け取る。

 

「少し急ぐのですが お暇な時で結構です お会いできませんか  高梨 容子」

 

役所では、万引常習少年の対応について児相を含めて会議が開かれた。

 

結果、一時保護が相当となり、役所の複数のメンバーで家を訪問する。

 

返事がなく部屋に入ると、母親は男と寝ていて、兄弟は紐に縛られぐったりしている。

 

一時保護の通告を提示し、子供二人を保護するが、槐多は居た堪れず、寝たままで無反応の母親を強引に起こし、腕を掴んで叱咤する。

 

「いいのか、本当にいいのか。子供と離されるんだぞ!これは、大変な事なんだぞ!おい!」

 

槐多は車の中でも怒りを抑え切れず、嗚咽する。

 

美奈子は、再び、牛乳瓶に入れられた容子からのメモを受け取った。

 

「早く来て お願いです」

 

美奈子のラジオ投稿がもたらした大きさが、この容子のメモを生み出していく。

 

それは、美奈子の日常に誤作動を出来させる。

 

気持ちが落ち着かない美奈子が、レジ打ちのミスをする。

 

物事に真摯に向き合う美奈子は、もう逃げるわけにはいかなかった。

 

仕事を終えると、急いで容子の元に駆けつけるのである。

 

「あたし、病気でもう長くないんで、槐多さんは一人になります。あの人、あなたのこと、思ってます。あなたも槐多さんのこと、好きなはずです。お願い、ちゃんと聞いて。あたしが死んだら、遠慮しないで欲しいのよ。すぐにとは言わないから、一緒に暮らして欲しいの。お願いします」

 

そう言って、涙ぐみながら重い体を上げ、頭を下げる容子。

 

「ずるいです」

「どうして、どうして?」

「ごめんなさい。また来ますから」

「日を置かないでよ。絶対よ」

 

この言葉を受け、動揺を隠せない美奈子は、身辺の変化を大きく感じ取っている。

 

槐多の存在が、否が応でも視線に侵入してくるのだ。

 

  

人生論的映画評論・続: いつか読書する日('05)   たった一度の本気の恋を成就させる思いの強さ 緒方明 より

親愛なる同志たちへ('20)  他言無用の「赤い闇」が今、暴かれていく アンドレイ・コンチャロフスキー

1  「彼らは政府を恨んでる。何をするか分からない。全員逮捕して法廷で裁くべきです。扇動した者たちには厳罰を」

 

 

 

ソビエト連邦 ノボチェルカッスク

 

1962年6月1日

 

共産党市政委員会(生産担当)に所属するリューダは、上司のロギノフの家で朝を迎えると、すぐに食料買い出しに出かける準備をする。

 

物価高騰と物不足の不満をぶちまけるリューダに対し、男は反駁する。

 

共産党の中央委員会の説明は、こうだ。“この変化は近い将来、生活水準の向上という結果として現れる”」

「疑問だわ。スターリン時代は、物価が下がったのに今は逆。共産主義で物価が上がるなんて。訳が分からない」

 

そう言うや、リューダが店に行くと、多くの市民が押し寄せ、食料を求めて群がっている。

 

リューダは党員特権で裏口へ廻り、必要な物資を受け取るのだ。

 

自宅に戻り、元コサック兵の父にタバコを与え、工場に勤める18歳の娘・スヴェッカに身だしなみについて小言するリューダ。

 

自宅でも物価高騰と物資不足、給料が減らされるという噂など、将来への不安の話題ばかり。

 

市政委員会に出席するリューダが現状報告をしていると、外でサイレンが鳴り、ロギノフが電話を取ると、市内最大の電気機関車工場の操業が止まったことを知らされる。

 

工場でストライキが始まったのである。

 

地区委員会書記のバソフが対策を練ることになるが、自分たちの責任を追及されることを恐れて、ロギノフとリューダらは不安を募らせ、責任をなすり合う始末。

 

