ノマドランド('21)  最後の“さよなら”がない〈生き方〉を選択していく

1  「点滴のボタンをもう少し長く押せば、逝かせてあげられると。私にその勇気があれば、あんなに苦しませずに済んだ」

 

 

 

2011年1月31日、USジプサム社は業績悪化により、ネバタ州の石膏採掘所を閉鎖。企業城下町であるエンパイアも閉鎖され、7月には町の郵便番号も抹消された。

 

世界的な金融危機を起こした2008年、リーマンショックに起因する経済破綻によって、車上生活を余儀なくされた“ハウスレス”のファーンは、アマゾンの配送センターで働き始めた。

 

同じく、車上生活をする同僚のリンダのヴァンを訪ね、彼女の身の上話を聞く。

 

「ヴァンに移り住む前は、仕事を探して駆けずり回ってた。2008年の金融危機の年よ。あの頃が人生のどん底だったわね。自殺も考えた。方法も決めてた。お酒を1瓶買って、ガス栓をひねるの。気を失うまで飲んで、途中で目が覚めたら、タバコに火をつけて、爆死しようって。でも、2匹の愛犬と目が合って…できなかった。犬だけじゃない。私も死んじゃいけないと。ちょうど62歳になる前だったから、ネットで公的年金の額を調べてみたの。たった550ドル。私は12歳から働いて、2人の娘を育てたのよ。なのに、それっぽっち。そんな時、ボブ・ウェルズの“RV節約生活”を。そうだ、キャンピングカーで暮らせばいい。働き蜂はやめようって」

 

リンダは携帯で、「RTRはノマド初心者の“訓練所”です…今、助けが必要な人を支援するシステムです」と語りかけるボブ・ウェルズの動画をファーンに見せる。

 

「RTRって?」

「“放浪者の集会(ラバー・トランプ・ランデブー)”。アリゾナ州のクォーツサイト砂漠の外れでやるの。来ない?地図を描くわ」

「やめとく」

 

そこでまた、ボブ・ウェルズの話が耳に入ってくる。

 

「つまり、RTRとは、今、助けが必要な人を支援するシステムです」

 

年末になり、アマゾンがクリスマス休暇に入ると、ファーンは新たな仕事を探しに職安(州ごとに異なる)へ行く。

 

「夫はUSジプサム社の社員で、私は数年間、事務職を。その後はエンパイアの街のレジ係をしたり、5年間、代用教員も」

「採掘所の閉鎖で、全住民が立ち退きに?」

「ええ、1年前」

「いつから働きたい?」

「今すぐ」

「今すぐは難しいわ。年金の早期受給を申請してみたら?」

「年金だけじゃ暮らせないし、仕事がしたいの」

「年齢とか、いろいろ不利な点が…」

 

ファーンは車を走らせ、リンダが誘ったボブの「砂漠の集い」に参加する。

 

「我々は、ドルや市場という独裁者を崇めてきた。貨幣というくびきを自らに巻き付け、それを頼みに生きてきた。馬車馬と同じだ。身を粉にして働き、老いたら野に放される。それが今の我々だ。もし社会が我々を野に放り出すなら、放り出された者たちで助け合うしかない。“経済”というタイタニックは沈みかけてる。私の目的は、救命ボートを出して多くの人を救うことだ」

 

ボブの演説の後、炊き出しが始まり、大勢の参加者に食事が振舞われる。

 

薪を囲んで、それぞれの身の上を語り合う。

 

「俺はベトナムから帰還して、PTSDに。大きな音に耐えられず、人混みや花火もダメだ。でも、キャンピングカーで暮らし始めて、心が穏やかに」

「私はずっと、家族に言い続けてきたの。キャンピングカーで国中を回ろうって。でも、両親が2人ともガンになって、3週違いで死んだ。そんな時、ボブ・ウェルズの動画を見つけて、ヴァンを買った…そして、私は癒しの旅へ」

 

ファーンは、ボブから直接、言葉をかけられる。

 

「過酷な人生だね。夫を亡くし、住んでいた町も友達も、すべて失うとは。そう簡単には立ち直れないさ。何の助言もできないが、答えを探すには、ここはいい場所だ。自然と繋がり、人との絆を育む。物の見方が変わるよ」

 

ファーンは、沢山のキャンピングカーが屯(たむろ)する朝の“ノマドランド”を散歩する。

 

それから、駐車場の止め方や排泄物の扱いなど、車上生活で必要なスキルの講習を受け、

夜にはギターを弾いて歌い、皆でダンスを踊り、次の日には、殆どの車が去って行った。

 

ファーンのヴァンのタイヤがパンクして、スワンキーに町まで乗せて行って欲しいと助けを求める。

 

ファーンは砂漠でスペアタイヤがないのは、命取りだと注意される。

 

「最低限のスキルよ。救助の呼び方とか、タイヤの替え方とか…万が一に備えて、GPSを搭載しなさい」

 

貸しを作ったと言うスワンキーは、旅を続ける準備をファーンに手伝ってもらう。

 

作業中、気分が悪くなったスワンキーは、ファーンに事情を話す。

 

「かなり前だけど、肺がんの手術をしたのよ。小細胞がん。それが脳に転移して、あと7~8か月だろうと」

「そう。つらいわね」

「私は旅を続けるわよ。もう一度アラスカに行きたいの。その後は、やるべきことを。ドクター・ケボーキアンって医者がいて、いろんな安楽死の方法を本に書いてるの。言わば“レシピ本”ね。いずれ参考にするけど、ただ病院で死ぬのを待つのはイヤ。お断り。私は今年75よ。いい人生だったわ。カヤックを漕いで、美しいものをたくさん見た。アイダホの川で、ヘラジカの家族の出会ったり、大きな真っ白いペリカンが、目の前に舞い降りたり、あとは…カーブを曲がると、崖一面に何百というツバメの巣があって、無数のツバメが舞ってたり、それが水面に映って、私もツバメと一緒に飛んでる気がした。ヒナがふ化して、小さな白い殻が川に落ちて流れていく。あまりに美しくて、“もう十分”って。この瞬間に死ねたら幸せって」

 

二人は夕焼けに染まる砂漠に出て、スワンキーは話の続きをする。

 

「私が死んだら、焚き火に石を投げ入れて、私を偲(しの)んで…キレイな空」

 

ファーンは音楽を聴きながら、昔の写真を取り出し、夫を懐かしむ。

 

翌日、スワンキーの髪を切りながら、ファーンが夫への思いを話す。

 

「ずっと考えてるの。夫のボーのこと。最後は病院でモルヒネの点滴を。私はベッドのわきに座って、思ってた。点滴のボタンをもう少し長く押せば、逝かせてあげられると。私にその勇気があれば、あんなに苦しませずに済んだ」

「彼は少しでも長く、あなたといたかったかも。やれることはやった」

「そうね」

 

そのスワンキーも去って行った。

 

残されたファーンもまた、大自然の中に身を置き、その美しさを体感する。

 

ファーンはリンダと共に、バッドランズ国立公園で清掃の仕事を始めた。

 

二人は、“国立グラスランズ・ビジターセンター”(国立公園の自然などの情報を展示する)へ行き、大自然が作った岩の造形を楽しむ。

 

店で酒を飲みながら、リンダは自分の夢を語る。

 

「このアリゾナの土地に、アースシップを建てるの。自給自足の家。建材は古タイヤや空き瓶。廃材で造るから、環境に優しいの。自分の手で作り出す生きた芸術作品。孫の代まで残せるわ。何十年も朽ちず、人間より長生きする家」

 

リンダもまた、ファーンに「友情をありがとう」と別れを告げ、キャンプ場を後にした。

 

【アースシップとは、自然エネルギーで電気を自給自足する住宅スタイルで、1970年代に、米国の建築家が建て始めて世界中に普及している】

 

ファーンに、タバコを買いに行けない時にと、リコリス(薬草の一種)を持って来たデイブは、荷物を下ろす手伝いをして、ファーンが家族の思い出として大事にしている皿を割ってしまった。

 

謝罪するデイブを許せず追い返し、何とか割れた皿を接着剤で継ぎ合わせた。

 

