雨月物語('53) 溝口健二  <本来の場所、本来の姿――「快楽の落差」についての映像的考察>

イメージ 11  夜の琵琶湖の不吉



「『雨月物語』の奇異幻怪は、現代人の心にふれる時、更に様々の幻想をよび起す。これはそれらの幻想から、新しく生まれた物語です」

これが、映画「雨月物語」の導入となった。

「戦国時代、ある年の早春。近江国琵琶湖の北岸・・・」というキャプション(映像字幕)で、物語が開かれていく。

信長死後、秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳の合戦(注1)が近江の国を舞台に激しく争われていた。それは戦国乱世がまもなく終わろうとする頃の、最も激しい時代の息吹を伝える、殆ど最後の戦いでもあった。しかし民衆たちはまだ戦乱の中にあって、生活のため、立身のために、それぞれの思惑で時代と関わりあって生きていたのである。


(注1)1583年、賤ヶ岳付近で羽柴(後の豊臣)秀吉と柴田勝家が、織田信長亡き後の覇権を賭けた戦い。この戦国乱世の権力闘争の結果、柴田勝家が敗れて自害し、秀吉の全国制覇への基礎が築かれた。


近江の陶工源十郎は、生活のために自ら作り貯めた陶器を売り捌(さば)く目的で、町に出て行こうとしていた。しかし彼の義弟藤兵衛は、まさに立身のために、女房の阿浜(おはま)が止めるのも聞かず、地道な生活を捨てようとしていた。

時はまだ、兵農未分離の時代だったのである。

「大きな望みを持たずに、出世ができるか!望みは大海の如しか・・・俺もつくづく貧乏が嫌になったんだ。兄貴、俺も一緒に連れて行ってくれ、頼む!」
「まだ言っているのか。つまらない望みは捨てろ」

源十郎も制止するが、籐兵衛の気持ちは変わらない。

二人は結局、町に出て行き、源十郎はまもなく、大金を持って笑顔の帰宅をする。

家には、妻の宮木(みやぎ)と息子の源市が待っていた。

家族の団欒がひらかれるが、籐兵衛は侍になる志を遂げられず、惨めな帰宅をしたのである。侍になるには、「具足(注2)と槍が必要だ」と言われて帰って来たのだ。惨めな帰宅を果たした夫を、妻の阿浜は詰るだけだった。
 
一方、濡れ手で泡のような大金を手にした源十郎は、金の亡者になっていた。

彼は来る日も来る日も、陶器を作り上げていく。もう一度大金を得るためだ。そんな夫を横目にして、妻の宮木は不安でならない。

「まるで人柄が変わったように気ばかり焦って、私は夫婦共働きで気楽に働いて、三人楽しく日を過ごすことができればと、そればかりを願っているのです」

籐兵衛もまた、義兄の仕事を手伝って、懸命に働いている。彼は再び町に出て、侍になる思いを遂げたいのである。


(注2)色々な意味があるが、ここでは単に、武具としての甲冑(鎧や兜)のこと。

モノクロの画面に、霧に霞む幻想的な湖の風景が映し出されていた。小舟の中で、男たちは相変わらず欲深い会話を続けている。

そこに、一艘の小舟が近づいて来た。船の中には、海賊に襲われた瀕死の船頭が乗っていた。

「女は気をつけろよ・・・」

この不吉な言葉が最後となって、その船頭は息絶えた。

「戻りましょう。これはきっと、行ってはいけないという印です」

宮木の言葉に、源十郎は答えた。

「女は岸に戻そう。俺たちは運を天に任せる」
「行かないで下さい・・・」と宮木。
「あたしは行くよ。この人は眼が離せない」と阿浜。
「女はさらわれるぞ」と藤兵衛。
「そのときはそのときだ」と阿浜。
「どうでも行くなら、私も行きます。どこまでも連れて行って下さい」と宮木。
「お前には、源市がいる」と源十郎。
「連れて行って下さい」と宮木。

緊迫した状況の中での、四人の会話。

これが、船の上で飛び交っていた。

結局、源十郎と藤兵衛夫妻が町に行くことになった。

途中の村には、宮木と源市母子が残されることになったのである。

そんな中、彼らの部落に柴田の残党が押し入って来た。

源十郎たちは山に避難し、陶器の破壊も運良く免れた。

この一件があって、遂に彼らは部落を出ることを決心したのである。

小舟に乗って、夜の琵琶湖を静かに櫓を漕いで行く。
 
モノクロの画面に、霧に霞む幻想的な湖の風景が映し出されていた。小舟の中で、男たちは相変わらず欲深い会話を続けている。

そこに、一艘の小舟が近づいて来た。船の中には、海賊に襲われた瀕死の船頭が乗っていた。

「女は気をつけろよ・・・」

この不吉な言葉が最後となって、その船頭は息絶えた。

「戻りましょう。これはきっと、行ってはいけないという印です」

宮木の言葉に、源十郎は答えた。

「女は岸に戻そう。俺たちは運を天に任せる」
「行かないで下さい・・・」と宮木。
「あたしは行くよ。この人は眼が離せない」と阿浜。
「女はさらわれるぞ」と藤兵衛。
「そのときはそのときだ」と阿浜。
「どうでも行くなら、私も行きます。どこまでも連れて行って下さい」と宮木。
「お前には、源市がいる」と源十郎。
「連れて行って下さい」と宮木。

緊迫した状況の中での、四人の会話。

これが、船の上で飛び交っていた。

結局、源十郎と藤兵衛夫妻が町に行くことになった。

途中の村には、宮木と源市母子が残されることになったのである。
 
 
(人生論的映画評論/雨月物語('53) 溝口健二  <本来の場所、本来の姿――「快楽の落差」についての映像的考察>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/12/53.html