「終わりだ。私は党を追われて、田舎の学校長をやらされる…厳しい処罰が下る。全部我々のせいにされるぞ。明日は君も党員資格を剥奪され、僻地の技師に左遷だな」

「犯罪よ。これは犯罪だわ。工場労働者は無知です。何も知らない彼らに、良からぬことを吹き込む輩が大勢いるのよ。我々の見落としです。確認が不十分だった」

「俺は確認した…」

「カフェでおしゃべりだけね」

 

不毛な議論の応酬だった。

 

電気機関車工場に集まった幹部たちを前に、書記のバソフは怒りまくり、罵倒する。

 

「あいつらは暴徒だ!国営工場の労働者がストなど。なぜ社会主義体制下でストが起こり得るのだ!」

 

そこで、ロギノフがバソフに進言する。

 

「労働者に呼びかけを。昨日、賃下げがあったんです。大幅に」

「賃下げだと?何をどう呼びかけろと言うんだ」

「落ち着かせてください…賃下げを見直すと伝えては?」

 

意を決して、バソフはバルコニーに出て、「増産がかなえば、まもなく商店やカフェに畜産品があふれることだろう…」

 

そう呼びかけるが、労働者の抗議の声に掻(か)き消され、バソフは為す術もなく退散する。

 

その直後だった。

 

会議室に石が投げ込まれ、バソフは軍隊を要請するが、更に投石が激しくなり、委員会の面々は建物の奥へ避難するが、労働者に包囲され、外には出られないと言うのだ。

 

一方、KGBのヴィクトル(名前は公式HP参照)は、デモ参加者の写真をチェックしながら扇情者を特定し、逮捕するように指示する。

 

そこに、モスクワから第一国防次官がやって来て、彼らの失態を難詰(なんきつ)する。

 

ニキータ・フルシチョフの命令により、中央委員会のトップが2時間後にここに来る。派遣されるのは、同志コズロフと同志ミコヤン」

 

武器を持たない多数の部隊が到着するという報告を受けるや、国防次官は直ちに武装を命令する。

 

「プリエフ司令官が、銃器の持ち出しはならんと」とフェドレンコ。

「政府の代わりに命じる。兵に銃器を携帯させろ…フルシチョフは仰天している。バソフが向上に閉じ込められて、出られない事態にな」と第一国防次官。

 

閉じ込められていたバソフらは、軍隊が到着し、狭い通路を潜(くぐ)り抜け救出される。

 

中央委員会のトップらとの会議で、コズロフ(注)が口を開く。

 

(注)ソ連共産党幹部フロル・コズロフのこと。 

 

「何か有益な材料はないか?事実を市外に知られたくない」

 

各部門の担当者が報告する。

 

「電波障害を発生させ、周辺を封鎖しました」

「夜間も検問を行い、ハエ一匹、通しません」

「各所を守るために、505連隊を市内に配備」

 

KGBによれば、町にいる半数が服役経験者らしい。犯罪者たちを制圧する策はあるかね?」とコズロフ。

 

横に並ぶ第一国防次官が立ち上がる。

 

「地元企業における離職率は、非情に高い水準にあります。ずさんな経営が続く工場では、労働者の3分の1が、出所したての連中です」

 

ここで今まで黙っていたミコヤン(注)が、譲歩案を提示するが、同意を得られなかった。

 

(注)ソ連共産党幹部アナスタス・ミコヤンのこと。

 

ここで、中央の幹部が仕切る会議を聞く多くの党員らに埋もれていたリューダが、矢庭に発言する。参照

 

「全員、逮捕すべきです」

 

参加者すべてが、リューダを振り返る。

 

「今のは誰だ?」とコズロフ。

 

リューダは立ち上がり、名前と市政委員会の生産部門の担当であると答えた後、持論を続けた。

 

「第20回党大会(注)後に、政治犯が戻って来た時のことを忘れたのですか?彼らは政府を恨んでる。何をするか分からない。全員逮捕して法廷で裁くべきです。扇動した者たちには厳罰を」

「地元の意見は君と異なるようだ。同志ミコヤン」とコズロフ。

 

(注)ソ連共産党第20回大会(1956年2月)のこと。フルシチョフによるスターリン批判が行われ、個人崇拝・暴力革命を否定し、資本主義体制との平和共存を目指す。「雪どけ」と言われ、世界に衝撃を与えた。