その後、デイブが体調を崩し、付き添うファーン。

 

病院に行くと、腸の炎症で、腹腔鏡手術(腹部に小さな穴をあけて行う手術)をしたという。

 

ファーンはお見舞いに差し入れをすると、デイブに次の仕事を聞かれ、「ネブラスカでビーツの収穫を」と答える。

 

“ウォール・ドラッグ”で働くと言うデイブはファーンを誘い、一緒に仕事をすることになる。

 

【ウォール・ドラッグは、バッドランズ国立公園に隣接する世界最大のドラッグストアで、観光名所として有名】

 

デイブの元に、息子が訪ねて来た。

 

もうすぐ孫が生まれるので、“一緒に帰ろう”と言われたが、デイブはそれを断った。

 

「俺は、なんていうか、息子が子供の頃、あまり家にいられなくてね。大人になってからは、お互いの興味も違ってて。“父親”のやり方を忘れちまった。向いてないんだ」

「考えすぎずに、“おじいちゃん”をやって」

「一緒に来ないか?」

「そのうち寄るわ」

「楽しみだ」

 

朝、デイブがファーンの車を訪ねて来たが、反応しないでいると、デイブのメモが巻かれた石が置いて、そのまま去って行った。

 

メモには、「“遊びに来たら、いろんな石を見せるよ”」と書いてあった。

 

  

人生論的映画評論・続: ノマドランド('21)  最後の“さよなら”がない〈生き方〉を選択していく クロエ・ジャオ より

ドライブ・マイ・カー('21)  切り裂かれた「分別の罠」が雪原に溶かされ、噴き上げていく

1  「前世、彼女はヤツメウナギだったの。川底の石に吸盤みたいなベロをくっつけて、ひたすら、ゆらゆらとする」

 

 

 

「彼女は時々、ヤマガの家に空き巣に入るようになるの」

「ヤマガ?」

「彼女の初恋の相手の名前。同じ高校の同級生。でも、ヤマガは彼女の想いを知らない。彼女も知られたくないから、それで構わない。でも、ヤマガのことは知りたい。自分のことは何も知られずに、彼のことは全部知りたいの」

「それで空き巣に入る」

「そう。ヤマガが授業に出てる時、彼女は体調が悪いと言って早退する。ヤマガは一人っ子で、父親はサラリーマン。母親は学校の先生。家に誰もいないことも、クラスメートに聞いて知ってる」

「どうやって中に入る?普通の女子高生が」

「彼女が当たりをつけてた通り、玄関脇にある植木鉢の下を探る。そこに鍵がある」

「不用心だな」

「それで彼女は、ヤマガの家に忍び込む。2階に上がり、ドアを開ける。ハンガーに掛けられたユニフォームのゼッケンで、そこが間違いなくヤマガの部屋と分かる。17歳の男子らしくない整った部屋で、彼女は親の、特に母親の強いコントロールを感じる。空気を吸い込む。耳を澄ます。沈黙が聞こえる。補聴器を付けたみたいな強調された静けさが、その部屋には響いてる。彼女は、ヤマガのベッドに身を沈める。彼女はオナニーしたい衝動を抑える」

「どうして?テレビドラマの限界?」

「違う。彼女の中にルールがあるから。していいことと、してはいけないことがあるの」

「空き巣はしていいけど、オナニーはしてはいけない」

「そう」

 

俳優で舞台演出家の家福悠介(かふくゆうすけ/以下、家福)と、その妻で、脚本家の音(おと)との夜のベッドでの会話。

 

今度は、赤いサーブを運転しながら、妻との会話の続きをする。

 

「彼女はそれで、ヤマガの部屋に、使用前のタンポンを置いていく」

「タンポン?」

「君が言ったんだ」

「変な話」

「いつもに輪を掛けて。テレビドラマになる?これ…それで彼女は、自分のカバンから、使用前のタンポンを取り出して、彼の学習机の引き出しに入れる。彼の過保護の母親が気づいたら…そう考えると、彼女の胸は高鳴る」

「変態だ」

「タンポンは、彼女自身が、そこにいたという印(しるし)なんだ。彼女は、度々学校を早退しては空き巣を続ける。彼女も危険は承知している。彼女は親や教師からの信頼も厚いタイプの女の子だったから、バレたら失うものも多い」

「それでも止められない」

「止められない。部屋に入ると、わずかな匂いを求めて隅々まで嗅ぎ回る。帰り際にはいつも、ヤマガの印を持ち帰る…彼女も引き換えに彼女の印を置いていく。最もエスカレートした時、彼女は自分の履いていた下着を彼の衣装ダンスの一番奥に入れた。印の交換によって、二人が、だんだん交じり合う。そんな気がする。彼女は、そのことが彼に、母親の支配から抜け出す力に与える気がしている。今日の話は、ここまで」

「そっか。続き、気になる?」

「うん、気になる」

「待とうか、書こうか、どうするかな?」

「まだ、待ってもいいんじゃない?」

「そうだね。私も続きが知りたい」

本当に知らないの?

「いつも、そうじゃない」

「いや、今回ばかりはもしかして、君の初恋の話なのかと思って」

「なワケないでしょ」

 

その夜、家福の出演する演劇『ゴトーを待ちながら』を、音も観に来て、「よかった」と褒め、一人の俳優を紹介する。

 

「初めまして。高槻と言います」

 

家福が演出する「多言語演劇」に感動したという高槻(たかつき)は、音のドラマに度々出演している。

 

【『ゴトーを待ちながら』は、劇作家サミュエル・ベケットによる不条理演劇の代表作で、「ゴドーとは何者か」を観客に問いかけていく。演劇界に大きな影響を与えた革命劇】

 

【日本語以外に27言語の専攻語がある東京外国語大の外語祭実行委員会によると、「多言語演劇」は主に3、4年生の有志によるもので、2019年には「多言語有志語劇」「アジア有志語劇」の2団体が上演した。こうした取り組みは、既に何年も前からやっているが、そのルーツの詳細は不明。複雑化する現実の中で、多言語による演劇も各地で試みられている】

 

家福は、ウラジオストックでの仕事で、朝早く成田空港へ向かう車の中で、『ワーニャ伯父さん』役の家福が、音が録音した相手役の本読みのテープを流し、それに合わせてセリフのレッスンをする。

 

空港に着き、車を降りると、演劇祭の事務局から、寒波でフライトがキャンセルされたという知らせを受ける。

 

家福は、すぐに自宅に引き返すが、そこで、鏡に映る妻の浮気現場を目撃し、気づかれないように家を出た。

 

再び成田に戻って、ホテルに泊まり、音からのスカイプのビデオ通話で、ウラジオストックに居ることを装うのだ。

 

一週間後、車の運転で接触事故を起こし、精密検査の結果、医者から左目の緑内障を指摘される。

 

放って置くと失明するが、進行を遅らせる点眼薬の使用を条件に、愛車の運転は許可された。

 

音は家福の手を握る。

 

二人は亡くなった娘の供養を終え、音の運転する車で帰路に就く。

 

「本当は子供、欲しかった?もう一度」

「分かんないな。誰も、あの子の代わりにはなれないわけだし」

「でも、同じくらい愛せたかも」

「君が望まないものを、僕だけ望んでも仕方がないよ」

「ゴメンね」

「君のせいじゃない。僕も君とそれを選んだんだ。だから、いいんだよ」

「うん。私ね、あなたのことが本当に大好きなの」

「ありがとう」

「あたし、あなたで本当に良かった」

 

その夜も二人は結ばれ、再び、空き巣の女子高生の話が始まる。

 

