映画史に残したい「名画」あれこれ  邦画編(その1)

ここでは、このような作品を特定的に拾い上げた私の「名画」を、個人的感懐を添えながら、順位をつけることなく、アトランダムに列記していきたい。

 因みに、成瀬巳喜男の作品が多いのは、私にとって、成瀬巳喜男こそ最高の映画監督であると考えているからである。

   流れる成瀬巳喜男

 江戸ワールドを展開する水辺の宇宙を借景に、「今、まさに失わんとする現実」を知ることなしに、必死に稽古に励む芸妓置屋の悲哀をラストシーンに用意した、残酷極まる成瀬的リアリズムの絶品の名画。

 人生は良い時もあれば、悪い時もある。人間万事塞翁(さいおう)が馬。 人生は常ならず、とも言う。諸行無常でもある、と言っていい。そんなことは、あまりに当然のことなのだ。何が起こるか分らない人生だからこそ、人は生きていく。人生は思うようにならないのだ。思うようにならないからこそ、人は生きていく。思うようにならないだけではない人生だからこそ、人は生きていく。そこに少し思うようになる時間と出会えるからこそ、人は生きていく。

 成瀬の映像的宇宙は、無名なる私たちの日々の呟きや嘆きを淡々と語っていくことで、観る者の視線の角度にピタリと重なる写実性を見事なまでに映し出す。ではなぜ、本来、描き出されたくもない私たちの卑屈さや偽善性を、容赦なく抉(えぐ)り出して止まない映像宇宙に私たちは共感し、そこに深い感銘を受けるのであろうか。即ち成瀬の作品には、一切の奇麗事なる描写が捨てられているからである。それも確信的に捨てられているのである。奇麗事なる描写を確信的に捨て切った映像作家こそ、成瀬巳喜男であった。それ以外ではないのだ。

 「流れる」という作品は、そのような成瀬的映像宇宙で頂点を極める傑作ではないかと思われる。

 奇麗事なる描写を確信的に削り取ってしまえば、このような実も蓋(ふた)もない、極めて残酷な映像に辿り着くしかないのだろう。そうでもしない限り、私たちの日常に溢れている偽善や、謙譲の美徳もどきの誇張された美談に被された幾重ものべールを剥いでいくと、そこに晒された裸のストーリーの貧相さに私たちは眼を背け、唾棄すべき感情に捉われることになる。奇麗事を削り取ったリアリズムの映像の到達点は、恐らくそこにしかないのである。だからこそ成瀬の作品は、女性映画の巨匠と言われ続けながらも、小津や黒澤のような評価を受けることはなかった。人々は、奇麗事満載の黒澤的映像世界のハッピーエンドのヒロイズムに酔うことはできても、成瀬的な「やるせなさ」をストレートに受容しなかったのである。

 「流れる」という作品をじっくり味わうことができる幸せを、今、私はしみじみ噛みしめている。成瀬はここでも、高名な原作に負けなかった。キャラに成り切った女優の演技力と、それを巧みに仕上げた演出の力量が完全に融合し、本作は寸分の破綻も見せない人間ドラマに結実した。歳を重ねて初めて分る映画の凄さが、ここには詰まっているのだ。人生を脳天気に突き抜けられない大方の人々は、恐らく成瀬作品が映し出す苛酷と哀切を共感含みに追体験する。

 荒れた心を持て余す年増芸者の悲哀を演じ切った杉村春子は、ここでもまた、絶品の名演技を披露した。

 「男を知らないあなたに、何が分るって言うのよ!」
 「男を知っているってことが、どうして自慢になるのよ!」
 「へぇ、このお嬢さんは大変なことをおっしゃいましたよ。女に男がいらないって、本当ですか、お姐さん?女に男がいらないだって。ハハハ」

 十歳も年下の男に捨てられた年増芸者が、傾きかけている芸者置屋の娘と、酔った勢いで激しく難詰(なんきつ)し合うのだ。

 これは、花柳界の片隅で生きる女たちの哀歓を細密に描いた本作のひとコマだ。結局、酔った勢いで置屋を飛び出した女には、身を寄せる場所がなく、思い切り愛嬌を振り撒いて戻って来る。それを受け入れる気のいい女将。その女将もまた男に捨てられて、置屋の再建に思いを馳せるしかない。しかし、やがて身売りされていくこの置屋の運命を観る者に明かして、映像は完結するのだ。

 映像を括っていく音楽が物語を包み込むようにして、最後に隅田川の流れを映し出し、それがフェイドアウトするまで静かに流されていく。ラストシーンがファーストシーンと繋がって、それでも大きく変わらない人々の日常性が、円環的な自己完結を遂げていくのである。何かが終り、何かが始まっていく。その中で少しずつ何かが変わっていく。人々はこうして今日という日を生き、明日もまた生きていく。

 然るに、芸者置屋の崩壊は、そこで呼吸を繋ぐ女たちの人生の終りを意味しない。彼らの人生は一時(いっとき)躓(つまづ)くが、それでもそこから何かが生まれ、それが一つの繋がりを持って時間の海を泳いでいくに違いないのだ。そのように信じなければ、とても受容し切れない程に辛すぎるラストシーンだった。


(心の風景 /映画史に残したい「名画」あれこれ  邦画編(その1))より抜粋http://www.freezilx2g.com/2011/06/blog-post_04.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)