 

リューダの提案を受け、発砲を命じるコズロフに対し、プリエフ司令官が反論する。

 

「私は銃器の持ち出しを禁じました。軍による市民への発砲は憲法違反です」

 

このソ連軍の原理原則の言辞を無視し、コズロフは改めて命令を下すのだ。

 

「ただちに、兵士たちに銃器を携帯させろ」

 

コズロフはリューダの意見が正しいと評価した後、「何より、この事実が外に漏れることがあってはならん」と、道路の封鎖を命じた。

 

この一言で、不毛な議論の応酬がハードランディングしていくのである。

 

  

人生論的映画評論・続: 親愛なる同志たちへ('20)  他言無用の「赤い闇」が今、暴かれていく アンドレイ・コンチャロフスキー より

硫黄島からの手紙('06)  「自決の思想」を否定する男の、途切れることのない闘争心がフル稼働する

1  「日本で一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には、意味があるんです!」

 

 

 

硫黄島 2005

 

この日、調査隊が入り、地下壕に埋められた重大な資料を発見する。

 

硫黄島 1944

 

「花子、俺たちは掘っている。一日中、ひたすら掘り続ける。そこで戦え、そこで死ぬことになる穴。花子、俺、墓穴掘ってるのかな」

 

硫黄島守備隊に所属する西郷・陸軍一等兵のモノローグ。

 

「本日付で私は、自分の兵が待つ任地へと向かう。国の為に忠義を尽くし、この命を捧げようと決意している。家の整理は大概つけてきたことと思いますが、お勝手の下から吹き上げる風を防ぐ措置をしてこなかったのが、残念です。何とかしてやるつもりでいて、ついついそのまま出征してしまって、今もって気がかりであるから、太郎にでも早速やらせなよ」

 

硫黄島の守備隊を率いる栗林忠道・陸軍中将の機内でのモノローグ。

 

「こんな島、アメリカにくれてやろうぜ。そうすりゃ、家に帰れるぜ」

 

苛酷な環境で、海岸線の塹壕堀りをする西郷は、思わず同僚に本音を語る。

 

その話を聞きつけた谷田大尉に、「貴様、今、何と言った!」と詰問されると、西郷は「アメリカに勝てば、家に帰れる」と言い逃れる。

 

そこに、栗林中将が硫黄島に降り立ち、早速、歩いて島を一周するが、途中、西郷らが鞭で打擲(ちょうちゃく)する現場を見て、谷田を問い質す。

 

「非国民のような、暴言を吐いていました」

 

栗林は体罰を止めさせ、昼飯抜きのペナルティーに変えさせる。

 

「いい上官は鞭だけではなく、頭も使わんとな」

 

更に、米軍上陸を水際で食い止めるため、海岸沿いに塹壕を掘っていることを知り、それも止めさせ、兵士たちに十分な休息を取らせるよう指示する。

 

西郷は、同僚から栗林がメリケンに住んでいたから、メリケン好きで、塹壕を掘らせているんじゃないかと話を聞かされる。

 

メリケンの勉強をしておられるんだよ。だから、どうやって打ち負かせるのか知ってるんだ」

 

夜になり、栗林は伊藤海軍中尉に、現在、使える航空兵力の残数について質問する。

 

「戦闘機41機、爆撃機13機であります」

「それだけか」

サイパンの艦隊を援護するため、先日、66機出動しました」

 

栗林は、海軍が陸軍と情報を共有できていないことを知り、指示を出す。

 

「速やかに陸軍と連係を取りなさい。まず、摺鉢山の防御が第一です」

 

栗林が去ると、伊藤は不満を漏らす。

 

栗林は、島に残る住民たちを本土に戻すよう指示する。

 

そこに、戦車第26連隊長の西竹一(にしたけいち)陸軍中佐がやって来て、栗林と再会する。

 

西は、オリンピックの馬術競技で金メダルを獲った有名人で、「バロン西」とも言われる。

 