「ある日、彼女は前世のことを思い出すの。前世、彼女はヤツメウナギだったの…他のヤツメウナギみたいに、上を通りかかる魚に寄生したりしない。川底の石に吸盤みたいなベロをくっつけて、ひたすら、ゆらゆらとする。痩せ細って、やがて本当の海藻のようになるまで、彼女は石にへばり続けた。どうやって死んだのかも覚えてない。餓死したのか、他の魚のエサになったのか。ただ、ゆらゆらと揺れていたことだけ覚えてる。ヤマガの部屋で、彼女は唐突に理解する。ここは、あの頃のまんまだ。石にへばりついていたみたいに、ヤマガの部屋から離れられない。そうだ、この部屋の沈黙は水の中とよく似ている。時間が止まる。過去と現在がなくなってしまう。彼女はヤマガのベッドの上でオナニーを始めた。服を一枚一枚、全部脱ぎ捨てる。ずっと禁じてきたのに止められない。涙が出てきた。枕が濡れる。彼女はその涙が、今日の自分の印だと思う。その時、誰かが帰って来た。一階でドアが開く。気がつくと、窓の外は暗くなり始めていた。ヤマガか、父親か、母親か、その誰かが、階段を上がって来る音がする。終わりだ。でも、これでようやく止められる。ようやく終わる。前世から続く因果の輪から抜け出す。彼女は新しい彼女になる。ドアが開く!」

 

翌朝、家福はネットでヤツメウナギを調べている。

 

「昨日の話、覚えてる?」

「ごめん。昨日のは、よく覚えてない。僕も殆ど眠ってたから」

「そっか…忘れちゃうのは、その程度のもんだから」

 

嘘をついた家福は、ワークショップの講師に出かけようとすると、音は「聞いていない」と言う。

 

「今晩、帰ったら少し話せる?」

「勿論、なんで、わざわざそんなこと聞くの?」

「いってらっしゃい」

「行ってきます」

 

夜の街をしばらく運転してから家に帰ると、音がソファに倒れていた。

 

クモ膜下出血による急死だった。

 

葬儀には、高槻も参列した。

 

舞台で、ワーニャ伯父さんを演じる家福。

 

「それは、あの女の貞淑さが、徹頭徹尾、まやかしだからさ」

 

家福が舞台から下がると、ワーニャを呼ぶ男のセリフ。

 

「いや、言わせてもらう。私は妻に逃げられた。別の男と、結婚式の翌日に。私が平凡だから」

 

舞台の袖で、それを聞く家福は、セリフとリアルな〈状況性〉との受け入れがたい現実が交錯して、頭を抱え込むのだ。

 

  

人生論的映画評論・続: ドライブ・マイ・カー('21)  切り裂かれた「分別の罠」が雪原に溶かされ、噴き上げていく  濱口竜介 より

チョコレート・ドーナツ('12)  魂を打ち抜く反差別映画

1  「世界を変えたくて、法律を学んだんでしょ。今こそカミングアウトして、世界を変えるチャンスよ」

 

 

 

カリフォルニア州 ウエスト・ハリウッド 1979年

 

ショーパブで歌うゲイのルディを見つめる一人の男。

 

地方検事局に勤務するポールである。

 

ルディもポールが気に入り、ステージの後、二人はすぐに車内で行為に及ぶが、見回りの警官に同性愛の関係を疑われ、銃で脅されるが、ポールが身分を明かしたことで難を逃れた。

 

帰宅したルディは、アパートの廊下に落ちている人形を拾い、大音量を流す隣人のドアを叩いて母親のマリアンナを呼び出す。

 

「大音量は子供の耳に悪い」と告げて人形を渡すや、「オカマ野郎」と言い返される始末。

 

母親が男と出て行き、翌朝、大音量が止まないので、部屋に入りスイッチを消すと、ダウン症の少年・マルコがベッドの片隅に座っていた。

 

母親の居所が分からないので、ルディはマルコを連れ、ポールから渡された名刺に電話をかけるが、取り次いでもらえず、事務所に乗り込んでいく。

 

慌てたポールは二人を部屋に入れ、職場に訪ねて来たことを正し、言い合いになる。

 

「この子の母親が、ゆうべから帰らないの」

「僕に何を?」

「検察官でしょ。何か助言をちょうだい」

「家庭局に連絡を」

「施設に放り込めと?ひどい場所よ」

「これが助言だ」

 

ルディはマルコの手を引き、部屋から出ると、ポールが呼び止める。

 

「金でも必要なのか?」

「つまり、金をやるから、もう来るなって?恥を知ることね」

 

小気味よいルディの反駁(はんばく)だった。

 

アパートに戻ると、マルコの母親が薬物所持で逮捕され、家庭局のマルチネス保護官がマルコの帰宅を待っていた。

 

有無言わさず連れて行こうとする保護官らに、立ちはだかって抵抗するルディだが、マルコは施設に連れて行かれる。

 

しかし、夜になり、マルコは施設を抜け出し、人形を持って夜道を歩いていく。

 

ルディがパブで歌っていると、ポールが待っていた。

 

ポールは楽屋を訪ね、「悪かった」とルディに謝る。

 

二人は、パブの片隅で酒を飲みながら、身の上話をする。

 

「恋人と結婚し、何もかも完璧だったが…」とポール。

「保険のセールが死ぬほど退屈で、ドラァグクイーンに憧れ続けた」とルディ。

「ともあれ僕は離婚し、法律を学び世界を買えようと、この街へ来た」

「世界は変えられた?」

「最初は、世界を変えてやると意気込んでた。燃えてたんだ。罪のない人々を守り、悪を裁くために闘うんだとね」

 

ポールはルディの話を聞きたいと言うと、歌で応えていくルディ。

 

あたしは東の端っこ 

クィーンズの生まれ 

でも二十歳になる前 家を出た

バーで家賃を稼ぎ 家主を黙らせる 

お金がすべてじゃないけど もう少しお金が欲しい

 

車内で歌声が素晴らしいとポールが言い、ルディはベット・ミドラーに憧れていると話す。

 

すると、歩道を歩くマルコを見つけ、声をかけると家に帰ると言うので、ルディは自宅に連れて行く。

 

「君はすごいよ。君は何も恐れない」とポール。

「やめてよ。お世辞なんか」

 

翌朝、目が覚めると、マルコは既に起きていた。

 

遅刻すると慌てて、ポールが出て行くと、マルコが「すみません」とルディに声をかける。

 

「お腹すいた」と一言。

 

ルディはクラッカーとチーズを用意するが、ドーナツが好きなマルコは手を出さないので、面白おかしく勧めると、そこでマルコは笑い出す。

 

そこに管理人がやって来て、二人でいるところを見つかったルディは、ポールに電話で相談すると、家には戻らないほうがいいと、自宅での夕食に招待される。

 

ポールが食事を振舞うと、マルコはここでも食べようとしない。

 

そこで家にあったチョコレートドーナツを出されると、満面の笑みを湛え、「ありがとう」と言って、美味しそうに食べるのだ。

 

マルコを寝かしつけるルディ。

 

「ママは戻ってくる?」

「いいえ」

「一緒にいてもいい?」

「分からない」

「お話を聞かせてくれる?…ハッピーエンドね」

「もちろんよ」

 

ルディは、魔法が使えるマルコ少年について、情感たっぷりに話していく。

 

マルコへの愛しみを深めるルディに、「引き取りたいんだろう?」と訊ねるポール。

 

「そうよ」

「簡単じゃないぞ」

 

あっさりとした合理的な現役検事の反応だが、知恵では負けない。

 

ポールは合法的に引き取る方法が一つあると言い、早速、収監されているマルコの母親・マリアンナを訪ねていく。

 

服役期間中のみ、ルディがマルコを保護する「暫定的監護権」を認める書面にサインを求めるポール。

 

審査では、安全な環境とマルコの寝室が求められるので、同居していることにすると提案する。

 

ルディは当然ながら同意し、マイヤーソン判事に教育環境や、同居のルディとの関係を聞かれたポールは、従弟と偽り許可が下りた。

 

「暫定的監護権」を手に入れたのである。

 

ポールの家に自分の部屋を用意されたマルコは、二人に訊ねる。

 

「ぼくのうち?」

「そうよ。ここがおうちよ」

 

すると、マルコは顔をくしゃくしゃにして、泣き始める。

 

ルディが「大丈夫?」と肩を抱くと、「うれしくて」と答えるマルコ。

 

二人はマルコを病院に連れて、体全般の検査を受けさせると、様々な異常が見つかった。

 

