死の看取りの大切さ ―― 「予期悲嘆の実行」を描き切った名画「マグノリアの花たち」から

イメージ 1「予期悲嘆の実行」という、心理学の言葉がある。
 
愛する者の死をしっかり看取りをすれば、「対象喪失」の際の悲しみ・苦しみからの精神的復元が早いという意味である。
 
臨終に際して、悲しみの感情を無理に抑制する行為を、「美徳」と考える精神主義は葬り去った方がいい。
 
しっかり看取り、しっかり悲しみ、しっかり吐き出すこと。
 
これが最も良い。
 
死に直面している愛する者に、何よりも大切なのは、特別な援助行動なのではなく、臨終間近い愛する者の傍に、しっかり寄り添ってあげることである。
 
「予期悲嘆の実行」についての正しさは、既に多くの研究で確認されている事実。
 
ところで、この「予期悲嘆の実行」を精緻に描いた傑作がある。
 
ハーバート・ロス監督の「マグノリアの花たち」(1989年製作)である。
 
物語は至ってシンプルである。
 
アメリカ南部の小さな町での、6人の女性たちの友情を描くドラマだが、ここでは、ジュリア・ロバーツ扮する、日々のインスリン注入を不可避とする1型糖尿病患者のシェルビーと、サリー・フィールド扮する、シェルビーの母・マリンとの母娘の関係を特化して、物語をフォローしていく。
 
1型糖尿病患者のシェルビーは、結婚しても子供を産んではならない体だった。
 
そのシェルビーが、相思相愛の男性のジャクソンと結婚する。
 
結婚後も保母の仕事を続けると言うが、母のマリンは、娘の健康状態を考えて、一貫して反対する。
 
シェルビーが発作を起こしたのは、社交のミニスポットと化していた美容院での、元気な女たちのトークの花盛りのときだった。
 
血糖コントロールの不具合による糖尿病の発作である。
 
手慣れたように、母のマリンがオレンジジュースを無理に飲ませて意識を回復させるが、妊娠に負担がかかるので、子供を産むことを医師から注意されている現実が相当の心理圧になっていたのだ。
 
それでも、シェルビーは妊娠した事実を母に打ち明ける。
 
「妊娠したの」
 
この唐突なシェルビーの告白に、動揺するマリンは言葉を失った。
 
祝福されない告白への反応に、苛立ちを抑えられないシェルビーは不満を漏らす。
 
「もう少し、喜んでくれたら。出産は7月。ママ、準備を手伝って」
 
ここまで聞いて、娘の体を心配するマリンは、本音を突き付ける。
 
「分らないの?医者の言葉を聞いたはずよ。あんたも彼も分らないの?」
 
養子を取ることを勧める母の気持ちを理解しながらも、シェルビーは反応する。
 
「私は子供が欲しいの。私は自分の子が欲しいのよ。夫婦の絆よ」
「分ったわ」
 
娘の真剣な表情を凝視しながら、その一言を残して、去っていく母。
 
なお母を追って、自分の思いを吐露する娘。
 
「糖尿病くらい」
「あんたの場合は違うのよ。無理はできないのよ」
「心配しないで。誰にも迷惑をかけたり、傷つけたりはしないわ。人を思い通りに動かしたいのね」
「母親に向かって何てことを言うの?」
 
口調は声高になっていないが、もう、感情と感情との衝突になってしまって、折り合いがつかない状態を露わにするばかりだった。
 
それでも、諦念しない娘は、涙ながらに訴える。
 
「お願いよ、ママ、理解して。空っぽの長い人生より、30分の充実した人生を」
 
マリンも、ここまで言われて、決定的に拒絶する態度を断念するしかなかった。
 
 
 
(新・心の風景 死の看取りの大切さ ―― 「予期悲嘆の実行」を描き切った名画「マグノリアの花たち」から)より抜粋http://www.freezilx2g.com/2014/11/blog-post_24.html