その夜、二人はジョニーウォーカーを飲みながら、空の皿を前に語り合う。

 

「しかし、今となっては、連合艦隊の壊滅的打撃(注)は、痛恨の極みですね。戦艦はまだあるにはありますが、もはや我が軍には、制海権、制空権ともなきに同然です」

「どういうことだ、西君」

「やはり、先日のマリアナ沖での一件は、お耳に入っていらっしゃらないんで。小沢提督の空母、艦載機は既に撃退されております」

大本営は国民だけでなく、我らも欺くつもりなのか」

「正直に申し上げてもよろしいですか、閣下。もっとも懸命な措置は、この島を海の底に沈めてしまうことだと思います」

「それでも君は、ここに来た」

 

(注)【1944年6月19日、20日におけるマリアナ沖海戦のこと。日米両海軍の空母機動部隊による戦闘で、日本の連合艦隊は、この海戦で壊滅的な敗北を喫し、この地域の制空・制海権を米軍に奪われてしまった。かくて、米軍は日本本土への B-29の空襲を激化させていくに至る】

 

―― 物語のフォローを続ける。

 

栗林は、米軍が上陸する地点を特定したあと、作戦の変更を部隊長らに言い渡す。

 

「大きく作戦を変更します。元山(もとやま)、東山、そして摺鉢山(すりばちやま)一帯にかけて洞窟を掘り、地下要塞を構築する。地下に潜って、徹底抗戦だ」

 

海岸の防衛線は必要ないと明言すると、それでは勝てる戦(いくさ)も勝てないという異論が出る。

 

「米国が一年間に生産する自動車の台数をご存じか。五百万台だよ。彼らの軍事力と技術力を過小評価したらいかん。米軍は確実に海岸を突破してくる。兵をそこで無駄に失っては勝ち目はない」

 

それでも、部下たちの反対意見が続く。

 

「兵隊が死ぬのは致し方ありません。ですが、島の防衛で海岸を放棄するなど聞いたことがない」

「閣下、今から洞窟を掘るなど、無駄な時間を費やすだけです。できる限り誘(おび)き寄せ、空と海から挟み撃ちにするべきです」

「私もその意見に賛成です。合理的だ」

 

そこで栗林は、連合艦隊が壊滅し、硫黄島が孤立したも同然であること、更に、大本営から残っている戦闘機を東京に戻し、本土防衛に就かせるよう命令されたことを話す。

 

「そんな無茶な。どうしろっちゅうんじゃ!」

「議論の余地はありませんね」

 

こんな調子だった。

 

ここで、新たに硫黄島に配属された陸軍上等兵・清水の手紙が紹介される。

 

「母上、本日か新しい舞台に配属されることになりました。この度の異動については、今はお伝えすることができません。では、お元気で」

 

憲兵の清水が部隊に入って来たことで、警戒感が漂う部隊。

 

西郷は召集前に、妻とパン屋をして、カステラやあんぱんなども作っていたが、そこに憲兵がやって来て品物を奪っていったと、清水を睨みながら親友の野崎に話す。

 

そして、道具も何もかも持っていかれた店に、召集令状が届いた日のことを回想する。

 

「あなたがいなくなったら、私、どうすればいいの?」

「おいおい、俺はまだ棺桶に入っちゃいねぇぞ」

「だって、誰も帰って来ないんだよ。一人もだよ。絶対、返してもらえないのよ」

「大丈夫だって」

「この子だって…」

 

西郷は花子のお腹に顔を寄せ、花子の手を握りながら、お腹の赤ん坊に声をかける。

 

「今から言うことは、誰にも言っちゃいけないぞ。父ちゃんは、生きて帰って来るからな」

 

ここで、硫黄島で惹起している現実に戻る。

 

洞窟戦に意味がないという海軍少将の大杉は、栗林に潔く死ぬべきだと進言するが、栗林は反論する。

 

「日本で一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には、意味があるんです!」

 

そして、大杉に大本営に速やかに支援部隊を送るよう進言して欲しいと、頭を下げるのだ。

 

しかし、大杉は栗林に反発したまま島を離れて行った。

 