「よくありませんね。ケア不足でしょう。視力に問題がありますし、あらゆる病気にかかりやすい。甲状腺疾患、腸管異常、それから特に白血病です…忘れないで下さい。ダウン症の子供を、育てるのは大変ですよ」

「それは承知の上です」

「大学進学も、独り暮らしも、就職も望めません。あの子はずっと、あのままです」

 

そのアドバイスを受容し、マルコは動く。

 

学校の特別プログラムのフレミング先生の教室に入り、家では、宿題を二人が教え、それに懸命に答えるマルコ。

 

ポールは、ルディの歌のデモテープを作るためのレコーダーをプレゼントする。

 

ルディーは、早速マルコとポールの前で歌って録音し、そのデモテープを郵送した。

 

3人がハロウィンやクリスマスのイベントや、海で遊ぶ幸せな様子を映すビデオ映像が流される。

 

マルコも学校の発表会で、ルディとポールの前で歌ってみせる。

 

至福の時間だった。

 

担任のフレミングから、マルコが描いた「“2人のパパの絵”」を渡され、二人の状況の厳しさを親切にアドバイスされる。

 

それが、日を置くことなく可視化されていく。

 

上司のウィルソンから、重大事件の担当に抜擢されたポールは、ホームパーティーに誘われ、ルディとマルコを伴って、週末にウィルソン宅を訪れた。

 

ウィルソンの妻の挨拶に反応できないマルコだったが、音楽に合わせて、巧みなダンスを披露し、周囲を沸かせる。

 

しかし、ルディは庭に出て行き、自分たちの関係を公表できないことの不満をポールに漏らすのだ。

 

「それで、どうするの?老けたオカマ2人。まだ、いとこ同士だと言い張る?」

「いいのか?マルコを失うぞ」

「これは差別なのよ」

「差別じゃない。それが現実だ」

 

その言い合いの様子を家の中から見ていたウィルソンは、二人の関係が同性愛だと確信し、家庭局と警察に通報するに至る。

 

ポールに対するウィルソンの謀(はか)りごとであった事実が明かされるエピソードだった。

 

かくて、監護権が取り消されたルディが警官に抵抗し収監される一方、マルコは保護官に連れて行かれ、ポールは、ウィルソンに解雇を言い渡されるという最悪の事態が惹起する。

 

収監されたルディを迎えに来たポールは、クビになったことを告げた。

 

「偽りの人生を捨てて、本当の自分になるチャンスよ」

「10年間、この仕事のため、必死に勉強し、夢中で働いた。くだらない理想論は結構だ」

「世界を変えたくて、法律を学んだんでしょ。くだらない理想論を忘れた?今しかない。今こそカミングアウトして、世界を変えるチャンスよ」

 

ルディとポールは、再びマルコの監護権を求めて、裁判所に訴えた。

 

二人の長くて重い法廷闘争が開かれていくのだ。

 

【ヒトの場合、遺伝子を含むDNAを保管している染色体は1つの細胞に46本あり、父親から受け継いだものと、母親から受け継いだものがペアとなって23組に分かれているが、ダウン症は、21番目の染色体が3本(普通は2本)になっている染色体異常(トリソミー)の疾病である。特徴のある顔立ちをしていて、筋力や言語発達の遅れが見られる】

 

 

人生論的映画評論・続: チョコレート・ドーナツ('12)  魂を打ち抜く反差別映画  トラヴィス・ファイン より

コーダ あいのうた('21)  「青春の光と影」 ―― 身を削る思いで束ねた時間の向こうに結実していく

1  「家族抜きで、行動した事がないんです」

 

 

 

漁で生計を立てる4人家族のロッシ一家。

 

父フランク、母ジャッキー、そして兄レオの3人は、共に聴覚障害者。

 

高校生の娘ルビーが健聴者なので、「コーダ」である。

 

【コーダ(CODA)とは聴覚障害の家族を持つ健聴者のことで、ルビーはヤングケアラーになる】

 

従って、仲介人との交渉もあり、漁の仕事にはルビーの存在は不可欠である。

 

この日も、思ったような高値で魚が売れず、家族の不満が募る。

 

〈今日は病院に行く日だぞ。忘れるな〉

 

フランクが手話でルビーに声をかけると、〈了解〉と返し、その足で学校へ自転車を飛ばして向かう。

 

しかし、授業中に疲れで居眠りして教師に注意され、友達も冷ややかだった。

 

ルビーは学校で浮いているのである。

 

新学期の選択授業を決める際、気になる男子生徒のマイルズが選んだ合唱クラブを、ルビーも選ぶ。

 

学校帰りに、両親がトラックで迎えに来るが、大音量の音楽をかけたままで、他の生徒たちの衆目に晒され、ルビーは慌てて、運転するジャッキーに、〈うるさい〉と言うや音量を下げるが、フランクは〈ラップは最高だ。ケツがズンズン振動する〉と返して、音量を上げてしまう調子だった。

 

3人で病院に向かい、父親のペニスが燃えるように痒いということをルビーが控えめに通訳すると、医師に“インキンタムシ”と診断され、「患部を乾燥させて、セックスは2週間控えて」と念を押されてしまう。

 

合唱クラブの初めての授業で、発音が難しいので「V先生と呼んでくれ」と言う担当教師のベルナルドは、音域を確かめるため、一人一人に“ハッピーバースデイ”を歌わせるが、順番が回って来たルビーは、緊張してどうしても歌えず、そのまま教室を飛び出して行った。

 

森の中に入り、誰もいない池の畔で、“ハッピーバースデイ”を伸びやかな美しい声で歌うルビー。

 

帰宅すると、ジャッキーがカードの支払いができなかったとフランクを責め、金のやり繰りのことで喧嘩をしていた。

 

〈船を売ったら?〉

〈俺には漁しかないんだ〉

 

漁を終えて港に着くと、漁業長が、政府の要求で、漁に違法行為がないかチェックするため、海上監視員を漁船に乗せることが義務づけられる旨を漁師らに伝える。

 

1日800ドルのコストを負担することで、漁業者は一様に反発し、ルビーに同時通訳されたフランクは、〈1日の稼ぎより多いぞ〉と怒るが、〈みんなに言ってよ〉とルビーに返されると、そのまま帰ってしまう始末。

 

その足で、ルビーはV先生を訪ねた。

 

「合唱を選んだのに、歌うのが怖いか?」

「人前だと緊張して。からかわれるわ。入学したころ、しゃべり方が変だと」

「“ろう家族の子(コーダ)”かね?君以外は、全員?だが歌う。なるほど」

「はい」

「なぜ逃げだした?」

「怖くなって…ヘタだと思われるわ」

「…大事なのは、声で何を伝えられるかだ。君は伝えられるか?」

「そう思います」

「では授業で会おう」

 

唯一の友人のガ―ティーが、ルビーの家を訪ねて来た。

 

レオを狙っているガ―ティーは、ルビーに「マジな話。手話ってどうやるの?」と頼み込む。

 

授業に参加したルビーは、V先生に指名されて歌うが、呼吸がなっていないと、大型犬のように腹から声を出す練習をさせられた後、伸び伸びした声で歌い上げ、皆を驚かせた。

 

授業の終わりに、ルビーとマイルズが呼ばれ、二人で秋のコンサートで、「ユアー・オール・アイ・ニード」のデュエットをするように言い渡された。

 

次の授業の後、残ったルビーとマイルズがV先生の前で歌うと、二人で練習してこなかったことを注意され、その場で二人を向き合わせ、ハモる練習をする。

 

マイルズが帰り、V先生はルビーを励ます。

 

「できるさ。まだ不安定だが、魅力的な歌声だ」

 

そして、ルビーの卒業後の進路について訊ね、マイルズも受験するバークレー音大を勧めるが、「経済的にムリ」と答えるルビーに、奨学金もあると言い添えるV先生。

 

「歌う時の気分を説明してみろ」と言われたルビーは、言葉にはできず、思いを巡らせ手話で応えてみせるのだった。

 

それを受け止めたV先生は、夜間と週末に特訓するという提案に対して、小さな笑みを返すルビー。

 