それでも意志が変わらない栗林の、厳しく精悍な表情が映し出されるのだ。

 

 

 

人生論的映画評論・続: 硫黄島からの手紙('06)  「自決の思想」を否定する男の、途切れることのない闘争心がフル稼働する クリント・イーストウッド より

「泣く子はいねぇが」('20)  佐藤快磨  破綻から再生までの途方もない旅路

1  「止めて欲しいように見えた…あんなところで働かせるような奴に渡したくない」

 

 

 

娘が産まれたばかりの若い夫婦、たすく(・・・)とこ(・)と(・)ね(・)の会話。

 

「ちゃんとしようよ。このままじゃ、無理だと思う」

「何が?」

「なーんも、考えていないっしょ」

「凪(なぎ)、産まれたばっかで、俺たち、ケンカしってしょうがないでしょ」

「凪(を)、言い訳しないでよ」

「それは、本当にごめん。でも、父親はいた方がいいでしょ」

「当たり前でしょ」

 

たすくは、男鹿半島の伝統行事・ナマハゲ(ユネスコ無形文化遺産)の人手が足りないと頼まれ、出て行こうとする。

 

「やんないって、約束したよね?」

 

酒を飲まずに途中で抜け出すと、ことねと約束したが、ナマハゲ保存会の集まりに顔を出すと、会長の夏井に第一子誕生の祝儀を受けとり、最後まで引き受けざるを得なくなった。

 

晦日に恒例のナマハゲ行事が佳境に入り、各家で酒を振舞われて、親友の志波(しば)にも飲まされ、たすくは泥酔してしまう。

 

テレビ中継でインタビューを受ける夏井。

 

「ナマハゲですね、ただ泣かすためだけの鬼じゃないんですよ。悪いことをしないで、正しく生きる、そういう人としての道徳を教えてくれる神様なんですな。そのナマハゲから、父親は子供を守る。守られた子供たちも、いつかは、父親となって守る立場になっていくと。ナマハゲは、男たちにね、そうやって、父親としての責任を与えてきたんですね。ナマハゲは、新しい年を迎える前に、今一度、家族の絆を見つめ合うっていう、大切な行事なんですな」

 

その中継中に、ナマハゲの面をつけ全裸となって叫び、町を彷徨(さまよ)うたすくの姿がテレビに映し出されてしまった。

 

中継会場は混乱し、凪を抱いたことねはテレビでその様子を見る。

 

放送事故でテレビは中断する。

 

なおも叫びながら走るたすくは、夜の浜辺に出て、寝転んでしまった。

 

2年後。

 

地元にいられなくなったたすくは東京へ行くが、仕事場でも浮いて適応できないでいる。

 

そんな折、志波が訪ねて来た。

 

店で、2年ぶりに行われたナマハゲ保存会のテレビ中継での夏井のインタビューを観る二人。

 

その志波から、離婚したことねの父が亡くなり、ことねがキャバクラで働いていると知らされる。

 

「お前、父親だろ」

「お前に関係ねぇから。お前、他人だろ」

 

たすくは一人で帰ろうとすると、客とぶつかり喧嘩となり、結局、朝まで志波と時間をつぶし、東京の町を眺めながら、意味のない会話をする。

 

「楽しいよ、こっちは」

 

そう話すたすくだったが、その直後、母と兄の住む男鹿の実家に帰っていく。

 

「突然帰って来て、なした?皆にチンコ見られてな。お前はいいな、好き勝手生きれて」

「許してもらうまで謝るしかないと思ってます」

「少なくとも、もう誰も、おめぇに謝って欲しいと思ってねぇよ。皆、忘れようとしてくれてんのに、おめぇが余計なことして、どうすんのや…要は、帰って来てみただけなんだべ。許してくれると思って」

「違う」

「いやいや、違うとかじゃなくて、傍から見たら、そうなの」

 

孤立無援のたすくの居場所が、故郷にない現実を実感せざるを得なかった。

 

たすくは志波に会い、「ことねに会いたい」と漏らす。

 