「時間をムダにするな。君に声をかけたのは可能性があるからだ」

 

一方、レオは協同組合を作り、事業を始めようと提案するが、フランクに〈俺たちはろう者だぞ〉と反対される。

 

漁業仲間たちに誘われ、バーに飲みに行くが、話が分からず、孤立するレオ。

 

体を当てられたばかりか酒をかけられたレオが男に手話で怒りをぶつけると、「失せろ。消えな、化け物」と相手にされず、殴り合いとなるエピソードがインサートされ、聴覚障害者に対する差別が可視化されていく。

 

ガ―ティーがバイトするバーに行き、飲み直すレオ。

 

二人は意気投合して、チャットでやり取りし、店のプライベートルームで結ばれる。

 

ルビーの部屋でマイルズがギターを弾き、歌の練習を始めた。

 

互いに意識する二人は、背中合わせになって歌い始める。

 

そこに、フランクとジャッキーのセックス中のよがり声が聞こえてきて、二人のレッスンは壊されてしまうのだ。

 

ルビーがいると知らなかった言う両親は、マイルズを交えて居間で話し合う。

 

〈セックスは禁止のはずよ〉

〈ママは熱く燃える女だ。我慢できるわけないだろ…君はルビーをどうするつもりだ〉

「誤解よ」

〈コンドームを使ってね〉とジャッキー。

〈戦士にヘルメットをかぶせろ〉とフランク。

 

それをジェスチャーで伝え、マイルズも理解するが、恥ずかしさのあまり、ルビーはマイルズを帰らせる。

 

しかし、事態は悪循環に陥ってしまうのだ。

 

学校のテーブルに集まっている女生徒たちの一人が、わざとルビーに聞こえるように、よがり声を出し、食堂の皆が笑い飛ばしていた。

 

居たたまれなくなったルビーが食堂を出て行くと、マイルズが追い駆けて来た。

 

「近寄らないで!」

「僕じゃない」

「ウソつき」

「ジェイにしか話してない。ぶっ飛んだ経験だったから」

 

その直後、傷ついたルビーは、V先生のレッスンに行くが、力が籠(こも)らず、「吐き出せ。抑えるな」と怒鳴られるばかりだった。

 

このシーンは重要なので後述する。

 

その後、レッスンのため、漁業組合の説明会に遅れてやって来たルビーが、フランクとレオに通訳する。

 

漁業者に負担ばかりを強いる説明に、フランクが挙手して、抗議する。

 

〈チンポをしゃぶれ〉

 

ルビーがそう訳すと、集まった漁業者たちから笑いが起き上がる。

 

「もうウンザリだ。俺たちが規制されても、お前は平気だ。儲かるからな。俺たちは漁に見合う金をもらってない。父も、その父も漁師だった。漁を続けるために闘う」(ルビーの訳/以下同様)

 

「いいぞ!」と拍手が起こると、フランクは調子づく。

 

「クタバレ。セリには加わらない」

「そうか、ではどうする?」

「自らで魚を売る。手を組む者は?」

「何のつもりだ」

 

次に、立ち上がったレオが続ける。

 

「利益の6割もかすめ取られて平気か。俺に魚をよこせ。手取りは倍だ」

 

そうは言ったものの、金を払える目途は立っていない。

 

家に戻ると、ジャッキーがフランクらの計画を反対する。

 

〈つい口から出ちまった〉とフランク。

〈どうやって売る気?〉とジャッキー。

〈客と契約して、魚をじかに売る〉とレオ。

〈どれだけ大変か、分かってる?お金もない〉

〈君は奥さん連中と、経理をやればいい〉

 

何が問題かを問うレオに対し、ジャッキーは答える。

 

〈会話ができないからよ〉

 

しかし、ルビーは翌朝3時に起き、家族を起こして漁に出た後、“漁師共同組合”立ち上げのビラを配って宣伝する。

 

「申し込めば、漁師から直接魚を買えますよ!」

 

ルビーは歌のレッスンも怠らないが、相変わらずマイルズを無視し続ける。

 

堪(たま)らずに、マイルズが声をかけてきた。

 

「僕の家は悲惨だけど、君の人生は完ぺきだ。両親は熱烈に愛し合い、君の家は…」

「最悪よ。うちは最悪なの」

「違うよ。家族が笑顔で仲良く働いてる。家とは大違いだ。それに君の歌声は…僕は親に期待されて歌うだけだ」

「家族が笑われる気持ちが分かる?」

「無神経だった」

「私は家族を守るわ」

「分かるよ。本当に悪かった、ルビー。僕は最低だ。埋め合わせをしたい。頼むよ」

 

仕事の都合でレッスンに遅れがちなルビーは、V先生に遅刻厳禁を命じられ、2度としないと約束していたが、その日はテレビの取材が入り、通訳が必要となった。

 

ジャッキーに行くなと言われ、それでも行こうとしたルビーだったが、やはり残らざるを得なかった。

 

取材中にV先生から電話が入り、メールを送るが、ルビーが駆けつけてドアを叩いても、反応はない。

 

学校の音楽室でピアノを弾くV先生を訪ねて謝るが、やる気がないと見做(みな)され、「出て行け」と言われたことで、ルビーは本音を吐露する。

 

「家族抜きで、行動した事がないんです」

 

V先生の表情が変わった。

 

追い詰められたルビーにとって、自分が自分であることを感受し得る唯一のアイデンティティとなっている音楽だけは手放せなかったのだ。

 

ここから、家族の風景が大きく揺さぶられ、変容していく。

 

  

人生論的映画評論・続: コーダ あいのうた('21)  「青春の光と影」 ―― 身を削る思いで束ねた時間の向こうに結実していく シアン・ヘダー より

はじまりのみち('13)  旅に出た若者が「基地」に帰還し、新たな旅に打って出る

 

1  「これからは僕がずっと一緒だから、安心してよ。木下恵介から、ただの木下正吉に戻るよ」

 

 

 

静岡県浜松市 米津(よねず)の浜

 

「昭和18年。太平洋戦争の最中、木下恵介は『花咲く港』で監督デビューした。浜松出身の木下は、この場所でもロケを行い、実家からこの浜へ通ったという。木下は、同じ年に、『姿三四郎』で監督デビューした黒澤明と共に、優れた新人監督に与えられる『山中貞夫賞』を受賞。幸福な監督人生を歩み始めた」(ナレーション)

 

「花咲く港」から、昭和19年に製作された「陸軍」へと映像が遷移する。

 

「しかし、戦局の悪化と共に、国家から国民への戦争協力がより一層叫ばれ、映画界は戦意高揚の作品作りが求められるようになる。木下が昭和19年に監督した『陸軍』は、そういう時代に作られた作品だった。試写を観た内閣情報局の検閲官は、ラストシーンで戦場へ向かう息子を見送る母の姿が女々しく、戦意高揚の役に立たないと文句をつけ、木下の次回作の企画を中止させる」(ナレーション)

 

昭和20年(1945)4月。

 

松竹大船撮影所の一室で、所長の城戸四郎に、次回作の企画中止を言い渡され、抗議する木下。

 

「君だって分かってるだろ。戦局は、ますます悪化して、映画作りも政府の統制下にある。製作本数もフィルムの使用量も、内容だって、我々の自由にならないんだよ」

「そんなこと、分かってますよ!だからって、親子の情を描くことが、なぜいけないんですか!母親ってそういうもんじゃないんですか!」

 

怒りが収まらない木下は「辞表を書きます」と言い放ち、城戸(きど)の引き止めるのも聞かず、撮影所を辞めていく。

 

静岡県 気賀町(けがちょう)。

 

実家に帰ると、母・たまは、病気で布団に伏していた。

 

「これからは僕がずっと一緒だから、安心してよ。木下恵介から、ただの木下正吉(しょうきち)に戻るよ」

 

「昭和二十年 六月十八日 浜松大空襲。その夜、泊まっていた恵介は、炎の中を逃げ惑った」(キャプション)

 

【因みに、複数回にわたる「浜松大空襲」は、軍施設・軍需工場が数多くあった(世界有数の航空機メーカー「中島飛行機」)ことで、米軍の戦略爆撃と英海軍の艦砲射撃のターゲットにされ、多くの犠牲者が出た】

 

父・周吉の店も焼け、無事だった家族全員が集まり、気多村への疎開について話し合う。

 

たまをバスで連れて行くという周吉に対し、正吉は六十キロの道をリヤカーが運んだ方が負担が少ないと主張し、たまもそれを了承する。

 

夜中に便利屋を呼び荷物を引かせ、正吉はリヤカーに母を乗せて、兄の敏三と共に暗い夜道を出発するのだ。

 

峠で日の出を拝むたま。

 

朝焼けに染まり、正吉と敏三も一緒に御来光(ごらいこう)を拝む。

 

朝食の休憩中、便利屋が二人の仕事について訊ねると、敏三は浜松で尾張屋という食料品店をしていたが、空襲で焼けてしまったことを話す。

 

続いて敏三が、正吉の職業が映画監督であると言おうとすると、正吉が遮り、「今は無職だ」と本人が答えるのみ。

 

それを「映画館」と勘違いした便利屋は、しばらく映画を観てないと零(こぼ)す。

 

しかし、それ以上に美味しいものを食べていないと、次々に食べたい物を食べる仕草を始める便利屋。

 

剽軽(ひょうきん)な男である。

 

「いつになったら、また食えるようになるんずら。なんか、食う前より腹が減ってきたずら。欲しがりません、勝つまでは、か。さりとて、腹が減っては戦はできぬ、だ」

 

その話を聞いていたたまが、自分の握り飯を便利屋に分けることを伝え、正吉に渡すのである。

 

厳しい坂道で荷物を運ぶ便利屋が、今から戻って、汽車とバスを使った方がいいと正吉に声をかける。

 

「帰りたきゃ、荷物を置いて帰っていいよ」

 

先に進む正吉に、立ち止まって便利屋が反駁する。

 

「映画館勤めの青瓢箪(あおびょうたん)が、舐めたこと、こきやがる。泣き言こくなよ。よからす。やらまいか」

 

峠の坂道で往生する一行に、激しい雨が叩きつける。

 

雨の中でリヤカーを先導する敏三の力が抜け、正吉に交代する。

 

ようやく峠を越え、宿場町に着くが、どこも満員で、探し回った末に、泊めてもらえる旅館が見つかった。

 

出発から17時間経っていた。

 

宿に上がる前に、雨で泥が跳(は)ねた母の顔を丁寧に拭き、髪を整えてあげる正吉。

 

凛とした表情で、それを受ける母と、正吉の母を慮る振舞いに、周囲の皆が胸を打たれ、黙って見つめている。

 

空いている部屋が2階だというので、正吉がたまを背負い、一段ずつ上っていく。

 

「とんだ、強情っ張り(ごうじょっぱり)だに」

 

便利屋は脱帽するのだった。

 

「脳溢血だがに」と便利屋。

「おふくろは、東京で、こいつのとこにいたんだけんど、去年の11月、東京が初めて空襲に遭った時に倒れてね。家で療養してたんだけんど、今年の3月に強制疎開で立ち退きになって、帰って来たんだ」

 

この敏三の話で、言語を失った母たまの疾病が明らかにされる。

 

昭和19年11月29日。

 

その時の空襲のシーンが回想される。

 

空襲警報が鳴り、正吉がたまに声を掛けるが反応はなく、部屋で倒れている母を発見するが、ここでも反応はなく、正吉は警報の中、医者を求めて走り続けるのだ。

 

「息子の俺っちが言うのもなんだけどね、家の親はや、二人とも、実にようできた人たちなんだに。苦労に苦労を重ねて店を開いて、実直に商いをしてきただに。毎朝、使用人の誰よりも早く起きて、働き続けてきたし、俺たちは、何不自由なく育てられたんだに。うちの両親より正直な人たちにゃ、おら、会ったことがないに」

「そういう親に育てられると、自然と孝行したくなるだいに…」

「それにしても、お前の頑張りには恐れ入ったよ」

「なかなかのもんだに」

「青瓢箪の割には」と正吉。

 

正吉は一貫して寡黙である。

 

翌朝、トロッコが出ないので、もう一泊することになる。

 

そこで便利屋は帰ると言い出すが、旅館の娘たちが部屋に入って来ると、あっさり前言を翻し、もう一泊すると娘たちに話し、調子づいて布団の片づけを手伝ってみせるのである。

 

その可笑しな様子を見て、思わず笑みが零れるたま。

 

「お前が羨ましいや。俺は文学が好きだったけんど、それで食っていけると思わなんだ。だで、家業手伝うことにした。けんども、お前は夢を叶えたんじゃないか。その夢、あっさり手放しちまって、ええんか?」

「夢なんて、この国にはないよ」

 

兄弟の会話の切実さが、観る者に伝わってくる小さなエピソード。

 

外の空気を吸ってこいと敏三に言われ、河原に散歩に行くと、旗を振って出征兵士を見送りに行く小学生と教師の姿が目に留まる。

 

兄の言葉に押されるように、正吉は、それを指で模(かたど)ったファインダー越しに追い、勇ましい生徒たちとは異なり、憂い顔の女性教諭の表情をしっかりと捉えていた。

 

【後の「二十四の瞳」のモチーフとなるショットである】

 

映画を離れても、映画を思う若者の心は変わらないようだった。

 

  

人生論的映画評論・続: はじまりのみち('13)  旅に出た若者が「基地」に帰還し、新たな旅に打って出る 原恵一 より

アルプススタンドのはしの方('20)   迸る熱中に溶融する「しょうがない」の心理学

1  「頑張ってたんだけど、結果としてさ、上演できなければ意味ないもの。だから、そこまでのもんだったんだって。しょうがない」

 

 

 

埼玉県立東入間高校の夏の高校全国野球大会の一回戦。

 

強豪校との対戦で、夢の甲子園球場に、バスで応援に駆り出された生徒たちが、必死に声援を送っている。

 

演劇部に所属する安田あすはと田宮ひかるも、アルプススタンドの端で観戦しているが、犠牲フライの意味も分からず、頓珍漢な会話をしている。

 

そこに、元野球部の藤野が遅れてやって来て、一番端の方に座る。

 

5回裏のグランド整備の時間となり、藤野も交えて3人の会話が始まるが、そこに、今年赴任して来た英語教師の厚木が、「もっと前の方で応援しろ」と、離れ離れに座っている生徒たちに熱く呼びかけるのだ。

 

一人ポツンとアルプススタンドの後方に立っている、帰宅部の宮下恵にも声をかける厚木。

 

「皆と気持ちを一つにして、一生懸命、声を出す。そうやって友情が深まるんだよ。それがベースボールの醍醐味だよ」

 

厚木は端に座る3人のところにもやって来て、いきなり藤野を応援団長に指名する。

 

安田は、まだ一回戦にも拘らず、夏休みに応援に狩り出され、野球だけ特別扱いされていることへの不満を、田宮にぶつける。

 

「野球部の人って、何か偉そうじゃない?『俺、野球部です』けどみたいな。嫌いだわぁ。野球部ってだけで自動的に嫌い」

「藤野君、野球部だよね?」と田宮。

「え?」

「今、それ言う?」と藤野。

「いやあれよ、嫌い嫌い言っといて、内心、実は好きなんだよ」

「てか、俺もう野球部じゃないし。辞めてるし。だいぶ前に」

「そうなの?」

「偉そうにするよな、野球部の奴って」

「うん、園田君とか」

「園田君って、ピッチャーの?そうかな」

「ちょっとプロのスカウトに目つけられたくらいでな」

 

今度は演劇部の話題となり、安田が脚本を書き、関東大会まで行ったことを話すが、田宮はその話には乗らず、落ち着かない様子。

 

5回裏のグランド整備の時間で、田宮が飲み物を買いに行き、藤野と安田は受験の話となる。

 