志波と共に夜のネオン街へ行き、ことねが勤める店を探すが、見つからない。

 

たすくは、アイスクリーム売りの母と仲間の送迎の運転手をして日銭を得る。

 

志波から、ことねが勤める店を知らされ、早速訪ねると、ちょうど店の前で吐瀉していることねがいた。

 

「大丈夫?」

「何しに来たの?」

「お父さんのこと、聞いた。志波から」

 

その言葉を無視して、帰ろうとすることね。

 

「ことねと凪の力になりたい」

「じゃ払える?養育費とか慰謝料とか」

「こんなん、一番、嫌がってたじゃん。酒だって、めっちゃ弱いのに」

「あなたみたいに、バカなことしない」

「ごめん。本当に、ごめん」

「もう、いい?」

 

歩き出すことねに縋って、言い放つ。

 

「金稼ぐ。払う。許してもらうまで、俺…」

「私、再婚するの」

 

呆然と立ち竦むたすく。

 

たすくは、志波に自分の思いを語る。

 

「止めて欲しいように見えた…あんなところで働かせるような奴に渡したくない」

 

まもなく、たすくと志波はサザエの密猟をして、金を稼ぐのだ。

 

危ないと思ったたすくは、ハローワークで就職先の相談をしていると、夏井に首を掴まれ、引き摺らていった。

 

夏井は2年半分の苦情の手紙を、たすくに突き付ける。

 

「おめぇのおかげでなぇ、ナマハゲ終わるところだぁ。俺たち、ボランティアでねぇんだよ。命だ、命!」

「申し訳ありませんでした」

「おめぇのオヤジさんが、どういう思いで、あの面一つ一つ彫ったか、分かってんのかぁ?知らねぇのかって!」

「すいません、すいません」

 

謝罪するばかりの男は、その後もサザエの密猟を続け、少しずつお金を貯めていく。

 

たすくの脳裏を駆け巡るのは、ことねのことばかりなのだ。

 

  

人生論的映画評論・続: 「泣く子はいねぇが」('20)  佐藤快磨  破綻から再生までの途方もない旅路 より

ブータン 山の教室('19)  パオ・チョニン・ドルジ  村民への優しい眼差しをリザーブした青年教師の精神浄化の物語

1  “先生には敬意を払いなさい。未来に触れることのできる人だ”

 

 

 

ブータンの首都ティンプーで教師をしているウゲン。

 

祖母と二人暮らしで、友人たちと都会の生活を満喫するウゲンの夢は、教師を辞め、オーストラリアで歌手になること。

 

常にヘッドフォンで音楽を聴き続け、全く教師の仕事をやる気のないウゲンに、ブータンで一番の僻地・ルナナへの転属が役所から言い渡される。

 

冬まで頑張れば、教員の5年の義務期間が終わるので、それまで我慢のつもりで、ウゲンはルナナへ行くことにした。

 

友人や祖母に見送られ、標高2800メートルのガサまでバスで向かう。

 

夜にガサに到着し、ルナナの村長の代理で来たミチェンに迎えられ、一泊して朝一番で村へと出発するが、そこから7日間の険しい山登りを前にウゲンの気力が萎えてしまう。

 

幾つかの渓谷を越え、テントを張って夜を過ごし、8日目にしてやっとルナナに到着する。

 

村の入り口から2時間前の処で、村民総出がウゲンを出迎えた。

 

ルナナの村長アジャがウゲンに挨拶をする。

 

「ルナナの村民、全員を代表して、心から歓迎します」

 

村長がウゲンを案内し、お茶を振舞われた。

 

「先生、村の子供たちに教育を与えてください。村の仕事はヤク飼いや、冬虫夏草を集めることですが、学問があれば別の道もある」

 

冬虫夏草(とうちゅうかそう)とは、昆虫に寄生してキノコを作る菌のこと】

 

ルナナ村 人口:56人 標高:4800メートル

 

村民たちに随伴し、ようやく村に辿り着いたウゲン。

 

学校へ案内されると、何もない教室に動揺を隠せないウゲン。

 

次に寝泊まりする部屋に案内されると、ウゲンは思わず村長に訴えた。

 