「でもさあ、高校3年の夏って、こんななのかな」と安田。

「どんななの?」と藤野。

「もっと、何か、青春みたいなさ」

「青春って何なの?」

「何だろ。まあでも、甲子園は青春なんじゃない」

「演劇はさ、青春じゃないの?関東大会出たんでしょ?」

「厳密に言うと、出てはない。本番、部員がインフルエンザ罹(かか)っちゃってさ。出れなかったんだよね」

「それは悔しいね」

「まぁ、しょうがないよ」

「でも、脚本書いてさ、頑張ってたんでしょ?ちゃんと評価してもらいたかったんじゃないの?」

「頑張ってたんだけど、結果としてさ、上演できなければ意味ないもの。だから、そこまでのもんだったんだって。しょうがない」

 

そこに、また厚木がやって来て、応援しない二人を怒鳴りつけ、説教に及ぶのだ。

 

「まったく分かってない!いいか、人生ってのは送りバンドなんだよ。バッターは塁に出られないよね。バッターが気持ち込めてプレーすることで初めて、ランナーが走ることができるんだよ」

「でも、さっきは空振り三振って言って…」

「バカ!応援だっていっしょだぞ。お前らが腹から声を出す。それが、選手たちの力になるんだよ。なあ、宮下」

 

スタンドの後ろの宮下に向かって、言葉を放つ厚木。

 

そんな熱血教師の厚木は、「お前、演劇部だから、腹から声を出せ」と安田を促すが、逆に安田に指摘されてしまう。

 

「あの、それ、腹から出てませんよ。完全に喉から出ちゃってるんで、それずっとやってたら、喉痛めますよ」

 

案の定、「頑張れ!」と大声を出して咳き込み、喉を痛めてその場から去って行く厚木。

 

そこに戻って来た田宮が、厚木が血を吐いていたと聞き、「野球部の先生って大変だね」と言うと、安田が厚木は茶道部の顧問であることを明かす。

 

気がつくと、宮下がいなくなっていた。

 

今度は、宮下についての話題となる。

 

宮下は常に学年トップの成績だったが、最近、吹奏楽部の部長の久住智香(くすみちか)に一位の座を奪われたらしい。

 

「でも、宮下さん、どう思ってるんだろ。高校入って、初めて負けたんでしょ?」と田宮。

「気になるよね。でも宮下さん、話しかけづらいオーラ出てるから」

 

自販機でお茶を買い、独りぼっちでいる宮下に気を使って声を掛ける厚木。

 

「あの、すみません。無理させてしまって。気使ってますよね。あたしがいつも一人でいるから。友達、いないといけませんか?」

 

そこに吹奏楽部の久住たちがやって来て、立ち所に離れていく宮下。

 

再び、アルプススタンドでの安田たちの会話。

 

「外野の人って、いる必要あるの?」

「エラーしたときとか」

「最悪じゃん」

 

そこで、藤野は矢野の話を始める。    

 

「今も、ベンチに座ってると思うんだけど、試合に出ることなんて、まずないんだよ」

「なんで?」

「下手だから」

「はっきり言うね」

 

藤野は、矢野のバッティングのスイングと、本当のスイングを必死にやって見せるが、二人には違いが分からない。

 

宮下がトイレから出て来ると、久住ら吹奏楽部の3人が目の前を歩いて来た。

 

その一人が、宮下に、この前の模試の結果を残念だったと声をかける。

 

「知らなかった。順位とか、確認したことなかったから」と宮下。

 

それだけだった。

 

試合が動き、園田が連続ヒットを打たれ、スコアは3対0となった。

 

安田と田宮がゴミを捨てに行くと、宮下が野球部だった藤野に話を聞いてくる。

 

「園田君って、野球以外に何が好きなの?」

「直接聞いたらいいじゃん。よくそれ、聞かれるんだけど、ないと思うよ。野球のこと以外、考えてないヤツだから」

 

田宮が戻って来て、試合の様子を聞く。

 

ツーアウトランナーなしで、園田に打順が回ると、吹奏楽部の演奏する曲が変わり、田宮が「(園田は)この曲が好き」と吐露する。

 

藤野が園田も好きだと言うと、立ち上がって去ろうとしてた宮下が、また椅子に座った。

 

そこで、田宮が園田と久住が付き合っているという話になる。

 

「久住さん、張り切ってるな…あの二人、付き合ってんだよ」

 

驚く藤野に対し、田宮は必死で、この話を否定する。

 

それを聞いた宮下は、落胆のあまり、腰が抜けて歩けなくなり、田宮と藤野に担がれて運ばれていく。

 

宮下の感情が透けて見える。

 

その宮下に、藤野が好意を持っていることが、序盤のシーンで明らかにされている。

 

ここで、園田と久住の関係が、映像提示される。

 

園田はヒットを打つが、久住は暗い表情でLINEのやり取りを見ている。

 

久住は試合前にコメントを入れ、電話をしてもいいかと聞くが、断られ、その後のメッセージへの反応もなかった。

 

一人戻っていた安田の元に、田宮が宮下の飲み物を取りに来た。

 

宮下が体調を崩したことを聞き、安田も行こうと言うが、田宮は大丈夫だと引き止める。

 

「あのさ、そういうの、もう止めない?そういうにされたらさ、逆に申し訳ないし」

「別にそんな…」

「別にいいじゃん、もう。半年以上経ってるんだし」

「いや…」

「別にひかるのせいじゃないじゃん。インフルエンザなんかさ、罹るときは誰でも罹るもんだし」

「でも…」

「もし私が罹ってたら、ひかるは私のこと責める?」

 

横に首を振る田宮。

 

「でしょ?だからさ、しょうがないんだって」

「でも、せっかく頑張ったのに」

「人生はさ、送りバントなんだって」

「どういう意味?」

「だから、自分が活躍できなくても、諦めて、他の人の活躍を見てろってことじゃない。ひかるもさ、早く、気持ち入れ替えてやって行こうよ。受験勉強とかさ。大事なこと、もっといっぱいあるんだし。もう止めよう。そういうの引き摺んの」

 

ここで、田宮がインフルエンザに罹患したことで、関東大会に出場できなかったことが明かされ、そのことが田宮の心の傷になっているようだった。

 

そこに藤野が飲み物を取りに戻って来て、無言だった田宮は、自分が行くと言って去って行く。

 

「こんな田舎の公立高校がさ、甲子園常連校と戦うっていうのが、まず無茶だよね」

「だいぶ」

「しょうがないって思って、受け入れなきゃいけないことってあるよね」

「うん、あると思う」

「藤野君はさ、何で野球止めたの?」

「矢野って、すっげぇ下手なんだよ、野球。下手だから、試合なんか出られるわけないんだよ。でもまあ、出られるわけないのに、すっげぇ練習すんの。俺、それ見て、何でそんなに練習するんだと思って。俺はさ、ピッチャーじゃない。だから、園田がいると、試合で投げられることなんて、まずないんだよ。どんな頑張っても。でも、最初の頃はさ、頑張って、こいつに負けないように頑張ろうって思ってたんだけど、もう、全然違くて。同じ練習してても、あいつばっか上手くなるんだよ」

「ムカつくね」

「だから、俺は野球止めた。矢野は続けてるけど。俺の方が正しいよな」

「うん。正しいと思う」

「だよな。3年間練習しててもさ。試合にも出られない。誰からも褒められない。それだったらさ、別のことやって、その時間使った方が有意義じゃん」

 

二人の会話には違和感がないようである。

 

  

人生論的映画評論・続: アルプススタンドのはしの方('20)   迸る熱中に溶融する「しょうがない」の心理学 城定秀夫  より

歓待('10)  群を抜く、「決め台詞」と叫喚シーンを捨て去った映像 ―― その鉈の切れ味

1  「大事なのは、腹割ることです。僕は、奥さん、助けたいんですよ」

 

 

 

下町の河川敷に建てられたみすぼらしい破(やぶ)れ屋。

 

人の気配はない。

 

そんな下町で印刷業を営む小林家には、主人の幹夫(みきお)と妻・夏希(なつき)、そして前妻の娘・エリコと出戻りの妹・清子(せいこ)が住んでいる。

 