「村長、正直に言います。僕には無理です。ここは世界一僻地にある学校だ。前の先生も、きっと苦労したと思う。僕には、できない。すぐにでも町に帰りたい…教師を辞める気だった」

「ミチェンやラバを、数日休ませたら、先生を町まで送らせます」

「でも村長、村には教員が必要です」とミチェン。

「いいさ。無理強いはできない」

 

翌朝、ドアを叩く音に目を覚ましたウゲンが出て行くと、女の子が挨拶をする。

 

「クラス委員のペムザムです。授業は8時半からで、今は9時です。先生が来ないから、様子を見にきました」

 

「分かった」と答え、ウゲンは着替えて教室へ向かう。

 

初めての授業で自己紹介することになり、それぞれの名前と将来の夢を聞いていく。

 

「ペムザムは何になりたい?」

「歌手になりたいです」

 

ウゲンに促され、歌を披露するペムザム。

 

「君の名前は?」

「サンゲです。将来は先生になりたいです」

「どうして?」

「先生は未来に触れることができるからです」

「君が先生になったら、町から先生を呼ばなくてすむね」

 

教室の外から、“ヤクに捧げる歌”が聴こえてきた。

 

村で一番の歌い手のセデュの歌声である。

 

ペムザムは、8時半と3時に鳴らす学校の鐘をウゲンに渡す。

 

翌朝、ミチェンが村人からの米とバター、チーズを届けに来た。

 

ウゲンが火を起こせずにマッチで紙につけていると知ると、ミチェンは村では紙は貴重品なので、ヤクの糞を使っていると話す。

 

その付け方を教えるために、二人はミチェンの家に向かった。

 

道すがら、仕事もせずに、酔いつぶれて横たわっていペムザムの父親に、ミチェンは声をかけるが反応はなく、言っても無駄だと置き去りにする。

 

ミチェンの家で妻を紹介され、上がり込んでヤクの乾燥した糞の火のつけ方を教わるウゲン。

 

「村長が、いつも言います。“先生には敬意を払いなさい。未来に触れることのできる人だ”」

「教職課程では教わらなかったな」

 

ウゲンが教わったヤクの糞で火を点けようとすると、外で子供たちの声が聞こえ、外に出ると、ペムザムがいた。

 

「両親は離婚して、お父さんは、ずっとお酒と賭け事です。お母さんは、ヤクを連れて遠くにいます。家には、おばあちゃんが…」

 

ウゲンは、前任者が置いていったトランクから教科書を出し、教室を掃除して机を並べた。

 

鐘を鳴らし、子供たちを整列させる。

 

ペンザムが旗を揚げ、皆で国家を歌うのである。

 

教室で紙と鉛筆を生徒に配り、黒板がない代わりに壁に炭で字を書き、授業が始まった。

 

ウゲンがヤクの糞を拾いに行くと、セデュの歌声が聞こえてきた。

 

近づいて声をかけるウゲン。

 

「いつも、ここで歌を?どうして?」

「歌を捧げてるの」

「歌を捧げてるって、どういうこと?」

「歌を万物に捧げているのよ。人、動物、神々、この谷の精霊たちにね…オグロヅルは鳴く時、誰がどう思うかなんて、考えない。だた鳴く。私も同じ」

「僕にも教えてくれないかな」

 

その直後、明日の授業の準備をしているウゲンの元に、村長とミチェンがやって来た。

 

「ガサに戻る準備ができたので、知らせに来ました。いつでも出発できます」

「しばらく、ここに残ります。子供たちを残していくのはつらい。途中で帰ったら、政府に怒られますしね」

 

喜びを隠せない二人。

 

純朴な子供たちやセデュとの触れ合いで、深く心を動かされたウゲンは、冬が来るまでこの地に留まることを決めたのである。

 

ミチェンとウゲンは黒板を作り、早速、授業に使っていく。

 

  

人生論的映画評論・続: ブータン 山の教室('19)  パオ・チョニン・ドルジ  村民への優しい眼差しをリザーブした青年教師の精神浄化の物語 より