父の三回忌の法事から帰ると、町内会の敏子が、「犯罪防止キャンペーン」の回覧板を持って、幹夫のところにやって来た。

 

「ほんと、増えてるらしいんで。空き巣とか犯罪。ほら、外国人のとか。危ないんですよ」

「本当ですかぁ?」

「知らないけど、そうなんじゃないんですか」

 

更に、ホームレスが増えている河原(先の河川敷の破れ屋)の美化運動の署名を求められ、幹夫はサインする。

 

エリコは、最近いなくなったインコのピーちゃんを探す張り紙を幹夫に印刷してもらい、清子と一緒に町内会の掲示板に貼りに行く。

 

その直後、一人の男がその張り紙を剥(は)がし、小林家を訪ねて来た。

 

駅の広場でインコを見たというその男は、かつて、小林印刷に資金援助してくれた資産家の加川の息子、加川花太郎であると名乗る。

 

それは、あまりに唐突だった。

 

従業員の山口の体調が悪いために、この加川が住み込みで働くことになったのだ。

 

町内会の見回りから帰って来た清子が、幹夫に不服を言う。

 

「ずいぶん急じゃない」

「今のアパートが立ち退きで、部屋探してるらしいんだよ、ちょうど。あれ、嫌?」

「いいけど、相談してよ。私だってこの家住んでるんだから」

「ああ、ごめんな」

「あたしの部屋だって、勝手に夏希ちゃんの部屋になってるし」

「だって、2年で戻って来るって思わないだろ、普通」

「でも、女住まわせるなら、一言あってもいいんじゃないの?普通」

「女とか、言うなよ…」

 

山口の入院見舞いの帰りに3人でスーパーに寄ると、幹夫は生後8か月の子供を連れた元妻・章江(あきえ)とばったり出会(でくわ)す。

 

久々に再会したエリコは章江の家へ行き、小林と夏希が家に戻ると、突然、外国人の女性がタオルを巻いた姿で風呂から出て来た。

 

これも唐突だった。

 

加川が帰って来ると、彼女は妻のアナベルで、ブラジルから来日して5年になり、サルサラテン音楽)のダンスを教えていると、夕食の団欒の場で、加川は小林家の一同に紹介する。

 

章江が送りに来たエリコを、幹夫を清子が玄関に迎えに行くと、出し抜けに、加川が夏希に話す。

 

「僕たちね、実は偽装結婚なんすよ…ウソ、ウソ、冗談ですよ。嫌だな、真に受けて、もう…まあ、一つよろしくお願いします。迷惑かけないから」

 

呆気に取られる夏希。

 

その夜、隣の部屋から加川とアナベルの喘ぎ声(よがり声)が聞こえてくる。

 

喘(あえ)ぎ声で眠れない幹夫は、今日会った章江が夏希を見て安心したという話をしながら、夏希に迫って来るが、「やめて!」と大きな声で拒絶されるのだ。

 

翌朝、洗面所で清子が歯磨きをし、続いて幹夫が歯磨きを始める。

 

【リピートされるこの構図は、小林家の日常性として記号化されている】

 

留学資金を溜めるためにパートを始めるという清子は、本当ならもっと楽になっていたと金銭的な不満を漏らす。

 

「俺が再婚したのが悪いのか」

「そうは言ってないでしょ」

 

そこに夏希がやって来て、清子と朝の挨拶をして歯磨きを始める。

 

出勤する清子と挨拶する敏子は、小林家の2階の窓際に立っている上半身裸のアナベルを、驚きながら見上げるばかり。

 

アナベルが外でダンスを教えてもらっているエリコに、英語のレッスンを呼びかける夏希。

 

夏希はエリコに「先生」と呼ばれ、以前より英語を教えているのだが、夏希が2階に上がった隙に、代わってアナベルが、エリコに発音を教えていた。

 

繰り返される不意打ち。

 

一週間休みを取りたいという加川の申し出を許可したことに、夏希は幹夫に不満を垂れるのだ。

 

「ちょっと勝手なんじゃないんですか?」

「そうかな」

「それに奥さん、アナベルもちょっとね。目立ちすぎるのよ。近所で噂になってるんだから。ちょっと言いにくいけど、辞めてもらうか、せめて、家を出て行ってもらった方がいいんじゃないですか?」

「そんな急に住み始めたばっかりで、言えないよ。アナベルだって、いい人じゃないか」

「何かねえ」

 

そこに加川が2階から降りて来ると、二人は愛想よく挨拶する。

 

残されたアナベルが、輪転機を回している幹夫を誘い出す。

 

そこに、インコを探しに行って、鳥籠を持ってエリコと帰って来た夏希は、2階から声が聞こえてくるので上がっていくと、幹夫がアナベルにダンスを習っているところだった。

 

夏希に代わって英語を教そわるエリコを、インコ探しに誘い、夏希が鳥籠を持って出て行くと、旅行から帰って来た加川も後を追って探しに行く。

 

双眼鏡でインコを探す加川は、小林の家の方を覗くと、幹夫とアナベルが裸で抱き合っているところだった。

 

何か見えるかを聞く夏希に、面白いものが見えると勧めるが、それを断られた加川は、双眼鏡を見ながら言い放つ。(既に夏希には、「面白いもの」の正体を把握している)

 

侵入者の奇襲が止まらない。

 

「奥さん、会社の金、横領していますよね」

「え?」

「小林印刷の帳簿とか、色々調べさせてもらったんですけどね、計算が合わないんですよ。毎月10万ぐらいずつ、どっかに消えてる。幹夫さんは知らないでしょうね。会計は奥さんが全部、管理してんだから」

「あたし、知りません」

「奥さん、時々家抜けて、人と会ってますよね」

「知りません」

「いえいえいえ、本間タカヒロ29歳。無職。婦女暴行で服役歴あり」

 

幹夫に報告するという加川に、「奥さん次第です」と言われた夏希は逃げようがなく、重い口を開いていく。

 

「あの男は兄です」

「お兄さん、いたんですか?それは、幹夫さんは?」

「知りません」

「それはまた何で?」

「恥ですから」

「ああ、分かりますけどね。あれだけ立派な経歴だから」

「でも、違うんです。彼とは腹違いで、育ってきた場所も全部。だから、違うんです。あたしたちとは」

「はははは、OK、OK。大事なのは、腹割ることです。言ってしまえば、大したことないでしょ。僕は、奥さん、助けたいんですよ…よし、じゃぁ、行きましょ」

 

夏希は喫茶店で腹違いの兄と会い、用件を話す。

 

「もう、お金払いたくないんです。ごめんなさい」

「ちょっと、夏っちゃん、止めてよ。ごめんね。俺も悪いと思ってんだけど、ほんと、ごめん」

「もう、連絡してこないでくれますか」

「分かった。もう行かない」

「本当?」

「でも、僕も今、お金ないし、借金もあるし、悪いとは思うけど、君しか頼れないんだよ…これが最後。最後に、もう10万だけ」

 

5万円しかないという夏希が、財布からお金を出そうとするところで、加川が本間の前に現れた。

 

隣の席に座って脅し、話をつけると言って、夏希を先に返すのだ。

 

帰路、夏希に好意を持っている仕事の客から声をかけられ、ライブのチケットをもらう。

 

家に戻ると、加川から電話が入り、「二度と脅さない、借金も自分で何とかするという、誓約書にサインする」と約束させたと連絡を受けた。

 

ところが、加川は兄を小林家に連れて帰り、仕事がないので、印刷所で働かせると言うのだ。

 

困惑する幹夫に対し、加川は妻と寝たことを質し、有無を言わせない状況に追い込んでいく。

 

「とにかくあなたは、私の妻と姦通した。そういうことですよね」

「すいません、すいません、あの、妻には…」

 

夏希もまた、兄が働くことになり、困惑が広がるばかり。

 

翌日から加川は、自分が社長のように振舞い、勝手に原料を増量して業者に発注するのである。

 

主従関係が反転してしまったのだ。

 

 

人生論的映画評論・続: 歓待('10)  群を抜く、「決め台詞」と叫喚シーンを捨て去った映像 ―― その鉈の切れ味 深田晃司 より